49話 蕗下人之里(コロポックルのさと)
夷族の地を越え、さらに八威族の地を過ぎた遙か北の地。
原生林と湖沼、河川が展開する広大な湿原。
その広大な平原の一隅に、その集落はひっそりと他の部族に知られず存在していた。
細い白樺の小枝を重ねて木の皮から作られた縄で縛り壁と為し、蕗の葉を煮固め、乾燥させた蕗の茎でしっかりと編まれた屋根を持つ小さな家々。
そんな小さめの家々が大蕗の群生地の中に点在する村。
こここそが北の僻地に位置する、蕗下人の村邑である。
村の家々の壁には大きな鮭が干しかけられており、また家の中は大蕗の葉が敷かれ、その上に兎や貂の毛皮を鞣した敷物が敷き詰められている。
壁にも同じように毛皮が貼り付けられており、厳しい寒さを防ぐ工夫が為されていた。
集落は大蕗の群生地の中にあるが、その群生地は湿地帯の中にあり、天然の堀と泥地は肉食の野生動物は元より、大柄な他部族の侵入も防ぎ得るのだ。
時間は未だ昼で明るいが、季節柄もあって空には鉛色の雲が広がっており、今にも雨か雪が降りそうだ。
そろそろ雨より雪が多くなり、湖沼の水面が凍結し、地に雪が降り積もる。
蕗下人達も、火口となる木の皮や草藁、薪を集めて軒下に積み上げ、屋根や壁の隙間を修繕し、魚や獣肉を乾し、水を屋内の瓶に溜め、どこからか手に入れた穀物の俵を確かめるなど冬支度に余念が無い。
そんな集落の中、猫芝は一際大きな、しかも集落の中心地にある大屋の広間に1人ぽつりと座らされている。
草藁で作った縄を丸く編み込んだ円座が、自分の前に10個、円形に配置されている。
ぼんやりと久しぶりに見る大屋の内部を見回す猫芝。
時間も大分経ち、猫芝は暇を持て余しつつあったのだ。
外からは冬支度に勤しむ蕗下人達の楽しそうな笑声や、伸びやかな歌声が聞こえて来る。
「何時までこの仕打ちは続くんじゃ……」
「里を抜けた分際で偉そうな物言いをするものではないぞ、ネプキシク」
つぶやいた猫芝の言葉に、大屋の外から仕切り布を上げて入って来た、蕗下人の男が答える。
答えを期待していなかった猫芝は少し驚きの表情を見せるが、その者の顔姿を見て皮肉そうな笑みを浮かべて言う。
「長か……フン、まだその名は残っておったのか」
「当たり前だ。どこに行こうともお前は我らの同胞、名は消え失せたりはしない。たとえお前が朝廷風の名を名乗ろうともな」
長と呼ばれるには余りにも若々しい蕗下人の男は、猫芝とは対照的に邪気の無い笑みを浮かべて応じてその前に座った。
着物は厚手の木肌生地で仕立てられた一般的な蕗下人の前袷だが、袖と裾、襟には、紺色地に金糸で刺繍された布が縫い付けられている。
同じく紺色地に金刺繍の施された鉢巻を身に付け、同じ飾りの付いた帯を巻く。
その後ろには、長の装いを地味にした服装の男女が数名続いていた。
「これは、皆お揃いじゃな」
「里の大事ともなれば、長老連が揃うのも当たり前だろ」
長に窘められて、猫芝は不満そうに鼻を鳴らしたが、それ以上言葉は発しなかった。
長を先頭に、円形に配置された円座に長老達が座る。
「さて、君の言う梓弓少将に協力するかどうか、そして協力にあたって果たして信が置けるかどうか、そのことについては、結論が出た」
「……ふん、そうか」
長のもったいぶった言いようにも、猫芝はそれまでとは違って不満を漏らさない。
行武が若い頃に行ったことがこの里に伝わっている以上、協力は得られる。
その自信が猫芝にはあったのだ。
しかし、長の言葉の中に含まれる否定的な雰囲気を猫芝は聞き逃さなかったのである。
それを知らずか、あるいは知っていてとぼけているのか、長はうんと一つ頷いてから徐に口を開く。
「力は貸せん」
「何を言うか!行武のジジイは“あの”梓弓じゃと何度も言うておろうが!」
果たして、長の口から発せられた簡潔な言葉に猫芝は強く反発する。
「何度も言うたぞっ、吾があの梓弓を慕いてわざわざ里を抜けたこと!それを前の長や長老連は黙認したこと!そしてその者が今この地に戻ってきたことを!」
猫芝は何時もの飄々とした雰囲気をかなぐり捨て、激しくそして情熱的に言葉を発した。
そこには積年の猫芝の思いがある。
「あの者が果たし、北の地で為したことは、我らのためにもなった。朝廷がこの地に進出したからこそ、各勢力の調整が利くようになったのじゃぞ?」
しかし長はまあまあと言った風情で手を上下に振ると、猫芝とは対照的におだやかな口調で言葉を継ぐ。
「うむ、その話は聞いた。部族や種族の宥和を説く良き話だ」
「ならばなぜじゃ!」
「まあ、梓弓は信じてもよい。梓弓は信じても良いが、今の朝廷は信じられない。そういう事だ。かつての梓弓であれば、朝廷をも動かせようが、時代が変わったことは我らも認識しておる。今や朝廷はかつての朝廷では無いだろう」
「何が言いたいのじゃ……」
「最早梓弓に朝廷は動かせまい?加えて彼の者らは我らと違って寿命も短い。たとえ梓弓めが頑張ろうとも老い先は短かかろう?」
「……ぐぬっ」
長老の言葉に、猫芝は詰まる。
確かに行武は老いた。
かつての若々しい武人貴族の雰囲気は既に失われ、老成した武人となった行武ではあるが、逆に言えば時が無いのは自明の理。
猫芝ら蕗下人は、西方天狗であるマリオンらとはまた違う種族ではあるが、寿命は一般的な種族である人よりかなり長い。
猫芝が陰陽術士を名乗り、普段は姿や顔を隠しているのは、蕗下人である事を隠すためである。
怪しげな術士であれば、不気味に思われるかも知れないが、年を取らずとも不思議ではない。
そうして猫芝は行武が若い頃に北の地から召喚されたのに隠れて付き従い、京府に潜り込んだのだ。
偏に北の地に安寧をもたらす存在に興味を持ち、その力になりたいと熱い気持ちを持ったこと、そして自分を見ても何ら分け隔て無く接する行武の姿に、良き未来を見たからである。
生来の好奇心といたずら心から京府では色々な騒ぎを起こしはしたが、里を出た頃と根幹は変わっていない。
ところが猫芝の目算に反して行武の復権は容易に為されず、とうとうこんな歳月まで待つ羽目になった。
しかし、行武は兎にも角にも北の地へ戻ってきた。
今こそ自分の思いを果たすべき時、そう思い何やかんやと理由を付けて行武に付いて来たが、今度はかつての同胞が協力しないという。
それも、猫芝もある程度納得せざるを得ない、尤もな理由で、である。
思い悩む猫芝に、長が言葉を重ねて発した。
「彼の者があの梓弓というのであれば、力を貸すのは吝かではない。しかしその後は続かないだろ?であれば、力を貸すのは得策では無い。梓弓が我らを使わなければ、朝廷は我らの存在そのものを忘れ去るだろう。しばらく安寧の時を過ごせる。しかしながら今我らが力を貸せば、その存在が明るみに出てしまい、彼の梓弓亡き後に我らは悪意のある者達に晒されることとなる。その様な状況は肯んじ得ないんだ」
「何を言う!?このままでは我らは何れの部族かに飲み込まれるか滅ぼされるのを待つばかりじゃぞ!技術の進歩や人の貪欲さを舐めておるとしか思えぬ!」
長の言葉に猫芝は歯がみしながら反論するも、長は動じない。
「お前はそれこそ朝廷でそれらを直に見てきたのだろうけど、我らは我らなりに考えている。技術の進歩はこの湿地帯を制し得ない。この地を制す理由が無いからだ」
「それこそが人の意思や欲を舐めておるというのじゃ。かつて朝廷は北の地で栽培出来る米を作り出し、彼の梓弓が東間道や東先道に持ち込んでおる。今や東先道や東間道は美田広がる穀倉地帯ぞ。更にそれの改良が進めば、この湿地帯は良田に変わり得るのじゃ。朝廷がこの地に来たれば、八威族や隣接国もこの地を得ようとしよう。大戦が巻き起こることになる!」
「……それこそ悠長な話だな。それまでには良い知恵も浮かぶ」
「それはそう遠くない先じゃが長寿の我らは同じ、すなわち考える者は同じなのじゃぞ?今浮かばぬ知恵が後に浮かぶはずが無かろう!状況が悪くなるだけに決まっておる!」
ようやく猫芝の言葉に考える長や長老達。
猫芝の前ではあったが、長は長老連を振り返って何事かを話し合うが、それは結構な時間となった。
引き続き、今度は目の前で待たされる羽目になった猫芝は溜息を吐く。
「こうなるのじゃから、最初から吾を話し合いに加えておれば良かったのじゃ……先の話し合いは丸っきりの無駄になるのじゃもの」
呆れた視線を猫芝から向けられていることも知らず、長達は議論に白熱するのだった。
しばしの時が過ぎ、ようやく猫芝に向き直った長は、猫芝の冷たい視線に気付いたのか、些か居心地の悪そうな顔でコホンと咳払いをする。
そして、先程よりは深刻そうな表情で口を開いた。
「お前の言うことにも一理ある……では、どうするか?」
「臆病者のお主らは存在を知られたくないのであろう?では知恵を貸すのじゃ」
「知恵?」
猫芝の言葉に、首を傾げる長や互いを見合う長老達。
猫芝の臆病者という台詞に気分を害したような表情をする者も何名か居るが、その言葉よりも知恵を貸せという言葉に興味を示す長達。
そんな長や長老達に、猫芝にんまりと笑みを浮かべつつ言葉を継ぐ。
「蕗下人の溜め込んだ知識があろう。地形や地質、天候、季節、災害、動植物の生態や各部族の区域など、この地の知識を貸すのじゃ」
再び互いを見合わせる長達。
確かに、蕗下人は自分達を知ることは元より、そう言った知識をかなり過去から蓄積している。
最初は自分達の身を天候や害獣、他部族の襲撃から守り、住居を確立させ、収穫を増やし、病に陥らぬようにするのが目的であった。
しかし何時しか知識その物に価値を見出し始めたのである。
そこへ進出して来た朝廷により、新たな学問である算術や文芸、それに各種の文物の流入があって、蕗下人達は知識欲を一層爆発させた。
今や北域において、蕗下人の知らぬ事はほとんど無いと言っても過言では無い。
この小さな集落にも、大屋とは別に地下を備えた書庫がある。
蕗下人は、知識を集めはしたが、それを活用しているのは農林水産業などごく限定された分野のみであり、多くはただ死蔵されているだけとなっている。
猫芝は京府に行ったことで、それらが活用次第によっては何よりも強力な武器となることを知った。
しかし、長達は未だその事実を知らない。
騙すつもりは無いが、表立って協力を得られないというのであれば、せめて知識だけでも得なければならない。
知識の出所を猫芝が秘せば、その由来は分からないだろう。
長もそれは思案したらしく、残る課題は猫芝に対する信用となるが、長はその辺については楽観的で、猫芝を信じていた。
「……それは、まあ、その様なものが役に立つのであれば、良かろう。長年里を出奔した身でありながら外の情報を送り続けたお主であれば、信用もおける」
「では、決まりじゃ」
長の言葉に、ようやく猫芝の肩が下がる。
これで行武に不義理せず、かなり大きな手土産を持ち帰ることが出来ることだろう。
猫芝はとんとんと自分の肩を叩きながら、ふと気付いたように口を開いた。
「そうそう言い忘れておったが……梓弓のジジイの事が成った暁には、吾が口を利いてやる故に、遠慮無く吾に頼って参るのじゃぞ?」
「……はあ?そうか?」
北域の戡定、それが行武の目的とするところだ。
目的とする領域には、この里も当然含まれている。
しかし長らはその意味するところが分からず、首を傾げるばかりであった。




