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2話 納税人足

「梓弓弾正長官!」


 男の1人が思わず老貴族、梓弓行武の官職を聞いて叫ぶ。


「ほう、知っておるのか?」


 同時ににやっと笑ってから、男達が気にしていた茂みの方へと声をかける。


「そこに居る者共も心配せずに出てくるが良い」

「ちっ……何だ、ばれてたのか」


 地に転がった男達は、行武の呼びかけに観念した様子で溜息をつき、それ以上は何も言わない。

 しばらくすると、茂みががさがさと揺れて10人ばかりの少年達が、しなびた野菜や物入れ袋を持って現れた。


 全員年齢は10代半ばといった所だろうか?


 その顔は一様におびえと不安に染まっており、寒さもあってかぶるぶると震えている者までいる。

 男達もそうだったが、薄汚れているものの、その服装は旅装。

 京府付近の農民達が、小遣い稼ぎに冬野菜を売りに来る程度でする格好ではない。

 人数と服装、それから男や少年達の様子を見て、行武が白い息を吐いて頷きつつ言った。


「ほう、なるほどのう……おまえ達は納税人足達であったのか」


納税人足とは、朝廷の支配する地方諸国から都に租庸調といった諸税を納めにやって来た者達のことである。

 恐るべき事に、諸国で選ばれた納税人足は自費で京府へやってくることになっており、その大半が納税後は帰国費用を賄えずに行き場を失うのだ。

 本来は諸国に縁のある貴族が帰国費用を賄うのが慣例だが、時代の経過と共に諸国と貴族の縁が切れ、また貴族意識の変化もあって諸費を出すのを拒む貴族が増えた。


 最近では、それらの費用を出す貴族の方が少ない程である。


 納税人足はそれでも故国へ帰らなければならない。

 帰国費用を捻出する為には都で働く他無いのだが、納税人足達が都に多数居着いてしまったことを問題視した朝廷は、納税後に納税人足が京府に住むことを禁じた。

 ただそれでは、帰郷するための費用も無いまま郊外に放り出す形になってしまうので、朝廷は簡単な労役をもって日当を支払う事にしたが、それではとても足りないほどの納税人足が居る。


 朝廷の課す諸役に就ければ御の字、商人や人足の真似事をして帰国費用を稼げれば正に幸運。

 多くは奴卑に身を落すのである。

 そして別の道、つまりは盗賊や夜盗に身を投じる者も出てくる。


 貴族が意識を変えてしまい、縁のある諸国からやって来た納税人足の面倒を見なくなったことには理由がある。


そもそも地方豪族の代表者、あるいは地方豪族の有力者から朝廷の運営に協力していた者がこの国の本当の貴族であり、その成り立ちの始めだったのだ。

 しかし中央集権化と同時に彼らはその性質を変え、本来の地方が中央を盛立てるという形から、中央である朝廷が地方を支配するという形になり、貴族達の意識も変わる。

 すなわち都である京府こそ文化や権力、富の発信地であり、地方はその都の文化や支配に浴する立場なのだ、と。


 20年ほど前から「別の道」に身を落とす者達が増えたのは、何も理由が無いわけではなく、貴族達が地方の代表者である事を捨て、中央たる都、朝廷の支配者階級へと自分たちの立場をはっきり変えたためなのだ。

 かつての地方の代表者であれば、自分たちの権力基盤であり、故郷でもある諸国からわざわざやって来た納税人足達を見捨てるようなことはしなかった。

 帰郷費用をまかなうのみならず、京府にある邸宅で働かせたり私兵として雇ったりと、様々な方法で面倒を見たのだ。


 それに応えるべく、地方も納税人足には選りすぐりの人材を充てたのだが、それも今や昔の話。

 納税人足はただの使い捨ての人足とされてしまったのである。


 しかし、地方の制度や意識はそれほど大きくは変わっていない。


 都での政務に特化した貴族も現れる中、地方では相変わらずの農法と物品による徴税法が施行されており、また納税方法も相変わらず。

 すなわち、租庸調を基礎とする、米穀や絹布、麻布、労役を主体とした徴税と、地方の民から納税人足を徴発して当たらせるという方策だ。


 昨今、都や主要な都市では、商人あきないびと荷受人にうけびとといった人々が様々な形で流通や商業を担い始めている。

 当然彼らは対価として通貨を求め、自分たちが物品を買い入れる際もそれを使う。

 都で始まった通貨を使用しての商業活動も今は諸国に浸透しており、十分とは言えないまでも、貨幣経済が一般的になりつつあるのだ。


 朝廷には、貨幣や彼ら商人や荷受人を使うという方法もあるはずなのだが、未だ旧態依然とした時代の変化に合わない納税方法が取られている。

 世間の変化は良い所が悪く変わることから始まり、そして元々悪い所は残念ながら最後まで変わらない。

 納税人足達は、はるばる都である京府まで納税に来て見放された、使い捨てにされたという思いもあって、貴族や都人を憎み、激しく恨むので、都での盗難や強盗、乱暴狼藉がすさまじく増えていたのだ。


 しかし、隠棲同然であった行武が5年前に京府の治安を司る弾正長官に任じられると、事情は少し変わる。

 本当に小さな変化でしかなかったが、それでも行き倒れの数はぐんと減った。

 それに伴って強盗や物取りの類いは激減し、乱暴狼藉や死体の散乱も無くなった。

 行武は、兵に肩や腕を捕まれて無理矢理座らされている男や、藪から出てきた少年達を見回してから言う。


「お主達は入京を禁じられておるはずじゃろう?」


 行武が弾正長官に任じられるよりはるか以前、納税人足達の浮浪者化と盗賊化に業を煮やした朝廷は、納税人足が大蔵省への納税終了後、3日以内に京府より退去しなければならないとする法令を発布した。

 あんまりと言えばあんまりな仕打ちに、行き場を失っていた納税人足のみならず都人の中からも反対意見が出たが、物乞いや浮浪人、盗賊に悩まされていた朝廷はこの法令の施行を断行し、納税人足達を京府の域内から追い出したのである。


 お陰で京府内の浮浪者は減ったが、行き倒れと周囲の農村等において野荒らしが増え、またそれまではこそ泥程度であった者達が、京府に居るだけで捕縛されるとあって強盗に変わった。

 一刻も早く域内から出るために時間を惜しむ様になったので、強引な手段を執る者達が増えたのである。


「へ、そんな禁令を守ってちゃ、この寒空で凍え死んじまわぁ!」

「税を納めに来てやったのに、なんて言いぐさだ!」

「納税後は知りません、どんどん死んじまえってのか!」

「そのうち諸国から納税人足になろうって奴が、居なくなっちまうぜ!」


 行武の言葉にくってかかるかの様に反駁する男達。

 兵達に鋭く制止されるも、主張の声が止まる気配は無い。

 ただ、その意見は一々尤もである。


 この法令は行武も問題視し、抹消もしくは改訂しようとしたが、上手くいっていない。


 しかし、租庸調の不納や納税品の横領は一族郎党に繋がるまでの重罪。

 故に何としてでも納めなければならず、納税人足の選出は既に諸国の国司や地方役人達にとっても頭の痛い問題となっている。

 諸国においては納税人足を各郷から輪番制で出しているのだが、既に忌避感が出始めているという。


 納税後、無事に故郷へ帰って来られる方が珍しくなって久しいのだ、当然だろう。


 行武は顎髭をなでつつ雪がちらほらと降りてくる鈍色の空を見上げてから、男達へと視線を戻して徐に口を開く。


「如何にもそうじゃな……ふむ、お主、確か山下麻呂と申したの、本名か?」


 行武の問い掛けに捨て鉢な態度を崩さず、頭と思しきその音が答える。


「……本名だよ、けっ」

「では山下麻呂よ、わしの屋敷へ来るが良い」

「は?」

「へ?」

「え?」

「今日、今からお主らは全員、わしの家人である」


驚いて間抜けな返答をした山下麻呂達にも頓着すること無く、一人納得してうんうんと頷いている行武。

 行武配下の兵達は互いの顔を見合わせて、またかと言った様子で苦笑を漏らしている。

 どうやらこの様な事をするのは初めてではないようだ。


「梓弓の少将様、また家令殿に叱られてしまいますぞ?」

「なあに構わん、この間雇った連中も無事故郷へ戻った事じゃし、丁度良いわい」


 兵の一人、副官的立場の兵長である、本楯弘光もとだてのひろみつが苦笑しつつも忠告するが、行武はどこ吹く風。一向に気にしていない様子で応じると、兵達に命じる。


「放してやれ」


 兵達が復唱して命じた弘光の命により、次々と男達から手を放しはじめる。

 それを見て、行武は早くも踵を返して言った。


「ではその方らは今よりわしの家人と決まった!付いて参れ」





「ちょ、ちょっと待てよ!」


 兵達から戒めを解かれ、解放された山下麻呂が、先に歩き出した行武を呼び止める。

 歩み足を止め、行武が振り返った。


「なんじゃ?」

「……どういうつもりだ?」

「どうもこうも無いわ、山下麻呂。お主達を雇うと言うだけの話よ。先ほども言うた様に、前雇っていた者達が無事故郷に帰り果せてのう、人手が足らんのじゃ。屋敷の掃除に補修、庭の手入れ、敷地の警固や馬の世話、倉庫の管理など色々あるのでな」

「仕事の内容を聞いてんじゃねえよ!」


 白い息を吐きつつ、あれもこれもと鹿皮の手袋を填めた手の指を折りながら、仕事の内容を説明する行武に、山下麻呂が溜まりかねて叫ぶ。


「本気かって聞いてんだ!」


 思いがけなく差し出された手、しかし男は信じてその手を素直に取ることが出来ない。

 自分にはまだ若い仲間も居る、こいつらだけでも無事故郷へ帰したい。

 しかし、目の前の老貴族を、縁故貴族でもない、全くの初対面の人間を信用することが出来ないのだ。


「もう……沢山だ。嬲るのは止めてくれ……」



 山下麻呂がなり手の居ない納税人足に敢えて手を挙げ、故郷である広浜国を旅立ち、納税を終えてから既に3ヶ月。

 他の人間が行くよりは体力のある自分がと、覚悟を決めて出かけたはずだった。

 しかし思った以上に辛い旅程に、逃走する同輩達。

 盗賊によって納めるべき税の3分の1は奪われてしまい、心が折れた。

 大蔵省の役人は減免を求めた男達の訴えを一顧だにせず、納税が出来ないのであれば、容赦なく捕縛すると言い放った。


 仕方なく失われた分は、自分たちの帰国用にと持ち込んでいた食料の米穀を充てるほか無く、その結果納税後は路頭に迷う羽目になったのである。

 帰国費用の全てとは言わないまでも、幾ばくかの援助を期待し、故国の縁故貴族である金鞠家かなまりけを訪ねるも、門前払いというのが優しいほどの手酷い扱いを受け、屋敷前から追い払われた。


 自分は何のために生きてきたのか。


 本当はここ京府へ納税に来ただけのはずだった。


 それがどうか、まるで納税の為だけに自分の人生があったかのような有様。

 納税が終われば、人生も終わり。

 そういった全く逆転した発想が自分を襲う。

打ち据えられた背中を庇い、気絶した仲間を背負って這々の体で都を出て郊外に隠れ住む他に術が無かったのだ。

今は京府近郊の畑から野菜を盗み、京府の外市で米や麦と交換し、またそれ自体を食いつないで何とか生きてきた。


 しかし冬になり、それも限界が近付いているところだったのである。


 幸いにもそれ以上の悪事に手を染める前に、この目の前の老貴族の誰何を受けた。

 降りしきる雪の中、涙を流しつつ叫んだ男につられ、少年や他の男達も自らの悲惨な境遇や、都の役人や人々から受けた冷たい仕打ちを思い出し、嗚咽を漏らし始める。

 それを見た行武は、やれやれと大きく白い息を吐き出し、徐に口を開いた。 


「誰も嬲ってなどおりゃせんわい、失敬な。金持ちならば、お主らに帰郷費用をぽんと購ってやれるのだろうが、残念ながらわしは貧乏なんじゃ!」



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