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53話 京府之変事

瑞穂歴512年 夏月15日 畿内京府・内裏


「折角の十五夜というのに、雲が多いな」

「天のことですから仕方ありませぬ。このような夜もありましょう」


 大王の不満そうな言に、その足下を燈火で照らして先行する近侍の衛士が淡々と答える。

 大王の言葉どおり、折角の満月は流れの早い黒雲に遮られ、月光がその影から漏れて来るのみ。

 時折月本体がちらりと覗くが、次から次へと流れ来る黒雲に直ぐ隠れてしまう。


「その方、風情がないの」

「……失礼を致しました」


 衛士の素っ気ない態度に不満を持ってそう声を掛けるが、相変わらずの返答に大王はふんと鼻を鳴らす。


「大王とは言うても名ばかりよ、硯石めの方が余程大王らしい有様だの」

「……」


 嫌味には答えず、意味不明の黙礼を返し、衛士は大王の先導を続ける。

 大王が向かっているのは、内裏の一角に設けられている観月殿。

 雲のある高空は風がかなり吹いている様子であるものの、地上は然程でもなく、時々一陣の風が吹き抜けるぐらい。

 僅かに着物の裾をはためかせ、大王は不満さを隠そうともせずに廊下を歩く。

 今夜は先の大王の后の1人である奈梅君なうめのきみとその娘で大王の異母妹である小桜姫こさくらひめが折り入って用件が有るとのことで、設けられた席だ。


 先月の内に申し入れがあったのを、行事予定を勘案した結果、今日となったのだ。

 観月殿の入り口には、既に奈梅君のお付きの侍女が2名、控えている。

 大王は近侍の者2名を伴い、渡り廊下へと向きを変えて、侍女らを一瞥してから観月殿へ入る。

 先んじて観月殿に到着していた奈梅君と小桜姫が向き直って拝謁の座礼をし、それを目の端に止めながら大王は上座へと移動し、どっかりと胡座するのを待って、2人はようやく頭を上げた。


 しばらく義母と異母妹の顔をしげしげと見つめる大王。

 童女とばかり思っていた小桜姫だったが、手足がすっきりと伸び、母親譲りの美貌の片鱗を覗かせつつある。

 しかしそんなたおやかな女性らしい容姿をしていても、鋭い知性を窺わせる強い視線が大王を射貫く。

 小桜姫の視線に怯む自分をごまかすかのように、大王は口を開いた。


「して、このような場を設けよと使いを寄越すは、いかなることか?」


 その大王からの言葉に、奈梅君と小桜姫は顔を見合わせ、戸惑ったかのように口を開く。


「……御無礼を承知で申し上げます」

「うむ」


 2人の戸惑いに嫌なものを少し感じつつも、大王が先を促すと、小桜姫がためらいつつ言う。


「妾らを呼んだのは、兄上では?」

「……何?」


 大王が小桜姫の言葉に訝しげな声を上げると同時に、観月堂に掲げられていた灯火皿の火が風で相次いでかき消えた。


「うぬ?これは……」

「まあ」

「満月ではありますが雲で光がありませぬから、真っ暗です」


 驚く大王と奈梅君、小桜姫を余所に、冷静な声がかかる。


「失礼を致します。今再度火を入れまする……」


 燧石も持たず、また、消えてしまった持参の燈火もその場においてそう言いつつ真っ暗闇の中を迷わず大王に近付いた衛士は、胸元から漆黒の刃を抜いて躊躇無く訝しむ大王の胸に突き立てた。


「ぐうっ!?下郎めがっ!?」


 衛士に思わず掴みかかった大王の手を払いのけ、衛士に化けていた山渦は突き立てた刃を抜くともう一度深く深く大王の胸を突き刺した。


「がっ、ぐおはっ!?」


驚愕、困惑、激痛。


 一度にその3つに襲われた大王は、吐血しながら観月殿の床に崩れ落ちる。

 一瞬、雲が途切れて月明かりが差し、衛士の姿を奈梅君に晒した。

 かかっていた大王の手が衛士の官服を引き下げ、その下の身体に刻まれた禍々しい蛇紋の入れ墨の一部をさらけ出す。


「そ、その紋はっ……そなたらっ!?」


 再び雲によって月明かりが閉ざされる。

 闇の中を見る見るうちに大王の血が広がり、観月殿の入り口に灯が消えて戸惑いつつも控える侍女達の元に達する。

 生ぬるいそれを足下に感じ、血臭を感じ取った侍女が鋭い悲鳴を漏らそうとした瞬間、後方にいたもう1人の衛士の腰刀がその頸骨を断ち切った。


 ヒンっという短い不完全な悲鳴が途切れ、ごとりと何か重い物が落ちる音が闇に響く。

 それと同時に観月殿の影からぬるりと胡乱な風体の男達が漆黒の抜き身を手に現れ、事態を把握しきれずに固まっているもう1人の侍女に襲い掛かった。

 胸を背骨まで突き通された侍女がくぐもった声を上げる。


「っ!?おのれっ!」


 暗闇で周囲の状況が見えずとも、何が起こったか察した奈梅君は戸惑っている小桜姫を観月殿の外へと押し出すべく立ち上がる。

 狙いが大王だけではないことを悟ったのだ。


「小桜っ、お逃げなさい!」

「は、母上っ!?」

「硯石めのはかりごとです、すぐに……爺を頼りに、逃げなさいっ」


 母に突然押し出されて戸惑いを隠しきれないまま、小桜姫がそう返すと、奈梅君はぎゅっとその細い身体を一抱ひとだきすると、観月殿の外へと更に押し出す。

 しかし最後の瞬間、何かを鈍く断ち切る音と共に奈梅君の手から力が抜ける。


「うっ、ううっ!」


 母である奈梅君に危害が及んだことを直ぐに察した小桜姫は、ぶわっと涙を溢れさせるが、しかし躊躇している暇は無い。

 羽織っていた上衣うわがさねをするりと脱ぎ落とし、止ん事無き姫とは思えない挙動で観月堂の外へ転がり出ると、悲しみと恐怖で涙を流しながらも地を蹴立てる。


「逃がすな!」


 小さくも鋭い指示が飛ぶが、小桜姫は敏捷に観月殿の近くを流れる遣り水を飛び越え、茂みへ奔った。

 梓弓の爺と野遊びをした際のことを思い出し、小桜姫は青木の藪を斜めに走る。

 その横を背後から礫が数発流れ、傍らに立つ粗樫の大木の幹を打つ音が響く。


「うぬ!外したっ!?」

鈍臭のろくさい普通の止ん事無き姫君と思うな!戯れ混じりとは言え梓弓めに鍛えられし女子おみなこぞ!」

「大王と母親めは仕留めたっ、後はあの姫だけぞ!疾く追えい!」

「……母上っ!」


 衛士に化けた山渦どもの言葉を漏れ聞き、小桜姫はそうこぼすと、背後の観月堂を垣間見る。

 母と兄、しかもこの国においては最も高貴な身分の者であるはずの2人が敢えなく殺められてしまった。

 つい先頃まで、観月堂から眺める月の美しさを共に褒めそやし、今夜の天気の悪さを共に嘆いていた母が呆気なく死んでしまった。

 そして、この瑞穂国の最高位の王者であるはずの兄が、他愛も無く殺されてしまった。

 最愛の母が、山渦どもに弑された。

 

 見る限り衛士に化けた山渦どもに躊躇いや畏怖は無く、その行為は至って平静なままであった。

 一昔前であれば、そして自分の父でもある先の大王であれば、いかに山渦と言えども高貴の者を手に掛けるという戸惑いや躊躇いはあっただろう。

 このような次第には至らず、また最悪至ったとしてもどうにかの隙は見いだせたはずなのだ。

 しかし、重ねて考えるに、今日の討手どもにその様な躊躇いはなかった。

 雇い主の方がこの国そのものの高位者より上となっていると考えているのだろう。


「爺が言っていたことか、国の秩序や形が崩れ落ちておる……のか?」


 小桜姫は行武がかつてこぼしていた秩序の乱れに思い至る。

 小桜姫は袖でぐいっと涙と鼻水をぬぐうと、やがて見えてきた遣り水の深みへと入る。

 このまま流れに任せて遣り水から内裏の外へと抜けだし、その先、京府の外れまで出てしまえば、かつて行武の屋敷で働いていた者達が集まり暮らしている場所に出る。

 行武は使用人であったその者達に見舞金を出して、再就職先を世話したが、彼らはその金を持ち寄って自分達の住まいを用立て、住み込みでは無く通いで仕事をしているのだ。


 いきなり見知らぬ屋敷へ奉公住まいするよりも、見知った者達で集まって暮らし、仕事に行くという形式を取ったのだ。

 それ程行武の屋敷は暮らしやすく、また使用人同士の仲も良かったという事である。

 小桜姫はそんな彼らと、行武の屋敷跡を奈梅君と懐かしんで訪問した際に交流を持ち、今に至るまで付合いを持って来たのだ。

 取り分け、由羽という同じ年ぐらいの落ち着いた女子と、きかん気の強い光太とは馬が合い、仲良くしている。


「母上……」


 小桜姫はその事と同時に、母親である奈梅君の最期を思い出し、再び涙ぐむ。

 山渦どもの言葉から、間違い無く奈梅君は殺されていることだろう。

 梓弓の爺の帰りを待って過ごしても、再び穏やかに暮らしていた日々には戻れず、身の危険を感じつつも、これからは望むと望まざるとにかかわらず渦中に入らざるを得まい。


「呆けてはいられない」


 小桜姫はそうつぶやくと眦を吊り上げて口を引き結ぶ。

 幸いにも季節は夏、遣り水の水中も冷たくはない。

 なるべく目立たないように顔を限界まで沈めつつ、行武にかつて教わったとおり岸の影を選んで流れ下る。

 取り敢えず、由羽や光太のところまで行けば、行武の居る東先道への道筋は付くはず。

 今は一刻も早く、追っ手が付く前に関所を越え、近坂国から船に乗るのだ。

 由羽達を騒動に巻き込んでしまう危険はあるかも知れないが、貴族連中はあてにならず、また官吏や衛士達も先程のように硯石の手の者が紛れ込んでいる可能性があって怪しい。


 船ならば、彼らの考慮外。


 行武が東先道までの行軍を航路で済ませてしまったことで注目はあるかも知れないが、息のかかっている者は居ないはずだ。

 京府からは勿論出た事の無い小桜姫であるが、行武から聞かされた諸国の風物の話や瑞穂国の成り立ちから、その姿を思い描くことは出来る。

 そして行武の話から興味を持ち、地図や書物や文献を読みあさり、知識を蓄えている。

 知識だけではあるが、この国のことは誰よりも知っているのだ。


「不安もあるけど……今は行くしかないもの」


 臣籍に降った他の弟妹達と違い、未だ大王の一族である小桜姫と今上の大王である兄を狙ったこの変事は、間違い無く硯石ら文人貴族の主導者達の画策であろう。


「よくも母上を……硯石基家めらが、よくも……絶対に許さない」







 同時期、内裏


 衛士となった山渦どもが内裏内をドタバタと走り回り、内裏の侍女や下級官吏が怯えながらも大王崩御に伴う祭事や葬儀の準備を進める。

 鋭い山渦独特の言葉が飛び交い、大王崩御を知らされて招集を受け参内した文人貴族達が、びくりと身体を震わせて怯えを隠そうともせずに清涼殿へとやって来る。

 その中央、大臣の座にどっかりと胡座し、硯石基家は甥の広家から報告を受けていた。

 やがて全てを聞き終えると、そっとため息をつく。

 思わず身を震わせた広家に、苦笑を漏らして基家は口を開いた。


「ふむ、小桜姫を逃がしたと……不手際よの。他はようやった、斐紙大生形も消えたか、だが……不手際よの?」

「申し訳ありませぬ。今京府中に触れを出し、更には京府の門を閉ざしております。加えて近国への関を閉ざすべく早馬を走らせました。もちろん、みなとにも知らせを出しております」


 自分の言葉に目を伏せたまま広家が応えると、基家はふっと息を吐いてから言う。


「……梓弓のじじいめは兵士、衛士、市井の者から絶大な信頼を得ておった。匿う者や見逃す者が出よう……それを忘れてはならぬ」

「はっ」


 慌ただしく参内してくる文人貴族達を目で追いながら、基家は言葉を継ぐ。


「剣持兵部卿も大言のわりに情け無い、あちこちの国衙で足止めを受けておるようだ。未だ東先道に着かぬ……だが、事は済んだ。大王のおらぬ間に朝議の総意をもって緊時令とし、梓弓への征討令を出す。これで晴れて剣持兵部卿は征討軍となる」

「……東先道の国司どもは如何しますか?」


 広家が預かっている硯石為高らは、未だ刑を受けずに謹慎させられていたのだ。

 基家は広家の問いに一つ頷くと、冷笑を浮かべながら答えた。


「そろそろ解放してやれ、梓弓を討った後は復帰させる故に」

「もう、誰憚ることはありませぬからな」

「そうだな……それから、神取王子には明日朝議にて即位を奏上致す、それまでに始末を付けよ」

「……畏まりました」


 最後に冷たく命じられ、広家はやっとの事で承知の言葉を紡ぎ出すと、清涼殿から下がるのだった。


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