48話 広浜国統治4
広浜国・国衙院
到着時よりも清掃が行き届き、活気の溢れる国衙院。
太い木柱の間を地方官吏である目代達が書簡や帳簿類を持って走り回り、あちらこちらで戸籍登録や土地台帳に関する言葉が飛び交っている。
隣接する軍団基地は完全に復活し、解散させられていた広浜国の国兵が全員無事再招集を受けて訓練を行っている。
厳しい実戦形式の戦列訓練や戦技訓練が行われている事が、その気合いの入ったかけ声からも容易に想像する事が出来る程だ。
行武は武官装束を身にまとい、その風景や雰囲気を満足そうに眺めつつ、財部是安と畦造少彦を引き連れ、国衙院の中を国司執務室に向かって歩いていた。
因みに本楯弘光は、再招集した国兵の一部を率いて巡察に出ている。
行武は右後方に位置する木簡を大量に抱えた是安に聞く。
「是安、農民の様子はどうか?」
「はい殿様……治安が改善したことにより、商人や農民が定着し始めてございます」
「ほう、たった2月かそこらでようそこまで回復したのう」
感心したように言う行武に、是安が木簡を抱えたまま胸を張って答えた。
「税が劇的に安くなりましたので、逃散していた古郷の農民達が戻り、新郷の正式登録によって律令下に入った武民や大農民らが落ち着きましたのでございます。どれもこれも殿様の政の成果にございます」
うんうんとその回答に満足げに頷き、行武は続いて数冊の台帳を持って左後方を歩く少彦に問う。
「少彦、官倉は如何であった?目代や目らの給料は払えそうかの?」
「はい、少将様。前守によって織布や貨幣は相当持ち出されておりましたが、官倉の米や麦、稗や粟は残されていましたので、来年までは何とかなりそうです。もちろん、目代や目の給料分も確保出来ております」
少彦の答えに、これまた満足そうに頷く行武。
「よしよし、さすがにがめつい為高であっても、大量の穀物は持ち出せんじゃろうと思うておったが、まあ間違い無くて何よりじゃ。相当溜め込んでおったじゃろう?」
「はい」
少彦の苦しげな顔に、行武は無言で頷く。
恐らく無理な徴税で溜め込まれた官倉の米穀を使用せざるを得ない事に苦悩しているのだろう。
本来であれば徴税した前に返還してやるべき物だが、徴税方法がいい加減でどこからどれだけ集められたのかがさっぱり分からない。
不正蓄財を目論み、意図的に帳簿を付けていなかったのかも知れないが、いずれにしても正しい形での返還は出来そうにない。
故に、ばらまきとなってはしまうが、なるべく全員に同じ分量が行き渡るように分配したのだ。
少彦の苦悩を悟った行武は、ゆっくりと言う。
「民には済まぬが、官倉の分は使わせて貰おう……尤も、余剰分は何らかの形で貧農に還元してやらねばならぬ。例えば種籾を無利子で貸し付けるなどじゃな」
「は、はあ、そうですね……」
通常であれば利子を取ってしまうのだが、それを取らないという行武の施策は大胆極まりない。
「利子が負担となり、その利子が更に利子を生むようなことはしてはならぬ。朝廷の仕事は慈養百姓じゃ、理財利殖ではない」
少彦は難しい顔をして行武の言葉を聞いていたが、恐る恐ると言った様子で口を開く。
「あの……少将様は、政務の経験がお有りなのですか?」
少彦は民部省の下級官吏として代々出仕している畦造家という貴族の出であるから、自分の仕事柄、また家柄からも民事行政には明るいと自負している。
それが原因で民部省において同僚達と諍いとなり、その後行武に救われ征討軍に参加したという経緯がある。
その少彦から見ても、行武の分国統治は行き届いている。
むしろ行き届きすぎていると言ってもいいぐらいだ。
少彦の武人貴族に対する印象は、はっきり言って良くない。
行武とは付合いもあってその人となりを知り、人心掌握に長け、マリオンや猫芝と言った得体は知れないまでも優秀な人材との繋がりも持っていることを知るにつれて尊敬の念を抱かずにはおれないものだ。だが、大多数の武人貴族に対しては、少彦も一般的な印象をそのまま抱いている。
それは武技や武芸にこそ秀でているものの、文治や政務に疎く、平和な世においては鼻つまみ者となり得る乱暴者という印象だ。
その武人貴族の首魁とも言うべき行武が、こういった細やかでありながら、大胆な行政執行が出来るとは、思ってもみなかったのである。
律令からあぶれた者達を、崩れかけているとは言え未だ力のある当の律令の庇護下に入れ、国司からの無法な圧力を今後も掛からないような措置を講じると共に、彼らが頼みとしていた力、暴力の源である武具を巧みに奪い取った。
それでいながら、一時的な免税を行う事で積極的な開拓や墾田を推奨し、更なる農地の拡大を図ると共に人心を掌握している。
加えて納税額を律令に沿った水準に留めて無用の苛税を止めた。
行武は国司がそれまで普通に行ってきた、国司の報酬分を少なくしたのだ。
これは行武が腰を据えて蓄財が可能な普通の国司ではなく、巡察使権限を行使しての臨時の権力者である事と無縁ではないかも知れないが、それでもただの前例踏襲ならば税を下げるような事はしなくてもよい。
少彦の見立てでは、行武の政策のお陰で、2年から3年後には広浜国の農業や各種産業は息を吹き返し、5年もすれば、天候などにもよるが北の僻地でありながら瑞穂国有数の富国となることは確実であった。
「余りにも政策が円滑且つ的確過ぎます……以前も国司をお勤めになった事が?」
「ふむ……そうじゃのう」
「これ少彦!殿様の過去を無闇に詮索するものではありません!」
少彦の問い掛けを是安が慌てて制止しようとするが、既に言葉は放たれてしまった。
執務室に入り、座卓の左右に2人が持ってきた資料を置かせながら、行武はゆっくりと口を開く。
「前にこの広浜国や東先道の征服を行ったのがわしじゃ……その折にのう、わしはこの地の統治を一時的に司ったのじゃ」
「く、国造殿なのですか?」
かつて大王を選出した地方有力者達が名乗った称号であり、その後は瑞穂国が置いた分国を最初に形作った者に与えられる名誉称号。
それが国造である。
国府を造り、国衙を建造して国の制度を整え、分国法を律令に基づいて整備し、瑞穂国の民を入植させて、あるいはその地の民を教化して各種産業や農業を興し、分国として成立させるのが、その役目である。
ただ昔からある分国に赴任して業務を行うよりも、一から全てを作り上げなければならない国造の苦労は計り知れず、その技量は並大抵では務まらない。
「あの頃はそれなりに上手くやれたんじゃがな」
「そ、それは?東先道5か国全てということですかっ?」
驚く少彦にほほえみかけながら行武は頷き、言葉を継ぐ。
「無論じゃ……まあ、その後わしはしくじってしもうた。今となっては全て過去の出来事、各国の古老にはわしの事を知っておる者もおるやもしれんが、褒め言葉は出やせんじゃろ……何せわしは征服者じゃからな」
「殿様……」
事情を知る是安がいたたまれないといった表情で漏らすと、2人の背中を力強く叩く。
「ごはっ!?」
「うげえっ!?」
余りの力の強さにむせる2人を笑い飛ばしつつ、行武は言った。
「では、土地台帳と戸籍台帳の内容を聞くとしようかの!」
「ううむ、増えているとは思っておったが、これ程とはのう……」
少彦が差し出した帳簿と是安の持ち出した木簡を見比べつつ、行武が唸り声を上げる。
少彦が差し出したのが、新たに作成された戸籍台帳と土地台帳、それに分国台帳で、是安が差し出したのが、広平国に昔から備えられていた戸籍台帳と土地台帳、分国台帳である。
戸籍台帳には広平の住民登録が記されており、土地台帳には土地の所有者や所在地、面積などが記載されている。
分国台帳には、分国における村や町の位置や名称、そしてその規模や生産高、更には行政区分が記載されている。
行武が思い切って進めさせた新郷創出と住民大量登録により、広浜国は7郡147か村7万8千人から、7郡308か村15万4千人にまで膨れ上がった。
今まで広浜国の総生産高である取高は8万石であり、その祖の貢納額は1万6千石。
それが一気に倍近くの取高15万石、祖の貢納は3万石にまで増えた。
「ううむ……」
さすがの行武も、人口と農業生産が倍になっているとは考えておらず、再度唸り声を上げると、笑みを浮かべた少彦が口を開く。
「心配は要りません、既に少将様が各村邑を巡回し、本当の盗賊や山賊を成敗し、また財産を保証した事によって登録自体が円滑に進みました。また、民もその方針に納得し、従ったところ少将様の言通りに事が進んだ事に信頼を寄せ、落ち着いて今まで通りの、いえ、今まで以上の平穏な生活を送っております」
「税が安くなり、街道や支道の安全が保証された事で物の流れが活発になってきてございます。あぶれ者共も馬借や荷受けの仕事を持ち、商いを興す者も出て、国が安定してきたのでございます」
続いて是安が言うと、丁度巡察から帰ってきた本楯弘光が目代の大熊貞良と軍監の薬研和人を従えて部屋に入ってきた。
そして行武に一礼すると、その後に続いて発言する。
「反乱の兆しは一掃されました。隣国からの流民は少し増えているようですが、今のところ問題になるほどではありません」
その報告を最後に、行武は木簡を揃え、帳簿を閉じた。
そして軍監である薬研和人に視線を向けて問う。
「朝廷からの指示はいかがか?」
「ふむ、為高めのことを含めて未だ反応は無いのう、恐らく反乱の件で混乱しておるのじゃろう。久秀の所にも何も知らせは来ておらんようじゃ」
のんびりとした口調で答える和人に、行武も苦笑を返す。
恐らく朝廷は反乱がこれ程広範囲にわたっているとは思っていなかったのだろう。
下手をすれば、瑞穂国始まって以来の大凶事となる可能性もある。
今でさえ民草が起こした反乱としては大規模に過ぎる。
政変や貴族同士の勢力争いを除けば、ここ50年で一番大きく根深い混乱だ。
しかし今の朝廷にそれを抑えきる力はない。
兵は既に一部が解体されつつあり、兵器があってもそれを用いる者がいないのだ。
また将になり得る人材も居ない。
行武が辛うじて武の有職故実を伝承しているが、行武以外の梓弓家を始めとするかつての武人貴族達もすべからく文人貴族化してしまっており、実戦はおろか軍事訓練を受けた者すらいない。
弾正台には日々盗賊などの追補にあたっている経験があるのみで、それも行武以下ほとんどの国兵が引き抜かれてこの場にいる。
書物や律令に軍隊の編制は記載されているが、そこに記載されている軍事用語の意味を解さない者が読んだところで何ほどの役にも立たない。
さすがの硯石基家も、財力や権力で軍兵を出すことは出来ない。
下手をすれば瑞穂国を揺るがす事態に発展しうるだけでなく、この反乱を奇貨として諸外国が軍事的介入をはかる可能性もある。
そんな危急存亡の秋である事を、為政者たる文人貴族達がどれ程認識しているか、甚だ心許ない。
次いで、行武は貞良に目を向ける。
「近隣国からはどうか?」
「はい、どこも私達と同じ目の身分にある者が政務を代行しておりますが、今までとは違い、少将様からの指示があるので状況は少しづつ改善してきているようです」
「仕方ないとは言え……難儀なことじゃな。しかしながら全ての面倒は見切れぬ……悩ましいわい。軍監殿にあっては速やかに東間道の現状を報告して貰いたい。わしも添え状を書くわい」
「承知したぞ」
和人はそう応じ、早速空いていた座卓を使って報告書の作成に入る。
それを確認してから、今度は弘光に指示を出すべく顔を向ける行武。
「弘光は藻塩潟と、国衙の間の道路整備を進めよ」
「はっ!」
勢い良く応じた弘光に、行武は頷きながら応じる。
きびきびとした動作で部屋を出る弘光に、ふっと笑みを向けてから行武は、自分も朝廷に報告書を認めるべく、座卓の前に座り直すのだった。




