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52話 詰問使の旅程

 瑞穂歴512年 初夏月10日

 

 蝉の声がうるさくなり始めた初夏の日差しの中、行武は軽装のままあぜ道を歩く。

 供に付いているのは、雪麻呂と山下麻呂、そしていつの間にか付いて来ていたツマグロとスジグロの2人だ。

 栄養状態が悪かったせいかやせ細っていたかつての浮浪児2人だったが、今や背丈も伸び、肉付きも良くなって顔の血色も良い。


 何時もしかめっ面で眉根が寄っていた2人。


 そんな2人が楽しそうに拾った小枝で水田の中から勢い良く伸び出している稲葉に触れて揺らし、飛び立つ浮塵子を見て穏やかな笑顔を浮かべているのを見れば、普通の子供と何ら変わることはない。

 とても京府で悪行三昧を繰り返して恐れられていた浮浪児集団のかしら達とは思えない、至って無邪気な姿を見て、行武も目を細める。

 飛び立った浮塵子を狙った蜻蛉が飛来し、逃げ惑う浮塵子を次々と腕に掠い、水田の真上を飛び去って行く。

 その光景を見て、行武はうむうむと頷くと水田の真ん中で足を止めて口を開いた。


「稲の勢いもまずまず良いようじゃ」

「今年はかなり暑くなりそうですから、米の生りは良いのではありませんか?」

「しかし、開墾したその年の内にこんなに成長が良いとはなあ、じいさんや畦造りの旦那らの腕前が良い証拠だな」


 雪麻呂と山下麻呂も嬉しそうに言う。

 本来、水田の視察であれば少彦や是安を伴うのだが、彼らは本当の意味での検地と作柄調査に忙しく、猫芝と共に今頃は東先道の国中をかけずり回っていることだろう。

 マリオンも大章国から戻っているが、今日は藻塩潟の港に国元の船が入ったことで、情報を取りに行っているので行武には同道していない。


「じいさん、ありがとなあ」

「少将様、お陰様です」


 彼らに代わってここにいるツマグロとスジグロは、たたたたと足音を軽やかに立てて行武にかけよると、にこにこして感謝の言葉を述べる。


「ほう、どう言う風の吹き回しじゃ?会えば罵る仲ではなかったかの?」

「うっ、いじわるいうなよ」

「その、ま、前はごめんなさい」


 面白がるように笑みを浮かべつつ冷やかす行武に、ツマグロとスジグロはばつが悪そうな顔をして、上目遣いに行武を見て言う。

 彼ら浮塵子と呼ばれた子供達も、細々とした使いや農事や普請などの補助作業を言いつけられて働き、また少彦や是安について読み書き算数を学んできた。

 子供であり、また孤児でもあった境遇から、偏見少なく夷族とも交流を重ね、中には夷族の農民に養子として迎えられる者も居る。


 読み書きや算数に才のあった者は、少彦や是安の手伝いをするようになっており、何れは在地官人として働くことになるだろう。

 ツマグロとスジグロは行武の側仕えの小姓と位置づけられており、身体も次第に出来て来始めているので、行武から武術を習っているのに加えて、行武の外歩きに付いて出ることも多くなってきていた。


「水田はまず順調じゃのう、このままゆけば相応に収穫が期待出来ようぞ」


 行武の満足そうな言葉に、その後ろで歩みを止めていた雪麻呂が不安そうに問い掛ける。

「しかし少将様……朝廷の詰問使が軍兵を率いてこちらに向かっている状況では、農作業は無駄になりませんか?いくら京府が遠いと言っても、2か月あればここに到着してしまいます」

「たとえ戦にならなくたって、兵が入ってくりゃ収穫目前の稲田が無傷で済むわけねえんだからよ。それでなくとも遠征だ、じいさん達みたく用意周到に糧食を準備してくるとは思えねえ。どうせ行く先々の農民からの現地調達だろ?」


 続いて不満そうな口ぶりで山下麻呂が言うと、行武は朗らかな笑い声を上げた。

「あっはっはっはっはっはっはっはっ!」

「……笑い事じゃねえと思うんだが?」


 山下麻呂の冷たい視線に動じた様子もなく、行武は一頻り笑うと驚いている雪麻呂やツマグロ達に向かって口を開く。


「さすがに一万の兵を引き連れるのじゃ。如何に今の朝廷が軍事を忘れ果てたというても荷駄くらい連れていよう。自国で略奪するわけにも行くまいからの、それくらいの知恵は当然にある。後は……そうじゃな、律令で定まっておるが、国衙にはこのような遠征の際に供出する穀物が蓄えられておる」


 行武の言うとおり、律令では国司が維持すべき軍団の兵数や武具の数と共に、備蓄しておくべき糧秣の種類や量がきっちり定められているのだ。


「へええ、そうなんだねえ」


 スジグロがのんびりした口調で感心すると、再び行武が笑声を上げた。

 再び一頻り笑った後、笑声を残しつつも呆れる供の者達に行武は自信たっぷりに説明する。


「うっふっふっふ、まあ、尤も、欲の皮をつっぱらかせた文人貴族の国司共が、使わぬ軍用糧秣を正規に蓄えておるかどうか、甚だ怪しいがのう……それに色々と手も打っておる故、心配は要らぬ。詰問使どもは秋の収穫後にここへ到着するわい」


 そう悪戯心たっぷりの笑みを浮かべて言う行武に、雪麻呂達は互いの顔を見合わせるのだった。








 同時期、畿内、志波中国詠桐郡しばなかこくよんとうぐん・国衙


「な、何だと!?」


 国衙へ少数の兵を率いて参じた剣持兵部卿に対し、志波中国国司の大紙祥麻呂おおかみひろまろが悪びれた様子もなく首を垂れて先程と同じ言葉を紡ぎ出す。


「再度申し上げます……申し訳ないのですが、我が国衙に国兵へ供出する穀物の蓄えはありませぬ」

「ど、どういうことだ!」

「え、何を今更……そんな、一体誰が使いもしない軍用糧秣を備蓄すると言うのですか。誰もやっていませんよ、無駄ですしね。それならば、軍用の備蓄分を蓄財に使うか京府のやんごとなき方々に贈って、歓心を買いますね。あなた方もそうでしたでしょう?」


 大紙志波中守から開き直りとも取れる台詞を聞かされ、剣持兵部卿を始めとする兵部省の面々は下を向く。

 誰も彼もが国司の時に覚えがある事だからだ。


「……確かに、軍用糧秣は帳簿に載せるのみで、蔵は空であった」

「如何にも、蓄財に使いましたな……ははは」


 悪びれた様子もなく言い、嘲りの混じった笑いをこぼす大紙志波中守。

 その後ろで、何を今更などと中堅貴族達がひそひそと自分の後ろでささやきあっているのを聞き、剣持兵部卿は自分にも覚えがあるだけに叱責も出来ず、また目の前のこの腹立たしい国司に文句も言えず、ただただ顔を真っ赤にしているのみの有様。

 しかし過去の自分を大棚に上げ、剣持兵部卿は顔を上げて声を張り上げる。


「ではっ、民人からの徴発を認めよ!征討軍にはその権限がある!」


 今自分は一万の兵を預かる身であり、この一万の兵卒を食わせなければならない。

 そう思い直して大紙志波中守を睨むが、睨まれている当の本人は薄笑いを浮かべて言い返す。


「大層な軍兵を率いておりますが、あなた方は詰問使では?詰問使にその様な権限はありませぬ、その辺は如何ですかな?」


 確かに征討軍などの正式な軍兵ではない、役目としてはただの詰問使に過ぎない剣持兵部卿には、徴発権など有りはしないし、そもそも国衙の穀物を供出させる権限もない。

 律令にない形での派兵がいきなり自分の足を縛ることとなった剣持兵部卿であったが、めげずに口角から泡を飛ばして叫ぶ。


「おのれ……硯石大臣の命なるぞ!どの様な形でも良いから兵糧を出せいっ!」


 兎にも角にも一万の兵を維持し、東先道に攻め入らねばならないのだ。

 攻め入りさえすれば、後は乱取も思うがまま。

 梓弓に従う夷族の土地など、どうなろうと知ったことではない。

 しかし、そんな思いもこの良く居る手合いの悪徳国司には通じない。


「まあ、硯石大臣の命とあれば、加えて私の財を補填して下さるというのであれば、供出するのは吝かではありませぬが、何か書面でもお持ちなのでしょうか?」

「うぬぐぐぐぐぐ!!」

「尤も私とて文人貴族の端くれ、協力致すのは吝かではありませぬが、我が私財を擲って兵を支えるのですから、それなりの見返りがありませぬと、うんとは申せませぬな」


 もちろんその様な書状を硯石大臣が出すはずもなく、また詰問使の権限では目的である梓弓征討軍少将以外の者に詰問をする事すら出来ない。

 見返りの確約など剣持兵部卿に出せるはずもない。

 そもそも、ここ志波中国はあくまで通過点で有り、ただ通るだけの場所のはずだ。

 ただただ一万の兵を養うために、必要なことと思って穀物の供出を依頼しただけのはずが、とんだ混乱を巻き起こす羽目になってしまったのである。


「詰問使の剣持殿が宿泊するというのならば、歓待致しますが、軍兵は与り知らぬところであります故、我が方にては手配致しかねる……ああ、もちろん乱暴狼藉があった場合は屹度報告致してその責任者の処罰を求めますから、そのおつもりで」


 言うこと為す事を全て大紙志波中守に論破され、剣持兵部卿の顔がどす黒くなる。

 大紙志波中守は、それ程肝が大きい方ではなく、硯石大臣と直接会えば当然這いつくばる羽目になるだろうが、ここ志波中国では彼が最高権力者だ。

 奥歯を噛み締めて言葉を発せない剣持兵部卿を見て、大紙志波中守はにやりと嫌らしい笑みを浮かべると、勿体を付けた口調で言葉を継ぐ。


「まあ、詰問使殿が朝廷に掛け合って、何らかの形で購ってくれることを約して頂けるならば、何とかしましょうぞ」








「ちっ、全くあの強突く張りが!忌々しいっ」


 結局、朝廷と硯石大臣に書状を出し、穀物の補填の確認を取る羽目になった兵部卿は、そう吐き捨てる様に言いながら国衙の中の渡り廊下を乱雑に歩く。

 そして護衛の兵と側近達が、怒りも露わな表情で続く。

 財となる穀物の補填について確約が取れねば、国司は穀物を引き渡さないというのだ。

 国衙に蓄え置くべき兵糧を蓄財のため貸し出しに回して利息を得る。


 まさしく怠業であり怠慢であるが、これはなべて文人貴族達みながやっていることでもあったのだ。


 もちろん、剣持兵部卿も例外ではなく、自分も国司の時にはそうやって蓄財に大いに励んで、民草から怨嗟の声を浴びせられたものだ。

 それ故に不正と糾弾することは出来ない。

 糾弾すれば自分に跳ね返る。


「それでなくともあちこちの橋や街道が寸断されて難渋しておるというのに」


 思わずそうこぼす剣持兵部卿。

 地方である国衙の財政が国司1人を除けば破綻寸前の状態であることから、当然本来国衙の財政で賄うべき駅逓や街道補修はほとんど為されておらず、村人の行う共同体の道普請で整えられた場所以外、街道は荒れているのが実情だ。


 街道は難所には西方から伝わった石畳が敷かれているし、補修を怠っているとは言え直ぐに使えない状態になるわけではない。

 しかし、老朽化した橋は庶民が通るには問題ないが、軍が通過するには支障が生じ、現に引き連れて来た荷駄部隊は河川を渡る度に足止めを受けている状態だ。

 橋を渡すには荷駄の重量がありすぎるので、小分けにして何度も往復する羽目になったり、小さく数もない渡し船を利用したりしている。


 そして思うように糧秣が集まらない上に、訓練不十分の兵達は行軍速度が遅い。


「これでは予定に間に合わぬ。東先道に入るのは冬になるぞ……」

「冬はまずうございますな」


 剣持兵部卿のこぼした言葉に、側近の1人が思わずそう返すと、その側近を剣持兵部卿は手に持っていた鞘入りの剣をその側頭部へ叩き付けた。

 派手な音がして、側近がよろめくのを忌々しげに睨み、剣持兵部卿は怒声を放った。


「ではその方らが何とかせよ!」

「も、申し訳ございませぬ……」


 ドンと更にその側近を突き飛ばしておいてから、剣持兵部卿は護衛の兵士や側近達を睨み付けると、戸惑って足を止めた彼らを置き去りにして歩み去った。


 そして、十分離れたのを確認してから1人言葉を紡ぐ。


「このままでは梓弓の爺が陣取る東先道には予定どおりに行き着かぬ……しかし、軍旅の遅延を公に報告してはわしの功績に関わる……」


 眉間に皺を寄せつつ歩きながらしばらく考え、剣持兵部卿はある結論に達した。


「うむ、叱責されても面白くない、ここは遅延が決定的になってから報告することで良いだろう。幸いにもまだ予定までには時間がある故、取り戻せるやも知れぬしな」


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