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42話 東先道平定2

 残暑の残る京府。


 日の傾く時は少しずつ早くはなっているが、それでも強い日差しを持つ夕日が何時までも残り続ける季節となった。

 清涼殿での朝議を終え、立ち去る殿上人と呼ばれる高位の公卿達を見送り、硯石広家すずりいしのひろいえが酷薄そうな目を細め、最後まで居残った硯石基家すずりいしのもといえへ身体を向けた。

 物言いたそうな目を見た基家は、しばらく感情の無い表情でそれを見続けた後に、広家が諦める素振りを見せなかったことから徐に問い掛ける。


「……何だ?」

「あのような文書を下して良かったのですか?」


 一時と言うには長い時間を待ったはずの広家であったが、焦る様子も慌てる様子もなく、ゆったりとした口調で簡単に問い掛けた。

 しかし、その言葉が2人の間では梓弓行武征討軍少将に下された文書のことを意味しているのは明白。

 何故か最近は批判的な調子が鳴りを潜め、事実や要望、功績や非違行為を淡々と書き綴っては送ってくるようになった、玄墨久秀。


 その彼が決して仲が良いとは言えないはずの正軍監である薬研和人と連名で奏上してきた文書への回答。


 それは今まで行武の行動をなるべく阻害するように動いてきたはずの、文人貴族達からは考えられないような寛容な内容であったからである。

 基家はほっと息を吐くと、それ以上の動きをする事なく一息で言い切った。


「構わぬ、所詮は地域及び時間限定の空手形、然程の影響もあるまい。それよりも反乱が鎮圧されつつあるとの確たる証拠が今は欲しい。さすれば今まで乱を放置していた我らに対する誹りも薄れ、大王や公卿共にも言い訳が立つというものよ。梓弓の爺に功為さすのは片腹痛いが、奴を選定した前大王さきのおおきみに同意した……いや、ここはむしろ我らが推薦して派遣したことにすれば、爺の功は我らの功にすり替えられるであろう。自らの功成るとなれば、大王や斐紙も文句は言うまい」

「……なるほど、深謀、感服致します」


 少し間を置いてから答える広家。


 確かに、前大王は行武を推薦したが、実際に奏文を書いたのは基家である事に間違いは無い。

 解釈次第では、基家が行武を派遣したとも取れる。

 そして、その解釈を加え得るのは、京府に残った者達、すなわち朝廷において優勢な文人貴族達である。

 ただ、残念ながらそこには基家だけで無く、現在の大王や斐紙大生形も加えなければなるまいが、自分達の功績となるとなれば、強く反対することは無いだろう。

 如何に功績を上げようとも、現場で奮闘する行武の功は薄められ、居残った基家らは行武を選定したことにより功を得る。 

 ここに、行武の北方の夷族反乱鎮圧の功績は、文人貴族達のものに帰することが決まったのだ。

 行武を襲うよう指示を出したばかりの広家が、自分の行動をどう修正していくか思考を巡らせていると、低い笑い声が広がった。

 滅多なことでは笑わない基家の不気味な笑声に広家が思わず背筋を凍らせ、上擦った声で呼びかける。


「……お、叔父上?」


 恐れ戦く広家を意に介した様子もなく、基家は一頻り低く不気味な笑声を2人以外に誰も居ない清涼殿の朝議の間に響き渡らせると、ぴたりとそれを止めた。

 そして、再度含み笑いを漏らしながら言い放つ。


「ふふふふ、これは愉快よな。軍功など嫌いおる我らが、落ちぶれし者の挙げたる軍功を掠め取る。愉快愉快」






 瑞穂の国の夏は、とても蒸し暑い。


 それは夷族の住まうこの東先道とて例外では無く、夏の期間は他の地域に比べれば短いものの、その暑さに遜色はない。

 この蒸し暑さがあるからこそ、瑞穂国は雪の降る寒い冬を持ちながら稲穂を育て、米を得ることが出来るのだが、そうだからといって暑さが快適になる訳も無い。

 既に季節は秋を迎えているはずだが、残暑が厳しく続いている。

 日が落ち、夜になっても生ぬるい風がゆっくりと吹くばかりで気温が下がらず、じっとりとした空気が身にへばり付くような暑さをもたらす。


 そんな蒸し暑い夜が続く毎日に、国府真佐方に立て籠もる私兵達は心身共にみ切っていた。


 ここ数日間は毎晩のように夷族の散発的な襲撃を受け続けていたからでもある。

 ただでさえ暑苦しく、また蚊や虻の襲撃に耐えつつ不寝番を務めなければならない上に、先の2つのせいで仮眠も十分に取れない中、夷族の弓矢攻撃や雄叫びは私兵達の神経と体力を酷く消耗させる。

 ぶ~んぶ~んとうるさく羽音を鳴らしてまとわりつく蚊や虻を手で逐いながら、見張りに就いている私兵は愚痴をこぼす。


「……さっさと逃げれば良いのによ、根性無しの国司共が逃げ帰った京府でのことばっかり考えてやがる」


 もう最近は私兵達も硯石為高を筆頭に雁首を揃えて震えてばかりいる東先道諸国の国司達に愛想を尽かしていた。

 この反乱をどうするか全く考慮の内に入れていない国司達。

 出てくる言葉は梓弓行武がいつここにやって来るか、そしていつここを脱出するか、更には京府での言い訳をどうするかという事ばかりである。

 これだけの反乱を誘発しておきながら、全く責任を感じていないのだ。

 それどころか自分達は被害者であるとさえ思っている節がある。

 さすがにそこまで無責任で自分勝手なことを言われ続ければ、直接で無いにせよ怒りを覚えようというものだ。


 私兵といえども、東先道に全く縁が無い訳ではない。


 朝廷を作った和族の植民者たちの内から選ばれているが、当然近隣に家族がいる者もいるし、家庭を持っている者や、普段は農地を耕している者もいる。

 彼の場合は農民であり、本来であれば農作業をするべき今の時期に反乱が起こり、私兵となってここにいるだけだ。

 とっくに米の栽培は時機を逸しており、彼の田畑は全く手が付いていないことだろう。

 それは残された家族だけで、田起こしや代掻き、苗代造り、田植えなどの重労働をこなせないこともあるが、似たような境遇の若者や壮年の男たちが多数召集されており、共同作業が全く出来ない状態であるからだ。


 藻塩潟では梓弓少将の指示で蕎麦の栽培が行われていると漏れ聞いた。


 蕎麦ならば、今種を撒いて栽培を開始したとしても、東先道の厳しい冬が来る前に収穫が可能だ。

 しかし国司はその様な指示を出すでも無く、また官倉に積み上げられている種籾や各種の穀物の種子を貸し出したり、放出したりする様子もない。

 ただひたすら京府への脱出を乞い願っているだけなのである。

 そんな者達にこの地のまつりごとが為せようはずも無い。

 梓弓征討軍少将の的確な農事指導と、夷族の反乱に対する懐柔政策に、彼は羨ましさを感じる。

 梓弓少将が国司であったならば、夷族の反乱に毅然と対応してくれたことだろう。

 なにより、そもそも夷族の反乱自体が起こらず、自分達もその反乱に巻き込まれるようなことは無かったに違いないのだ。


 ふつふつとわき起こる、何度目かの同じ憤りを感じつつ、私兵は目を閉じる。

 根負けするように居眠りをしてしまった見張り番の兵士が、朝靄に紛れて近付く軍団に気付いたのは、その軍団が完全に真佐方を包囲してからのことだった。









 非常呼集の警鐘が打ち鳴らされ、頬をこけさせた顔色の悪い私兵達が慌てて身支度をし始める中、真佐方の最高責任者であるはずの硯石為高は顔を青くしたまま動くことも出来ず、寝所で籠城中にも関わらずより一層肥大化した身体を固めていた。

 そんな愚鈍な為高の耳にも、悲鳴のような声で交わされる伝令や命令の内容が漏れ聞こえてきた。


「敵は2000を下りません!大軍です!」

「東西南北、国衙全ての面に敵がおります!」

「真佐方は完全に包囲されました!」


 東先道広浜国葭池郡の国府真佐方は、時ならぬ争乱に見舞われたのである。

 それまでも夷族の襲撃や散発的な略奪には見舞われていたが、何とかかんとか夷族達に国府の土塀は越えられないで済んでいた。

 しかし、この日国府真佐方は初めて組織的な軍によって襲撃されたのである。


「国司様」


 ぶるぶると恐怖で震え始めた為高は、危急を知らせにやって来た大熊手力彦に悲鳴じみた声で怒鳴り上げた。


「見張りは何をしておった!?敵は何やつじゃ!?逃走の準備は出来ておるのか!?」


 矢継ぎ早に質問を重ねた為高に、大熊手他力彦は平伏したまま返答する。


「見張りは連日の襲撃で疲れをためていた様子。そこにこの朝靄で視界不良の隙を突かれたようでございます」

「わしは逃げるぞ!」


 金切り声で叫ぶと、為高はがばっとその体格に見合わぬ素早さで飛び起きた。

 しかし手力彦は動かない。


「何をしている!?早う準備致せ!かねてから準備しておったでは無いか!すぐに逃げるのじゃ!」


 そこまで言うと、為高は手力彦の異変や無言に気付くこと無くぎりぎりと奥歯を喰い締めて絞り出す様に恨み言を漏らす。


「……それにしても梓弓の糞ジジイめえっ!あやつめがグズグズしておるからこのような憂き目にっ!京府に戻り次第処断してくれるよう奏上せねばなるまいな!!」


 そして、だらしなく開きっぱなしになっていた官服の襟を寄せ、ようやく動く気配のない手力彦に気付いて、叱責の言葉を放った。


「何をっ、いつまでグズグズしておるか蛮族め!さっさと逃げる用意を致せ!」


 しかし、叱責の言葉をぶつけられても、手力彦は何時ものように頭を下げることも無く、真正面から為高を睨み付けるように見据えた。

 何時に無い地方官人筆頭の迫力に、思わず為高が次の言葉を発するのをためらっていると、手力彦は怒りを抑え込むように、殊更静かな声色で言葉を発する。


「……脱出の準備は整っておりません、いえ、脱出は不可能です」

「な……なに?」


 驚きの声を上げる為高に、ずいっと詰め寄る手力彦。

 思わず仰け反った為高の顔面に自分の髭面をこれ見よがしに近づけ、手力彦は今までの鬱屈を晴らすような獰猛な笑みを浮かべて言った。


「国衙は既に包囲されてしまっております……それも、梓弓征討軍少将様によって。ですので、国司様方の脱出は不可能でございます」


 驚き狼狽え、物問いの言葉を発そうとした為高だったが、国衙の外から轟いてきた鬨の声に思わず口をつぐむ。

 そして、手力彦の言葉が、虚言では無いという事を思い知る。


「な、な、な……あっ?あ……」


 腰を抜かして床にへたり込む為高を冷たく見下ろし、手力彦は言葉を継いだ。


「今来の悪行もこれまででございます……お覚悟召されよ」







 留守居役に財部是安に畦造少彦、そして武鎗重光率いる兵300を残し、満を持して梓弓行武は征討軍2000を率いて藻塩潟を出発した。

 そして北へ向かうこと無く南下し、程なくして国府真佐方を完全に包囲したのである。




 その真佐方を包囲した行武の軍兵は、姿形こそ征討軍の兵士であったが、そのほとんどは夷族の戦士達。

 国兵に装備させる短甲や衝角付兜を身につけさせ、手には長方形の大盾、青銅製の鉾がある。

 しっかり目深に兜を被った夷族の戦士達は、着慣れない鎧兜に気恥ずかしさも手伝って時折身じろぎしているが、それ以外は朝廷の兵と遜色ない。

 かつては広く拓かれた農地であった焼け野原に、足音を揃えて兵が展開する。

 大盾を前面に構え、鉾の先を揃えて整列し、一斉に足を踏みならして鬨の声を上げる兵士達。

 地を揺るがし、国衙に立て籠もる官吏や私兵のみならず、その頂点にいる国司達も2000の兵が上げる鬨の声に震え上がったのである。


 行武は意気盛んな兵達の様子を満足げに眺め、顎髭を扱きながら言う。


「夷族の者達には本来は軽装備と剣が良いのじゃが、まあ今は仕方あるまい」


 しっかりと隊列を組むことや、集団行動が得意な和族とは違い、本来身体のバネを利かせた躍動感溢れる戦いぶりを発揮する夷族。

 彼らには重くて身体を固めてしまう短甲や集団戦に使う鉾よりも、皮鎧や刺子鎧に剣などの身体の動きを阻害しない装備を持たせて軽歩兵として使う方が良い。

 しかしながら今は適当な装備が無いので、行武は征討軍の手持ちにある短甲や兜、鉾を融通したのである。


「梓弓少将よ……本当にやる気か?」


 立派な衝角付兜に短甲を身に付け、狼の毛皮を背中に掛けた軽部麻呂が、その髭面を若干不安そうに歪めて問うと、行武は両眉を上げて答えた。


「当たり前じゃい」

「……当たり前なのか?」


 呆れるように天を仰いだ軽部麻呂を見て、行武は笑みを漏らすと口を開く。


「何を今更と言われるやも知れんが、国司共の所行は目に余るどころの話ではない。わしは苛政を敷いた国司共の責任を有耶無耶うやむやにはせぬ。まあ見ておれ」


 決意も新たにそう言いながら剣の柄を握りしめる行武に、ため息を吐きつつ軽部麻呂が言う。


「梓弓少将は信頼している……だが無茶はしなくてかまわないが、どうか?」

「はっはっはっは、無茶はせぬよ。すべき事をするだけじゃ……雪麻呂」


 行武は朗らかに笑い声を上げてから言うと、傍らに居る雪麻呂を呼び寄せた。

 その雪麻呂を、軽部麻呂が複雑な、そして何か言いたげな表情で見ているが、雪麻呂を見ている行武は気付かない。

 ただ、雪麻呂が軽部麻呂にもの言いたげな視線を送ったのだけは見逃さなかったが、それが何を意味するか分からずに用件を言いつける。


「兵共に握飯を食わせよ」

「分かりました」


 輜重隊に向かって駆けていく雪麻呂を見送っていると、その方向から本楯弘光がやって来るのが視界に入る。

 弘光はしっかりとした短甲に兜を装備し、隙の無い身のこなしで剣の柄を押さえて小走りに行武の下までやって来ると、わずかに頭を下げてから報告の言葉を発した。


「少将様、国府真佐方の国衙、東西南北全て展開完了。包囲は成ってございます」

「うむ」

「……使者は送りますか?」

「いらぬ」


 弘光の問いを言下に切って捨てる行武の目は、鋭い光を帯びている。

 行武はしばらく周囲の情勢を見極めてから、おもむろに言葉を発した。


「降伏勧告はせぬ……今は国司を名乗っておるようじゃが、硯石為高以下4名の東先道の国司共は全て分国のまつりごとないがしろにし、あまつさえ放棄した罪人にして痴れ者じゃ。言葉にて語る余地はない」

「はっ、承知しました」


 弘光の返事に頷き、行武はため息をつく。


「……どうせ申し開きさせたとて、繰り言めいた言い訳を延々と聞かされるだけじゃろうしのう。謝罪の言葉が出るようならば聞く余地もあろうが、まあ無駄じゃ。一々尤もらしい言い訳にはこちらから反証や反論もせねばならぬ、面倒じゃ」


 その言葉に弘光は黙って礼を送り、包囲継続の手配りを行うべくその場を離れる。

 背を見せて去る弘光と、厳しい表情のままの行武を見て、軽部麻呂が遠慮がちに口を開いた。


「攻めるのは明日か?」

「いや、3日後じゃ……私兵の疲労も頂点に達しておろう。ここは更に疲弊させて、抵抗出来なくさせてから攻めてやるわい」


 不敵な笑みを国衙に向け、行武は軽部麻呂にそう答えるのだった。


 




早朝。


 行武は満を持して戦端を開く。


「攻め口は西門のみにせよ!他は包囲を解くでない!逃げる者を逃すでないぞ!」


 そう命令を下すと、行武は本楯弘光に指揮を任せ、自慢の梓弓を担ぎ上げて雪麻呂を伴い最前線へと向かう。

行武が包囲を解かせず、また全方位からの攻撃をしなかったのは、逃走する者を逃さないためである。

 また、西から攻めたのは、守りが手薄であり、かつ籠城中にも関わらず逃走する準備をしている為高らの脱出経路にあたるからである。

 全ては大熊手力彦を始めとする、在地官人たちからの情報であり、手引きであった。

 行武は在地官人の助命を条件にして、真佐方の国衙の備えと防備を知り、また為高らの動静を逐一報告させていたのである。


 そして、為高らが少しでも京府に近い西門から脱出を企図していることや、その脱出は今日、紅葉月の二十六日になったことを知らされ、開戦を今日に持ち越したのだ。

 既に私兵達は包囲下における緊張に疲弊しきっており、垣盾や大盾を前にして、喊声と共に押し出した行武率いる征討軍への抵抗はまばらだ。

 散発的に放たれる矢に力は無く、応戦の声は小さい。

 程なくして西門が打ち破られ、征討軍が国衙へと雪崩れ込んだ。

 ここに至っても抵抗は皆無に近く、国衙に詰めていた私兵達は武器を捨てて逃走を図るか、もしくは降伏を願い出て土下座で出迎える者ばかり。


 ほとんど抵抗を受けずに国衙まで攻め寄せた行武は、周囲の兵士に門や外壁を守らせ、少数の兵を護衛に率いて堂々と国衙の中へと進んだ。


「梓弓少将、これは罠ではないか?」

「あまりにもあっけなさ過ぎます」


 護衛に就いてきた軽部麻呂が訝り、雪麻呂が警戒心も露わに周囲を注意しているが、行武は弓を背負い、笑い声を上げてから言う。


「はっはっは、心配は要らぬ。この国衙の兵気は既に失せておる故に、激しい抵抗はないじゃろう……油断は禁物じゃがの」


 その行武の言葉通り、私兵達は行武の姿を見ると武器を投げ出して土下座して降伏の意思を示し、または諦めたように最初から座り込んでいる者ばかり。

 護衛に就いていた兵がそんな無気力な者達の武器を取り上げ、身体を引き立てている。


「私兵共は門前に集めて厳しく監視せよ……万が一抵抗するような者がおれば遠慮は要らぬから討ち果たすのじゃ!」


 敵対している私兵達にも聞こえるような大声で、時折そう厳しく命じ、行武は歩を進め続ける。

やがて、焼け焦げた真佐方の国衙院の目の前にやって来たところで、行武は在地官人たちの出迎えを受けた。

 在地官人たちは国衙院前の白州しらすに整然と並んで跪き、先頭にいた大熊手力彦おおくまたぢからひこが頭を下げて平伏すると、それに続いて官人たちも平伏する。


「征討軍少将の梓弓行武じゃ」

広浜国介ひろはまのくにのすけを命じられております、大熊手力彦でございます。征討軍少将様のご着任を心待ちにしておりました……我ら官人一同、現在の官職を返上の後、征討軍少将様の御下知ごげちに従う所存でございます」


 行武の名乗りに応じて、平伏したまま手力彦が口上を述べると、行武は立ったまま鷹揚に頷く。

 多力彦たち在地官人は、一旦朝廷命で国司の硯石為高らから与えられた権限や職務を放棄し、行武に自分達の処遇をゆだねると表明したのだ。

 その覚悟を見定め、行武はおもむろに口を開く。


「苛政、悪政の一端を担いし者共とはいえ、その権限は小に過ぎぬ故、今回に限り譴責けんせきのみと致す。それぞれの官職は律令に拠って定められしわしの権限において改めて任じることとするので、今後は民人を慈しみ、律令に準拠して政務により一層励むが良い……気張れよ者共」

「ははっ、我ら一同国司様方の命とは言え、民人を苦しめし者にて処罰を免れ得ぬところをご寛恕賜り、ありがたき幸せに存じます。後悔慙愧に耐えぬこの心と少将様の御仁愛を忘れず、正道政務に励むことをお誓い申し上げます」


 平伏していた在地官人たちは、手力彦の御礼口上が終わると、更に深々と頭を下げる。

 その様子を憮然とした様子で見る軽部麻呂に、行武は振り返って面白がるように言う。


「在地官人は許してやっても構わんじゃろ?」

「……言いたい事はたくさんあるが、こいつらが使いっ走りなのはよく知ってる。梓弓少将が判断して決めたことに文句はない」


 軽部麻呂は不承不承といった様子でそう言うが、行武も在地官人たちが犯した罪は分かっている。

 彼らが曲がり形にも国司の命令を受け、苛税を課し、人を掠って売り、数々の悪政を国司の名の下に実行したのだ。

 いくら権限が無く、また国司に付随し、命令を聞いて実行するだけの官吏とは言え、人であるならば、事の善悪は分かるはずだ。

 それを悪と理解していながら、彼らは数々の施策を実行したのである。

 罪が無いという訳にはいかない。


「無論、ただでは許さぬ。大熊手力彦とやらよ、分かっておろうな?」


 行武が再び向き直って声を発すると、手力彦は唇を噛み締めて顔を上げる。


「はっ」

「お主ら全員を当分の間、半分之減俸はんぶんのげんぽうと致す。更には東先道国司の行った悪行の洗い出し、そして売り払われた人々の探索と確保を命じるわい」

「……!つ、謹んでお受け致しますっ」


 苦しげに答える手力彦。

 後ろに控えて平伏し続ける官吏達の中にも身じろぎする者がいる。

 しかし、それ以上の行動は無く、不満を漏らす者も出なかった。

 彼ら地方官人がその意思の有無とは別に悪行に荷担していたのは事実であり、実際行武の今までの行動原理からすれば処断されてもおかしくない。

 地方官人達は、寝返りの代償に自分達や家族の生命や身体の保証と共に財産の補償も求めていたが、俸給は彼らの財産では無い。


 俸給が半分になってしまえば彼らの生活に影響が出かねないが、行武は揺曳衆を使って地方官人達が国司の悪行に便乗し、多かれ少なかれ蓄財していることを掴んでいた。

 行武は彼らが不正に行った蓄財分を吐き出すまで、減俸を続けるつもりだ。


「そして官吏を辞めることも許さぬ」

「は、ははっ!」


 考えを行武に見透かされ、厳しい言葉を厳しい表情で打込まれた官吏達の肩が震える。

 しかし行武はそこでふっと笑み浮かべて言葉を継いだ。


「但し!今までの所行を悔い改め、不正に溜め込んだ物を返納するのであれば減俸の短縮を行うこととする……よく考える事じゃ」

「……承知致しましてございます」

「「御寛大な処置を賜り、有り難き幸せにございます……」」


 手力彦の返事に合わせ、官吏達が悄然とした様子で行武に礼の言葉を述べるのだった。


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