40話 暗闘2
「ほう、短文で宣せられると何とも言えぬ迫力があるの。而してお主の訛りは八威族のようであるが、そこはかとなく弁国之風でもあるの」
「……ドコマデシッテイル?」
行武の答えに、何人かの影達の殺気が膨れ上がる。
しかし真正面から殺気を当てられた行武は、全く表情も様子も変えずに言い返した。
「まず、お主らが八威族でありながら、弁国とも繋がりがあるというのは今知れたわい。まあ、元々は同じ系統の者共であるからの、不思議ではないか」
行武の言うとおり、八威族と弁国は同系統の民族である。
東方に渡って東方大陸の政治的、文化的な影響を受けて弁国を興した一派と、西方で蛮習を捨てず、自分達独自の文化を保持したままの者達が八威族であり、更にその八威族の一派が遠い昔に瑞穂の島々に渡ってきたのだ。
元々瑞穂之島々に居た和族や隼人族、夷族と相争い、時には交わり、更に宥和したりして瑞穂国の最北の地に定着してきたのだが、その乱暴さはしかしながら群を抜いており、瑞穂国の朝廷が成立してから、その威に服した隼人族や夷族とは異なり、独自の勢力を保ち続けている。
そう言った背景を持つが故に、八威族の言葉と弁国の言葉はほぼ同じものであり、その発音や瑞穂之言葉を話した際に出る特徴も似てはいるのであるが、それでもやはり違うものは違う。
ましてやその言葉を聞いたのは、若い頃には弁国にも渡ったことのある行武である。
だからこそ、八威族訛りでありながらも弁国の僅かな臭いを感じ取る事が出来たのだ。
「さて、洗い浚い話しては貰いたいところじゃが、何分その方ら頭数は多い故にな、加えてここを抜かれるわけには行かぬからして、手加減は致さぬ」
言葉が終わると同時にごく自然な動きで矢を放つ行武。
それは先頭の八威族の男が全く警戒することも出来ない程ごく自然に行われた。
伏せていた男達が立て続けに射貫かれ、呻き声すら発することも出来ずに3名の影が事切れる。
そしてそれを見て恐怖心を募らせ、見境無く背を向けて逃げ出した内の更に2名が背中から心之臓を射貫かれ、もがくようにして倒れ、水田の泥を跳ね上げた。
静かに波紋が広がり、田の縁でさざ波となって跳ね返り、先頭の男の足下に届く。
つっと額から冷や汗を流した先頭の男の間近を何かが通り過ぎた。
汗とは別の生ぬるい液体がこめかみから流れ出し、頬骨と顎を伝って水田へと落ちる。
かなさびの臭いが僅かに届き、男は自分の間近を行武の矢が通り過ぎた事を知った。
ばしゃり。
また背を向けて逃げようとした仲間が、無残にも脇腹を射貫かれて倒れたのだ。
あっという間に半分の人数となった影達。
彼らは最早恐怖しか感じていない。
理不尽な復讐心をたぎらせ、その暗い怒りや怨みを弱きものにぶつけて蹂躙し、全ての欲望を満たそうと考えて行動していた、意気盛んな八威族はそこには既におらず、並んでいるのは何とかしてこの場を逃げだそうと恐怖心の中考えている、卑怯で浅ましい獣だけであった。
「降参せい」
冷厳であったが、命が助かる可能性のあるその言葉を行武から聞いた途端、弾かれるようにして逃げ出す5つの影。
行武の殺気が緩んだと勘違いし、不意を突いて逃げようと考えたのだ。
更にそれに便乗して4名が走る。
「わしは降参せいと言うたのじゃ、逃げよとは言うておらぬ」
ぱぱぱぱぱぱぱ ぱぱぱぱ
軽い、しかし恐怖しか感じられない音が鳴り響き、一続きの長い風切り音が宙を割く。
身じろぎすら出来ない状況でありながらも、それまで弓弦の音がほとんどしなかったことに気付き、先頭に居た男はぶるりと小さく震える。
瞬く間に逃げ出した5名がほぼ同時に倒れ、泥を跳ねさせ、水をしぶかせて息絶える。
そして、遅れて反対側に逃げ出した影も敢えなく頭を相次いで射貫かれて絶命。
併せて行武に忍び寄ろうとしていた2人が更に胸と腹を射貫かれた。
びいんと弓弦の余韻を残しながら、行武が2本の矢を手に先頭の男へと歩み寄る。
何時しか大量の汗をしたたらせ、男は無言で立ち尽くすのみ。
本来なら飛び道具である弓矢を手に、敵に対して近付くことはしないものだが、行武は平然と近寄ってくる。
そして、無造作に左右に矢を放っては仲間を射殺す。
その隙を突こうと何度も身体を震わせる先頭の男だったが、それは隙の無い行武の所作にことごとく封じられ、焦りと汗だけが募っていた。
「ウ……グウッガアアッ!!」
破れかぶれにならざるを得なくなった先頭の男が行武に向かって躍り掛かるが、行武は涼しい顔で弓を何気ない動作で男の眉間に向けると、最小限の動きで矢を放った。
「死体を片付けておいてくれい」
頭目と思しき先頭にいた男の死体を見下ろし、そう言いながらその眉間から静かに矢を抜き取る行武に、人影が近付く。
「全員殺めてしまって……宜しかったのですか?」
行武が全ての影達……つまりは八威族の狼藉者達を射殺すと、どこからともなく揺曳衆が現れてそれぞれの死体を検分している。
その中で1人、烏麻呂だけが行武に近付き、そう問い掛けたのだ。
「ふむ、なかなかの者でな、手加減は致しかねた」
「……そうでございますか?」
「まあ、これだけの者じゃ、いたずらに捕らえておくのも骨が折れよう。せっかくわしを信じてくれた者達に無用な害を及ぼしかねぬような危ないことはしたくないしの。こんな危なっかしい連中は始末しておくに越したことはないわい」
疑問の声を上げた烏麻呂に、ふっと鼻で笑いつつ行武が答える。
そして、抜き取った矢を湿った地面に一旦突き立てると、その死体の懐を、弓の先端ではだけさせた。
簡素で粗悪な瑞穂国風の衣服が簡単に肌から剥がれる。
そして露わとなった死体の胸元に、何とも不気味な線形の入れ墨が顔を覗かせた。
そのまがまがしさに、烏麻呂が思わずうめきながら言葉を発する。
「これは……弁国の無頼がよく入れている刺墨でございますな」
「そのようじゃの、まあ、これだけでこの者らが真にはどこの手先であったか分かろうというものじゃ」
「これは一大事ではございませぬか……!」
そして、はだけさせた死体の衣服を元に戻すと、愕然とした表情で言う烏麻呂に、行武は平然とした顔で頷きながら言う。
「如何にも。しかしこのような場所で弁国の者共を見ることになろうとは、ちと面倒じゃのう。思うておったより動きが早まりそうじゃ」
油断無く矢筒に矢を戻しつつ、周囲の状況を見渡す行武。
拓いた田が静かに水を湛え、奔る八威族に追い散らされていた鈴虫やコオロギが落ち着きを取り戻して再び美声を響かせ始めている。
未だ完成には程遠い城柵を振り返り、短いため息を一つ吐くと、行武は静かに口を開く。
「乱が治まっておらぬ内に事を起こされては後手に回ってしまう。これで益々早めに北の乱は鎮定せねばならなくなったようじゃの」
そう言いつつ行武はつい何日か前の遣り取りを思い出していた。
数日前、梓弓城柵内の広場。
行武は砦の隅でツマグロやスジクロら元浮塵子の子供らと積み石当てをして遊んでいた猫芝に近付く。
その名のとおり、石積みに、手持ちの小さな石ころを投げ付けて当てる遊びだ。
おそらくは子供らが昼間拾い集めた石の一部を持ち寄って作ったであろう。
猫芝は何か怪しげな術を使ってズルをしたらしく、子供達から非難を浴びて閉口しているところへ行武がやって来たので、これ幸いと踵を返す。
「おっと、吾に用のある者が尋ね来たようじゃ、此度はここまでじゃの」
「ねこちゃんズルイ!」
「術は無しって前に言ったのに!」
「逃げるのっ!?」
浮塵子や夷族の子供達から非難の声が上がるが、それこそどこ吹く風、ひょいひょいといった足取りで猫芝が行武に近寄る。
「……良いのか?」
「子供との戯れよ、構わぬ。それより吾への用は何だ?」
しばし猫芝を見つめ、その後方でやいのやいのと声を上げる子供を眺める行武であったが、猫芝の態度が変わらないのを見て取り、諦めて言葉を発する。
「天気読みの意見を聞きたいのじゃ」
「おっほう?ようやく吾の値打ちが分かってきたようじゃのう~。全く、忍び返しの真似事ばかりさせおって。辟易しておったところじゃ」
行武の言葉に身体を弾ませて喜びながら応える猫芝。
しかし、行武は猫芝がこの藻塩潟の砦を度々離れては東先道の各地を放浪しているのを知っている。
それもこれも、猫芝が本来得意とする天気読みや地脈読み、水脈読みの術のためだ。
各地の土地柄を知り、地形を調べ、川や地下水を確認し、植物を調べることで気候や天気の様相を知る。
かつての陰陽師の仕事とは、そういうものであったのだ。
昨今の朝廷にあるように、文献をいじり回し、暦を作るだけの存在では無い。
貴族に物忌みや方違えを指導するのでは無く、農民に作付けの時期を知らせ、方法や作物の種別を助言し、凶作を避けるべく天気を読むのが本来の仕事であり、その役割なのだ。
井戸掘りの場所を調べ、水路を整備する際に地形を読み、堰造りを指導する。
人々に疫病避けの知識を授け、健康指導を行い、相談やもめ事を呪いの力を借りて解決するのが、あるべき姿だ。
それが何時しか朝廷に取り込まれた陰陽師は、変質し、民から切り離された。
農事や作事、防疫や衛生の知識は市井から失われ、呪術は朝廷の独占となる。
悪徳陰陽師が存在する以上、確かに統制や取り締まりは必要だが、それを取り上げてしまったことで朝廷は民人の生活を大いに縛り、窮させた。
やがて陰陽師も組織に染まり、腐敗が進んで今や朝廷の陰陽寮そのものが悪徳陰陽師の所行を平然と行っている。
怪しげな呪術に重きを置き、格式を造って高額な報酬を求め、その多寡によって成果を左右する。
未だ志の有る者もいるが、多勢に無勢と言った様相である。
やがて怪しげな占いがその大半を占め、まともな知識は継承されなくなるであろう。
しかし猫芝はそのかつての姿を保つ市井の陰陽師である。
「されば如何に読む?」
「今年の東先道一帯に天候不順は無さそうじゃ。加えて風向や海流、雲形に乱れは無い。よって作柄は普通よの。まあ、乱など無くて民人がきっちり耕作し、作物の面倒を能く見ておるならば、じゃがのう?」
その結論を得るまでに行った緻密な調査など、おくびにも出さないで行武の問いに淀みなく答える猫芝。
行武も猫芝の地道な努力を薄々知りつつ、問いを重ねる。
「ならば藻塩潟の地はどうじゃろうか?」
「ここか?ここ藻塩潟の近辺の開墾地は地味が薄い上に、しばらく人の手を離れおった故に、地脈と水脈が乱れておる。今年の収穫はそれ程見込めまい。少彦やお主の家宰めらが米を早々に諦めて蕎麦や雑穀に作付けを替えたのは見事よ。吾が口を出すまでも無かったわ。欲目を言えば、大豆を加え、紫雲英のタネを冬になったならば撒いておくべきじゃな。地味が肥える」
猫芝の回答を聞き、頷きながら更に行武が質問を重ねる。
「ふむ、なるほどの……では、ここより更に北の地は如何?」
その質問に少し虚を突かれたのか、一瞬黙って思案した猫芝だったが、それでも割合すぐに回答を出す。
「見てみぬと正確なところは分からぬ。ただ、ここより北となると八夷族の地か、あすこは天気が全くもって落ち着かぬ。麦作であろうが、それでも作柄は相当波があろう。それも、凶作に傾きがちじゃろ」
猫芝の回答を聞き、行武はしばらく思案してから頷いた。
「よく分かった。貴重な意見は誠に助かるわい」
「……まさか八夷族と事を構える気か?今の状態では無謀じゃぞ」
「こちらから仕掛ける気は無いわい」
「では、相手から仕掛けてくる徴候でもあるのかの?奴らは吾らがこの地に来たこともまだ気付いておらぬからして、その様な状況にはなさそうじゃ」
「それがそうもいかぬ、どうにも捕らえておった八夷族の狼藉者らを解き放った慮外者がおる」
「ふむ……まさか、国司共か?」
「わしらを襲うように言い含められていたようじゃが、全員が言うことを聞いてはおるまい。むしろ自分の部族に戻ってこの地のことを知らせた者もおると考えた方が自然じゃ。未だ防備が不完全ながらもここには穀物や財貨はそれなりにある。その方が実入りが良い」
「何と愚かな……八夷族なぞ利用しようとしても利用などしきれぬ。下手を打てば或鐶が馬で雪崩れ込んでくる羽目になるぞえ」
「わっはっは、まあ、生粋の蛮族だからの。約束なぞあって無きがごとし、文明の息吹など感じたことも無いような輩じゃものな、心配はよく分かる。しかもその後ろには弁国の影も見え隠れしておるわい」
快活な笑いの後でさも面白そうに語る行武に、猫芝は半眼で苦言めいた言葉を返す。
「老将よ、笑い事では無い、北の蛮夷共が弁国の意を受けて動けば、ただでは済まぬ」
「故に備えを怠らぬようにせねばならぬのよ」
行武の回答に、猫芝はしばらくその姿形に似合わぬ老成した格好であごに手を当てていたが、やがてうんうんと頷きながらにんまりと笑みを浮かべて言う。
「ふむふむ読めたぞ、吾に北の地へ行って探りを入れて欲しいのじゃな?」
「そうじゃ、済まぬが併せてその方の同族らに繋ぎを取って貰いたい」
行武の言葉に猫芝の表情が笑みのまま凍り付く。
そして、ぎりぎりと錆び付いた蝶番のような風情で首を傾げて、かすれた声を絞り出すようにして発した。
「な、何のことやら……」
「何を今更言うておる、お主が蕗下人である事などとうの昔に知れておるわい。如何にもわしを馬鹿にするにも程があろう?」
何とかごまかそうと試みた猫芝であったが、それをあっさりと切り、行武は更に言葉を継ぐ。
「ふらりと居なくなるのも繋ぎを取っていたからじゃろう?何、伝説にまでなっておる北の賢人部族とは予てより誼を通じたく思うておったのじゃ。其処許にも事情はあろうが、ここは曲げて頼まれてくれぬか?」
行武の真摯な言葉と態度に、暫し苦悩の表情でねじねじよじよじと身を悶えさせていた猫芝であったが、やがて頭を抱える。
「吾は放蕩者にして放浪者であるからの……一族とは疎遠と言えば疎遠なのじゃ」
「重々承知しておるわい」
「一族の長らがの、吾に梓弓の許へ参れというのでな、まあ、なんじゃ、そういうことじゃ」
「わしに探りを入れておったことかのう?まさかの罰を兼ねた仕業であったか」
「はう」
行武の鋭い指摘に、再び悶える猫芝。
しかし、最後は観念したのか、頭を抱えたまま小さな声で言う。
「……致し方あるまいの。但し協力が得られるか否かは分からぬからのっ」
「有り難し、恩に着るわい」
「ふん、その言、屹度違えるでないぞっ」
憤然とした様子ではあるが、どこか嬉しそうにそう言うと、猫芝は煙と共に広場から姿を消したのだった。
「済まぬが、弁国に渡り、海賊共の動向を探って貰いたい」
同じ日の夕方、行武は自室にマリオンを呼び、自分の依頼を淡々と告げる。
「今、この時の弁国海賊の動向ですか?」
しかしその依頼を聞いたマリオンは、不思議そうに首を傾げて問う。
「そうじゃ、反乱が起こってからここしばらくは商売にならなんだのじゃろう。大人しくしておったようじゃが、乱が鎮まりつつある故に、そろそろ動き出してもおかしゅうないのじゃ」
「そうでしたか……」
自分の説明に納得して頷くマリオンに、行武は更に言葉を継いだ。
「まあ、そこでじゃ。陰形術を使えるお主に探りを入れて貰いたいと思うての。加えて西方の者は弁国にも能く出張っておる。頼めるか?」
行武の言うとおり、西方帝国の商人や冒険家は、東方の各地にもやって来ており、門戸を閉ざす国は別として、容姿は非常に目立つがその存在に違和感は無いのだ。
むしろ隣国であるはずの瑞穂国の者の方が、弁国を訪うことが少なく目立ってしまう。
当然ながらマリオンはその事情も知っており、笑みを浮かべて答えた。
「ユキタケの頼みとあれば否やはありませぬ」
たおやかな笑みを浮かべるマリオンを見て、行武は済まなさそうな表情で言葉を継いだ。
「危険なことを頼んでばかりで済まぬのじゃが、最近山渦共が周囲をうろついておる。そろそろ仕掛けてきそうな勢いでの。わしもここから離れられぬ」
「猫芝殿は……また天気読みに出かけられているのですか?」
「まあそんなところかの」
マリオンのカマ掛けにも当然引っかからず、行武はそううそぶく。
少しの間、とぼけた顔を向けてくる行武の目をじっと見つめていたマリオンだったが、少し顔を赤らめてから咳払いし、こほこほとむせ込んでからの深呼吸。
返ってこれに呆れる行武を見て、更に顔を赤くしたマリオンが再度咳払いをしてからゆっくりと口を開いた。
「分かりました、私の一族の中で、弁国や大章国と行き来をしている者が居ます。その者を頼りましょう」
「そうか、それは頼もしいの、重ねて宜しく頼むわい」
行武の言葉に、マリオンは今度は余裕のある笑みを浮かべて頷いた。




