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37話 初夏の宴

 同時期、京府・大内裏、朝議の間


 季節のさわやかさとは異なり、いつになく重々しい雰囲気の朝議の間。

 そこには現役の貴族だけでなく、既に退官したものの散位として名簿にある者や、現在は官職を持たない有力な貴族達が集められている。

 ぬるい風の吹き流れる、朝議の間の中央。

 そこに座る前大王の葬儀と喪を済ませた大兄の王子こと現在の大王の前には、数通の書状が置かれていた。


 何れも、梓弓行武率いる征討軍の軍監である、薬研和人が送って寄越した物だ。

 玄墨久秀の連署があるのが少し気になるが、とにもかくにも重大な報告である事に間違いは無い。

 それを忌々しげに見つめるのは、左大臣硯石基家。

 和人は彼が期待した行武の落ち度や非違行為に関する報告ではなく、もっと重大で抜き差しならないほどの報告を送ってきたのである。


「東先道5か国に広がった夷族の反乱に、国司の逃亡……これはどう言うことか?何故このような惨事になるまで報告が上がってこなかったのだ?」


 現大王の至極真っ当な質問。

 そこには怒りも落胆もなく、ただただ今の事態を不思議に思う声色だけがある。

 大王の問いはごく当たり前の物であろう。

 遠く離れた北の辺地での出来事とはいえ、そこには国司がおり、政庁たる国衙がある。

 つまり、朝廷の出先機関がしっかりと存在しているのだ。

 それにも関わらず、征討軍の軍監がこの報告書を送ってくるまで、誰一人としてここまで反乱が広がっている事を知らず、朝廷に、もっと言えば大王に報告していなかったのである。


 基家は一族の硯石為高すずりいしためたかが一番最初に反乱が起った東先道・広浜国の国司であったのでその情報を掴んでいたが、一族の失態を隠そうと意図的に報告をしなかった。

 その間に、反乱は鎮静化すると高をくくっていたのである。

 しかし反乱が既に3年を経過し、納税が滞り始めた事を隠せずに事が前大王に露見し、その結果、梓弓行武が征討軍少将に抜擢されて北へ派遣されることになったのだ。


 その段階においても、基家は特に何の感慨も抱いていなかったのであるが、さすがに8か国に反乱が広がっているという事態を聞いては顔をしかめざるを得ない。

 それに加えて、久秀や和人の報告によれば、海賊の影に大章国と弁国が見え隠れしているという。

 今のところ両国とも表向きは通商と通信を平和裏に行い、瑞穂国と敢えて事を構えるような気配は無いが、隙を見せればどうなるか分からない。


 ましてや、まだ諸外国に知られてはいないが、瑞穂国の軍はほぼ機能していない状態である。

 本格的に戦を仕掛けられてしまえば、ひとたまりもない。

 それでも基家は戦争という選択肢を当初から否定していた。


「これは、行き違いでございましょう」

「行き違い?行き違いで3年も報告が滞り、反乱拡大の報告が全く届かない事に繋がるのか?弁国や大章国の威を借る賊徒が見え隠れするのか?」


 基家の言葉に、大王がさすがに不満も露わな表情で応じる。

 誰も彼も基家の説明には無理がある事を感じているのだが、それを面と向かって指摘出来るような勇気の持ち主はいない。


 唯一、反骨者の行武がいればそれを指摘したかも知れないが、彼の者は遠い北の辺地。

 しかもその報告を送ってきた軍監のいる軍を率いている。

 そして、基家にはもう一つ、目的がある。


「大王、今は報告の遅れを糾弾している場合ではございません。この広がった反乱をいかに抑え、他国の介入を防ぐかでございます」

「むう……」


 基家は巧みに、そして強引に話題を変える。

 確かに今は反乱への対処が先である事は間違い無い。

 その為に、この朝議が開かれているのである。


 しかし、大王に主導権を握らせてはならない。


 この国の方針や政策を決めるのは、最早大王では無いからだ。

 あくまでの文人貴族を主体とした貴族による朝議によって、政を進めるのである。

 大王はこの国の主権を象徴する立場に祭り上げる。

 基家の勢力と威を恐れる貴族達が何も発言をしない中、唸る大王を余所に基家は堂々と口を開いた。


「まずは弁国と大章国に詰問使を送り、沿岸を騒がす海賊の取り締まりを申し入れましょうぞ」

「それは無駄ではありませぬか?……第一、大章国や弁国が言う事を聞くかどうかも分かりませぬぞ?」


 外務卿の言橋多可麻呂ことはしのたかまろが恐る恐る応じる。

 海賊など本来なら武力討伐を行うべきで、わざわざ出身国相手に使者を送って取り締まりを要望するなど、弱腰以外の何物でもない。


 そもそもその内容であれば詰問使にもならない、ただの要望を伝える使者である。


 詰問使を送るのであれば、証拠ともなる海賊の船と首の1つや2つでも持参して威迫し、賠償や謝罪を求めるのが本来のやり方だろう。

 これでは自力で取り締まりが出来ないと言う事を、相手に知らせるのと同じだ。


「我が国は平和を希求しておるのだ、諸外国にそれが伝わらぬわけがない」


 基家はそれでも、まるで使者を送れば全て解決する、話をすれば海賊はいなくなると言わんばかりの口調だ。

 それを聞いて多可麻呂は何も言わずに黙礼して引き下がる。

 基家は満足そうにその姿を見終えると、懐疑的な表情をしている大王に顔を向ける。


「各地の著名な神殿に使者を送り、反乱鎮圧の祈祷をさせ、また陰陽寮に命じて怨敵調伏の祈祷を行わせましょう」

「……軍の編制や派遣は行わぬのか?」


 大王の尤もな意見であったが、基家は嘲笑するかのような笑みを浮かべて言う。


「その様なことに費やす無駄な費用はございませぬし、既に先の大王が梓弓行武を征討軍として派遣しております」

「しかし、梓弓少将に与えた権限こそ巡察使でもあるからして問題は無かろうが、預けた兵は広浜国の反乱のみを想定した数であろう?」

「必要ございませぬ、祈祷が上手くいけばいずれも収まりましょう」


 更に食い下がる大王であったが、基家は一向に応じない。

 それどころか、神々に対する祈祷で事は済むと言わんばかりの言い様だ。

 さすがに見かねた右大臣に昇進したばかりの斐紙大生形ひしのおおがたが口を開く。


「いや、いかに梓弓征討軍少将が巧者といえども僅か3000の兵で5か国は鎮圧出来まい。援軍の派遣を検討しては如何か?」

「先程も申したが大蔵に金がないのに、費用は如何する?斐紙右大臣が用立ててくれるというなら止めはせぬが?」

「うっ」


 基家は大生形が言葉に詰まるのを見て、すまし顔で周囲を見回す。


「他の皆様方にも申し上げる……大蔵からは既に軍兵に費やすべき金穀きんこくは失われておる。新たに軍を催し派遣するというのであれば、その費用の手当は申し出た者にして貰うから、そのつもりであられたい」


 これは暴論であろうが、基家の権勢に逆らえない貴族達は黙って頷く他ない。

 大王も、この事態を見て顔を青くする。

 最早この国を動かしているのは、大王でも、朝議でもないという事を遅まきながら思い知ったのだ。


「以上……北の辺地の反乱は梓弓の少将に任せ、その顛末を待ってから各分国の処置を行う事とする。大王、これで如何ですかな?」

「あ、ああ。良きに計らえ」

「では、これで朝議は終わりと致します」


 憮然とした様子の大王に諮ってから無理矢理宣言して朝議を強引に打ち切ると、基家はさっさと立ち上がってその場を後にする。

 それに一族にあたる貴族達が続き、やがて他の貴族達も退出すると、朝議の間には大王だけがぽつんと残されてしまうのだった。





 地虫の鳴く初夏の夜。


 京府の中でも有数の貴族街は、きらびやかな燈火に包まれていた。

 いつしか行武ら征討軍の面々が近坂国の峨々峠から見た光の正体は、贅を尽くした蝋燭や角灯によって照らし出された貴族の邸宅であった。

 その中でも一際広い面積と豪華な造りを誇る邸宅。

 それが今を謳歌する文人貴族の筆頭たる、硯石家のものである。


 広い庭には築山と大池、その中に作られた中島を中心として、各地の珍しかな木々や草花が植えられ、石畳や飛び石、石橋で結ばれている。

 邸宅には遣り水が配置され、目のみならず涼やかな水の流れる音でも涼を表わしていた。

 建物は紫檀製の濡れ縁、丹塗りの大柱、銀箔押しの蔀戸しとみど檜皮葺ひわだぶきの屋根を特徴とし、それが主殿である寝殿と呼ばれる建物を中心に廊下や渡殿と呼ばれる建物で連結されている。


 床は若干の高床式で、床面は板張りの上に畳敷き、更には毛氈が敷かれている。

 大陸諸国に比べれば質素で簡素な造りの邸宅だが、自然を楽しむという点においてはこれ以上ないくらい贅をこらして作られた建物。

 そんな邸宅の庭に面した大きな建物には、基家を中心に力のある文人貴族達が集まっていた。


 それはまるで朝議の間のような光景。


 基家を中心に左右に居並ぶ文人貴族達は、大王を中心に並ぶ朝議の配置とほぼ変わらない。

 ただ、彼らの目の前に置かれているのは、律令の帳簿でも、報告書でも、また政務に関する覚え書きでもなく、素焼の杯に注がれた酒と、豪華極まりない肴であった。

 海草や山菜の煮物、海魚や烏賊の干物、焼いた川魚、種々の乾果物、藻塩、猪や鹿の干肉、牛蘇、練焼菓子、葛団子、餅菓子などが漆塗りの器に取り分けられ、更に漆塗りの膳に、これまた漆塗りの箸と共に配されている。


 膳や器、箸に至るまで金箔や銀箔で装飾が施されており、その膳の中身と相まって、基家がどれ程の財力を持っているかがよく分かる。

 膳以外にも大章国から輸入された大皿には、その大章国の料理である米と野菜、鶏肉の油炒めが盛り付けられており、香ばしい薫りを漂わせていた。

 その大皿に添えられているのは、天楼国製の銀で出来た肉叉や匙。


 天井や梁に掛けられた同じ天楼国製の角灯も銀や金で出来ており、各人の脇に置かれた鉄製の燭台には、見事な象眼装飾が施されている。

 その宴の最中、基家が酒でわずかに赤くした顔をしかめて突然言った。


「そろそろ大王には交代して頂かなくてはならぬ」


 その言葉に、それまで賑やかに酒を振る舞い合い、料理の見事さを褒め称え、食器や邸宅の造りを見て感嘆していた貴族達の動きが固まった。


 静まり返る酒宴の場。


 基家は息を呑んで自分を見守っている貴族達に頓着する事なく、再度言う。


「大王にはそろそろ代わって頂こう……次代は神取王子かむとりおうじが良かろう」


 しんと静まり返った邸宅の宴の間に、遣り水の水音と、池の鯉が跳ねる水音のみが響く。

 ぞわりと生ぬるい風が燭台の火を揺らし、上座に座る基家の影を揺らす。

 誰もが耳を疑う発言。

 先の大王が亡くなって未だ半年も経たないうちに、現在の大王を代えると言う、その基家の重大発言を聞き、我が世の春を謳歌する文人貴族達は金縛りに遭ったように動けなくなってしまう。

 誰かが生唾を飲み込む音が遣り水の水音に重なる。

 それからしばらくして、下座に座っていた細身の若い貴族が静かな声色で問う。


「伯父上……それは、今の大王に後退位頂くという事でしょうか?それとも……?」


 そう言ったのは、硯石広家すずりいしのひろいえ

 薄い唇や細い一重まぶたの目、そしてその身体の薄さは酷薄さを体にして現している。

 灰色の束帯姿が、その不気味さと得体の知れ無さに一層拍車を掛けているが、基家は甥の1人であるこの広家の策や政務能力をことのほか買っていた。


 前大王崩御の際には、東園府とうえんふにて大章国だいしょうこくとの外務会議に出席していたため間に合わなかったが、基家は本来であればこの甥を連れて行武と対峙するべきだったと思っている。

 その秘蔵っ子たる広家の発言に、場にいた貴族達は顔を青くするが、基家は満足そうに笑みを浮かべて口を開いた。


「広家か……そうだな、やり方は色々あるだろう」

「……分かりました、それでは私に任せて頂けませぬか?」


 にいいっと口角を上げた広家に、基家は重々しく頷く。


「うむ、任せよう」

「はは、屹度ご期待に添うて見せましょう」


 柔らかな広家の返事に、基家はにんまりと笑みを返し、そのまま周囲で固唾を呑んでいる貴族達を見回した。

 それを見ていた貴族達は、自分達が既に基家の策謀に加えられてしまった事を悟り、青かった顔色を蒼白にする。


「さ、左大臣殿……っ」


 1人の貴族が辛うじて、喉の奥から絞り出す様にして声を上げようとするが、広家の冷ややかな一瞥を浴びて口を閉ざす。


「うむ、何かな?」


 基家の問い掛けに、だらだらと脂汗をかきながら下を向く貴族は、少し躊躇しながらも、基家の顔は見ずに口を開く。


「い、いえ……す、素晴らしい宴でございますな、こ、この酒も何と美味い事かっ」

「ほほほほ、喜んで頂けたようで何より……我らは一蓮托生、一味団結してこの瑞穂国をより良い国にしていかねばなりませぬからな。その際に合力を願いますぞ?」

「は、ははっ……は、た、確かに、う、承ってございます」


 その貴族が屈服したのを見て取り、基家は更に周囲の貴族へ声を掛ける。


「皆様方も是非この基家に力をお貸し頂きたい……何、悪いようには致しませぬぞ」


 その言葉に、居並んでいた貴族達は、全員が黙ったまま平伏する他ないのだった。


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