相性
薬の素材を薬術師に一気に手渡したり、町の外の畑を荒らしている魔獣を瞬殺したり、病気になった母親に美味しいものを食べさせたいという子どもに魔獣の肉を渡したりして、ようやく町長に会うことができた。
転送門を開放してほしいというユーナたちの願いに対して、町長はそう簡単にはと当初は色良い返事をくれなかった。当然である。初対面の旅行者をホイホイ信用しているようでは、町長として失格だ。
通常はごねて一度追い出される流れなのだが、仮面の魔術師と、何とセルウスの存在が、町長の心を動かす。既に転送門を開放している者が同行していることで、クエストが通常とは異なる形で動き出した。
「実は……」と町長が打ち明け話を始め、その意を汲んで今、ユーナたちはアンテステリオンの北側、旧地下水道を歩いている。
現在、川沿いにあり、そこから豊富な水を確保できるアンテステリオンだが、かつて、川の流れはもっと北東にあった。当時、水を確保するために作られた旧水道の多くは地上を流れており、現在までその姿をとどめていない。だが、町の北側から町へと流れ込ませるにあたっては地下を通じており、その部分だけは現在も遺構として残されていた。町側は封鎖されているので出入りはできなくなっているが、地上から地下へと流れ込むあたりに出入り口があり、ユーナたちも、初めてのダンジョンに胸を高鳴らせながらそこから下った。
最早増水時に流れ込むか、雨水程度しか水はないはずだが、捌け口がないために暗がりからやや冷たさを含む湿気を感じる。苔むした壁や階段に気をつけながら、足を運んだ。
旧水道は人が二人ほど並んでもまだゆとりのある水路の底の部分と、少し高めに作られた細い通路部分に分かれていた。そして、もともと水道のため、当然、通路に明かりなどあるはずもなく、先頭を歩く仮面の魔術師は杖の先に魔術で明かりを灯し、水路部分のほうを進んでいく。ただ、問題は、そこではない。
「炎の矢」
視界に現れたスライムを、ことごとく焼却処分していくのだ。
どれほど小さかろうと、大きかろうと、数が多かろうと、一瞬でスライムが蒸発していく。おかげで、道行きはたいへん快適だ。空気のじめじめ感すらも、炎によって空気が炙られて乾燥しているのではなかろうか。なお、ユーナたちは戦利品拾いに従事している。この分では、早々とスライムの核石で道具袋が埋まりそうだ。
「……あー、ペルソナ? 一応ボクたちも、戦えるんだけど、さ」
「全力で、が条件だったからな。約束は守るとも、リーダー」
さすがに戦利品を拾いながらついていくだけというのは気が引けて、フィニア・フィニスが申し出る。しかし、逆に仮面の魔術師は後ろを振り向くことすらなく、己の職分を果たすと言い含めた。確かに、約束通り全力を尽くしている。その分、MPも徐々に減ってきているのだが。
「この分なら、すぐ着きそうですね」
「確かに、普通に昼ごはんは町で食べられそうだ」
真新しい盾を片手に、セルウスはうれしそうにフィニア・フィニスへ言う。金色の髪を揺らし、一つ頷いて、フィニア・フィニスも肩をすくめた。
既にアンテステリオンの転送門開放クエストを終わらせているセルウスから、ユーナもフィニア・フィニスも地図の転送を受けていた。ペルソナも同じものを持っており、迷うことなく、目的地に向かって歩いている。
本来、町長から信頼を得るために、もうワンクッション、別のお役立ち戦闘系クエストを終えてから、この転送門開放クエストへ続く。今回はそのワンクッションを省くことができたため、時間的にはかなり短縮することができていた。何と言っても、まだ昼前である。驚異的スピードだ。
町長から依頼された内容は、アンテステリオンに流れてきた余所者に対する警戒から発されていた。怪しいと言われてしまうと、まず自分たち旅行者が筆頭に上がりそうなものだが、町長の警戒の先はそちらではなく、逆の王都方面から来たと見られる、羽振りが良い余所者の話だった。確かに、旅行者は幻界に来てそれほど間がないため、それほど現金を有しているわけでもない。余所者は稼ぐわけでもなく、アンテステリオンの町中を探索していたそうだ。特に悪さをするわけではないが、腰を据える様子もない余所者が、徐々に増えていると……まず、衛兵が気付いた。
そして、遂に先日、町の中のとある場所で、余所者が集結しているのが発見された。それが、この旧地下水道の、既に封印が施されている町側での出来事だという。ただの壁でしかない場所に、十人を超える余所者が集まっていれば、さすがに衛兵も警戒する。現在は見張りを置き、近寄らせない処置を取っているそうだが、気がかりはこの旧地下水道側にあった。町中に旅行者の数が増えたころに反比例して、余所者の多くが町中から姿を消し、町長はより一層不安を覚えたというわけだ。
その不安は、的中する。
「――しぶといな」
地図上では行き止まりになっている、旧地下水道の最奥。
そこには煌々とたいまつが灯され、二人の男が衛兵よろしく立っていた。ただ、アンテステリオンの衛兵でないのは、貫頭衣をまとっていないことではっきりわかる。どこの門番でも衛兵でも、その職分を証明するために、揃いのお仕着せを身につけ、槍を持ち、剣を佩くものだ。しかし、その二人は薄汚れた……革鎧をまとい、腰に剣を佩くのみだったのである。極めつけは、頭上に表示されている名称が、「ごろつき」で、しかも敵表示であることだが。
水路の影で灯りを消し、仮面の魔術師はおしゃべりに興じているごろつきたちを覗いて、短く評した。低い声音に合わせ、ユーナも小声で問う。
「前もいたんですか?」
「前はいなかったと……」
代わって答えたのは、アンテステリオンの転送門を開放済みのセルウスである。ごろつきはたくさんいたが、あの奥の扉の部屋だったそうだ。毎回、このクエストでは殲滅されているはずだが、また沸いているようだ。
ペルソナの呟きに納得ができたユーナは、あの二人を倒したあとのことを想定し、マルドギールを握り直した。かつて、エネロで手に入れた指先のない手袋をはめたので、手に汗握ることになったとしても、そう簡単に取り落としはしないだろう。
「やっぱり、ちょっと展開が違うんだな。ラッキーじゃん」
声を弾ませるフィニア・フィニスの手の十字弓は、既に矢が装填済みだ。
今にも飛び出していきそうな様子を一瞥し、紅蓮の魔術師は尋ねた。
「奥の一人は俺が、もう一人はフィニア・フィニスに任せる。いけるか?」
「とーぜん!」
その返事に頷き、ペルソナは次いでセルウスを見る。不思議と通じ合っているように、彼もまた盾を掲げて頷いた。
「炎の矢!」
「疾風駆矢!」
放たれた火炎の矢と、疾風を纏った矢が、ほぼ同時にそれぞれごろつきに飛来していく。
紅蓮の魔術師の選んだ術式は、今まで連発してきた矢よりも遥かに火力は高く、ごろつきを消し炭に変えた。そして、フィニア・フィニスの矢は狙い違わず、ごろつきの胸を貫く。
ごろつきの二人が光の破片に変わった時。
ピロリロリンッ♪
場違いに軽快な旋律が、響き渡った。フィニア・フィニスのレベルアップである。ほんの一瞬、喜びが胸を占めた、が。
その音は静まり返っていた旧地下水道に流れ……当然、扉の奥にも届いた。
「げっ」
「えっ!?」
隠し扉が蹴破られたのかと思うほどの勢いで開かれ、中からわらわらとごろつきたちが「何だ何だ」と騒ぎながら出てくる。既に姿を晒している仮面の魔術師と金髪の狩人をまず、その視界に捕らえ、ごろつきたちは次々と雄叫びを上げながら、剣を抜き放ってこちらに駆け始めた。
まさかレベルアップ音で気づかれるとは思わず、フィニア・フィニスとユーナは驚愕の声を上げる。たちまち肉薄するごろつきの前に、盾を構えてセルウスが滑り込んだ。
「防御!」
「――火炎爆発」
ごろつきの剣を、セルウスの盾が受け止めた瞬間、紅蓮の魔術師の中級火炎魔術がごろつきたちのほぼ中央で炸裂した。火にまかれ、爆風に吹き飛ばされ、セルウスの前にいたごろつき以外が全て四散する。
呆気に取られているあいだに、森狼が横合いからセルウスと対峙していた生き残りのごろつきを噛み殺した。まさに、瞬殺である。
「うわー……設定からレベルアップ音が消去できます、ご利用くださいとか……もっと早くチュートリアルしろよ……」
チュートリアル・ウィンドウを拳で叩いて消去し、フィニア・フィニスは深々と溜息をついた。レベルアップの喜びなど霧散したようだ。そして、セルウスを睨む。
「オマエ、知ってたな?」
「え……ほら、ネタバレになっちゃうので……アハハハハ」
「知ってたのに、言わなかったんだな?」
「す、すみませんっ」
「ひょっとしなくても、アンタたちもだろ? ひっどー……」
ぷーっと頬を膨らませるフィニア・フィニスに、ユーナは首を横に振る。
「えっと、どこでチュートリアル入るのかは知らなかったんだってば!」
無実を訴えてみたものの、フィニア・フィニスのジト目は変わらない。
まばらに落ちている戦利品を片っ端から拾い始めていた仮面の魔術師が、振り返った。
「勝てたんだからいいだろう? ――レベルアップおめでとう」
「そうですとも! レベルアップおめでとうございます、姫!」
「レベルアップおめでとー♪」
「あ、ありがと……」
続いた祝福の嵐に毒気を抜かれ、頬を赤く染めて視線を逸らし、フィニア・フィニスは礼を言う。その様子に見惚れてセルウスまで頬を紅潮させ始めたので、ユーナは戦利品集めを手伝い始めた。森狼も続く。
じゃらじゃらしているものと、そうでないものがある。布袋をじっと見つめると「財布」と表示された。
「相手がごろつきだと、お財布なんですか?」
「人間相手だと、財布が多いな。中身は大して入ってない。見てもいいぞ」
言われた通り、ユーナが試しに一つ開いてみると、大銅貨が一枚だった。しょぼい。
「宿を引き払ったということは、宿代もないわけだからな。さもありなん」
ごろつきは名前付きでもなかったので、完全に雑魚扱いだそうだ。戦利品を拾い終わったころに、ようやくフィニア・フィニスは新しい矢を装填させて追いついてきた。当然、すぐ傍にセルウスがくっついている。
「先ほどのごろつきが中ボス扱いだ。イベント的には、PTの中で一番レベルの低い旅行者を対象にした強制レベルアップだな。前払いみたいなもので、必要経験値が多ければ飛び出してくるごろつきの数が増えるし、少なければ減る。とは言え、対象者もレベル二十まで、という条件があるから、PTの平均レベルの底上げにしか使えない」
仮面の魔術師の説明に、ふむふむと聞き入る。今回のレベルアップで、ペルソナの二十九はさておき、セルウスとユーナは十九、フィニア・フィニスが十七、アルタクスが十二になっていた。次のマールトの推奨レベルが二十である。クエストボスを倒せば、なかなかいい感じに上がりそうだ。
隠し扉の奥で雑魚寝でもしていたのだろうか。休憩室のようなあつらえの部屋にもたいまつが炊かれ、足元には汚れた毛皮が何枚も敷かれているのが見えた。扉は内開きだったが、裏に人影はない。残党がいないかどうかを確かめながら、ゆっくりと部屋に入る。壁には近寄りたくない匂いを発する壺があったが、敢えてその件には誰も触れず、周囲を見回した。
奥に、壁を砕いたような入口がぽっかりと開いている。まったく明かりは見えず、ただ、暗い入口だ。どうするかと無言で問う視線を互いに交わす、と。
「――ぅぁぁぁぁぁぁぁっ……」
男の叫び声が聞こえた。フィニア・フィニスが間髪入れずに走り出した。次いで、舌打ちをしたセルウスが続く。ユーナが駆け出すと、同じように森狼も隣に並んだ。
砕かれた壁の破片が周囲に転がる中、足元に注意しながら、それらを乗り越えていく。まだたいまつの明かりが、周囲には漏れていた。フィニア・フィニスはその明かりを頼りに、辺りを見回している。
その明かりの届かない、闇の中。
最初、泉が湧いているように見えた。
たいまつの明かりに反射した水面は、波紋を広げている。
先ほどの声は、男が泉に落ちたものだろうかと思った。
だが。
「来るぞ」
背後から飛んできた紅蓮の魔術師のことばに合わせて、泉が立体化していく。
薄汚れた水面が、起き上がるように視界に広がる中で、ユーナは男と目が合った。
ごふり、とその中で、気泡が立つ。
口を片手で押さえ、血走った目を瞠り、ごろつきはもう片方の手を必死にこちらへと伸ばしていた。
途端、その姿が砕け散る。
「魔力光」
高く打ち上がった、仮面の魔術師の魔力灯に照らし出されたものは……巨大な、スライムだった。真っ赤な名前がはっきりとユーナたちにも読み取れる。
――水妖エイテン――
アンテステリオンのクエストボスは、ユーナたちが身構えるよりも早く。
手近にいた獲物――フィニア・フィニスへと転がり始めた。セルウスは盾の裏を指先で撫でながら、フィニア・フィニスの前に出る。
「風の防壁!」
セルウスの盾が風を帯び、エイテンの軌跡を逸らす。ぷよぷよした体躯はあっさりとセルウスやフィニア・フィニスの横へと逸れ、壁に激突し……かかって止まる。すぐさま角度を変えて、転がり始めた。
とことんぷよぷよしている。
フィニア・フィニスが矢を放ったが、それは呆気なくぷよぷよの中に飲み込まれた。そのことから導き出された予想に、ユーナは仮面の魔術師へと慌てて尋ねる。
「こ、これって、ひょっとして!?」
最悪の想像に顔を青ざめるユーナに、仮面の魔術師は無情に頷いた。
「ああ、物理はほぼ効かない」
「先に教えて下さいーっ!!!」
ユーナの絶叫に、口の端を上げて応える。
「ネタバレになるからな」
「アンタさあ、状況考えろよー!」
フィニア・フィニスは、叫びながらセルウスを壁にして矢を装填した。
ふたりと水妖の間へと森狼が入り、そのぷよぷよへと飛びかかる。
「セル!」
「風の加護!」
主の要求に応え、セルウスは森狼へと魔術の加護を贈る。その四肢に風の属性が付与され、ぷよぷよを貫いた。まるでゼリーの中へ飛び込んだように容易くそれは引き裂かれ、アルタクスは反対側へと着地する。ぽこんと空いた虚ろに、攻撃が効くことはわかったが……見る見るうちに、その空洞は塞がれていった。穴埋めのように行われたせいか、多少、ほんの少しだけ、エイテンの体躯が縮んだような気もする。
「あれ、効いてんの?」
「効いています。どんどん小さくなりますから、ガンガン行きましょう」
不信感丸出しで問うフィニア・フィニスに、セルウスは迷わず頷いた。風は効くのかと、フィニア・フィニスは狙いを定め、指先に力を籠める。
「疾風駆矢!」
再度、エイテンのほぼ中央に、穴が開く。しかし、森狼が貫いたものよりは遥かに小さい。空洞が塞がる時間も短く、フィニア・フィニスは、自身のスキルがダメージソースとしては弱いと即座に悟った。
ならば、と十字弓に矢を装填し、すぐ、広間のようになっている部屋の奥のほうへと駆け出す。少しでも移動距離を増やし、その間に態勢を整える作戦だ。意図を理解し、セルウスも追う。
水妖へ突撃を繰り返す森狼を見ながら、ユーナは迷っていた。マルドギールはただの短槍である。このまま突き刺せば、失うかもしれない。だが、彼女が扱える精霊術は水であり、どう見ても相性は最悪だった。しかも、加護のような術は、彼女の得たスペルスクロールにはない。
「炎の加護」
彼女の迷いを払うように、紅蓮の魔術師の加護が槍を包む。
弾かれたように振り向くと、彼は顎の先をエイテンへと向けた。ユーナは頷いて、駆け出す。
火属性の加護を受けたマルドギールの中央では、深紅の宝玉が煌いていた。
ちょうどフィニア・フィニスへと転がり始めたエイテンの真後ろを、マルドギールで一閃する。
マルドギールの軌跡が、そのままぷよぷよした体躯の一部を蒸発させた。唐突に水妖は動きをとめ、ぷるぷると震え始める。蒸発した部分は穴埋めされなかった。その部分だけ傷を残し、まるで悲鳴を上げるように、酸で何かが溶けるような音が響く。
いける、と思った。
更に追撃しようと、ユーナはマルドギールを翻す。
だが、ぷよぷよした巨体は、真後ろにいるユーナに目掛けて倒れ込んできた。
ゆっくりと近づく濁った水のぷよぷよの中に、フィニア・フィニスが初撃で放った矢が見えた、気がした。
マルドギールを翻したために、体がねじれ……ユーナはその場から飛びのくタイミングを完全に失っていた――。




