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14話 京府の夜

 静かな京府の夜。


 満月がしめやかに地上を照らし、この世の者ならざる者達が月影にうごめく夜。

 京府の一角にある豪奢な屋敷の庭では賑々しく音曲が奏でられ、白拍子達が舞い踊る。

 遣り水の先に満々と清水を湛えられた大池には朱塗りの遊び船が浮かべられ、楽士や踊り子のみならず、遊女までが乗り込んでいる。


 庭中、屋敷中にかかげられた燈火や篝火が、時折ぱちぱちと小さな音を立てながら煌々と周囲を照らし出していた。


 異国風の音曲が時折混じり、瑞穂国とはまた一味違った風情を醸し出しているこの宴の主催者は、権勢を恣にしている硯石氏の氏長者うじのちょうじゃ、硯石基家その人であった。

 その基家は、賑やかで楽しやかな宴にそぐわぬ顰め面で、塗の杯を傾けてから酒臭い息を吐きつつ忌々しげに言葉を放つ。


「梓弓の万年少将めが……いかにも目に余る」

「しかし、今この京府であからさまな手出しは人目にはばかる。手筈どおり、道行きを妨げ、山駆さんかどもに襲わせる他あるまい」


 一族の長老格の貴族が窘めるように言うと、不機嫌そうな顔を隠そうともせずに基家は再び酒を注がれた配をあおる。


「……抜かりは無いであろうな?」

「ご心配なさらずとも、東先道にある宿駅には全て我が手の者を配しておりまする。如何に武の有識故実を有しておろうとも、物資や兵が立ち行かずば戦えませぬよ」


 側にいた未だ年若い貴族が、笑顔で言う。

 その貴族が言ったとおり、基家は東先道やそれに繋がる各道の宿駅に手を回し、梓弓の行武率いる北鎮軍の物資輸送や行軍を妨害する手筈になっていた。

 こちらの意図に気付いて行武がわびを入れるなり、何らかの妥協をしてくるならば良し。してこないならば、妨害を続けてその戦力低下を図るのみだ。

基家としては、自分の一族や文人貴族に連なる国司達が失政の責めを負わされることになれば、引いては自分達の失政と言うことに繋がる。


 国司達を任命したのは、他ならぬ文人貴族で牛耳ってきた朝廷であるからだ。


 行武には反乱の鎮圧はして貰いたいが、武を忌避してきたこの国で今更武功という厄介なものを得られるのは困るし、行武の手によって国司達が処罰されるのも困る。

 行武に対する怠業を解除する見返りに国司達の処罰を緩和させるか、あるいは自分達文人貴族の手に委ねさせるのが良い。

 何を置いても今の政治を取り仕切っているのは文人貴族なのだ。


 最早武人貴族ごときに出る幕は無い。


 今や文人貴族の手を借りずに物事を進めることは難しい時勢、必然、行武は妥協を強いられることになる。

 基家は一先ず手筈どおりにことが進んでいるのを確認し、安心すると杯をあおってから問う。


「軍監は本当に玄墨久秀くろすみのひさひでで良いな?」

「一抹の不安はありますものの、あの者も文人貴族の端くれ。問題は無いかと思います」


 基家の言葉に、安心させるような声色で老貴族が応じる。


「玄墨久秀ですか?本当に大丈夫なので?」


 年若い貴族が不安の面持ちで問う。


「やむを得ぬ、戦場に好んでいくような者は他におらぬ故に……お主でも良いが?」


 それを見た老貴族が揶揄するように言葉を返すと、年若い貴族は慌てて居住まいを正して言った。


「いえ、私ごときが滅相も無い……久秀でよろしいかと」

「……というように、他に適任者も、また手を上げる者もおりませぬ」


 老貴族は先程と変わらぬ態度で基家に向き直って言うと、基家と年若い貴族が渋面を作った。


「玄墨久秀か……なかなかの跳ね返りであるが、まあ、跳ね返り故に梓弓の老少将に籠絡されることもあるまい。人選はそれで進めよ」


 その基家の言葉に、年若い貴族は胸をなで下ろして杯を上げ、老貴族は畏まって頭を下げるのだった。





 臈長けた雰囲気を醸し出した宴は続く。


 それはこの国の一時のまどろみのよう。


 そして宴は、続いた。







 一方の梓弓行武の屋敷では、実に静かな夜を迎えていた。


 小間使にしていた者や家人女房、そしてその子供達は全て京府の貴族や商家に雇われてゆき、行武の屋敷に残っているのはむさ苦しい限りの兵士や元納税人足達、そして浮塵子うんかと呼ばれる浮浪児達だけ。

 家人、女房として雇っていた者やその子供達は、曲がり形にも貴族である行武の屋敷で奉公していたと実績があるため、再雇用先は比較的容易に見つかった。


 しかしながら、行武の予想通り、元犯罪浮浪児集団である浮塵子うんかの子供達を雇おうという者は、誰も現れなかったのである。

 月明かりに照らされた縁側で、行武は端座して夜空に浮かぶ満月を見上げる。

 しばらくすると、木椀に淹れた白湯と土器かわらけに載った炒り豆を持った是安がやって来た。


「やむを得ぬこととは言え、不憫よのう」

「仕方ありませぬ、素行が悪過ぎまする」


 背後の気配を感じ取り、置かれた椀を取る行武の悩ましい独白に、財部是安たからべのこれやすが同じような悩ましい顔で応じる。


「まあ、致し方なし。これ以上悪させぬように十分飯を食わせてやってくれい」

「承知致しました」


 行武の言葉に、是安が頭を下げて答え、その場を引き下がる。

 あら熱を取ったばかりで未だほの暖かい白湯の椀を口に付け、行武は月明かりから免れている木陰に向かって言葉を放った。


「全く、マリオンと違いお主現れ方が雑じゃの」


 ざわざわと怪しげな風が吹きながれ、行武の顎髭と衣服をはためかせた。

 風は止む気配無く徐々に生臭い雰囲気を含み始め、更には木陰で渦を巻き始める。


「手の込んだ事じゃの、猫芝」


 その行武の言葉で風が止み、そして行武の傍らに茶褐色の粗衣をまとった、人体不詳にんていふしょうの人型が現れていた。

 行武は黙って飲みかけた白湯の椀を押しつけ、是安が縁側に置いた炒り豆の載った土器を押しやると、猫芝と呼ばれたその怪しげな者は男とも女とも付かない不可思議な歓声を上げて受け取る。

 その手は小さく白い、まるで子供のような手。


「ほほう?これは有り難し。清浄なる白湯やかぐわしき炒り豆などここ最近ご無沙汰であった!」

「それは良かったのう」


 あまり良くなさそうな声色で猫芝に応じ、行武は端座を崩して応じる。


「しかし白湯に炒り豆か……硯石の屋敷では鯛に鮑に雀に雉に猪に鯨、餅や蜜柑、林檎に枇杷、清酒や濁酒、葡萄酒までもが振る舞われておったが」

「よう知っておるのう……ま、余所のことは知らぬわい、わしはこれが好きじゃしの」

「ふうむ、吾主はそうよ、違いない」


 行武がつまらなさそうに言うと、炒り豆をつまみ上げて言う猫芝。

 しばらく猫芝が頭巾の中の口元へ炒り豆を手で運ぶのを眺めていた行武が言う。


「して、何用じゃ?」

「んあいようほは……ごあいさつよ」


 前半は炒り豆をボリボリとかみ砕きつつ発し、発音を崩しながら応じる猫芝。

 そして美味そうな雰囲気を醸し出しつつ喉を鳴らして白湯を飲み、ほっと息を吐いてから、実に美味し、とつぶやく。


 そして、猫芝と呼ばれたその怪人物は行武に向き直った。


 猫芝は時折行武の屋敷にやって来ては、飯を食ったり、酒を飲んだりしていく。

 特に何かの間柄というわけでは無いが、以前京府で浮浪者を保護した際に紛れ込んでいたところ、行武に取り押さえられたのが縁で、それ以来ふらりと現れては雑談し、飲食をかすめていく

 その猫芝の頭巾の下から、にたありと笑みこぼす気配がする。


「聞いたぞ?何でも北の地へられるらしいの」

「何処で聞きつけたのじゃ、全く……油断も隙も無いとはこのことじゃ」


 驚いている行武に、猫芝は今度は密やかな声で囁く。


「ようやく京府を追い出されるか、梓弓の少将よ?いや、愛想を尽かして離れるのか?いずれにしても面白し」

「ふむ、お主のような野良陰陽師のらおんみょうじにまで知れるとは、京府の雀もようさえずりおったようじゃの」

「抜かせ少将よ。吾にかかれば噂話の裏を取ることなど雑作もない」


 行武の困り顔に、猫芝は逆に得意満面。

 

 猫芝の腕前が凄まじいのか、噂の回りが早いのか、悩むところである。


「……瑞穂国に尽くす意味は最早あるまい?どうじゃ?我と共に争乱を起こさぬか?」


 面白がるような声色で猫芝が続ける言葉に、行武は即答する。


「つまらぬことを言う」

「つまらぬものか。それより我の誘いに応えよ。それともまさかお主、未だ京府や朝廷に未練を残すか?」

「自ら出るわけでは無いわい、故にお主の戯れ言にも付き合わぬ」


 行武が渋面と共に応じるのを見て、猫芝は密やかに肩を揺する。

 笑っているらしい。


「何か可笑しきことでもあったかのう?」

「くくく、分かったぞ。梓弓の老少将ともあろう者が、邪魔者扱いされた挙げ句、欺されて、まんまと載せられて北へゆくか」


 揶揄するような物言いに、行武は真顔に戻って言い返した。


「それも違うのう。北へゆくのは先の大王が今際の際に命じられた、わしの最後の大仕事のためじゃ」

「……ふむ、そうであったか……それは礼を欠いた物言いであったな」


 行武の面持ちにその心底を察し、猫芝は素直に謝罪の言葉を口にすると、若干居住まいを正して言葉を継ぐ。


「我が力が必要であろう?」


 最初何を言われたか分からず、行武ははたと動きを止め、それからまじまじと猫芝を見つめた。


「その様に見つめるでない、照れるであろ」

「何を言うとるんじゃ……まあ、良い。その申し出はお断りしよう」


 本気の照れの言葉を発した猫芝に呆れた行武だったが、気を取り直して答える。

 すると、今度は猫芝が不満げな気配を放って問い掛けた。


「ほう?我が力は不要と申すか」

「野良陰陽師に頼ることなど今更ありはせぬわい。そもそも、お主は京府においてはお尋ね者じゃろうが。良いのか?曲がり形にもここは先の弾正長官の屋敷じゃぞ?」

「……今更何を言う?まさか、を捕まえるのか?」


 今度は少し不安そうな気配を漂わせて問う猫芝に、行武は苦笑を漏らした。

 そもそも、朝廷は陰陽寮に所属しない陰陽師を認めていない。

 故に存在自体が違法であるのだ。

 それは地方においても同様で、国司の元に陰陽師は管理されている。

 そもそも野良の陰陽師を頼った者も処罰されることになっているのだから、野良陰陽師など本来は存在すら出来ないはずなのだ。


 しかしながら、昔ながらの呪い師や旅巫女たびみこ巡神主めぐりかんぬしなど、朝廷の管理が及ばない者達はずっと存在し続けており、民人の生活に根ざしている。


 彼ら彼女らは簡単な祈祷や葬式の取り仕切り、祭事の主催、お祓いや鎮魂、地鎮、病疫や怪我の治療など、その仕事内容には枚挙にいとまが無い程のいわゆる何でも屋だ。

 そんな中でも猫芝と呼ばれるこの年齢性別不詳の野良陰陽師は、窮民や貧民からは金穀を取らないだけでなく、その力が確かなこともあって、京府近郊において絶大な人気を誇っているのである。

 しかしその存在自体がお尋ね者であるはずの猫芝が、行武の屋敷を訪れるのには、理由があった。


「詮無いことじゃの、お主はわしに味方して文人貴族を呪詛したことになっておる。わしの疑念は晴れたがお主は申し開きもしておらぬ故に、未だ嫌疑は掛かったままじゃ」


 尤も、行武も嫌疑が明らかな証拠も無い文人貴族達の言いがかりである事は承知しており、その件については逆に下級文人貴族の1人を誣告で控訴し、降格させてもいる。

 猫芝の人気をやっかんだ陰陽寮からの差し金と依頼があったところに、行武のことを目障りに思っていた者がそれを載せて併せて訴え出たのだ。


 文人貴族の権勢で物事を強引に運ぼうとしたその小物貴族は、行武の正々堂々とした反論に答えることも出来ずに場を去っている。

 しかし、行武の言葉の内容が気に入らなかった様子で、猫芝はふんっと鼻を鳴らした。


「呪詛はしたがモウロクジジイの味方した覚えは無い」

「まだ耄碌しとらんわ。しかし何じゃ、そっちかい、と言うかお主、本当に呪詛したのか……」


 それは新たな事実だ。


 それが呪詛によるものかどうかは分からないが、呪詛を掛けられたとされる貴族の屋敷は火事に見舞われ、その貴族の荘園が凶作に陥ったという事実は行武も知っていた。

 その不幸の連続が本当に猫芝の呪詛によるものだとすれば、その力は本物であろう。

 もちろん、行武は直接的には信じていない。


「まあ、呪詛のことはこの際どうでも良い。吾の力は要らぬか?」

「ふうむ」


 顎髭を右手で扱きながら暫し思案する行武。

 人々から猫芝道士と呼ばれ、親しまれてはいるが、素性は明らかで無く、その顔を行武は見たことも無い。

 そもそも猫芝などと言う奇っ怪な名すら本名であるかどうか。

 マリオンとはまた違った意味で異形の力を使う猫芝。


「しかし、何故わしに付いて来ようなどと思うたのじゃ?」

「ふふふ、お主に付いていけば何かとあって面白そうだからの。何よりお主がおらぬ京府など無味乾燥で面白くも無い。それに北の地も見てみたい……まあ、お主の役には立てようぞ。天気読み、地鎮、祭礼、交霊、地脈読み、何でも使ってくれればよい。他にも出来ることは出来るし、出来ぬことは出来ぬがの」


 思案した後、行武は猫芝を見る。

 確かに何かと役には立つだろう。

 その真意が何処にあるか分からない以上、全面的に味方と見なすのは難しいが、利害が対立しない限りはこちらの要望も受け入れるだろうし、何より自分の力を売り込みに来ている。

 しかしながら、行武はふと思い付いたことを口にしてみた。


「……今年は寒いじゃろう?」

「ああ、寒い、寒すぎていかぬわ。このまま野良を続けるのもしんどい」

「それが本音じゃな」

「……しまった、と言いたいところだが、隠しても仕方有るまい。まあ、それもある。そろそろ屋根のあるところで寝たいし真っ当な物が食べたい」


 少しばつの悪そうな雰囲気を醸しだして応える猫芝に、行武は笑みをこぼす。

「そう言う理由ならば否やは無い、屋根があるとは申せぬ軍陣でよければ付いて来るが良かろう」

「有り難し……軍陣とは言え天幕ぐらいはあろ?ならば、良し」


 その言葉を残し、猫芝は庭へ降り立つと、ふいっと闇に紛れて消える。

 その様子を見送ってから、行武は炒り豆を入れていた皿を覗いた。


「猫芝め……腹が相当減っていたようじゃな、一粒たりとも残っておらぬ。わしの分が無くなってしもうたわ、全く」


 笑みを浮かべつつも名残惜しそうに皿を撫でていた行武だったが、諦めてため息を一つつくと、新しい白湯を取りに奥へと戻るのだった。

 梓弓の家は貧乏故に、夜遅くまで側使える者などいないのだ。


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