45話 広浜国統治1
皆様、遅ればせながら明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
瑞穂歴511年終月吉日、東先道広浜国藻塩潟、梓弓砦
5人の国司を京府に送り付けた後、東先道は急速に秩序を取り戻した。
逃散していた柵戸や夷族の村人達は、東先道各国に差し遣わされた行武任命の国造の計らいもあって相次いで元の村落に戻り、真佐方の倉庫から給付された糧食や衣類をもって生活の再建にあたっている。
反乱と言っても、国司に襲われた村落以外に大きな損害は無い。
村を捨てて反乱に加わったり、森に逃げ込んだりした形が多く、建物自体は残っている場合が多かったことも幸いした。
もちろん山賊や海賊に留守を狙われて焼かれた村々もあるにはあるが、その再建に掛かる費用なども真佐方に蓄えられていた、文字通り山のように集められていた財貨によって賄われたのである。
「国司を籠詰めにして送り込んだとな?」
砦に呼ばれた軽部麻呂は余りの衝撃に素っ頓狂な声を出してしまった。
しかし、その声を出させた張本人の行武はいたって泰然としたものである。
「おうよ、喰らわせてやったわい」
「喰らわせたとは、また……この後はどうするのだ」
「どうもせぬ。後は朝廷に任せるのみよ。まあ、恐らく処罰はされまい」
「……報復の可能性は無いのか?」
「まず、わしへの報復はあろうが、任期後の事じゃ。今しばらくは心配あるまい」
頻りに今後の事を心配する軽部麻呂であったが、既に村の再建は始めてしまっており、今更後へは引けない。
「仕方ないか……分かった。老将に従おう」
結局行武の提案を受け入れた軽部麻呂達は、一旦故郷の村に戻る事となった。
それでも反乱軍はしばらく解散せずに行武の行動を見守るという。
「まあ、当然じゃのう」
行武の言葉に山下麻呂が疑問を呈した。
「少将様、良かったのか?夷族にあんな温情を与えちまって……」
「何を言う、お主その夷族の流れを汲んでおるではないか。そもそも部族が異なるだけで賤も貴もあるものか。彼らは彼らの誇りを守ろうとしただけなのじゃ、考え違いをしてはいかんのう」
言葉の雰囲気は穏やかながらも行武はきっぱりと山下麻呂の言葉を否定した。
そして撤収準備をきびきびと進める国兵の姿を見張り台から眺めながら、ゆっくりと言葉を継ぐ。
「この辺はかつて夷族と蝦夷族の混住地でのう、結構酷い争いが頻発しておったんじゃ」
「えっ?」
「夷族の応援の為に朝廷が軍を出したのがこの広浜の国の始まりなんじゃ、その頃は夷族も臣民も……その当時は和族と言っておったが、仲は決して悪くなかったのじゃ」
呆気に取られている山下麻呂を見て苦笑を漏らし、更に言葉を継ぐ行武。
「その頃わしはひよっこも良い所じゃったが祖父様の部将としてこの地にやって来ての、今居るこの地に砦を築いて周辺の鎮定にあたったのじゃ……その時も青粒花が一面に咲いておったわ」
砦の周囲に咲く青い小花を見て懐かしそうな視線を向ける行武。
この地に平和と調和をもたらし、夷族の美姫と結ばれた朝廷の若き武人貴族の話を知らない夷族は居ない。
しかしそれは悲恋に終わる。
朝廷が異民族と貴族の婚姻を認めず、梓弓の御曹司は逮捕されて都へ送還されたのだ。
朝廷においては北の変と呼ばれる事件。
もちろんそれはその時代、飛ぶ鳥を落とす勢いであった武人貴族筆頭の梓弓氏を貶める為の策謀で、文人貴族が武人貴族に取って代わるきっかけとなった事件である。
それまでの朗らかさを残しつつも哀愁の漂う空気を纏う。
言葉を失う山下麻呂に、行武は苦みを帯びた笑みを向けて言葉を継いだ。
「若い時は泣き叫びたいような激情に駆られた夜もあった、実際にそうした事もある。忘れようと武技を磨き、文道を習い、そのお陰で栄達も得たがダメじゃった。しかしその結果わしの気持ちはこの地にあると言う事が、残っているという事が分かったのじゃ……わしはこの地に全てを置いて老いてしまった、それを悟るにはいささか老い過ぎてしまったようじゃが、思いがけずこの地を訪う機会に恵まれた。故にわしの置き去りにしてきたものを取りに戻ったのじゃ」
山下麻呂が去ったのと同時に、今度は軍監の玄墨久秀が行武を訪れた。
「……梓弓征討軍少将、京府からの返答は如何?」
「ふむ、国造任命や救恤については改めて追認する旨の書状が来たわい。その後の民政実施については僭越と叱責はあるが、基本的には認めるようじゃの」
早速盛武の早船によって持ち込まれた朝廷からの返信の文を読んでいた行武は、面白くなさそうにその書状を部屋に現れた玄墨久秀に手渡す。
「……良いのか?」
「構わんわい、大したことは書いておらん」
征討軍少将宛ての正式な通信文書を差し出され、戸惑った久秀が問うと、行武はその手紙をもったまま手を振りながら言葉を継いだ。
久秀が素直に書状を受け取り読み下し始めたのを見て取り、行武は不満そうに鼻を鳴らしてから口を開く。
「そもそも、わしが送り付けた国司共は元より、その罪状や処置についても何も触れられておらぬ。本来であれば一番重要なところであろう?まあ、碌な結果にならぬ事は分かっておるが、逆にそれ故に顛末の気になる所じゃ」
処罰されたのか、それともされなかったのか。
行武が縄を打って籠詰めにし、これまた早速銛武の早舟で京府に送り付けた硯石為高ら5人の元悪徳国司達について、書状では何も触れていないのである。
銛武の話では、為高らは謹慎こそさせられている様子であるが、特に処罰はされてはいないだろうとのことだ。
律令通りであれば死罪か流罪は免れないところであるのに、未だ取り調べや問責も行われた様子はない。
恐るべき事に、基家は一族でもある為高らの罪状について、天下に聞こえた悪行である事は明白であるにも関わらず、このままうやむやにするつもりなのだ。
行武から書状を受け取り、程なく読み終えた久秀がぽつりと言う。
「斬っておくべきではなかったか?」
「はははは、軍監殿は過激じゃの。しかしかつてのわしに対するものとは雲泥の差じゃ」
「何も変わっていない、私は……律令に照らせば斬っても問題は無かったと思われるだけだ。それだけだ……私は、変わっていない」
行武の言葉に、些か虚を突かれた様子の久秀だったが、表情を取り繕って言葉を返す。
しかし、それはまるで自分に言い聞かせるかのように行武には聞こえた。
久秀の中でも、何かが確実にここ北の地に来てから変わる物があったと言うことだろう。
それは決して悪い方向に向かうものではないことを、行武は知っている。
そんな久秀に優しい眼差しを向け、行武は言葉を継いだ。
「まあ、良かろう。処罰は既に朝廷に委ねられた。わしはやるべき事をしたに過ぎぬ。軍監殿の言うとおり、斬っておけば溜飲は下がったであろうがの。ことの解決には至らぬ」
「ふむ、それは……文人貴族に恩を着せたと言うことか?」
「そう受け取ってくれれば良しじゃがのう……まあ、当然の事と思ったか、さもなくばわしが文人貴族の威を恐れて命を助けたとでも思っておるかじゃな」
久秀の言葉に、行武は顎髭を右手で扱きつつ思案顔で応えると、ぽんと自分の腰の剣を軽く叩いて言葉を継ぐ。
「まあ、わしとてあまり事を荒立てずに済めば良いとは思うが、わしは必要とあらば武力を使うのをためらわぬ。それが今の朝廷には理解できぬのじゃ」
「なるほど」
行武の言葉に同意を示す久秀。
今までであれば、一々細かいところをつついて行武を煙たがらせていた久秀だったが、行武の言葉を素直に受け止めることが出来る。
先程他ならぬ行武から指摘されたが、自分でも心持ちが変わっていることは分かっている。
しかしながら、自分の心情が素直にそれをこの目の前の老貴族、自分が変わった切っ掛けを与えてくれた者に対して表明するのを拒む。
久秀は、開きかけた口を閉じ、外へ目をやってから話題を逸らした。
「副軍監殿は今日も夷族達の面倒を見ているようだ」
「しばらく家業からは遠ざかっておったはずじゃが、誠、精の出る事じゃ」
久秀の視線を追う行武、その先には簡素な天幕が張られており、夷族や柵戸達の行列が出来ている。
今日も薬研和人は、医薬の施術に余念が無いようだ。
「人々の役に立つ、結構なことだ」
思い掛けない言葉が久秀の口から発せられた。
行武は視線を久秀に戻すと、軽く驚いた素振りを見せながらも口元に笑みを伴いつつ言う。
「お主の口から斯様な言葉を聞くとはのう……なかなかに違和感のあるものじゃが、良き哉良き哉」
「……ふん」
その口調を面白がるように笑みを浮かべながら、行武は広浜国府へ入った時のことを思い出していた。
行武率いる征討軍は、5人の国司達京府へ送り出した後、改めて兵を整えて広浜国の国府を制圧し、国府の諸庁舎に入った。
それなりに整備された国府の街道を進む征討軍の列。
周囲に広がる荒れた田園を馬上から眺めつつ、行武はのんびりと進む。
季節柄珍しく、それまでの厳しい北風や曇天は去り、穏やかな陽光とさわやかな南風が周囲を満たしつつあった。
戦塵が去った事を知った民人は鋤や鍬を持ち出して荒れたあぜ道を修繕し、ゴミを取り除いて用水路の泥を浚う。
しかし本来盛んに行われるはずのそれは、民人の漠然とした不安を象徴しているのか、動きに生気が感じられない。
どこかなおざりで、心ここにあらずと言った風情なのだ。
それは征討軍の姿を見たことでいや増した様子で、誰も彼もが不安そうな視線を向けてくることに行武は気付いていた。
それは戦乱の気配。
反乱の勃発地でもあるこの地の民達は、北の地で起っている混乱を肌で知っている。
そしてその混乱が自分達のことであることも理解している。
そこに遅まきながら朝廷から征討軍という正規軍が派遣されてきたのである。
これから起るであろう激しい戦いの予感に、民人は不安を募らせているのだ。
直接巻き込まれてしまう事態となるのか、それとも戦乱によって逃げ出してきた難民が押し寄せてくるのか。
そして、その不安の原因を行武は経験上知っていた。
「少将様、国衙が見えて参りました!」
「おう、なかなかに立派なものじゃのう」
雪麻呂の声に釣られて遠望すれば、確かにそこには広平国の政庁である国衙が、田園風景の中に浮かんで見えている。
京府ほどではないが、黒瓦で葺かれた白土の壁に囲まれる、木造の建物群。
中央に国司の詰める政庁の国衙院、東側と西側には官吏である目や目代と称される者達が政務を行う官衙があり、更にその脇には官品や徴税物を収納する官倉と呼ばれる倉庫が建ち並んでいる。
また、その周囲には官吏や商人、更には周辺の民達の住居が整然と並んでいた。
全ての建物は塗装されていない丸木の柱に、土壁、黒瓦葺き。
これは分国の国衙における仕様だ。
納税人足達にとって、正に旅の出発点であり、終着点である場所。
しかし、一筋縄ではいかない事を、行武は察していた。
「東先道5か国全ての政務が3年間もほぼ停止しているとは本当かの?」
「……事実です」
国府の政庁である国衙院に入った行武が、歓待の言葉を聞き終えるのもそこそこに口を開くと、これまた改めて出迎えた大熊手力彦が恥じ入るように下を向いて言う。
実際に国府の官人からその事実を聞かされた衝撃は大きいが、それ以上に気になったことがあったので、行武は疑問を口にする。
「乱は乱としても、国府の統制下にあった村もあろう。広浜守めは……硯石為高は如何した?」
守とは、その国の最高責任者であり、別名を国司とも言う。
瑞穂国の地方政府である国府には、最高位の守を筆頭に、介、丞、目、目代の位がそれぞれある。
ここ広浜国においては、硯石為高がその守の地位にあった。
筆頭の守は大王が任命し、次席の介は守が任命することが多いが、希に大王が任命することもある。
更にその下の丞と目、目代は守が任命するが、大体は在地官人と呼ばれるその国の出身者が継続して雇われていることが多い。
これは政策の継続性や、物資や政務の引き継ぎに利便性を発揮したが、逆に在地官人が政務的な力を持ち過ぎて、守の言うことを聞かないこともあり、一長一短。
最近は守が収税や集財にしか興味を持たないので、実質的な政務は在地官人達が取っている場合が多く、腐敗の一端ともなっている。
守は収奪し、その中間で在地官人がピンハネをして、庶民が苦しむのである。
もちろん真っ当な者が大半であるのは言うまでもない。
本来その地方に先祖代々住み続けている在地官人は、地元の苦労や疲弊度合いをよく知っており、また係累や親族、地縁的な繋がりもあって無茶はしない。
ただ、最近は不心得者が増えている。
それに加えて守となった者達の苛税の程度が年々酷くなり、下級官吏にしかなれない在地官人達にそれを止める術が無く、地方の疲弊が進んでいるのだ。
「守は……その」
「京府へ援を求めると言って国府に引き籠もりましたが、戻ってきませんでしたので」
行武の質問に言いよどむ手力彦に代わって、元気よく答えたのはその傍らに控えていた若い官吏だった。
「ほう?」
「これっ!貞良っ!征討軍少将様、申し訳ありません、息子が失礼を……貞良!お前も謝罪せよ!」
興味を持った行武を遮るように慌てて手力彦が注意と謝罪をするが、そんな父親の慌てた様子などどこ吹く風、大熊手力彦の次子である大熊貞良は、まっすぐ行武を見据えて言葉を続ける。
「目代の大熊貞良にございます……守は、家族や一族郎党を引き連れて国府に籠城されました……後は征討軍少将様の知っての通りでございます」
「3年も政務を放り出してよくも朝廷に露見せずにいたものよ、余程上手くやっておったようじゃな?」
「政務は目代らがするとしても、書状の類いは直筆が必要な物もございますが……?」
「印判が……国司印や国衙印の必要なものもございましょう」
首をかしげる行武に、少彦と是安が言葉をかける。
それには手力彦が申し訳なさそうに懐から2つの印を取り出した。
それは紛れもなく広浜国の印であり、行武は広げられた袱紗ごと印を受け取ると、しげしげと眺め回す。
「……やれやれ、よくもまあ斯様なことが出来るものじゃの。なるほどのう、それで朝廷には定期的に報告も送られ、異変には気付かなんだわけじゃ」
朝廷は巡察使や巡検を止めて久しい。
直接地方を検査する術を持たない故に、このような所行がまかり通ってきたのだ。
「これでは今後の地方統治も危ういの」
「あり得ませぬが、事実此の様な物を見てしまうと何とも言えません」
行武の嘆息混じりの台詞に少彦もため息とともに応じる。
何とも情けない話ではあるが、かつて瑞穂国の分国を名実共に守護していた国司は、いまや単なる徴税人に堕落し果てたのだ。
『国司は慈養百姓の精神をもって任に当るべし』
律令にも記されている国司の正道は、地に落ちて久しい。
かつての国司は、今やただの国司という官職に成り下がり、文人貴族の力の源でもある財力を溜め込むために使嗾される者達となった。
そんな国司に危急危難をしのぐことも防ぐことも、ましてや対処する事も出来るわけがなく、結果それがこの広浜国で最高責任者のはずの国司が事態を収拾出来なかったばかりか、政務放棄という事態を招いた。
しかしながら曲がり形にも目や目代が政務を代行し、今までその形が続いているのであれば、修正を加えつつも一時的にはそれを継承した方が良い。
そう考えた行武が問う。
「さて……まあ、そういう事であれば仕方なかろう」
「は、はあ……あの?」
行武の言葉に、大熊手力彦は困ったように後方に控えている在地官人、身分は最下級の目代である者達に視線を向ける。
本来国書や政務文書を国司が任務放棄したと言えども、代書していた者達である。
それが律令に触れる重罪、すなわち公文書偽造になることは承知している。
何らかの処罰が下されることを覚悟して、隠し持っていた、為高から押しつけられた印判を差し出したのだが、行武の言葉からは処罰の雰囲気が感じられないことに、手力彦を始めとした在地官人達は戸惑う。
「処罰などは如何なりますでしょうか?」
「何を言うておる?処罰は既に済んだ。国司である硯石為高めを籠詰めにして京府へ送ってやったじゃろう」
事も無げに言い放つ行武に、少彦と是安が苦笑を浮かべ、手力彦や官吏達は唖然としている。
先程は勢いを付けていた手力彦の次男の貞良も、流石にあんぐりと口を開いていた。




