50話 大章国
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大章国、燦州泰寧
武具や船舶をも取り扱う大きな老舗の商店から村々の野菜売りの露店までがひしめき合う、賑やかな大通り。
東方大陸の西岸に位置するここ泰寧の町や港は、穏やかな気候と相まってとても過ごしやすく、また諸外国との交易が古くから行われてきた関係で人の気質はおおらかで治安も良い。
茶色っぽい石材を基本に、灰色の瓦屋根の建物は、ここ大章国の特徴的な建物だ。
木材を多用する板葺きが主流の瑞穂国や、石材のみで建築物を作る西方の諸国とは文化圏を異にするのは一目瞭然、岸壁には枝垂れ柳が街路樹として植えられ、運河のそこかしこには船舶の航行を妨げないように太鼓橋が架けられている。
水路の両岸に設けられた石畳の街路と倉庫群。
そしてその先には賑やかな大通り。
大船が桟橋に接岸し、更に巨船が艀に荷物を積み替えている。
大章国の水の都、燦州泰寧。
こここそが正にその水の都であり、そして大章国の西方に向けられた最大の窓口。
大通りには彫り浅く黄色い肌を持つ大章国の商人のみならず、金髪碧眼白皙の西方人や浅黒い肌を持つ南方人、同じ肌色ながら彫りの深い顔立ちの南沙人、そして東方大陸の北方に住まう異相の騎馬民族や、南方の真っ黒な肌色を持つ濃赤人が居る。
そんなありとあらゆる人のごった返す中、マリオンはフードを取り払い、素顔を晒したまま同じような風体の男達と通りを歩いていた。
瑞穂では目立つ西方人も、ここに来ればそう珍しくもないのだ。
「弁国の者が多いですね?」
「お気付きになられましたか姫様、そのとおりです。ここ最近は特に多いようです……しかも明らかに兵士が多い」
静かなマリオンの小さな問い掛けに、横を歩いていた西方人の男が答える。
ここは大章国の中でも最大級の貿易港がある大都市である。
弁国の者が居てもおかしくはない。
しかしながら、彼ら弁国の者は明らかに商人ではなかったが、その者達が乗ってきたと思われる交易船でもない弁国の船が、最近は何故か多く入っているのだ。
綿甲と呼ばれる綿製の簡素な鎧を身に付け、短刀を腰に差して短槍を手に持つ彼らは、明らかに軍兵であった。
しかも、何故か外国、しかも大国である大章国の港湾都市に、明らかに小国であるはずの弁国の兵士が居る。
諸外国の商人達もその光景の異常さに気付いては居るが、彼らは曲がり形にも軍兵であり、そして大手を振って大章国の都市を歩いている。
何か理由があるのは明白で、眉をひそめこそすれ、表立って抗議や嫌悪感を態度で示して見咎められ、無体を働かれてもつまらない。
町の人々は、大章国の者も含めてその弁国兵の一団を敢えて思考の外へ追いやっているようだ。
そしてあろうことか、弁国兵の一団の後から、更に柄の悪い連中が徒党を組んでやって来た。
「……海賊ですね」
「そのとおりです。本来不倶戴天の間柄の2勢力が仲良く船を並べていますよ」
マリオンの先程より更に小さな問い掛けに、顔の向きを変えずに隣の男が答える。
マリオンはその言葉に静かに頷いた。
沖合には弁国水軍の船と大章国海軍の船の他に、明らかに薄汚い船が何艘も停泊しているが見える。
さすがに海賊には目付役と思われる弁国兵が付き添っているが、余り役には立っていない様子。
店を蹴散らし、商人達を自分の進路から追い払って好き放題をしている。
弁国兵の一団もお世辞にも行儀が良いとは言えなかったが、海賊達の態度はそんな次元のものではない。
今も行き会った濃赤人の商人がいきなり鼻っ柱を打たれて路面に倒れた。
しかし、近くに居た大章国の市舶司官吏はその光景を目の当たりにしながら何も言わず、ついっと視線を逸らしてしまった。
「無法な」
「……無法を許してでも得られるモノが大いにあると言うことでしょう」
眉をひそめた男が漏らす言葉にマリオンが応える。
間違い無い、大章国と弁国は瑞穂国への侵攻を画策している。
それも相当の規模で、である。
特に弁国の熱の入りようは、尋常ではない。
周辺の海賊勢力をどの様な方法でか懐柔し、指揮下に収め、勢力を増している。
大章国も警固の名目で多数の軍船を港に入れ始めており、計画が最早相当進んでいることを伺わせた。
「姫様が急に大章国へ行きたいと仰せでしたので、このことと関わりがあるとは思いましたが……如何様にいたしますか?」
反対側について歩いている男が口を開くと、マリオンは小さくため息をつく。
一族の快速船がたまたま大伊津に来ていたのを僥倖と感じたが、そうではなかったのだ。
一族もまた東方の不穏な空気を感じ取っていたと言うことだろう。
行武の見通しはどうやら正しかったようだ。
「瑞穂国の北の辺地で乱が起こっているのは知っていますか?」
「大乱であることは知っておりますが、詳細までは掴んでおりません。弁国や大章国もそれは知っているようで、戦支度は既に昨年から始まっております……そしてほとんど寄りついてはおりませんでしたが、最近瑞穂国の船舶と商人はここへの出入りを禁じられました。布告が高札で出ております」
今度は後ろの男が答える。
マリオンは少し考えてから徐に口を開く。
「乱は梓弓将軍に鎮圧されつつあります」
マリオンの言葉に、付き従っていた男達が互いの顔を見合わせる。
現在の西方世界に東方へ勢力を伸ばす意思はないが、東方が混乱するのは、とても困る。
自国の安全を確保するためにも、そして豊かな交易相手が居なくなるのも困るし、交易その物が止まることも考えられる。
東方は安定していて欲しいというのが今の西方世界の共通した認識であり、その安定が崩れかねない現状には、危機感を抱いている。
それ故に、西方世界も東方の情報を積極的に取得するべく活動をしているのだ。
その中には、瑞穂国に移住したマリオンの一族も含まれている。
減少したとは言え、瑞穂国と西方の交易を担う彼らにとって、瑞穂国やその東方、北方が荒れるのは死活問題となりかねないからである。
そして今マリオンから新たな良い情報がもたらされた。
「しかし、鎮圧されつつあるという情報は此方に来ていません。恐らく大章国も掴んでは居ないでしょう。それを何らかの形で知らせれば、侵攻は諦めるのではありませんか?」
「今の瑞穂国は閉鎖されているも同然ですからな、そもそも大章国らは情報を取るのに相当苦労しているはずです。瑞穂国をこの町から閉め出したのは、情報を逆に漏らさないようにするためでしょう。しかし意図的に瑞穂国の情報を漏らしてやれば……思いとどまるか、悩むかするのでは?」
「大章国よりも瑞穂国侵攻に乗り気な弁国は、大章国より瑞穂国を恐れています。反乱がなくなるとなれば、手を引くのでは?」
歩みを止めす、口々に言う男達。
しかしマリオンは頭を左右に振った。
「彼らは正当な外交で情報を得られます。私たちが漏らした情報の裏取りをしようとするでしょう……そうなれば、良くない情報が漏れる可能性があります」
「良くない情報ですか?」
訝しげに問う男の1人に、マリオンは沈んだ声で言う。
「そうです、梓弓将軍は中央政府と上手く行っていません。そしてその情報は彼の政敵である中央政府の役人や貴族から弁国と大章国に伝わるでしょう」
愚かしいことだが、瑞穂国は自らの恥や不利な情報を晒して諸外国の意見を求めたり、政敵を葬るために諸外国の力を簡単に利用しようとする。
海という天然の要害に長年守られてきたせいか、自らの情報を晒すと言うことについての危機感が薄いところがあるのだ。
再度お互いの顔を見合わせる男達を余所に、マリオンは言葉を継ぐ。
「その乱の最初から恐らく弁国や大章国は介入の隙を窺っていたのでしょうが、計画には相当の時と費用が費やされています。それに主導した者の面子もありましょう。簡単に諦めるとは思えません。梓弓将軍は速やかに中央政府の支援を受けられる立場にありませんから、たとえ反乱が完全に鎮圧されていたとしても、弁国や大章国が勝ちを得る可能性は高いでしょう」
「西方諸国は、瑞穂国を介さずに直接大章国や弁国と国境を接するような事態を望まないと思いますが……」
マリオンの説明に男の1人が静かに唸り声を上げつつ言う。
大章国は巨大であり、そして非常にあくどく、執拗で狡猾である。
それに比べて西方諸国は小さく分かれているが故に、まとまりに欠け、大章国が付け入ることのできる隙を幾つも持っている。
今までは中堅国の瑞穂国が図らずも緩衝地帯となって、文化面でも交易面でも、そして政治や人的交流においても直接の遣り取りにはなっていなかったので、そう言った影響は少なかった。
しかしながらここ最近は瑞穂国の閉鎖性が高まったせいで直接の遣り取りが増え、大章国や弁国の硬軟織り交ぜた交渉や干渉に西方諸国は振り回され始めている。
そして、身近な敵であった瑞穂国が閉鎖的になり対外的な影響力が低下したのを見て、その力や領土をそぎ落とし、更にはその先にある西方諸国へと食指を伸ばし始めているのだ。
「大章国や弁国が瑞穂に介入する、あるいは侵攻する方向性については、分かりました。後はその規模と時期、そして場所を確認するだけです」
「……それは正直に言いまして分かりません。大章国は巨大です。戦に必要な物の買い付けにしても自国内の各地で行うでしょうし、そもそも糧食などは納税分で十分賄える」
「しっかりとこの場で見続ける他ありませんね。幸いにも大章国の西岸に海港は多くありませんし、大船が大量に停泊出来るのはここしかありません。ここを見張っていれば動きはつかめるでしょう」
マリオンの言葉に、その左右に居た男達が言う。
軍事行動が始動する際には、出港や出府を差し止められる可能性もあるが、マリオン達は非常時の連絡先を持っている。
「鳥や術士を介せば、連絡は出来るかと思います」
後ろの男の言葉にマリオンは頷く。
そして、沖合にまた現れた海賊と弁国水軍の船団を眺めながら口を開いた。
「では、後のことは頼みます。私は一旦瑞穂国に戻ります」
覚悟を決めたマリオンの言葉と凛々しい表情に、思わず歩みを止めた男達。
しかし歩みを止めないマリオンに慌てて追従すると、その中の1人が強い口調で言う。
「姫様……梓弓の老将軍に肩入れは結構ですが、深入りはなさりませぬようにお願い申し上げます。如何に大恩人と雖も、我らとは時の過ぎ方が違います」
しかし、マリオンはその問に答えず歩みを早める。
マリオン達が拠点とする商館の建物が見え始めた。
「姫様っ」
「……姫様」
溜まりかねた男達がマリオンに迫って口々に言うと、マリオンはようやく瀟洒な商館の目の前で立ち止まり男達を振り返ると、彼らが見惚れるような素晴らしい笑顔で宣告するかのような口調で言い放つ。
「その忠告は今更もう遅いのでは?……私はユキタケと運命を共にする覚悟ですよ?」




