47話 広浜国統治3
広浜国・香奈岐郡、自称、大川内信賀彦の館
分厚い板垣に囲われたこれまた板葺きの屋根に、角柱、濡れ縁に広い土間と庭を構える大きな館。
更にその外側に広がる農民達の家々を取り囲む柵と堀。
ここ最近分国の中で勢力を伸ばし始めた、大農民や武民と呼ばれる武装独立農民集団の典型的な集落が、ここ香奈岐郡の大川内村に形成されていた。
彼らは自分達の力で農地や入会地と呼ばれる共同管理地を守り、また水利権や墾田権を獲得するため、武装を整えている。
自分達の利権を守るため、または頼りにならない国司の治安維持力から離れ、独力で生命と財産を守るべく始められた武装は、いつしか隣人を凌ぎ、更なる利権獲得のための暴力と化しつつある。
山賊や盗族に対抗するはずの武力が、いつしか自らを盗賊や山賊となしていたのだ。
広浜国では特に南部の各郡に大小の大農民の支配地が他の分国と同じように成立しつつあり、それまで平和的であった農民達までが、そんな大農民に対抗するべく武装を始めるという悪循環に陥りつつあった。
ここ大川内村は、そんな武装大農民の中で最も急進的であり、また暴力的である事でも知られている。
村人は総勢で1000名余りで、武装民はその内50から100の間である。
そんな大川内村に、行武が完全武装の国兵100名を率いて現れた。
大川内村の外柵に設けられた物見櫓。
その物見櫓に駆けられている板木が激しく打ち鳴らされた。
大川内村の武装民は、大わらわで家に駆け戻り、革や木で出来た鎧をまとい、兜を被って手に手に槍や竹槍、弓矢を持って村の中心にある大川内信賀彦の大館へと集まった。
村の外に交易や用事で出ている者もいるため、その数は60余り。
「どこのどいつでえ!この大川内信賀彦様にケンカを売るアホウは!?」
胴間声で周囲に集まった武装民を怒鳴る信賀彦は、40がらみの如何にも山賊の親分といった風情の大男だ。
その威迫に思わず怯んでしまう武装民達だったが、やがてすぐに外柵から注進が入る。
「館様、相手は征討軍少将の梓弓行武と名乗り、館様との面会を要求しております」
「なああにいいいいぃぃ?」
額に青筋を立て、怒りも露わにがなり立てる信賀彦だったが、次いで報告された内容に青くなった。
「その……梓弓の少将は100名余りの兵を連れてきております」
「何だとう!?」
それまで座っていた丸太を蹴倒し、信賀彦はわなわなと震える。
そして一目散に外柵へ向かって走り出した。
「あっ?」
「館様!?」
「ええい、追え追え、館様を1人にするな!」
それを見ていた武装民達が慌てて後を追いかける。
やがてわらわらと手下の武装民を引き連れた信賀彦が、外柵の門に到着した。
その目の前にあるのは、木製の大盾を並べ、整然と戦列を組む国兵の姿だった。
きらきらと輝く鉄製の短甲に衝角付兜を被り、大鉾を右手に持ってびしっと整列する100名余りの国兵達。
その陣頭には、一本雉尾羽の兜をかぶり、手に大弓を持った、大柄な老将の悠然とした徒立ち姿がある。
「な、な、な、な……!?」
「館様あ……どうすんです?」
「スゲー強そうですぜっ?」
「しかも、数はこっちより大勢いますぜ」
武装民とは言っても、自分達手製の武器防具を装備しているに過ぎないのが現状だ。
しかし、正規軍であるはずの軍団を解体している国司達は、私兵を持っている者以外は彼らに対処出来る力がない。
むしろ、一定の租庸調を納めれば、その乱暴狼藉を黙認する者もいる。
国司としては税が集まれば良いし、それに乗じて自分の財産を殖やせれば尚良い。
大農民やその配下の武装民と対立する要素は特にないのだ。
大農民達もその辺は理解しており、表立って朝廷に逆らうような真似はしない。
それでも、大農民からすれば税や財を巻き上げられる国司は目の上のこぶ。
その国司が機能しなくなった広浜国で、しかも反乱の影響の少ない、すなわち夷族の少ない南部に勢力を張る大農民の力が強まるのは自明の理であった。
彼らも本気になった国兵にかなうはずもないことは百も承知しているのだが、地元で武威を示して好き勝手してきた信賀彦には、自分達が脅かされる立場になってしまった事に我慢が出来なかった。
「ちくしょうっ!舐められてたまるか!」
「し、しかし館様、相手は朝廷の正規軍ですぜ?」
「逆らえば反乱軍にされまさあっ」
「それに……装備が違いすぎますぜ?」
全くの正論だが、信賀彦は怒りの表情でその3人を睨み付ける。
そして怖じ気付いた発言をした3人の手下に拳を浴びせ、信賀彦は鼻息荒く命じる。
「矢を射込んでやれ!」
一旦は互いの顔を見合わせた武装民達だったが、信賀彦の命令に逆らう事も出来ず、持参していた弓に矢をつがえ始めた。
「やれやれ……最近の武装民とやらは気が短くていかぬわい」
武装民達が弓に矢をつがえ始めたのを見て、行武は呆れたように言う。
大農民や武装民と言った連中は、行武の若い頃にはなかった階層だ。
ここにも時代の流れがある。
しかし、それが民のためにならぬ者であれば、たとえ新しい者であっても行武は容赦するつもりはなかった。
行武はこの大川内村に至るまでに、大小合わせて8つの武装民と大農民を平和裏に降している。
武威は示しはしたが、むやみやたらと攻め掛かる事はしないで降伏を待ち、武装民の武装を解除し、大農民の帰農を促したのだ。
もちろん、治安を国府が管理する事を確約しての話だ。
彼らも治安がしっかりしているならば、武装する必要はない、と素直に受け入れる者がほとんどで、あくまで自身の権益を守ろうと反抗する者は僅かであった。
なぜなら、国司が軍団を解散させてその経費を着服しているように、武備は費えが掛かる。
出来れば農事に専従し、自分の財産を殖やしたい大農民が敢えて武装する理由は、その財産を守るためなので、財産が守られる約束がなされれば、割とあっさり武具を手放したのである。
ここでも本来は行武が出て行って降伏を進めるつもりであったが、大川内信賀彦はこの劣勢にも関わらずやる気満々。
今までとは違い、彼は権勢欲が強いようだ。
民や降した大農民達からの話で、大川内信賀彦は、国司の徴税も武力対峙して免れているという。
それだけに留まらず、近隣の村々の土地や財貨を奪い、その武力を背景に村々を脅して財貨を得ていたという。
そして、困った事に硯石為高と結託し、私兵のまねごとまでしていたようだ。
「やれやれ、税を取り立てに来た国司とは違い、わしは征討軍の少将じゃ。わしに逆らう事が即反逆にも繋がりかねんのに、ようやるわい」
そう言って溜息を吐く行武。
出来れば穏便に事を済ませたかったが、大川内信賀彦相手にはそうも言っていられないようだ。
そして、早くも矢が飛来し始めている。
自分に向かってきた数本を自身の大弓で打ち払って落とす行武に対し、兵達は大盾で矢を防ぐ。
盾を前に構えた国兵達が行武をもの問いたげな目で見ている。
「ふうむ、仕方ないの」
遠望していると、屯している鎧兜の群れの中に一際大柄な身体の者が何やらしきりに号令しているのが見える。
「ほう、やつめが大将か?……大川内信賀彦という無頼であろうかの」
「如何なさいますか?」
そう問い掛けてくる兵の1人に、行武はにやりと不敵な笑みを向けて答える。
「大川内信賀彦の肝を冷やしてやろうぞ」
そう言うと、行武は背から大弓を取り、箙から2本の矢を取り出した。
「おらあ、撃て撃て!征討軍がなんぼのもんじゃ!こっちにゃ国司様がいるぞう!」
外柵の内側から、配下に木弓で矢をどんどん射込ませる信賀彦。
矢はそれ程届いていないが、それでも征討軍の手前には、多くの矢が突き立っており、示威行動としては成功だろう。
景気よく矢を放つ武装民達を満足そうに見ていた信賀彦であったが、正面に悠然と立ち、他の国兵達が盾の影で身を守っているのとは異なり、先程までは腕を組んで矢の軌道を眺めていた行武。
それがおもむろに大弓に弦を張り、ゆっくりと構えたのだ。
「うん?あのジジイ、何するつもりだ?」
そういった次の瞬間、ぐんと力強く引き絞られた行武の梓弓から、雷のような勢いで矢が撃ち出された。
がんという遠い音が信賀彦の元に届くと同時に、凄まじい音を立てて鏑矢がほぼ直線の軌道を描いて飛来する。
「おわああああああ?」
「館様あっ!?」
けたたましい音を立てながら外柵の隙間を通り抜け、行武の放った鏑矢は信賀彦の右頬をかすめて、その後方の家屋の壁にどすんと矢にあるまじき音を立てて突き刺さった。
腰を抜かした信賀彦を、慌てて周囲に居た武装民達が助けおこすが、最早手遅れ。
「……小便臭い?」
「言うなあああああああっ!」
真っ赤になった信賀彦がその発言をした武装民を殴り倒す。
そして助けを出した手を全て振り払うと、信賀彦は顔を真っ赤にし、憤懣やるかたないといった表情でどすどすと歩き、鏑矢が突き立った家屋の壁に近付く。
それまで赤かった信賀彦の顔が、みるみるうちに青ざめていく。
その視線の先には、長い矢の柄を半ばまで壁に埋めて突き立つ、行武の放った鏑矢が僅かに震動を残して、存在していたのだ。
振り返って行武の立ち位置を見て取り、信賀彦は愕然とした。
「あ、あの距離を飛ばすだけでなく、こ、こんな深く刺さるまでだとうっ?」
そして、自分の右頬を流れ落ちる血に気付く。
「く、くうううう、くそうっ!……はっ!?」
再び弓を引き絞る行武。
その鏃の先に、自分の眉間がある事を見て取った信賀彦は、必死に叫んだ。
「こ、降参だあああああ!!」
「ええええええ!?」
大農民の中でも一頭地抜け出る勢力を誇っていた大川内信賀彦を降した行武は、大川内村に100名の国兵を駐屯させると、周囲の武装勢力や大農民達に触れを出した。
「この大川内村に広浜の大農民を集めるので?」
「おう、そうじゃ。わしから各々に申し渡す事があるのでな。何、心配は要らん。お主ら大農民にとっても利となることじゃ」
「へえ……」
行武の武威に触れて降伏を決め、その後も反抗的ながら渋々従っていた大川内信賀彦改め、信彦は首を捻る。
最初は反発心が強かった信彦やその一党だったが、最近はすっかり行武の懐柔策に骨抜きにされてしまい、その心意気や人格に触れて心服している有様だ。
通常、大農民やその発展系である武民同士の争いに負けた場合、半分之法と言う決まりがある。
半分之法とは、負けた方が勝った方に自己の資産の半分を割譲するという決まりの事である。
決まりとは言っても文書化されているわけでもなく、当然朝廷や国司から認められている物でもない、ただの慣習や風習といった類いの決まりだ。
しかし、それを守らない場合は一族郎党関係者皆殺しの目に遭っても文句を言えない。
公平な調停者や裁定者がいないが故に、そんな苛烈さが大農民や武民間の抗争にはある。
今回、行武は朝廷の正規軍である征討軍であったから、正式な討伐行為である。
しかし信彦ら大農民の認識では、そんな正規戦も自分達の抗争や私戦の延長線上のものとしてしか捉えていないのが実情だ。
要するに新たな分国の実力者となった行武が自分達の財産を目当てに周囲へ進出し、自分達の権利や土地を始めとする財産を侵害しようとしたと捉えたのである。
しかし、行武は這いつくばらんばかりにして命乞いをしながら降伏し、信彦が行った半分之法による財産割譲の申し出を一笑に付した。
「わしが民の財を奪って何とするか?」
「へえ……」
納得いかない顔で首を捻る信彦。
彼の中では、国司に代表される朝廷の人間は、傲慢で強欲で、そして強圧的だ。
半分之法で許されるどころか、3分の2は持って行かれる事を予想していたのだ。
しかし、武威を張ったこの老少将は全くその様な態度を見せないばかりか、本来であれば差し出して然るべき自分の財産をそのままにしてよいと言っているようである。
半信半疑で行武を見る信彦やその配下の者達。
その視線を受け、行武は彼らが為政者からどの様な仕打ちを受けてきたかが分かった。
卑屈さと不満が鬱屈して詰め込まれた彼らの身体を、その大きな信彦の身体をばんと叩き、行武はゆっくり噛んで含めるように言う。
「わしは国の政を正常化するためにわざわざ出張って来たのじゃ。先代の国司がどの様な政をしていたかは知らぬが、これ以後わしが求めるのは、法に則った税を求めるのみじゃ」
律令によって定められている納税は、祖と呼ばれるもので収穫の2割。
それに加えて雑役や労役、分国の特産品などを一定量納める調や各種素材の織布をこれまた一定量納める庸がある。
全体で言えば、労働を除いて生産物の4割程度を納税する仕組みだ。
しかし、財産を奪われるよりは遥かに低い損益であるし、そもそも前の広浜守である硯石為高めと結託していたとはいえ、信彦は税や賂として産物の半分を召し上げられていたのである。
それ以外の村々は6割から7割近い収奪を受けていた事を思えば、それでもかなり低かった方なのだが、行武は更にそれよりも少ない規定納税額のみでよいと言っているのだ。
「税?それだけで?へえっ?あっしの土地や村は……これ以後どうなります?」
「奴婢、奴隷の使役は犯罪によるもの以外は禁ずる、人身売買はすべからく禁じる。墾田権は村境、つまり隣村との中間線の半里手前まで認めよう。大川内村を新郷として分国台帳に載せ、村人も戸籍台帳に登録させるわい。それで信彦よ、お主を里長に任じ、以後も良くこの村を治めることを命ず……但し!無法無体が行われた場合は屹度成敗するぞ」
「へ?へへえっ!」
元々大川内村自体が、流民と呼ばれる他国からの流れ者や他の村からのあぶれ者によって作り上げられた戸籍上に無い村、いわゆる非違郷である。
新郷と呼ばれる正式な開拓村と違い、非合法集団の度合いが強く、そして律令下では庇護を受けられない類いの村だ。
律令では新郷の創設を制限してはいるが、人口の激増している最近はそうも言っておられず、やむを得ず開拓村を開くことも多いので、非違郷は別段珍しいものではない。
しかしながら、律令の庇護を受けないのを良い事に国司が無体を働く場となり、またそんな無体を防ごうとする非違郷が武装して武民化する悪循環を生んでいた。
中には大きくなり過ぎて、郡の生産力や勢力バランスを崩す武民も現れ始めている。
いずれ国司の言う事を全く聞かない、新たな在地勢力が生まれるだろう。
大川内村はその代表例と行っても良い。
しかし、行武は大川内村のような非違郷を、この広浜国においては全て新郷として認めるつもりでいた。
幸いにも夷族の多い広浜国を始めとする東先道では、まだ武民や大農民の数は少ない。
手立ては十分取りうる範囲だ。
「律令が実情に合わずば、合わせて適用すればよいだけなのじゃ。新郷の認可は国司の専決事項じゃしな。無秩序な村や民の拡大や拡散を嫌った最近の朝廷……引いては文人貴族共が新郷の創設を制限しただけじゃから、律令においてはその許可を要するというだけで、制限があるわけではないわい」
そううそぶいた行武は、驚き戸惑っている信彦に更に言う。
「墾田権についても同様じゃ。わしは制限は加えん……但し、開拓には届けを出し、3年後には収穫高の検分を行って、いっぱしの収穫があれば祖の徴税を行うぞ」
それは裏を返せば3年間開拓した田や畑からは収穫に対する税を取らないという事だ。
行武の言葉に、集まっていた大川内村の村人達は固まった。
そんな面々を見て、更に行武は言葉を継ぐ。
「それから、開拓に従事した者については開拓地と合わせて届け出よ。彼の者らはその期間雑役と労役、更には調と庸を免ずる……大いに働けよ?」
「へっ、へへええええええ!」
信彦以下、大川内村の面々はにんまりと笑みを浮かべて発せられた行武の言葉に平伏するしかなくなったのだった。
大川内村において各村の代表者を引見し、その村々の成り立ちに応じて行武は新郷や古郷の名称を与え、村人の戸籍や村自体の登録を進めた。
村から武器防具を取り上げ、村長を里長に正式に任命して、少額ながら給料を出す事にして、役人となし、権威付けを行って支配の根拠としたのである。
里長には村内における裁判、治安維持、徴税、戸籍を担わせ、村同士の争いは両当事者が揃って国衙へ申し出る律令上の仕組みを改めて整備しなおした。
行武は国衙にくすぶっていた目代や目を各村に派遣して戸籍の整備や土地台帳の作成を進めさせる。
東先道五か国においても同様の施策を進め、行武の手によって東先道は一気に正常化し始めるのであった。




