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27話 悩める納税人足達


 地虫の鳴く深夜。

 月も出ない真っ暗闇の中、梓弓城柵あずさゆみのじょうさくでは、納税人足達が国兵や行武ら征討軍の主立った者達に分からないように集まっていた。

 上手く宿直番とのいばんの時間を調整して国兵達や行武らが全員休む時間を作り出し、城柵の倉庫へと主立った者達が集まったのだ。

 集まったのは

   納税人足の顔役でもある、山下麻呂さんかまろ

   西藤郡さいとうぐんの郡司に縁のある、雪麻呂ゆきまろ

   藤東郡とうどうぐんの郡司の縁者である柴彦しばひこ

   国府である天藤周辺の有力者の係累、佐家之介さやのすけ

   北苑郡ほくえんぐん出身の遙賀彦はるがひこ

   千坂郡せんばんぐん出身の奈津佳麻呂なつかまろ

   音浜郡の郡司の縁者の阿津多介あつたすけ

である。


 彼らはあまり荷物の入っていない倉庫の中に次々と滑り込むようにして入ると、最後に雪麻呂がその扉をゆっくり閉めた。

 息を殺し、暗闇の中で互いの目を探り合う納税人足達。

 彼らは車座になり、静かに固い床板へ腰を下ろす。

 しばらくして、山下麻呂が火種を使って燭台の蝋燭に明かりを灯す。

 小さな、しかししっかりとした明かりが彼らの中心から発せられ、それぞれの緊張した面持ちを浮き立たせる。

 全員が集まった事を確認するためその顔を見回してから、山下麻呂がおもむろに口を開いた。


「……広浜夷族ひろはまいぞく大長おおおさ軽部麻呂様かるべまろさまから、俺たち宛に使者が来た」


 その言葉に反応して、誰かが生唾を飲む音が大きく響く。

 軽部麻呂は、夷族の中でも早い段階で朝廷に従った一族、広浜夷族の族長だ。

 しかし今回の反乱では真っ先に一族を率いて森にこもって兵を挙げ、その後郡司や国府を襲うなど主導的な役割を果たしている。

 一旦は東先道の夷族反乱を糾合して大勢力となったが、国府襲撃に失敗してからはそれを解散させて、各地での反乱に切り替えて抵抗を続けている、正に反乱の首謀者だ。

 山下麻呂を始めとして、今回行武の世話になった納税人足達も、全員が一族の大本を辿れば夷族に行き着く。


 これは何も特別なことではなく、東先道全体に言えることなのだが、東先道に住まう民はそのほとんどが夷族に由来を持つ者達だからである。

 ただ、生粋の夷族と何が違うかと言えば、彼らは朝廷からの文化や生活様式を積極的に受け入れ、部族から離れ、朝廷の作成する戸籍に自分を登録したと言うだけのことだ。

 中には夷族と朝廷が派遣した開拓農民の間に生まれた子供達もいる。


 しかし、かれらとて夷族の一員である事には違いない。


 反乱が起こる前に納税人足として京府に上っただけのことで、それが無ければそのほとんどが反乱に参加していたはずの者ばかりなのだ。

 そんな彼らに征討軍の到着を知った軽部麻呂が、早速連絡を取ってきたのである。


「……正直言って、少将様に敵対する気持ちは無いのだけども」


 真っ先にそう言った雪麻呂を、周囲の者が苦しそうな表情で見る。

 確かに行武は夷族、つまりは自分達の同族や家族、同じ村に住む者達を成敗にやって来た朝廷の将軍だ。

 しかしながら、彼らが全員揃って京府での悲惨な生活を脱しここまで無事にやって来られたのは、他ならぬ行武の多大なる尽力のお陰である。

 もし行武がいなければ、京府で弾正台の兵に追討を受けるか、捕縛されて刑死するか、はたまた京府かその周辺でのたれ死にしていたに違いないのだ。


 そんな運命を救われたばかりか、形は征討軍の兵士としてではあるものの、行武は故郷まで連れ帰って来てくれたのである。

あと一息で家族に会える者達も多く、その恩を思えばとても反乱に荷担するような行為は出来ない。

 軽部麻呂は表向きは彼ら納税人足の苦労をねぎらい、帰郷を喜んでいるという趣旨の伝言を送ってきたが、その意図するところは明らかだ。


 要するに、征討軍の内実を知りたいのであろう。


 小勢である事や、藻塩潟に砦を築いて行武が兵ごと引き籠もっていること、また広浜国出身の者が兵となっていることは、既に手の者を使って知っているのだろう。

 でなければ、納税人足達に繋ぎを付けるような真似は出来ない。

 納税人足達の係累や家族、知り合いや一族を使って繋ぎを付けてきたのも、情に訴えるために違いなく、軽部麻呂が行武の情報を欲していることを示している。


 しかし、彼ら納税人足が行武から受けた恩は、くどいようだが大き過ぎる。

 決してあっさりと切ってしまえるようなものでは無い。

 それに加えて、閑職に長年追いやられ大きな闇を抱えているはずなのに、あくまでも気さくで朗らかなあの老少将の人柄に触れ、彼らは全員が行武の事を信用し、信頼し、そして心から敬服、敬愛するようになっていた。


 そんな彼らは、一族の大首長からの要請と、行武に対する忠誠と敬愛、恩によって板挟みとなってしまっているのである。

 それ故に、山下麻呂は納税人足達の今後の方針を定めるべく、主立った者を集めて相談する機会を設けたのだ。


「行武様も、所詮は朝廷の人間だ……情報は渡すべきだと思う」

「おい!それじゃあ行武様が軽部麻呂様に攻め殺されても良いというのかっ!?」


 佐家之介が、その根暗そうな顔そのままの声でぼそぼそと下を向いたまま言うと、元気の良い赤ら顔の遙賀彦が噛み付く様に反発の言葉を発した。


「……そうは言っていない」

「じゃあどういうことだ!」

「まてまて、待てって!ケンカするためにおめえらを呼んだわけじゃねえぞ?それに遙賀彦、おめえは声が大きい、国兵に気付かれっちまうだろうが」


 掴み合いになりそうになった佐家之介と遙賀彦を山下麻呂が強く窘める。

 2人はぐっと互いを睨み付けるが、それでお互いに身を引いた。


「それで無くとも猫芝なんて怪しげな妖術師やマリオンなんていう西方天狗も少将様の近くにいるんだぞ、気を付けろ」


 山下麻呂の叱責めいた言葉に、渋々頷く2人。

 しかし、彼ら2人の対立はこの場に集まった者達の内面を見事に現した。

 軽部麻呂に協力して、征討軍の情報を渡して内部攪乱を行うか。

 行武にこのまま従って、征討軍として振る舞い続けるか。


 再びの沈黙が降りる。


 雪麻呂はそれ以上騒ぎが起こらなかったことにほっと胸をなで下ろすと、黙り込んだ周囲の者達を見回してから口を開く。


「……少将様が困るのは、嫌だな」


 雪麻呂の何気なく発した言葉を聞いた一同は、静かに頷く。

 この場にいる誰も、行武が殺されたり捕らえられることを望んでいるわけでは無いのだ。

 恩人を苦況に陥れるような真似もしたくない。

 実際問題、行武の率いている戦力となり得る兵は、わずか100人ほど。

 軽部麻呂が直接率いているのは、生粋の戦士だけを数えても1000を遙かに超える。

 族民は全員が戦士となり得るので、全部を合わせれば兵として使える人数は1万を超えるかも知れない。


 行武にどんな意図があってこのような小勢で敵地となっている東先道へ入ったのかは分からないが、最初から夷族の大反乱に対して勝ち目など無いのだ。

 本気で武力鎮圧を意図するならば、かつてこの地を征服した時のように数万の国兵が必要になるだろう。

 しかしながら、今の朝廷にその意思はない。

 このまま山下麻呂らが征討軍の内情を知らせれば軽部麻呂が攻勢に出るのは間違い無いことで、それはすなわち征討軍の壊滅と行武の死を意味する。


 どんよりとした重い空気が沈黙を誘い、場を支配する。


 蝋燭の光がどこからともなく入ってきた隙間風に揺らぎ、地虫の声が沈黙と入れ替わる。

 しばらくしてから年配の男、奈津佳麻呂が困ったように言った。


「でもなあ、相手はあの軽部麻呂様だ。内情を知らせろと言われれば、断ることは出来ないぞ?」


 確かに、軽部麻呂も蔑ろにしてよい人物では無い。

 この広浜に住まう夷族を代々纏めてきた大族長の家系の者である。

 軽部麻呂からの要請を無碍に扱えば、禍根を残すどころか、今後広浜国での生活が出来なくなってしまうかも知れない。

 ある意味、国司など足下にも及ばない権力を持っているのだ。

 夷族に連なる者である限り、大族長の権威を無視するなどという事は出来ない。


 再び沈黙が場を支配する。


 ゆらりと蝋燭の火が揺らぎ、瞬くと、今度は少し強い隙間風が吹いた。

 その風に紛れ、山下麻呂達が集まる空き倉庫の床下から黒い影が闇の中に消える。

 しかし、山下麻呂達はその影に気付くこと無く、夜遅くを通り越して翌早朝まで議論を重ねることになったのだった





 その人影は、建物や樹木の影を巧みに利用し、時には歩哨や巡回の兵をやり過ごして梓弓城柵の中をじぐざぐに奔る。

 やがて人影の正面に見えてきたのは、この城柵の主郭ともなるべく設計、建築された建物だ。

 影が風と闇に紛れて走りその主郭の外壁に飛び移ると、丸太や板材を組み合わせている垂直の壁を苦にすること無くするすると登り上がる。

 そして、油燈火を頼りに書き物をしていた行武の居る部屋へするりと入り込んだ。


「どうであった?」


 その影に振り返りもせずに問う行武は、簡素な筵を敷き、あり合わせの材木で作られた辛うじて平坦な形をしている座卓の前にいる。

 正座して右手で筆を持つ行武の視線は、書き物、すなわち作成中の征討軍の正式な報告書とそれを紡ぐ自分の手元に注がれたままだ。

 淀みなくすらりすらりと軽やかな音を立てて筆が巻き紙の上を滑り、その筆先から流麗な真字まなが黒々と生み出されていく。

 行武の行動をしばらく陶然とした様子で見惚れていた影は、筆の音が途切れたところでようやく、しかしゆっくりと言葉を発した。


「……ユキタケの睨んだとおり、納税人足達はこの地の首領と連絡を取り合っている様子でした。まあ、反乱や内通とまではいかない様子ですけどもね」

「なるほどのう、まあ、そんなところか。まず首領どもも長年故郷を離れておった者共をすぐには信用すまい。征討軍の内情が知れれば良し、といったところじゃな」

「その他に接触を持っている者はいない様子ですが……何を気にしているのですか?」

「ふむ」


 ゆっくりと近寄ってくる影、マリオンに向かってそう言うと、行武はようやく筆を止めて向き直る。

 そして、手にしていた筆を硯の上にゆっくりと置いた。

 かたりと軽い音がする。

 しめやかに、そしてほのかに周囲を照らす油燈火の光。

 マリオンの美しい金髪が、身に付けていた影装束のフードからはらりとこぼれ落ちた。

 行武の黒い瞳がマリオンの青い瞳を捕らえると、柔和な笑みがゆるゆるとその表情に上り、労いの言葉が紡がれる。


「それより何時も済まぬの、よくよく助かるわい」

「ユキタケ、私は……その様な言葉が欲しくて力を貸しているわけでは無いのですよ」


 その言葉に首を左右に振ると、マリオンは泣き笑いの表情で熱っぽく言い募った。


「私は……」

「何じゃ、この女狐は。吾もおるのじゃ。いかな西方天狗といえども妙なさかり方をするので無いわ。見苦しい」


 更に言葉を継いで行武に近付こうとしたところで、その横合いの影から不機嫌そうな声が飛んだ。


「あ、あ、あなたがなぜここにっ?」

「吾も奴らを探っておったのじゃ。尤も、吾が受け持ったのは外の奴輩やつばらじゃがな」


猫芝が影から現れると、マリオンと反対側へ回り、その頭巾付外套フードの影から不審感一杯の視線を向けて牽制すると、行武に顔の向きは変えずに言う。


「外の奴輩めも夷族じゃ。他に糸を引いていそうな者はおらぬようじゃぞ」

「ふむ、気の回し過ぎであったかの」


 猫芝の報告に少しほっと私様子で応じる行武。


「先程も問いましたが……ユキタケはまさか西や東の介入を疑っているのですか?」


 マリオンが驚きながら問い掛けると、行武は神妙な面持ちで答えた。


「まず、五分五分かと思うておった。反乱を誘発させたか、あるいは起こった反乱に乗じるか。いずれにしてもこの国は豊かでありながら極めて弱い。隙があれば付け入ろうとするじゃろうの。まあ、ひょっとしたらわしらの動きが早過ぎた故に、身動きが取れなくなったのやもしれぬが」


 国軍がほぼ解体されたような状況にあるとは言え、一応の軍事力としての国兵は維持されており、かつて西や東で暴れ回った行武らが活躍した時代の瑞穂国の威勢や軍事能力を諸国は忘れていない。

 故に、いきなり攻め込まれるようなことは無いのだが、最近の瑞穂国の政情を探れば、かつての力を既に失っていることは簡単に気付かれる。

 その際に諸外国が食指を伸ばそうと考えたとしても、不思議では無い。

 ましてや、今現在反乱が起こっているのだ。

 大王も代替わりしたばかりであり、付け入る隙は大いに存在している。


「まあ、わしの名前が少しは役に立つやも知れぬ。西や東の大陸に南の海で暴れた梓弓の名が征討軍に在るとなれば、諸外国は身構えるであろうからの」

「そうですね……って、私の用件はそうではなくっ?」


 真面目な声色で語る行武に釣られて一旦は頷いたマリオンだったが、自分の目的を思い出して我に返る。

 しかし、行武の傍らで胡乱げな目を向け続けていた猫芝に改めて気付き、大いに怯む。


「うぬぬぬ……まだっ、機会はありますっ、今日はこの辺でっ」

「無いわ。もう来るな。西へ帰れ」

「お黙りなさいっ!私は帰りませんっ」


 猫芝の言葉に捨て台詞を残し、顔を真っ赤にしてマリオンは風と共に姿を隠した。

 マリオンが去ると、行武は曖昧な笑みを浮かべて猫芝を見る。


ぬしも気を付け……というか、気付いておろうな。まず吾奴、本気じゃぞ?」

「ふむ、まあ、のう」

「哀れな天狗じゃ、人の男子おのこに薄情よの」







 猫芝も去った後、行武は簡素な丸太製の文机を前にして胡座をかき、京府に居る時に取り寄せた広浜国や東先道諸国の地誌や行政記録を閲覧していた。

 かつて自分がこの地の征服に携わった頃と比べて、行政上はそれほど変わっているようには見えない。

 農地面積や米、粟、稗、麦など諸穀物の取れ高。

 狩猟で得られる干獣肉や毛皮。

 漁労で得られる干海草、烏賊や章魚、各種魚類、貝類の干物。

 野菜や果物、山菜などの収穫量。

 何れも数値上、そして記録上は増えていない。


「おかしいのう……わしがこの地に来た時よりむしろ減っておるわ。それでも租庸調の納め高の規定は然程変わっておらぬ」


 行武のつぶやいたとおり、広浜国に限って言えば生産高は減り、納税高は変わらずなのである。

 おかしな現象だが、行武はすぐにその理由に思い当たる。


「歴代の国司共が記録をごまかし、差額分をほしいままにむさぼっておったのじゃろうな」


 飢饉で取れ高が激減したり、豊作で収穫が倍増すること以外にも、毎年の微増減はあって然るべきだが、広浜国や東先道は余りにも収穫と納税が一定に過ぎるのだ。

 農業は人の業とはいえ、自然相手の作業に誤差や違いはあって然るべきであろう。

 しかし、徴税量が余りにも一定に過ぎることから、行武は改ざんを真っ先に思い浮かべる。

 これは意図的な記録操作が行われていることを如実に示している。

 元々東先道は朝廷が成立後、初めてに新たに手に入った領土であり、縁故貴族などの既得権益を持つ者がいない。


 行武ら武人貴族の手によって獲得されたこの領土は、大王の手によって運営され、その新たな収入源として期待されたのだが、他ならぬ行武の巻き込まれた政変によって分国の設置が行われ、国司派遣が領土編入の翌年から行われるようになった。

 それ以降は、文人貴族の草刈り場となり、彼らの財力獲得の源泉となってしまう。

 恐らく歴代の国司は、暗黙の了解で正確な記録を朝廷に提出せず、蓄財のため租庸調を徴税の名目で集めつつも、その相当量を自分達の懐に入れていたのだろう。

 見れば、東先道の国司の地位は、不自然なくらい有力な文人貴族のみで占められている。


 それも各家均等に、である。


 最近は硯石家が優越しているようだが、それでも一定期間は同じ文人貴族の他家に国司の位を譲っており、この地が文人貴族全てにとって重要な財源である事が知れた。

 木々が生い茂る深い森。

 清浄で清冽な水を湛えた湖や泉。

 広大な大地と、夏でも雪を抱く高山。

 鮭や鱒が豊富な大河の水はゆったりと大地を潤し、夏は短く冬が厳しく長いという四季には驚かされたものだった。

 そこに住まう人々は、荒々しくも素朴で純朴な夷族と呼ばれる民。

 朝廷支配下にある各種族とは違い、顔の造りがはっきりしており、そのせいもあるのか喜怒哀楽を素直に表わす。


 東先道の地に進出したのは、確かに豊かな大地を求めてのことだが、それは一方的な搾取によるとは想定していなかった。

 夷族の利用していない土地を開墾し、水を引き入れて田や畑を造り、夷族の狩猟や漁労採取物との交換貿易を行い、拠点となる町をいくつか作る。

 行武ら梓弓家の目指した東先道経営は、その様な物だった。

 しかし時代は移ろい、この地を制した武人貴族は朝廷での政争に敗れてすっかり力を失い、その結果逼塞してしまう。


 蝋燭の頼りない灯りの揺れる中、その光と影の中にかつてこの地を訪れた時の思い出を見ながら、行武は思う。

 自分が交わった人々の面影を追い、愛した女性の容姿と言葉を思う。

 自分達がこの地を征服したのは決して私利私欲からでは無かったはずだが、いつの間にか目的とその主体がすり替わってしまっていたようだ。

 帳簿形式の記録や綴りは、出来て未だ50年弱の分国であるが故に少ない。

 しかし、その全てを、自分が表立って活躍する場を失った後のことを、行武は知った。


「散々夷族やこの国を喰い物にしてきたのじゃろうのう……」


 それもこれで終わりだ。


 自分がこの地に派遣されることになり、東先道を是正する機会を得た。

 この機会を存分に活かし、行武は残り少ない時間を最大限に使うつもりだ。

 豊かな大地は、未だその力の半分も生かせていない。

 その力が十全に使用出来る態勢が出来た時こそ、東先道に待望の春が訪れる。

 そう思いを馳せた行武だったが、ふと気配を感じて城柵の内部方向に開かれた窓を見た。

 そこには、果たして烏麻呂からすまろの姿が、いつの間にかある。


「……話が、ある」

「うむ、ようやくか」


 音も無く現れ、短く来訪理由を告げる烏麻呂に驚いた様子もなく、行武は閲覧していた地誌や行政記録を静かに閉じた。

 行武が書類や帳簿を片付ける様子を見てから、烏麻呂がゆっくりと口を開く。


「……納税人足共の元に、広浜夷族の大長おおおさから使者が来たのは妖術使い共から聞いて知っていよう。その大酋長の名は軽部麻呂、今回の乱の主導者の一人でもある」

「なるほどのう……なかなかの大物じゃ。まあ、予想はしていたわい」


 その情報に、行武は然もありなんと頷いて言うと、烏麻呂は更に言う。


「軽部麻呂は真佐方包囲を別の者に任せて、こちらへ向かってきているようだ……」

「ほう、なかなか抜け目の無い事よ」


 行武は感心したように応じた。

 軽部麻呂は征討軍が少数である事に不安を覚えたのだろう。

 あるいは、行武の後から征討軍の本隊が来ると勘ぐっているのかも知れない。

 かつて50年前に2万の軍兵を派遣した朝廷だ。

 反乱の征伐にそれぐらいの兵を派遣してもおかしくない。


 しかしながらやって来たのは、落ちぶれたりも落ちぶれたり、武人貴族である梓弓老少将に率いられたわずか500ほどの兵。

 加えてその大半は自分達に縁のある、納税人足達だ。

 軍としては小勢も小勢であろう。


「納税人足共はちゅうするのか?」

「いや、その必要は無いわい。連絡は自在に取らせよ」

「……危険だぞ?あやつら、宿直番とのいばんや見張り番を調整し始めておる」


 烏麻呂の提案を退け、行武は心配するように言葉を加えた烏麻呂ににやりと笑みを浮かべて言った。


「むしろ願ったり叶ったりじゃ。叛徒にはこちらの事情を存分に知らしめてくれれば良いわい。後は、まあ、わしらの内情を知った時の相手の出方次第じゃな」


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