46話 広浜国統治2
誰も彼もがこの国衙で長く働いているものの、今まで一度も決定権を持ったことが無いのだ。
故に、最高責任者であるはずの守が捕縛されてしまったというこの事態に、どう対処して良いか分からないまま、征討軍を受け入れてしまったのである。
幸いにも行武を始めとする征討軍は強圧的ではなく、話し合いは可能であるが、然りとて自分達の今までを脅かしかねない存在である事は変わりない。
国衙の誰もが戦々恐々としている中、貞良はある意味開き直っていたのだが、それも肩すかしを食らった格好となる。
しかし、それでも彼らには道しるべが必要だ。
意を決し、手力彦が尋ねる。
「私達は如何すればよろしいのでしょう?」
「何と情け無いことを言っているのでございますか……」
手力彦の言葉を聞き、是安が呆れたように言うと、少彦がそれを取りなすように口を開いた。
「在地官人は下働きなどの雑用と、書類整理や指示された書類の作成が仕事で、決定権を伴う政に関わっているとは言い難い存在です。無理もありません」
「そうは言っても、残った彼らがこの広浜国を動かさなければならなかったのですから、そんな悠長なことを言ってはおれなんだのでございましょう?第一今まではどうしていたのですか?」
「目新しいことは何もしておりません……差し障りの無い範囲で書類を造り、税を集め、財を管理し、給金を頂いていただけでございます。故に、主立った政務は止まったままです」
「今まで通りの事はしておりました……いえ、今まで通りの事しかしておりませんでした」
是安の問いに、貞良が恥じ入るように下を向いて答え、手力彦も頭を垂れて言う。
それを聞いた行武は政庁の天井を見上げて慨嘆する。
「大王はこのことを見越してわしに巡察使の権限を与えたのかのう……」
巡察使は、国司などの地方官吏の不正を糺すのが職務であるが、不正があった場合においてその職務を暫定的に代行する事が出来る。
本来は訴追したり捕縛した国司に代わって、新しい国司が任命されるまでの期間を想定した権限だが、新しい国司が来る目処が立たない以上、その代行期間は長くなる事が予想される。
国造を任命し、夷族をまとめたとは言え、柵戸と呼ばれる和族由来の者達もいる。
その者達や反乱に加わらなかった夷族由来の者達も統治しなければならない。
事実上、決定権を持った政務官が全くいない状態で、行武はそれを果たさなければならないのだ。
「止むを得まい、まあ、最早決定事項ではあったが、巡察使権限でわしが政務を代行する事とする。是安、少彦、お主らを広浜権介に任じる故に、速やかに目や目代らに命じて混乱と事態を収拾せよ」
「はい」
「は、承知致しましてございます」
臨時の官職である、権官ではあるが、介という副官に任じられて即座に返事をした2人は、直ちに政務を代行するべく目や目代達に指示を出し始める。
「財務書類一切を私の元へ持ってきて下さいますように」
「民政や徴税、農事作事に関しては私の元へ来て下さい」
自然に是安が財務担当となり、少彦が民事行政を担当する運びとなる。
行武はそれを満足そうに見てから弘光に命じる。
「弘光は直ちに征討軍を国衙の軍団基地へ入れよ。まあ、恐らくこの国の軍団は機能しておるまいから、基地は自由に使えよう……手力彦よ、どうか?」
弘光と行武の2人から視線を向けられた手力彦がこれまた恥じ入るように下を向く。
「お察しの通りでございます……硯石広浜守様は、国兵は金が掛かると言って暇を出されてしまいました……お陰で治安は悪化の一途でございます」
治安の悪化は当然であろう。
本来盗賊を取り締まったり、訴訟を受けたり、犯罪を訴追するべき地方の政務機関である国衙が、全く武力を持っていないのだ。
これでは調停も、訴追も、追補も、取り締まりも、強制執行も出来ない。
つまりは、権限はあっても実際にその権限を執行する者がいないのだ。
これでは誰も言う事を聞くわけがない。
硯石為高は私兵を引き連れ、自分やその一族の身辺警固や徴税には使っていたようだが、それ以外の国兵は、完全に解散させてしまった。
それ故に盗賊や山賊が横行し、海岸には大章国や弁国系の海賊までが姿を現し始めている。
それに応じて富裕農民や在地有力者達は自衛のために武装を始めており、瑞穂国の他の分国でも問題になっている、農民が武装した者達、すなわち武民達がその自衛を理由にあちこちで武力衝突や私戦を繰り返し始めている。
本来国衙には500名から1000名を備えていなければいけない国兵。
その費用も国司の徴税から賄われるのだが、その諸経費を嫌った各分国の国司達は、勝手に国兵を次々と解散させているのだ。
「民を安んじるべき者が金をけちって警備や治安維持を怠るとは何事じゃい!弘光!目代を使って直ちに広浜の国兵を呼び戻せい。差し当たって東先道五か国の国兵は全てここに集めるのじゃ。藻塩潟とに分散すれば収容出来よう」
既に年齢的に使えない者や、国兵に戻る意思の無い者も居るだろうが、少なく見積もっても3000余りの国兵を集中的に行武が運用することになる。
夷族の戦士や行武に従って来た京府の国兵達と併せれば、7000から8000の兵が行武の指揮下に入るのだ。
治安維持の一部は既に国造に任命した夷族らが先行して行っており、地縁や血縁を生かして跳ね返りや乱の継続を望む一部の乱暴者達を既に鎮圧、あるいは鎮撫している。
行武が兵を欲したのは、海賊や八威族などの諸勢力に対する武力行使を想定してのことで、それには集中させて運用する必要がある。
「それでは、納税人足達は解散させてよろしいですか?」
「勿論じゃ、この広浜国の納税人足は言うに及ばず、東先道の者達は少し遠いが全員返してやれ……後は自ままにするよう伝えよ」
弘光の問い掛けに淀みなく答える行武。
これで最終的には行武に従って来た国兵300人程度にまで人が減る。
厄介なのは、広浜国の納税人足の中で居残りを主張する者達だけだが、彼らを前線に駆り立てるつもりは行武にない。
しかしながら、雪麻呂や山下麻呂らの意志は強固であり、行武も手を焼いている。
灰と化した故郷で絶望し、満足な生活が出来ない可能性を考えれば、確かにしばらく国兵として使われた方が良いと言う者も居るだろう。
行武はそう思い直し、駐屯地の警備と維持に彼らを使い、生粋の国兵である弘光ら元弾正台の国兵に夷族の戦士や東先道で招集した元国兵を各種任務にあてるつもりでいる。
弘光が去り、是安と少彦が雪麻呂の手助けを受けて目代達の持ち寄ってきた書類や情報を吟味して指示を飛ばす中、行武は傍らに難しい顔をして立っている和人と久秀を振り返る。
「軍監殿らよ、これは致し方ない事ぞ?」
「分かっておるわい、皆まで言うな」
「……好きになされば宜しかろう」
そう言うと、和人は腹を揺すって笑ってから言い、久秀は憮然とした様子で応じる。
「巡察使権限の執行を改めて京府に文にて知らせるわい……おまけに東先道5か国での大反乱の顛末もな。何度でも言うてやるわい」
行武ならばいざ知らず、軍監、すなわち自分達文人貴族の子飼いである久秀や、消極的ながらも協力者であるところの和人がする、あるいは添状を付した報告を無視出来るはずもなく、しかも彼らは和人と久秀が行武に対して味方しているとは思ってもいない。
和人と久秀の報告で、朝廷は蜂の巣を叩いたような騒ぎになる事だろう。
それに、この報告で硯石為高は、この期に及んで未だ嘘をつき続けていた事が確定的になる。
係累である硯石基家がいかに権力者であろうとも、この大失態を覆い隠す事は出来ないに違いない。
その結果、和人の扱いがどうなるかは分からない。
久秀はそもそも基家に近い立場にあり、失脚するようなことは無いだろうが、それでも既に行武に感化されつつある現状を知られれば、無事では済まされないだろう。
時の権力者に逆らうような報告をして、無事で済むとは和人本人も思っていなかった。
しかしながら、和人の腹はとっくに決まっていた。
この惨状を伝えるのに誰に遠慮する事があろうか。
正に現在は国家の一大事。
反乱は燎原の火の如く北の大地を覆い尽くさんとし、それを防ぐべき国司や貴族達は右往左往するだけに留まらず、大王から下された命に背き、その任国と民を見捨てて逃げ惑っている。
今やこれを止め得るのは、ここにいる征討軍少将である梓弓行武しかいないのだ。
早速文机を借り受け、和人と久秀は報告を認めるべく、文案を練り始める。
それを見て、感心したように頷いた行武は、大熊貞良を呼び寄せた。
「目代の大熊貞良よ」
「お呼びでしょうか?」
ようやく動き始めた国衙の様子を見て、意を強くした貞良が駆け寄るなりそう応じると、肩を抱きながら行武は重々しく言う。
「お主には少しばかり別な仕事を頼みたい」
「何なりと仰せ下さい」
打てば響くように返す孫のような年の貞良に、行武は笑顔を向けつつ口を開く。
「周辺の諸国の国衙機能もここ広浜に集約させることとする。急ぎ東先道5か国の国衙に使者を出し、その旨を伝達せよ。時間は掛かることになろうが、わしが各国の国司の職を代行する故、早馬と街道の整備をさせよ……まあ、ここと似たり寄ったりの状況じゃろうから、立て直しには相応の時間が掛かろうがのう」
「承知致しました!」
勢い込んでそう言うと、貞良は行武から離れた場所に目代仲間を集めて使者の人選に入る。
その後ろ姿を満足そうに眺めると、行武は箙と大弓を背負った。
そして腰の剣の位置を直し、顔を引き締めるとおもむろに歩き出す。
「……殿様、どちらへ?」
「余り良い予感はしませんが……」
それを見とがめた是安と少彦が国衙院から出ようとする行武を呼び止める。
ふと足を止めた行武は、暫し考える素振りを見せてからぱっと笑顔で振り返って言う。
「治安を回復させねばならぬ」
「……あまり聞きたくございませんが、一応お伺い致します。どうするおつもりでございますか?」
「わしが巡察に出るわい」
巡察とは、積極的な治安維持活動の事で、周辺の村や町を巡回してその地に巣くう盗賊や山賊を討伐する活動の事だ。
「な、何をなさるのですか?」
「巡察と言えば決まっておる。盗賊山賊有象無象の退治撲滅よ」
こめかみに指を当ててぐりぐりと揉み込む是安に、行武は朗らかな声色で応じ、驚き戸惑っている少彦へ胸を張って答える。
「い、いけません!」
「そ、そうです!少将様に何かあっては一大事でございます!」
「……行武よ、年寄は出しゃばるものではない」
少彦が顔を青くして言い募り、是安がこめかみに青筋を浮かべて言うと、和人までが呆れたように口を添えた。
しかし行武は渋い顔で言い放つ。
「しかしわし以外に兵を率いる者がおらぬ。ここの護りは弘光に任せ、わしは遊軍として国を平定する事にする……対案ない限り異論は認めぬ」
「うむむむむ……」
「ぬぐ」
「お主、相変わらずよのう」
「……頑固爺」
行武のきっぱりとした宣言に、是安や少彦は絶句し、和人は呆れ、久秀は悪態をつく。
「では早速行って参るわ」
くるりと振り返り、それ以上3人から意見が出ない事を確認して、行武は再度踵を返すと兜の緒を確かめながら外に向かうのだった。
国衙院から出た行武は、早速隣接した敷地に設けられている駐屯地へと向かう。
そこには早くも行武の率いてきた征討軍らしき者達が入って、倉庫に武器や防具を保管し、馬を荷馬車から外して厩舎に納め、糧秣などの保管を継続して行っている。
手入れも余りされていなかったのか、屋根に穴があき、壁は所々破れている兵舎や倉庫に厩舎だが、早速納税人足達が修繕を始めている。
誰もが忙しげに動き回り、軍団がまるで復活したかのような雰囲気に、周辺の住民達も何事かとのぞきに来ている。
広浜国の国兵はとっくの昔に解散させられていたようだ。
「本来兵士に払われるはずの給料はどこに消えてしまったのかのう?不思議な話もあるものじゃ……集まれい!」
その行武の号令で、わらわらと国兵と納税人足達が集まって来た。
既に広平国や、周辺諸国の納税人足達は帰郷させられており、ここに残っているのは東先道広浜国の納税人足や、元弾正台の国兵達300余名。
本楯弘光は現在、広浜国の国兵だった者達を再招集するべく動いているから、指揮を執れるのは行武しかいない。
行武は集まって来た者達に、早速指示を出す。
「これより巡察を行う、元弾正台の兵士であった100名はわしについて参れ。残りの者達は、副官本楯弘光少尉の指揮の下、軍団駐屯地の再整備と国衙の警固を命じる」
「はっ」
直ちに100名の国兵が武装を整えるべく散り、納税人足であった者達は少し離れた場所に整列する。
手持ち無沙汰にしていた山下麻呂が、行武にふと気付いたように話しかけた。
「少将の爺さんよ、道案内はいらねえのか?」
「うむ、かつてわしはここに来た事があるのでな……まあ、大本は変わっておらんじゃろうから、大丈夫じゃ」
「まあ、そうか……じゃあ、案内は必要ねえか?」
「まあいらぬのう、お主はのんびり片付けでもしておればよい」
行武の様子にいつもの快活さが欠けている事に何となく違和感を感じつつも、山下麻呂は感心したように言う。
最近の貴族は京府にこもりきりで、畿内にすら出る事はほとんどない。
国司や鎮台長官などの地方官になった場合でも、任国に赴かず、代官を派遣するだけで済まそうとする横着者がいるほどだ。
そういう者と比べれば、たとえその理由が欲にまみれた者であったとしても、担当国に赴任していた硯石為高はまだましな方なのかも知れない。
「良いのか?本当に?」
「まあ、気遣いは無かろう。この地には……東間道や東先道にわしは因縁があるのじゃよ。つまらぬ、実につまらぬ因縁じゃが」
「……少将様」
山下麻呂の言葉に天を仰ぎ、広浜国の山々を眺めながら、行武がもの悲しそうにつぶやくのを、山下麻呂の陰にいた雪麻呂が聞いて小さく、そして切なそうにつぶやくのだった。




