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妄想の帝国

妄想の帝国 その1 偉大なるエイ首相恒例パレード 

作者: 天城冴

「首相どちらですかー」

側近たちの探す声が遠くに聞こえてきた。だがエイ首相は答えない。

「エイ首相―、パレードが始まります、どこにいらっしゃるんですかー」

それは、わかっている、わかっているのだが。

「ううう、だ、ダメだ、止められない」

エイ首相は一人しか入れない狭い個室の中で悩んでいた。

ドババババッー

下半身の穴から放出される排泄物が滝のように便器に落ちている。

「と、止まらないぞ」

やはり今朝、妻の手料理を完食したのが、不味かったか。ひさしぶりに作ったという朝食をすすめられ、断ることができなかった。

「定期パレードの日、首相の日常ということで、ぜひお二人の仲のよさそうな風景を」

と、カメラを向けられ、笑顔で朝食を平らげる絵が欲しいと懇願され、仕方なく食べきった。

大財閥の末娘で、さしたる取り柄もなく、顔もいまいちの妻とは完全な政略結婚ではあったが、民衆の手前少しは仲良さそうなフリをしなければならないのだ。

「だ、だからって自分で作らなくても、いつものようにメイドに任せておいてくれれば…」

 派手好きで注目されることが大好きな妻は、花柄のエプロンをつけ、張り切って料理をする様子をカメラマンに撮らせていた。そしてその出来立ての料理を皿に盛り付け食卓に運ぶまでを。

「ああ、くそっ。カメラマンも忖度して一時カメラを止めてくれれば、皿を差し替えることもできたのに」

後悔しても、もう遅い。食後、嫌な予感はしたのだ。官邸をでるまでは耐えられた、だがしかし、途中で下腹部に激しい痛みを感じた。

「こんなときに限ってトイレ付きの公用車でなく、徒歩で来てしまうとは」

健康不安を払しょくするためですとか側近に言われ、徒歩でパレード出発の議事堂まで歩くことになったのだ。官邸から議事堂まで、たったの十数分、だが。

「近所に店の一つもないから、こんな路地裏のわけのわからんビルの空いてるトイレに入らねばならなかったんだあ」

そう、その十数分が耐えられなかったため、側近やら警護やらを振り切って、近くにあった鍵のかかっていなかった事務所のトイレに入らねばならなかったのだ。

「はあはあ」

ようやく落ち着いてきた。

ジャー

溜まった汚物を洗い流し、すっきりとしたエイ首相は立ち上がろうと床を踏みしめた。

途端!

ふぎゃああああ‼!

「ね、猫?」

驚いたエイ首相は急いで足をどけたが、思いっきりシッポを踏まれた猫は怒りが収まらないらしく、爪をたててとびかかってきた。

シャキーン!

鋭い爪がエイ首相の顔に向けられ、

スパッ、スパッ、スパッ!

「あああ、ヒ、ヒゲがあああ!」

エイ首相のトレードマークの口と顎の三つの髭、きちんと手入れされ毛先をカールしたその髭が根元から見事に切り落とされていた。傷一つない見事な剃り具合。猫は満足げな顔で、すでに床に着地していた。

「こ、このバカ猫があああ!」

エイ首相は猫に怒鳴り、捕まえようと手をのばした。むろん猫は逃げる。どちらかというとエイ首相の自業自得なのだが、怒りのあまりエイ首相はパレードのことも忘れてひたすら猫を追いかけた。

「この、この」

バーン、建物側の扉が開いた。

「なんだ、どうした、おい、ミーちゃんになにすんだ、お前」

「俺たちのミーちゃんを虐めるとはふてえ野郎だ」

事務所の奥から屈強の男たちが出てきた。どうやら事務所に出入りしている作業員らしい。

「わ、私はエイ首相だ」

エイ首相は慌てて名乗りを上げるが

「はあ、首相がこんなとこいるわけねえだろ」

「今頃パレードとやらの準備だろ、まったく毎回余計な事すんから、俺ら毎回こんなとこに駆り出されるんだよ」

「ったくよお、何様だよ、おめえ、勝手に事務所入りやがって」

「似てるような気もすんけどよ、ポスターとは違うぜ、ヒゲないし、顔色悪りぃし、頬たれてるしよ」

男たちに詰め寄られる、エイ首相。携帯電話も財布も身分証も所持していない。私物はすべて側近が管理している。頼みの綱の側近も警護も今はいない。

「あわわわわ」

エイ首相絶対絶命、ミーちゃんは冷めた目でその様子をみていた。


「アルファ長官、首相がみつかりません」

首相付きの側近シータは、おそるおそるアルファ長官に報告をした。ほうぼうを探し回ったつもりではあったが、まさか首相がトイレにいったとは彼らは露ほども考えておらず、見つけることができなかった。恐縮するシータに

「そうか」

と、アルファ長官は短く返事をした。驚く様子すらない。豪華に飾り立てられた首相専用控室で、側近であり右腕と称される長官はいつものように静かに座っていた。いつもと違い首相はいないが。

「ど、どうしましょう、もうすぐパレードが始まります」

「問題ない、代わりはすでに用意してある」

「え?」

「お前たちは知らないようだが、首相の健康状態はよくない、また夫婦仲もよいとはいえず、家族に不満もたまっているのだ。いづれ交代させねばならんと思っていた」

「せ、選挙ですか?」

「馬鹿、何をいう。まともに選挙を行って、頭の切れる奴や才色兼備の人間などがトップに立ったらどうするんだ、我々はどうなると思う」

「自分でなんでも考えてやっちゃいますから、僕たちは必要ないですね」

「それどころか、お友達贔屓もない、当然うまい汁も吸えなくなる。財界との癒着・賄賂・口利きなど調べられてみろ、下手すればこちらが牢屋行きだ」

「し、しかし我が国は民主主義国家で」

「表向きはそうなっている。そうでないと他国がうるさいからな。マスコミ、学者を買収、懐柔、恫喝して、なんとかこの間の選挙を勝たせたのだ。むろん集計マシーンにも手をいれている」

「そ、それは存じておりますが」

「ここで首相が病気で倒れたり、行方不明となったら、野党や民衆どもが騒ぎ立てるだろう。今度は思い通りの候補をすんなり勝たせられるかどうか、わからんのだ」

「はあ、確かに」

「そこで、そんなことにはならないように、すでに代わりは用意してあるのだ。記憶やDNAの模倣も完璧な代理をな。もちろん我々の意のままに動くよう洗脳してある」

「ですが、ご家族は?ご親族は?」

「どうせ、ほとんど一緒に過ごしもしない妻と子供に、乳母に任せきりだったくせに政治家になった途端持ち上げた母親だ。本人でなくても気が付かないだろう。気が付いたところで利用しやすい男なら誰でもいいというに決まっている」

「確かに、奥様もお子様も官邸には滅多に来られませんからね。いつもご実家のほうに入りびたりで、首相と過ごされるのはパレードとかでマスコミが来る日だけだし。お母様も私邸ですし」

「そういうわけだ。では私は用意があるので」

アルファ長官は電話をかけはじめた。シータはパレード準備のため部屋を出る。


「本日も無事パレードが行われています、首相は民衆に手を振って答えています!」

テレビ中継で首相ごひいきのアナウンサーが声を張り上げている。男たちに縛り上げられ猿轡をかませられたエイ首相はその画面を見て目をむいた。

(な、なぜだー、わ、私はここにいるぞー)

飾り立てた車の上で新しい”エイ首相”が、礼服を身に着け手を振る。

(わ、私?)

後に続く花輪で飾られた車の上で、首相の家族は入れ替わりを知ってか知らずか、にこやかに手を振る。

(き、気が付いてないのか)

最後尾の黒い車の上でアルファ長官はいつものように静かに立っている。

(ま、まさか、アルファのやつが替え玉を)

パレードを見物に来た群衆は車に乗る”エイ首相”を手を振り、歓声をあげる。

熱狂的な支持者が叫んでいる。

『エイ首相万歳!エイ首相万歳‼』

「やっぱ首相パレードやってるぜ」

「こいつ、頭がおかしいんだろ」

男たちの嘲笑の中、エイ首相はうなだれていた。

(所詮、私はお飾り、側近たちの都合のいい操り人形にすぎないとわかってはいたが、ここまで露骨だったとは)

昨日、いや数時間前まで、自分をチヤホヤしていた連中が今や新しい“エイ首相”に恭しく仕えているのを目の当たりにする元エイ首相。

(はあ、私は“エイ首相”ですら、なくなったのか)

みゃあ

気が付くとミーちゃんが傍に寄ってきた。すりすりとエイ首相に体をこすりつけ、大きな目で元エイ首相の顔を見上げる。先ほどシッポを踏まれたのを忘れたのか、今は元エイ首相に同情しているかのようだ。

(うう、お前、私の気持ちがわかるのか)

元エイ首相はミーちゃんに目で訴えた。ミーちゃんはまん丸い目でやさしく答えた、ように見えた。


一年後

「お、ビーさん、お疲れ」

「はい、お疲れ様です」

元エイ首相、今は清掃員ビーは作業員の男に元気よく答えた。

「しかし、ビーさんも掃除うまくなったよな、記憶喪失でこの事務所来たときはどうなることかと思ったけど」

「いや、あのときはご迷惑をおかけしまして」

「まあミーちゃんが鳴いて、あんたの膝にいるからさ、悪い奴じゃないと思って」

「いや、ミーちゃんには本当にお世話になりました」

ビーは、足元のミーちゃんの頭をなでる。ミーちゃんはいつものように缶詰の餌をビーにねだった。

「ああ、よしよし。ミーちゃんは私の恩人いや恩猫だからね」

事務所で縛り上げられたあと、元エイ首相はとっさに記憶喪失のフリをした。”自分は記憶喪失で、エイ首相に似てるって言われて、そう名乗りましたが、後知ってるのはビーという名前だけです、他は何にもわかりません、ここにおいてー”と懇願したのだ。ミーちゃんの同情のおかげで作業員たちは彼を好意で事務所においてくれた。ただし、掃除など雑務をこなすという条件で。

 はじめはぎこちなかったものの、部屋の掃除、特に汚したトイレの掃除をしているうちに、いつのまにか元エイ首相から清掃のエキスパートのビーさんとなった。今では作業員たちとともに現場に赴き、あちこちで重宝されていた。

(首相としてふんぞり返っているころは楽だけど、なぜかいつも虚しかった。今は疲れるし大変なこともあるけど、仕事をして感謝されるし、やりがいもあるし、なにより自分の力で生きていけるって自信がついたな)

缶詰のエサをあけ、ミーちゃんに与えるビーは満足げだ。

(結果的に救われたなミーちゃんに)

もし、あのまま首相でいても、いづれはお払い箱、そうなったら…。考えるとぞっとする。

「あ、今日もパレードがはじまったぜ。いやでもテレビつけねえとな」

新エイ首相のパレードが画面に映し出された。ビーはふと気が付いた。

(どうも前のやつと顎と耳の形が違うな。やはり替えられたか、今はエイ3ぐらいだろうか)

今日も首相の家族はパレードに参加して手を振っている。

(あいつらは自分の家族が入れ替わっても気が付かないんだな。いや、あいつらだって本物かどうかもわからない。アルファやら他の側近たちに挿げ替えられてるかもしれないな)

偽物の首相に、偽物の家族。それでもパレードは滞りなく続いていく。

「エイ首相も長いよな、いつまでやってるんだか」

男の声に元エイ首相だったビーは苦笑いした。ミーちゃんは短く、みぃと鳴いた。


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