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31話 協約

 行武の放った言葉に、軽部麻呂達は黙り込んだ。


 日が昇り、気温が上がり始めると、周囲の露が蒸発して草いきれの勢いを増す。

 じりじりと蒸し上げるように立ち上り始めた熱気に汗を滲ませ、行武は立ったまま返答を待つ。

 怒りを耐えかねているような戦士達も、自分達が限界を迎えつつある事を自覚していた。

 病に倒れる者は多くなり、反乱を起こしてから3年が経つが、移動しつつ野外での寝泊まりでは落ち着いて生活することもままならず、子供も生まれていない。

 それに加えて、反乱に加わった者達の間では行武の言ったとおり、食糧不足が深刻化しつつある。

 狩りや採取で何とかしのいでいるが、取れる物は全て食い尽くしてしまうので保存食を作るまでは至っていない。


 このまま冬を迎えれば、早晩全員が飢え死にだ。


 昨年までは何とかそれまでの蓄えを費やしてそれこそ糊口をしのいだが、今年はそうはいかないであろうことは、夷族の主立った物全員が分かっている。

 そして、行武の言葉に嘘偽りが無い事も理解出来た。

 おそらく、この老少将は夷族を悪く扱うことは無いだろうが、この老少将を退場させた後、次にやって来る朝廷の将軍が同じような考えを持っているとは到底思えない。

 

 待っているのは、討伐という名の破滅だ。


 今まで散々自分達を苦しめた国司と同じ類いの人間がやって来ることは間違い無い。

 迷い、考える夷族の戦士や首領格の者達に、行武はそれまでの冷厳とした声色を一転させ、優しく、慈愛に満ちた声で微笑みと共にゆっくり、そして頷きながら諭すように言葉を発した。


「軽部麻呂よ……いや、者共聞け。わしに万事任せよ、悪いようにはせぬ」


 その台詞を聞き叛徒を率いる軽部麻呂は決心する。


「最早これまでだな」


 軽部麻呂が低く発した言葉に、戦士達が焦りも露わに色めき立った。


「ぞ、族長!何を言うのですかっ!?」

「これは朝廷の懐柔策に違いありません!従ったが最後、全員殺されてしまいますぞ!」

「朝廷のやり口は全く変わっておりません!卑怯千万!」

「お考え直し下さいっ、族長!!」

「ここまでやって朝廷に屈するわけにはいきません!」


 戦士達が口々にそう言いながら、自分の腰掛けていた丸太や大石から立ち上がり、軽部麻呂に詰め寄るが、軽部麻呂はむっつりと押し黙ったまま。

 その様子に業を煮やした戦士の1人が、きっと振り返って行武を睨み付けた。

 隆々と盛り上がった筋肉の上に狼の皮をたすき掛けにし、右頬に大きなカギ裂き傷のある30絡みの戦士は、髭面を真っ赤に染め上げて吼える。


「老いぼれがああ!族長をたぶらかしおって!!」

「止めろ、亜留支把あるしぱ!」


 軽部麻呂が声を掛ける間に、亜留支把と呼ばれた戦士長がずかずかと大股で行武に詰め寄ってくる。

 しかし、今度は一転して厳しい眼差しで行武は亜留支把を一喝した。


「おうよ!わしの言葉を甘言と断じ、一族が存亡の瀬戸際にある事を認めぬのであるからには、それなりの根拠があってのことじゃろうの、小僧!」

「な、何をっ!?」


 一瞬、その豪気に当てられた亜留支把が歩みを留めるが、次の瞬間には更に顔を赤くし、目を怒らせて歩みを早める。

 行武も負けじと立ち上がって身構える。

 亜留支把の言葉に挑発で応じた行武に、付いてきた雪麻呂が必死になって止める。


「お、おやめ下さい少将様っ、こ、殺されてしまいますっ!」

「おい、ウチの一番血の気が多い奴を前に妙なことを言うな、そっちのの言うとおり、殺されるぞ」


 流石の軽部麻呂も、それまで優しく言葉を発していた行武が突如その様な罵声に近い言葉を発したことに気圧されつつも窘め、周囲の戦士長達に指示を飛ばす。


「おい、亜留支把をとめろ」

「は、はあ……」


 しかし戦士長達が留めるよりも早く、ゆっくりと歩み始めた行武のせいもあって、2人は座の中央で向き合うこととなった。

 その姿が軽部麻呂の場所からも見て取れたが、行武は鎧の背を掴まれているにも関わらずまるで何も無いように進んでいるのを見て、驚く。


「朝廷のクソジジイが!」


 吼えたぐる亜留支把に、行武は手で雪麻呂を後方へ押し出して離れるように目で合図をすると、正面に覆い被さるようにして立つ亜留支把を見上げて言葉を返す。


「糞を漏らすほど耄碌しとらんが、まあ漏らしたら記念として小僧に進呈してやろう。無論、わしのクソまみれの下履きごとじゃがのう」

「ぬがあっ!!」


 馬鹿にされたことで、それまでの遣り取りでも相当頭に来ていた亜留支把は、簡単に激高する。

 そして、力任せにいきなり両手で行武の肩鎧で覆われた部分へと掴みかかった亜留支把だったが、次の瞬間、ひょいと半回転した行武にその手を敢えなく外された。


「うがっ!?」

「まだまだ青いのう」


 そして交差した腕を下から担ぎ上げられ、そのまま関節を逆に決められた亜留支把は、ぐっと前傾姿勢になった行武に地面へと勢い良く背中から叩き付けられる。

 ドンッという鈍い音が軽い震動と共に響き、受け身も取れないまま亜留支把は昏倒した。

 大の字に倒れる亜留支把を目の前にして、戦士長達が息を呑む。

 上古の時代より受け継がれし、相撲格技。

 それを正しく伝承する、梓弓行武の妙技に戦士達が度肝を抜かれ、怖気を振るう。


「……良い度胸だ。正に“あの”梓弓よな」


 敵陣のど真ん中で戦士長の1人を苦も無く捻り倒した行武に、思わず軽部麻呂がそう声を掛けると、行武は汗一つかかずに朗らかな笑いと共に答える。


「はっはっは、まあ余興はこれくらいで良いじゃろう」

「……余興だと」

「あの組み討ち術の妙技を……余興とな?」


 行武の言葉に、戦士長達が恐怖に似た畏敬の念を抱いている最中、力なく舌を出して目を回している亜留支把の上半身を抱え起こし、背中に活を入れて蘇生させてやる行武。


「ぐうう……はっ?」


 正体を取り戻し、何が起こったか把握しきれないまま周囲をきょろきょろと見回す亜留支把の肩を叩く行武。

 後ろに首を回し、自分の肩を叩いたのが他ならぬ自分が掴みかかった行武である事を見て取った亜留支把が、大いに狼狽える。

 それを見た行武は笑みを浮かべてその肩を再度叩いて告げた。


「頭は冷えたかの?その勢いは今しばらくためておくが良い。発揮する機会はいずれやって来るじゃろうからの」


 脇をすくい上げ、未だふらついている亜留支把あるしぱを立たせてやり、その尻をぽんと叩いて軽部麻呂のいる方へ押し出す。

 毒気をすっかり抜かれてしまった亜留支把が、元の大石に腰掛けると同時に戦士長達もそれぞれの位置へと戻る。


「大長の軽部麻呂殿よ、如何に致すのじゃ?」


 腰の長剣を背後の雪麻呂に預け、兜を取りながら言う行武に、それまで身構えていた夷族の面々も毒気を抜かれてしまう。

 軽部麻呂も目を丸くしていたが、どっかりと大石に腰掛けた行武を見て絶句する。


「どうしたんじゃ?」

「……大した爺だ。戦士を1人苦も無く捻って話し合いか?朝廷が芋虫毛虫より嫌いな連中のど真ん中で言える台詞では無い」


 不思議そうに見上げる行武に軽部麻呂が言う。

 しかし行武は緊張している雪麻呂を見て安心させるように振り返って頷いてやると、少し眉を上げてから軽部麻呂に近付き、口を開く。


「まあ、それはお主らが話せば分かる者達じゃということを知っておるからのう」

「ほう?」


 行武の言葉に、軽部麻呂だけで無く戦士長や雪麻呂も目を丸くする。

 そんな彼らを尻目に、行武はそれまでとは打って変わって真剣な表情で言う。


「……それはそうと、先程言うた通り、反乱はそろそろ止めにせんか?」

「寝言は寝て言えじじい、と言いたいところだ」


 怒りも露わに吐き捨てるかのように応じる軽部麻呂。

 苛税を課したのみならず、税が払えないとなると夷族の女や子供達を税代わりに攫ったのが今回の反乱の発端である。

 しかし、行武の言うとおり、彼ら反乱に加わった夷族にも限界が近い。

ここら辺で何か落としどころを見つけて反乱を止めにしなければ、それこそ全滅だ。

 その思いは、周囲の夷族の者達も同様であろう。

 雪麻呂が緊張と恐怖で身を固める中、軽部麻呂に対し行武はにやりと笑みを向けて言った。


「反乱に至る事情は聞いて知っておる、なあに硯石の阿呆はわしが責任持って罷免してやるわい。税も今年は免除するし、今後一切税を余分に取ることはせぬ、どうじゃ?」


 行武の言葉にそれまで殺気立っていた夷族の族民達の中にざわめきが広がる。

 今まで朝廷は反乱には容赦せず、降伏したとしても主だった者達の処刑は必ずしてきた。

 しかし行武は一切の責めは負わせないと言う。


 しかも国司の出した命令を一部緩和するとも言っているだけでなく、その国司本人を辞めさせると言うことは、反乱勃発の非が国司にあった事を認めた事になる。

 望外の条件に、自分の首を差し出す覚悟をしていた軽部麻呂も戸惑った。


「俺たちが焼いた村はどうする、お咎め無しにするのか?」

「おうよ、焼け出された民は村へ戻す。お主達も自分の村に戻って焼いたものを再建するも良し、わしに従って城柵に移住するも良し、新たに村を開くも良し、好きにすれば良かろう。叛徒は大王の威光に恐れおののいて北へ逃げ散ったとか、わしが成敗したとかでも構わぬ。まあ、その辺は適当に報告しておくわい」

「適当、だと……?」

「叛徒は死んだり逃げ散ったりしたことにして、全員新たに戸籍を設けてやるわ。さすれば叛徒なぞどこにも居らぬようになる」


 行武の言葉に脱力する軽部麻呂。

 どうもこの老少将と話していると、自分の考えをかき乱される。

 それもこれも、今まで自分が付き合ってきた朝廷の人間とは全く性質が異なるからである事は、言を待たない。

 軽部麻呂は、いずれにしてもこの老少将との短い期間の遣り取りで、その人となりを知ったような気がした。


 悪意は無い。


 おそらく、自分達を徹底的に痛めつけるような討伐も企図していない。

 そして、少なくとも東先道での反乱については、朝廷を良い方向へ欺こうとしている。

 朝廷の現在の高位高官達とは折合いが悪いのも本当だろう。


「老少将、ここへは左遷か?」

「まあそうとも言うのう。わしは今の権力者共からすれば煙たい存在じゃが、同時に取るに足らない者でもある。しかしながら、武略に於いては利用価値もあるのじゃろう。故にこの反乱に対処させるには適任なのじゃ」

「ふむ……」


 カマを掛けたつもりが、洗いざらい喋る行武に驚く軽部麻呂。

 ここまであけすけに内情を話されるとは思っていなかったので、ちょっと慌てて得られた情報を整理すれば、要するに、朝廷は行武にとっても決して本当の意味での味方では無いと言うことなのだろう。


「まあ、この反乱を抑えるようわしに命じたのは前大王じゃが……」


 行武の悲しみに満ちたつぶやきは、しかし誰にも聞かれることは無かった。

 行武の少し沈んだ様子を訝った雪麻呂が、その背を心配そうに見つめる。

 その後、軽部麻呂が思案しているのを見て取った行武は、笑顔を浮かべて言葉を継ぐ。


「わしは煩い事は言わん、反乱が終息したという実があれば良い……まあさっき言った通り、わしがしくじれば新しい征討軍がやって来て、今度こそこの周囲のみならず、東先道を焼け野原にして、夷族を根絶やしにしてしまうじゃろう……これは脅しにあらず!」


 行武の力のこもった言葉に、暫し思案を続ける軽部麻呂。

 反乱の継続は限界に近付きつつあり、またその無意味な終息は何も夷族にもたらさない。

 今、行武の言葉に従えば、生活が落ち着くまで、しばらくの期間は援助もして貰えるし、反乱そのものに対する罪も問わないという。

 戦士長達も強がってはいるが、本当は反乱の終了を願っているのは明らかで、行武の言葉を食い入るように聞いている戦士長も1人や2人では無い。


 殺されたり、掠われてしまった家族を思えば、今ここで全てを無かったことにしてしまうのは悔やまれるし、当然ながら家族を奪われた者達にはいい知れない憤りもある。

 しかし行武の言葉に乗らねば、このまま全滅を待つばかりだ。

 周囲の戦士長達が固唾を呑んで成り行きを見守る中、しばらく悩んだ後、周囲の反応を確かめつつ軽部麻呂は頷いて言った。 


「……分かった、老少将に賭けてみよう」

「あい分かった!万事わしに任せておけい!」


 軽部麻呂の発した決断の言葉を聞いた行武は、笑顔でぱんと膝を手で叩いて、力強く、そして朗らかに応じるのだった。









 近くにいては流石に気取られる恐れがあるので、マリオンと猫芝の2人は少し離れた樹上から行武と軽部麻呂の会談を見守っていたが、緊張が解け、行武と雪麻呂が帰り支度をし始める様子を見て取り、その会談が成功したことを察したのだ。


「やれやれ、何とか無事に済んだことよ」


 会話の内容までは分からないが、何らかの合意に至った様子は分かる。

 行武が示した方針通りに合意が成立したのであれば、最早危険は無い。

 夷族達も集まっていた戦士達が緊張を解いて三々五々散っている。

 安堵のため息を漏らした猫芝に、マリオンはきらりと目を光らせて応じた。


「……そうですね。これでユキタケは再び力を得る切っ掛けを得ました」

「お主、何を考えておる?」


 言葉に些か不穏なものを感じた猫芝が目付きを険しくして問うが、微笑みを浮かべて言葉を継ぐマリオン。


「特に何も……強いて言えばユキタケの栄達、でしょうか」

「ふん、気に喰わぬ女よ」


 2人にとって当たり障りの無い回答に、鼻を鳴らす猫芝だったが、目を細くしてマリオンが言う。


「……それはお互い様でしょう」


 ふんとそっぽを向き、2人はそれぞれの術を発動し、樹上から砦へと戻る行武の後を追うのだった。



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