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51話 詰問使出立

 瑞穂歴512年 春月初旬 東先道広浜国藻塩潟 梓弓砦


 昨年開かれた田での田起こしが、東先道各地で始まっていた。

 牛馬を使い、行武が持ち込んだ犂で冬の間に固まった土がどんどん解されていく。

 行武の犂を参考にして鍛冶師や道具師が犂を造り、農民達に貸し出したのだ。

 大がかりな作業の出来なかった冬場に準備が終わり、少彦らが使用方法を指導した上で各村邑に1台もしくは2台を貸し出したのである。


 もちろん、最終的にはそれぞれの村落の共有財産として里長が管理することを前提にしているが、現段階では反乱が終わったばかりという状況を考慮して租税を大幅に減免していることから、敢えて貸し出しに留めている。


「何もかも与えては意欲を失ってしまうわい。良き物は自らの努力で手に入れてこそよ。さにあれば大事にもするし工夫もする、使い方にも習熟しようというものじゃ。何事にも有り難みという物は大事なのじゃ」


 行武はそう言って、規定の納税と引き替えに犂を下賜することにしたのである。

 もちろん、3年間の租税減免は既定路線であるが、1年でも2年でも早く納税をすれば下賜するし、あるいは納税が出来なくとも貸し出しはする。

 後はそれぞれの村落の考え方次第だ。

 起こされた土の隙間から飛び出す虫や蚯蚓みみずを狙って、大小の鳥が飛来し、ついばんでは去って行く。


 あるいはもたもたと取りこぼしている愚図な鳥は、戻ってきた牛引きの犂に追い立てられて慌てて飛び立つ。

 完全に乾ききっていない、水が入ったままの場所も多い藻塩潟の水田では、代掻きとない交ぜになってしまっているものの作業はどんどんと進んでいた。


「ここは京府周辺より遥かに寒いようです。苗代の稲もあまり生育が良くありません」

「まあ、それは仕方あるまい。東間道で育てておる稲や東先道の一部でも稲は育てておる故に、出来ぬ事はないと思うが、どうじゃな?」

「然程問題にはならぬ」


 少彦の説明に行武が質問を発すると、その横に居た猫芝が何やら分厚い帳面を苦労して繰りながら答える。

 つい先頃に城柵へ帰還した猫芝は、何やら分厚い帳面を幾つも持ち込み、そして常にそれを持ち歩いている。

 今も背には子供用の背負子しょいこがあり、そこには薪では無く帳面や本が重ねられている。

 返って来た時は、普段決して薪拾いなどの労働をしない猫芝が、本とは言え背負子に山盛り持って帰って来たので、ツマグロやスジグロら浮塵子うんかの子供達に相当はやし立てられていた。

 尤も、本人は慣れない荷運びでかなり消耗しており、言い返すどころか城柵に到着するやいなや門内でばったり倒れてしまった。


 哀れに思った行武が兵に命じて運ばせようとしても、猫芝は頑として渡さない。


「吾の屋敷が出来たならば、其処には置くが、それまで吾はこの帳面を手放さぬ」


 そう言って頑ななまでに拒否をするので、行武も本人の自ままにさせている。

 しかし、先日起こったばかりのそんな恥臭い出来事がまるでなかったかのように、猫芝は勿体を付けて口を開いた。


「大丈夫じゃ、苗は田植えまでに間に合う。そもそもの稲の生育期間においても、東先道であれば然程問題は無い、ここから更に北へ行けば些か工夫が必要になるであろうがの」

「ふむ、成程のう」


 猫芝の回答に頷きながらそう返すと、行武はまぶしそうに周辺を見渡す。

 行武らが居るのは梓弓城柵の櫓。

 遠方まで見渡せるその場所はこの周辺でも一番の見晴らしを誇る。

 ここから眺める東先道の風景は、かつて行武が見た物と変わりなく、哀愁と郷愁を強く感じさせる。


「わしの生まれ故郷は京府であるのに、ここに里心を持つとは、よくよく不思議な事よ」


 一陣の風が通り過ぎ、泥田の特徴ある香りを行武らに届ける。

 かつては放棄されていた砦周辺の田畑は見事に復活し、山裾まで広がる田の光景は壮観の一言に尽き、そこでせわしなく動き回る人々の顔は明るい。

 しかし、それを見る行武の顔は反対に険しくなった。


「後はこの田畑を荒らされずに済むようにせねば行かぬが……なかなか難しかろうな」

「ふん、せっかく順調な農耕を無駄にするとは、勿体ないことじゃな」

「出来ればここまでの労力や使った種籾を無駄にはしたくありませんが……」


 ため息と共に吐きだした行武の言葉に、猫芝と少彦は嘆息雑じりに応じる。

 ここに居る3人は、知っているのだ。

 京府から剣持兵部卿が1万の国兵を引き連れ、北、すなわちここ東先道に詰問使として出立したことを。










 早速武銛はやみたけもりは藻塩潟の港に到着すると、荷下ろしを部下に一任して梓弓砦へと駆け込んだ。

 そして、太刀を磨いていた行武を見つけるなり怒鳴るような声色で言い放った。


「ジジイ、大事ぞ!落ち着いておる場合か!」

「まあ、思ったより兵数が多いが、予想はされていたことじゃからの」


 しかし慌てふためく武銛へ一瞥をくれたのみで、行武はそう言って太刀の手入れを続ける。


「おい!ぼやぼやしている場合ではないぞ!兵部卿の兵は1万だ!」

「おうさ、ようも集めたものよ」

「はあっ!?何悠長なこと言ってやがる!」


 武銛の剣幕を知って、部屋の近い財部是安と畦造少彦はもとより、兵舎に居るはずの本楯弘光や軽部麻呂、武鎗重光が駆けつけ、おまけに軍監の玄墨久秀と薬研和人までが顔を強張らせて現れた。


「いいか!イチマンだぞ!?」

「うむ、昨今各地の軍団は解体も同然の有様、もはや国兵もほぼおるまい。おおよそ農民を徴用して兵に仕立て上げているのであろうよ。まあ、農民は農民、厳しい稽古や調練を施したとしても、にわかには使えぬものじゃ。生粋の国兵は数えるほど故に、心配することは然程も無いわい」


 人差指を立てて青筋を浮かべ、口角からつばを飛ばして力説する武銛に、ようやく太刀を鞘に収めた行武がどこかのんびりした口調で応じる。

 1万との兵数を聞いて是安と少彦は顔を青くし、重光と弘光は顔を見合わせ、和人は顔をしかめる。


 相変わらず久秀は表情が乏しく、その感情が見えないが、心なしか口元が引き結ばれているのが行武には分かった。

 既に行武は揺曳衆の烏麻呂から、朝廷が兵を集め始めたことを聞いており、大章国へ向かったマリオンが途中、朝廷で北伐の軍の編制が行われていることを知らせてきている。


 そして、今日、武銛が決定的な知らせを持ってきた。


「……わしらには何も届いておらぬな」

「私も薬研軍監殿と同様だ、何も聞いていない……」


 和人と久秀が相次いで言うと、行武はうっすらと笑みを浮かべて言う。


「おうおう、ようやくお主らもわしの仲間となったようじゃの。朝廷が認めたわ」


 久秀と和人の報告に、朝廷が満足しなくなった、あるいは疑いの目を向け始めたのであろう。

 揺曳衆により久秀や和人宛に朝廷から手紙や使者が入っていないことは裏が取れている。

 確かに朝廷、つまりは基家からは、久秀に何の知らせも来ていない。

 そもそも和人はもとより、久秀は正真正銘の間者として軍監に潜り込まされた経緯があるのだが、最近は行武の揚げ足を取るような文章は鳴りを潜めている。


 もちろん潜り込ませたのは文人貴族達、ひいては硯石基家であるが、あまりに客観的な内容が続いたことに業を煮やしたか、それとも寝返りを疑い始めたかしたのであろう。


「まあ、ケチな今の朝廷の者共が一万の兵とは随分と張り込んだものじゃ。硯石大臣は余程わしが怖いと見えるわい」


 行武が嘆息雑じりにこぼすと、周囲の者達が苦笑を浮かべる。

 そもそも詰問使と称しながら、軍兵を用意しているのはどういうことか。

 行武の非を責め、その処置を行武自身の判断で行わせることを目的とするのが詰問使であり、懲罰権や実力行使は詰問使に認められていないのである。


 あくまでその前段階として、窘め、是正を求め、自己反省を促すのが詰問使の役割であって、いきなり軍をもって攻める姿勢を見せつつ詰問などしない。

 しかしいくら朝廷の非を鳴らそうとも、最早朝廷を動かしているのは行武の敵対勢力でしかない以上、受けて立つ他ないのが実情であろう。


 既に準備は整いつつある。


「表立って戦に及ぶのは本意ではないが、ここで勝ちを得ねば物も言えぬ。勝てば不敬ではあるが、兵威をもって朝廷に物申すことも出来よう」

「梓弓征討軍少将が勝利すれば、朝廷が鎮撫使ちんぶしを検討する可能性は十分あるだろう」

「鎮撫使のう……」


 行武が続けた言葉に久秀が応じると、和人が難しそうに首を捻りつつつぶやく。

 鎮撫使とは、朝廷が実力で兵乱や反乱を鎮圧出来ない場合において、ある程度その首謀者らの要求などを認め、兵や乱を収めさせるために派遣される使者のことだ。

 過去に夷族の大規模な反乱や、更に古の時代に南の隼人族の反乱において派遣された実績がある。

 大概は高位の貴族で交渉に長けた者が派遣され、いわば口先で丸め込みつつ金穀きんこくを含めた実利を与えたりして鎮撫ちんぶするのが鎮撫使の役割だ。


 もちろん、乱に対する赦免しゃめんも条件に含まれるのが一般的だ。

 今の朝廷は文人貴族に土地を蚕食されて収税機能を落としている。

 京府に近いほど文人貴族の荘園が増え、遠方にあるほどその影響は薄いが、それ故に遠方の国から徴税を強化せざるを得ず、民に負担を強いている。

 荘園に暮らす民は、朝廷の支配下から離れて徴税の責務からは解放されてはいるが、代わりに荘園を持つ貴族の隷属下にある。


 朝廷に対しては一応、納税の割合は決まっているが、荘園においてその所有者は正に独裁者であり、誰はばかることなく収奪する事が出来る。

 貴族とて自分の支配方法が自分の財産に直結するので、そう無茶苦茶はしないが、それでも厳しい取り立てや収奪が行われているのは事実で、朝廷の支配下にある公地より収奪が厳しいのは周知の事実。

 朝廷にも改革を志す者が居なかったわけではないが、ある者は暗闘に敗れて朝廷から排除され、あるいは闇夜に命を落とし、また、脅迫に耐えかねてその志を閉ざした。


 そうして出来上がった今の瑞穂国の構造は極めて歪で、あちこちから民の怨嗟という名の軋み音が生じているのだ。


「平時においてさえ厳しい収奪をしておいて、戦時には兵として徴発されるのじゃ、徴発される当人やその家族らの労苦は計り知れまい……今の朝廷にそれを理解しておる者が果たしておるのか、すこぶる心配じゃの」

「もしや……征討軍少将は他で乱が起こる可能性を考慮しておいでか?」


 久秀の恐る恐るの問いに、行武は顎髭を扱きながら言う。


「……その確率は低くはない。京府近郊とて例外ではあるまいよ」


 






 瑞穂歴512年 春月中旬 京府


 既に花は梅から桜に盛りを移し、京府やその近郊の沿道に植えられた桜がもう間もなく満開を迎える時期。

 京府やその中心地たる大内裏は、落ち着かない空気が周囲を包んでいる。

 兵部省に集められた京府近郊や近国の国兵や農民達約1万人が、基礎的な訓練を終えて遂に北へと出発するのだ。





 同時期、大内裏


「……詰問の成功を祈念しておる」

「ははっ、必ずや!」


 憮然とした表情の大王から授けられた言葉に、剣持兵部卿は畏まって頭を下げる。

 大王は黙ったまま太刀を授け、それを拝領した剣持兵部卿は押し頂いたまま後ずさる。


 大王の態度には、大兵を持っての詰問の成功とは空々しい、勝手気儘ばかりで、何を言おうともこちらの意を通す気もないくせにという気持ちが溢れかえっており、その態度を見せ付けられながらも平然とその脇に控えている硯石基家に、他の貴族達が畏怖の目を向けていた。


 剣持兵部卿の姿が見えなくなるのを待ち、硯石基家が大王へ徐に声を掛けた。


「梓弓征討軍少将の役職は……取り上げまするか?」

「……フン、まだ早かろう。詰問が済んでからのことだ」


 馬鹿も大概にせよと言わんばかりの態度と顔でそう言い捨てると、大王は朝議に参列していた文人貴族達を順番に睨み付けてから奥へと下がる。

 冷然とした目でその後ろ姿を見送っていた基家は、傍らに居た広家に目配せを送り、静かに告げた。


「神取王子殿下に繋ぎを取れ」

「……承知致しました」

「梓弓の爺はしくじったが、今度のしくじりは許されぬぞ」

「……」


 そう小声ではあるが鋭く台詞を発すると、基家は立ち上がって朝議の間から下がり、他の貴族達も基家の退出を待ってからめいめいに退出していく。

 最後に残った広家は、薄ら笑いを浮かべたままゆっくりと立ち上がり、その場を後にするのだった。

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