44話 東先道平定直後
瑞穂歴511年夜長月30日、真佐方近郊の田畑
行武が珍しく平服姿で外出した先は、収穫期を迎えつつある田畑。
腰には武家帯を巻き、いつもの無骨な太刀を帯びてはいるが、烏帽子に直衣、指貫袴、黒靴を身に付けるという、ごく普通の貴族の装束を身にまとっている。
「北の辺国とは言え、これは見事なものじゃな」
行武の目の前には、緩やかに揺れる黄金色に稔った稲穂の海がある。
かつて行武がこの地に軍勢を率いてやって来た時、この地は未だ沼地と草原が入り交じる未開の地であったのだ。
それが数十年の時を経たとは言え、見事な水田と畑に変わっている。
毒虫や悪疫が猖獗を極めた蕃地は今、米を実らせ、稗や粟を産し、野菜を茂らせる、民人の糧となる豊穣の地となったのだ。
幸いなことに、この場所は戦火を免れた。
他では農民が逃散したことにより手入れが行き届かなかった土地や、攻めてきた夷族に踏み荒らされてしまい収穫のできない場所もある。
藻塩潟周辺は、耕作を始めたばかりなので、当然ながら十分な収穫などは見込めず、少彦らの方策で育てる作物を麦や蕎麦にしているので、これ程見事な稲穂の海は見られない。
しかし、この場所は人の労苦が注がれ、そしてその成果が十二分にもたらされている。
「人の営みとは素晴らしき物よな」
感慨深げに言う行武。
硯石為高も、その目的は私腹を肥やすためではあったが、確かに京府や畿内にて行われている先進農業技術の導入を妨げなかったのであろう。
元はと言えば、納税人足達が少しでも暮らしを楽にしようと、持ち帰ったり、また学んだり、あるいは下級官吏達や心ある国司が伝え、開墾を奨励してきた。
しかし、人の欲目はそのような些細な善意を遥かに超える速度で開墾を進め、農業技術の導入を推し進めたのである。
もちろん、この場合の人とは欲深な国司達である事は言を待たない。
あの硯石為高でさえ、私腹を肥やすために、信じられないことに一生懸命農業を奨励し殖産興業を推進していたのである。
そうして溜め込んだ財貨は、全て真佐方の国衙の奥深く、すなわち為高らが貴族としての命脈を絶たれたあの奥殿の先にある倉に収められていたのだ。
「今まではこの稲穂全てが国司様の物でしたが……」
「それだけではなかろう?団栗や無花果、はては蕨や薇まで袋詰めされておったのは驚いたわい」
「国司様は全ての物を徴しましたもので……」
驚くと同時に呆れたことを思い出し、行武がため息混じりに言うと、曲がり形にもそのお先棒を担いでいた大熊手力彦が力なく答えた。
灰汁の薄い椎や橡、山菜からキノコに至るまで、およそ何らかの形で保存の出来る糧食は、全ての種類がが真佐方の倉庫にあったのである。
行武もそれを見た時は怒りを通り越してしまい、呆れと妙な笑いが込み上げてきた。
それまでの国司も酷かったが、硯石為高は徹底していたのだ。
行武の視察に従って来た手力彦の言葉に、行武は分かっていると言わんばかりに頷いてから口を開く。
「ふむ、税率は旧に戻す。祖米は5割、その内国衙の運営分が2割、2割は備蓄。そして1割は村落の共益費分じゃ。米の収穫の5割は民の物。無論、稲藁、籾殻、落穂、稗、粟、その他の野菜類からは律令通り徴税せぬ」
そう言うと、手力彦が手元に持っていた帳面へ、いそいそと行武の指示を書付ける。
行武はその光景を眺めつつ、東先道の国司達を剣で激しく打擲した直後のことを思い出していた。
国兵達に開かせた蔵の中を目にした行武が口を開く。
「何と……これは一体」
絶句する行武の目の前には、隙間なく積み上げられた財貨の山があった。
堆く積まれた米俵や麦俵、稗や粟の詰まった麻袋に絹布。
麻の縄や麻布は言うに及ばず、どこで手に入れたのか綿布まであった。
稲藁や藁縄、固く干した魚介と昆布に海塩、海獣や鳥獣の牙と毛皮、そして鉱山から掘り出されたと思われる鉄塊や銅塊までもが木箱に入れられていたのだ。
この財貨を溜め込むに至るまでに、一体どれ程の民が血と汗を流し、家族を犠牲とし、その身を売られていったのであろうか。
そして儚く抵抗し、その命を散らしていったのであろうか。
それを思うと、自然と骨張った行武の拳が握りしめられた。
燃えるような怒り。
老いて久しく忘れていた、武人としての爆発的な怒りが固く冷たい鎧の内側に込み上げた行武は、その拳を倉の分厚い欅で出来た扉に叩き付けた。
しばしの間、眦をつり上げ、静かに、しかし荒く息をついていた行武だったが、周囲に居た配下の者達が怖気を振るって身を固めていることに気付き、その拳を緩める。
「手力彦!」
「うっ!?はっ!」
「為高めが真に付けておった私税帳を持って参れ」
「……はっ」
最初に真佐方の国衙院に収納されている帳簿を検め、次いで官倉を開かせた行武は、為高の苛政による物とは思えないほど少ない官倉の蓄えを見て訝しみ、国衙の官吏達を問い詰めてこの場にやって来た。
そして、東先道の民を文字通り絞り上げた末に積み上げた、この財貨を発見したのである。
程なくしてこの場に戻ってきた身体の大きな手力彦が身をすくめるようにして差し出した、厚く紙を重ねて豪華な装丁も施された帳簿を取り、行武は中身に目を通す。
帳簿には、正に為高がこの地で収奪の限りを尽くし、集めに集めた穀物や布、各種産物の全てが記されていた。
「おのれ為高め、何という振る舞いをするのじゃ」
行武はわなわなと震えつつそう言うと、帳簿を力任せに閉じた。
次いで天を仰ぐように顔を暫し上に向けてから、目を開きつつその位置を戻す。
顔を元の位置に戻した行武は、深い、実に深い溜息を吐いてから周囲に居た者達へと言葉を発した。
「手力彦、雪麻呂、この忌まわしい倉に有る物は全て民に分け与えよ……おお、軽部麻呂、お主のところの者達も持っていくが良い」
「全て……でございますか?」
恐る恐る尋ねる手力彦に顔を向け、行武は不快げな表情で強く言い放つ。
「全てと言ったら全てに決まっておろうが!粟粒1つ、団栗1個たりとも残すでないぞ」
「はっ、ははっ!」
手力彦が元国衙の官吏達を引き連れ、大慌てで配布の手配をするべく国衙院へ戻るのを見送り、行武は上機嫌な軽部麻呂に声を掛ける。
「軽部麻呂よ」
「何だ老将、これはすごいものだ、皆も喜ぶ」
本来朗らか男なのだろう。
困窮に次ぐ困窮で心が暗くなっていたところへ、苛政が積み重なり、この男本来の快活さが長く失われてしまっていたと見える。
行武は不憫に思いながらも、それを表情に表わすことなく穏やかな表情で言葉を継ぐ。
「この中を空にした後に、この忌まわしい蔵を打ち壊してしまうのじゃ」
「うむ任せるがいい」
力強く行武の言葉に応じると、軽部麻呂は早速蔵を打ち壊す為の道具を探しに、一族の者達を引き連れて手力彦の後を追うのだった。
行武の行った時ならぬ施しに民人は驚喜し、軽部麻呂が率いていた夷族も差し当たっての冬越しの食料や衣服を手に入れることが出来た。
また、この施しによって硯石為高ら悪徳国司が捕縛され、北鎮将軍梓弓行武が広浜国を始めとする東先道の政を司ると言うことが周知されたのである。
決して行武が布告させた訳ではない、国兵が自主的にやったことだ。
そのきっかけは、とても些細なことだった。
国兵の手渡した麦袋を大事に抱えた子供。
施しを受けにやって来た家族が連れていた、そんな小さな女の子がそれを笑顔で手渡した雪麻呂に尋ねたのだ。
「へいたいさん……これほんとうのもらえるの?まえのこくしさまはおっとうやおっかあからむぎをとりあげた……あたしのおねえはうられた、ほんとうにこくしさまはこれをくれるの?」
「……ううん、これは国司様じゃなくて、梓弓の少将様があなた達にくれたの」
子供の質問と思い、雪麻呂はゆっくりていねいに、しかししっかりとした事実を告げる。
雪麻呂が食料や布の配布作業に携わっている場所は、国衙の門前に設けられた臨時の救恤所。
そこには、国衙に近い村や国衙の近くに住むたくさんの民が訪れていた。
行武は支配下に置いた広浜国の数カ所に救恤所を設けさせる方針をとり、本楯弘光や財部是安、武鎗重光らが国兵の一部を率いて主要村邑へと向かっている。
その一方、行武は国衙での食料配布は即座に始めたのだ。
早朝から始まった食料と布の配布だったが、人の列は途切れず、既に昼を過ぎた。
それまではただただ小さく礼を述べてそそくさと立ち去る者達が多く、雪麻呂達もその態度を見て国司や国衙、ひいては朝廷側の人間が今までどれ程信用されていなかったかを思い知ることとなる。
「しょうしょうさま?」
首を少し傾げながら問うその子の姿に、思わず雪麻呂は頭に手をそっと置いた。
雪麻呂達と目も合わせないまま立ち去る者が多い中、初めて自分の目をまっすぐに見て問を発してきたその子に、雪麻呂は微笑みと共に言葉を継ぐ。
「そう、少将様。悪い国司達は少将様がやっつけてくれたのよ」
「そうなんだ~しょうしょうさまはあたしたちのみかたなんだねっ、ありがとっ」
ぺこぺこと頭を下げつつ立ち去る父親と母親に連れられ、女の子は麦袋をしっかりと胸に抱え込んだまま両親に促されるままぎこちなく頭を下げると、花の咲くような笑顔で雪麻呂を振り返った。
その姿を見送る雪麻呂。
「あの子の姉さんにゃ気の毒だが……これであの子自身が売られることはネエだろ」
隣で別の家族に粟を叺へ入れてやっていた同郷の国兵が、静かに涙を流している雪麻呂に暖かい声を掛ける。
「はい……これからはこの地に少将様がいらっしゃいます」
「そうだな」
雪麻呂の言葉にそう応じると、国兵はしきりに御礼を言う自分の目の前の家族に言った。
「いや、これは俺らがやってるんじゃないんだ。梓弓の少将様のご下命だ……うん?国司か?……ああ、先頃国衙で戦があったろう?あれで少将様が成敗した。だからこれからは安心して暮らせ」
それをきっかけとして、救恤所のあちらこちらで行武の功績を静かに伝える国兵達の言葉が増える。
「この施しは梓弓の少将様のお計らいだ」
「国司は気にせずとも良い、梓弓の少将様が捕縛なさった。間もなく京府へ送還される」
「民を安んじることが少将様の任務だ。貰った物は気にせず遠慮なく喰ってよい。その御礼はよく働く事で返せ。返済はせずとも良いものだぞ」
「これは貸し出しにあらず、救恤である。気にせず持っていくが良い」
「今まで苛政を強いていた国司は捕縛された!落ち着いて生業に励まれよ」
国兵達は特段隠すことでもないので、真実をありのままに話し、また手力彦ら目や目代が貢納について相次いで低減する旨の布告を出したことと相まって、東先道の情勢不安は急速に終息していくことになる。
同時期、京府清涼殿
居並ぶ高位貴族、とは言ってもそのほとんどが文人貴族達であるが、彼らは朗読される奏上文をまともに聞くことも出来ず、一様に息を呑んで目の前に置かれている5つの桶を見ている。
誰もが目を見開き、顔を青白くさせ、その5名をまるで悪魔でもあるかのように怖ろしげに、しかし正視出来ずに視線の端で見るばかりだ。
「……以上が征討軍少将、梓弓行武からの奏上でございます」
震える声で行武の記した奏上文を読み上げたのは、兵部卿の剣持広純。
このような場所から一刻も早く離れたいのだが、役目柄そうも行かない。
不逞の振る舞いがあったとは言え、よりによって国司5人を罪人として籠詰めにし、送り付けて来た梓弓行武の正気を疑う。
しかしながら、その奏上文は武人が記した物とは思えないほど明瞭で、且つ詳細に東先道での出来事が記されており、その内容を理解する限り当然の処置であったのだろう。
巡察使でもある行武の職権を逸脱する処置とは言えず、あろう事かその行武の職権行使に抵抗し、その上切り掛かったとあれば、律令に照らしても処断は免れないところだ。
それでも、久しく荒事から遠ざかっている清涼殿に、荒縄を打たれて猿ぐつわを噛まされた国司の姿は刺激が強すぎる。
ましてや、その内の1人、硯石為高はその姓氏が示すとおり、押しも押されぬ時の権力者、硯石基家の一族。
その基家は、驚き戸惑っている高位貴族達を余所に、静かに奏上文を聞き終えた。
内容は簡潔明瞭。
東先道5か国において苛政を敷いて民人を苦しめたのみならず、私服を肥やさんと国司の権限を逸脱した重税を課し、その罪科を詰問したところ武力をもって抵抗したので、その場において捕縛の上送還したとのこと。
また、征討軍は東先道各地に勃興していた夷族の叛徒共を討ち、あるいは北辺の外地へ追い払った上で、叛徒の農地を接収し逃散した民を呼び戻していること。
先に確認のとおり、一旦朝廷の統治下から離れた東先道5か国は、しばらくの間征討軍が軍政を敷いているが、同時に国造を任命して統治の助けとすること。
租税は向こう5年間は減免することと、減免の内容は地域の実情を調査の上で行うこと。
納税が開始される際は、今後広浜国の藻塩潟を中継港として、東先道5か国の貢納物を集めた上で行うことと、それに付随して東先道各国を結ぶ街道と港を整備すること。
どれも至極真っ当な政策ではあるが、征討軍の職務を逸脱していることは間違い無い。
征討軍の任務は、あくまでも東先道における夷族の征伐と地域の戡定であり、その後の民政までは任務に含まれていない。
それは朝廷の役目であり、後任の国司の任務であるからだ。
しかし、都合5年にわたって続いた東先道の反乱は、梓弓行武の手でわずか半年余りで鎮圧されてしまった。
国司の非違行為をあからさまにされたことや、その為に収入源の1つを失ってしまったことは痛手だが、老いぼれ武人貴族に容易く鎮圧出来た反乱に、報告が上がってから3年もの間全く何の手立ても打てなかったことも痛い。
そもそも5か国にわたっていた広範囲な反乱の鎮圧を、当初の3000の兵力だけでやり遂げてしまってもいる。
実際はもっと少ないのだが、それを知るよしは朝廷に無く、また、薄々その実態を知りながら放置した基家には何かをいう事も出来ない。
この事実は、文人貴族に実際的な政治力がないことを示しかねない。
幸い、朝廷は文人貴族に占められて久しく、その事を取り立てて騒ぎ立てる者や、問題化しようとする者はいないが、下級官人や武人、庶民の目にはどう映るか。
行武の施策や処断を全て是としてしまえば事は収まるのだろうが、それでは文人貴族の勢威を落とすことに繋がりかねないし、一族の者を貶められて大人しく引き下がっては、氏長者としての沽券に関わる。
今日の朝議に大王はまだ出席していない、というかむしろこの状態では、させられない。
捕縛された国司を清涼殿にあげてしまったこともあるが、未だ文人貴族優勢の政治情勢を良く理解していない大王をこの場に呼べば、梓弓行武の奏上した施策全てを追認しかねないからである。
基家は1度目を伏せ、考えを纏めてから顔を上げて口を開く。
「……事の是非は今判じられぬが、梓弓少将を詰問せねばなるまい。国司の非違行為や苛政が事実かどうかも判然とせぬ。あるいは梓弓少将が、自分に都合の悪い国司に濡れ衣を着せて断罪した可能性もあろう」
自分の言動がこじつけである事は基家自身がよく分かっていたが、他に方法はない。
相手は朝廷貴族であるだけでなく、その地方の最高権威である国司を捕縛し、打擲し、そして縄を打って平気で京府へ送り付けてくるような奇人である。
先の大王の遺骸を素手で抱き上げ、湯潅したことは未だに語りぐさにもなっている。
文人貴族の間では、死穢を恐れぬ変人として、そして庶民の間では、先の大王に忠節を尽くす老貴族として、である。
もちろん、文人貴族とは全く反対に、庶民や下級官吏からの評判はすこぶる良い。
「詰問使が必要でございますな……まあ、順当に行けば私でしょうが」
「頼めますかな、兵部卿?」
顔を引きつらせながらも、剣持広純が諦めたように言うと、基家は頷きながら応じる。
征討軍という別系統ではあっても、軍役に関することは兵部省の管轄だ。
「では、梓弓征討軍少将行武に剣持兵部卿広純を詰問使として送ることと決定致す……剣持兵部卿、兵は引き連れて行かれるか?」
「……想像したくはありませぬが、万が一にも梓弓少将が軍兵をもって抵抗いたせば、戦になりましょう。当然引き連れていきます」
今度は緊張で顔を強張らせた剣持広純が、基家にそう応じた。
「では……兵1万程を用意致しましょう」
「1万!?」
事も無げに言った基家に、兵部卿であるはずの剣持広純が驚愕する。
「何か問題でもありましたかな?梓弓少将は3千もの兵を持っているのです、それを制圧するには大兵が必要でしょう。軍兵の数の差に驚いて抵抗をしなくなればなお良い」
「いや、お考えは感服致しますが、実際国兵を1万集めるとなると……」
「足りなければ民を軍兵として徴して良い。律令で認められておる」
基家とて何も知らぬわけではない。
表向きは3000の兵を擁していることになってはいても、行武が数百程度の兵しか持っていないことは既に知っている。
しかし、ことは速やかにそして徹底的に為す必要がある。
基家の言葉に、剣持広純が事の重大さを鑑みて口ごもる。
そしてそれ以前に、兵部の倉庫は長年の汚職で定数を満たす武器や防具を蔵していない。
以前行武が持ち出したことで、使える物は更に目減りしており、頭の痛いところだ。
それらを取り繕い、徴兵者に最低限の訓練を施さなければならず、準備には相当の時間が必要となってくるのは間違い無い。
不幸なことに、兵を率いたことも戦略について学んだことも、ましてや武人貴族の出自を持ちながら、武の有職故実について失伝してしまっている剣持広純と剣持氏。
しかしながらその出自故に、文人貴族に阿ることで今の地位を築き、その中でも自分が兵部卿になれたのだ。
時の権力者である硯石基家に逆らうという選択肢は、最初からない。
ましてや兵部卿を辞して、自分の栄達を放棄するつもりもない。
相手はかつて武名を恣にしたとは言え、今や老いぼれであり、しかも自分の率いていく兵は彼の老いぼれの3倍以上である。
剣持広純はそこまで計算してからゆっくりと平伏して答えた。
「確かに承りました」
広純が平伏すると、基家はにいいいっと笑みを浮かべる。
「これで北辺の制圧と同化は一層進む……瑞穂国はまた広くなる」
反乱の勢いを行武に削がせ、民を鎮定させてから、行武の取るであろう宥和路線を力で潰す。
一度収まったものを再び起こすのは、難しい。
一度無くなった勢いを取り戻すのも、難しい。
それがたとえ追い詰められた末の反乱とは言え、いや、むしろ安定を望みながら果たせなかった民人が起こしたからこそ、再度の蜂起は難しかろう。
一度安定してしまえば、それまでの飢えて凶暴な家畜は、やせて気力の萎えた家畜に変わる。
落ち着いてほっとした時に、抗いようのない圧倒的な力を見せ付けて抑え込む。
「ふふふふふふ、これこそが政治なのだよ、老少将」
鉄面皮の基家が漏らすつぶやきと暗い笑声に、居並ぶ貴族達は気味悪げに、そして居心地悪げに身じろぎする他無いのだった。




