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道ずりの君

お立ち寄りありがとうございます。突発的に思いついたお話ですが、最後まで読んでいただけたら幸いです。


「知衣はね、優しすぎるんだよ」




 そういったかの人曰く、私は人よりも少しばかり他者の感情に敏感で共感しやすく、相手の立場に立てるような優しい人間、らしい。らしいというわけで、あくまでそれは遠い友人の定義によるものである。きっと彼女の優しいと、私の思う優しいとは大分かけ離れているに違いない。私は優しくもなければ、かといって非道にもなれない、中途半端な人間なのだ。それこそ正義だ救済だと喚く偽善者に相違いないし、勝手に世の中に絶望して心を病むような人間なのだ。とどのつまり、私は我が身が可愛いのである。私は、そういう人間だ。意地汚く生にすがりながらも現世を憂う、厨二病と言われればそれまでの、人間である。



 はてさて、そんな私の前に一人の少年が倒れている。



 悲しいかな、日本人の性分故か私には行きずりの少年をそのまま見捨てるという選択肢はなく、かといって拾い上げてあげられるほど今の暮らしに余裕があるわけではない。ぐるぐると途方に暮れながら、私はここから立ち去れずにいる。罪悪感に苛まれつつ、誰かが彼を拾ってくれるのを待っている。


 しかし今日は雨だった。大通りから外れた人通りの少なく薄暗いこの道を通るものは稀で、雨にさらされた少年の体温を奪うばかりである。きっとこのまま置いていけば、彼は翌朝には冷たくなっているのだろうことが簡単に予想できた。それはあまりにもすわりが悪い。逡巡したのち、傘を己の傘を見遣る。



「…せめて、傘だけでも、」


 置いていこうか。きっと気休めにもならないだろうけれど。私の良心のためだけに。

 そう思って傘を差し出した時、少年がその目を開いた。



 その碧色に、どきりとした。枯れ枝のような腕がこちらに伸ばされて、重力に逆らわずに、落ちた。





「……僕を、助けて、くれるの…?」




 心臓が嫌な音を立てた。










 結果として、私は彼を拾った。幸い家は近かったので、半ば引きずるようにではあったけれど何とか家まで運び込んだ。乱雑ではあれどいそいで濡れた体を拭いてやって、家にひとつしかないベットに寝かしつけた時にはもうクタクタであったが、雨で冷えきった体は発熱し少年の柳眉を歪ませた。ぎゅっぎゅっと濡れた布巾を絞り、汗の滲む額を拭う。冷たいのが気持ち良いのか、苦しげに寄せられた眉が少し和らいだ。鳶色の髪をそっと手で梳いてやると、ふるりと目蓋が震えたのち、隠されていた碧色が露わになる。熱に浮かされ潤んだ碧色が迷子のように虚空をさまよった後、私を見つけると「かみさま…?」と少年特有の高めの掠れた声で小さく呟いた。



「…もう大丈夫だよ。ゆっくりとお休み」


「うん、…うん…」


 よほど憔悴していたのだろう、すぐに少年の寝息が聞こえる。その寝顔は先ほどよりも随分と柔らかくあどけない。



「かみさま、ねぇ」



わたしもだれかのかみさまになれるのかな。



思わず漏れた呟きは誰にも届かずに、夜の帳に吸い込まれていく。「もう少し頑張りますか」と一人自分を鼓舞して、温くなった布巾を濡らし再び力一杯絞った。










チュンチュン…チュン…


寝ぼけた耳に鳥の軽快な囀りが聞こえる。どうやら自分はあのまま眠ってしまったようだ。痛むこめかみを揉んで、窓から差し込む刺すような朝日を睨みつけた。ベットに臥す少年はまだ目を覚まさない。起こさないようにと慎重にベット際から身を起こした。

 そろそろ通いの客が定期の薬を受け取りにくる。それまでに渡す薬の用意と朝の庭仕事をしなくてはならない。薬草は繊細なものが多いのだ。手入れを怠ればあっという間に使い物にならなくなる。

エプロンと手袋をして庭に出る。朝にしか咲かない薬草を取って、その葉に煌めく露を払わなくてはならない。今日は晴れたので防風対策のビニールをとって存分に日光を吸収させてあげたいし、鶏小屋から朝の生みたての卵をとってこなくては。やらなければならないことは山ほどある。



「よし、今日も頑張ろう」


 冷え切った水で顔を洗って、前を向いた。







 庭仕事が終わると、早くも通いの客が来た。申し訳ないが、お茶を出して居間で少し待っててもらい、急いで薬を渡す用意をする。


「そんなに急がなくってもいいのよお。時間はたっぷりあるのだもの」


 ほほほと穏やかに微笑む女性はレニといって、昔からの馴染みで孤児の私にもよくしてくれる気前のいい人だ。彼女は足を悪くしていて、ここに来るのも大変なはずなのに「チエに会いたいからね」と週に二度もここまで足を運んでは、街での噂話を面白おかしく話してくれる。


「そうそう、なんでも魔術師様のペットが逃げ出したとかで、憲兵たちが街のあちこちを探し回ってねぇ。ネズミの一匹も逃がさんかばかりの包囲網を街の周りに張って、上を下への大騒ぎよ」


「え、逃げ出したのはペットですよね?なのに包囲網まで張るなんて…」


「そうよねぇ。たかがペットが逃げ出しただけでこんなんになってしまうなんて、お偉いさんはよくわからないねえ」


 ふう、と少し呆れたようにため息をひとつ。彼女はここまで負の感情を表に出すのはめったにないので、ここに来るのも相当厳しい検閲を受けたのだろう。せめてもと、お茶のお代わりを勧めたが、もう帰るとのことで断られた。家先まで見送りをして、その姿が見えなくなってから家に戻る。


「ただいまー」


 おかえりと言ってくれる人はいない。それでも長年に渡り染み付いた癖というものはなかなか抜けないし、直そうとも思わない。きっとこれからも私は「ただいま」と言い続ける。我ながら女々しいなと自嘲しつつ、奥の部屋の彼を看るために換えのタオルを用意していると。



「うぁっ!!??」

がたんっ



 奥で物音がした。しかも結構大きい。何かあったのだろうか?と急いで部屋に駆け込むと、ベットから落下して後頭部を押さえて涙目で震えている、なんとも気の抜ける光景がそこにあった。


「大丈夫?」


 声をかけると、頭を押さえていた少年がゆっくりとこちらを向く。昨夜一度だけみたあの碧色が、違う色を放つ。視線があった途端、透き通るような碧色が目に見えて陰った。ただえさえ色白の肌は蒼白と言っていいほど青ざめ、血色の悪い唇が戦慄く。明らかに様子がおかしい。


「あなたは、だれですか…?ここ、は、ぼくは?また捕まったの、っ?」


 ひゅーっひゅーっと呼気が細くなる、過呼吸になっているようだ慌ててその小さな少年に駆け寄る。振り払われるとも思ったが、伸ばした手は振り払われなかった。代わりに枯れ枝のようにやせ細った手が、縋るようにこちらへと伸びる。安心させるように片手でその手を握り、もう片方で背中をさすってやる。



だんだん落ち着いてきたのか、少年の呼気が正常になったあたりで彼はその顔をあげた。こちらに怯えるように身を縮める彼に胸が痛む。敵意がないこと伝えるために、せめてもと笑顔を作る。しばし逡巡したのち、少年は小さく口を開いた。


「あなたは…、だれ?」

「わたしはしがない薬師だよ。名は知衣というんだ」

「…チエ?」

「うん、そう。信じられないかもしれないけど、きみに危害を加える気はないよ」


敵意はないと伝えるつもりで、何も持たない両の手をぷらぷらとふった。まだ少しの疑惑を残しつつも、今の状況からどうにもならないと察したのか少年は納得した体を示した。

何から逃げていたのかは知らないが、切迫した状態であったのであろうことから、彼が決していい環境とは言えないところにいたことは何となく察しがつく。すぐに疑いが晴れないことは百も承知だ。それよりも、



ぐぅー...



「...とりあえず、ご飯にしようか」




わたしのお腹はぺこぺこである。





 

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