青天の霹靂
仮面の魔術師が、小結界の外へと退出する。PTが解消され、ユーナとアルタクスのみが表示に残された。
それに合わせて、視界に『PvP』『mode Duhel』『misit victoria』という幻界文字が浮かんでは消えていく。続いて、三、二、一、とカウントダウンが開始された。
――初手は、譲る。
ユーナの目の前で、とんがり帽子の魔女は既に杖を構え、指先を術式刻印に当てていた。彼女が術句を口にするだけで、それは発動するだろう。
雷の魔術について、ユーナは想像の範囲でしか知らない。一度も幻界ではお目にかかったことがない代物だ。だが、火の魔術で水が出ないのと同じように、その特性は他のゲームのものと、そう違いはないと思われた。
直進、拡散、貫通、麻痺。
要するに、当たったらおしまいというわけである。
ゴム製品など幻界に存在するかどうかは知らないが、少なくとも所持はしていない。ユーナはいくつかの手札を脳裏に描いた。
森狼が、僅かに身を屈める。いつでも飛び出せる体勢、というよりも、ユーナの読みと同じように「回避」を想定した動きだ。
彼は言った。
何でも、使えと。
〇が消えた瞬間、とんがり帽子を揺らし、ソルシエールは術式を解き放っていた。
「――雷の矢!」
初級魔術の中で、最も詠唱が短い初歩中の初歩、属性魔術の矢である。威力操作を加えたり、複数出現させたりと術式に手を加えることにより、初歩の魔術にもバリエーションが生まれる。ソルシエールが仮面の魔術師から教わった、大切な基本だった。
ソルシエールが放った初手の魔術は、スピードに任せた、直線的な雷の矢だった。ほんの少し左に避けるだけで、ユーナの横を走り抜けていく。ユーナは、魔術の発動の軌跡を目で追わなかった。魔女は内心で舌打ちをしながら、第二手として回避地点を狙い、もう一本、雷の矢を飛ばす。
「雷の矢!」
術句に向かって無造作に投げられたのは、一本の短剣だった。
見覚えのある形が、雷を受けて床に落ちる。
――初心者用短剣、である。
もう、かなり前に放り捨てた品だ。
売ることもできない、使えない短剣。
邪魔だと、確か、言い捨てて。
ソルシエールの心が、揺れる。
それでも、指先は術式刻印を撫でた。どれだけ繰り返したかわからない、指に馴染んだ感覚。
とんがり帽子の魔女が握っている短杖は、普段彼女が使っている武器ではない。かつて、仮面の魔術師が作ってくれた、とても大切な思い出の品である。シンプルな三つの術式が、威力操作の術式を組み込めるように彫られており、彼女が仮面の魔術師を「師匠」と呼び始めるに至ったきっかけでもあった。
森狼が、走る。
最後の跳躍で魔女に飛びかかろうとする、タイミングに合わせて。
もうひとつの術式が放たれた。
「雷光網」
その名の如く、雷の光が彼女の視界に広がり、瞬く間に森狼を包み込んで捕縛した。全身を貫く電撃に、アルタクスは吠えた。詠唱速度を最優先にしたそれは、威力こそ小さかったが、体に麻痺を残す。
痺れのために顎を大きく開き、舌を出したまま、森狼は瞬きもできず、その場に横たわった。
数拍だけでいい。時間が欲しかった。
最も厄介な相手を封じ、更にソルシエールは三つ目の術式を放つべく、杖を撫でる。あのころ、これが彼女に撃てる、最大の魔術だった。短杖に刻まれた、最も長い術式刻印は、もうかなり薄れかかっていた。
右手に短槍を構え、ユーナはソルシエールを見据えている。
魔術を、武器で払う気か。
とんがり帽子の魔女は笑みを佩く。
もう逃げ場などない。これで、終わる。
「天雷撃!」
「満たせ純粋な水!」
樹枝状の電光が、魔女の杖から放たれるのと同時に。
ユーナの左手が一瞬、青に輝き、宙に水の霊術陣が浮かんだ。
視界を覆うほどの水量が、その霊術陣から湧いて重力のまま、地面に流れ落ちる。
それはもう、滝だった。
豊かな水量を誇る、雨の後の日本の滝を思い起こさせる流れ。
違いは、この上もなく清らかな水であることか。
綺麗な白い飛沫と共に、その水面で、雷は拡散され消えていく。
その時、ソルシエールにも、僅かな飛沫が飛んできた。
そして、それで十分だった。
「ぃっう!」
水飛沫を浴びたソルシエールは、己の魔術の破片をその身に受け、悲鳴を上げて体を震わせた。
痺れる感覚はごく一部だったが、慣れない痛みに耐えるべく、杖を両手で強く握りしめてしまう。
受け手のない水は、訓練場の床を濡らしていく。
水飛沫の立った音が、一際大きく、聞こえた。
唐突に水の霊術陣は消え失せ、同時にユーナのマルドギールの穂先が現れる。
そして、ソルシエールを一閃した――。
真っ黒なとんがり帽子が、床に落ちる。
――The battle is over.
Winner Yuna!
Congratulations. It was a good fight.
打ち上がった幻界文字に。
マルドギールを振り抜き、床に膝をついていたユーナは、安堵の溜息をついた。
その視界に靄がかかり、急激に意識が遠のきかけた。不思議に思うよりも早く、その体は地面に投げ出される。頭の中にクエスチョンマークが複数浮かぶ。わけのわからない喪失感に、首を傾げることすらできない。
真っ赤な術衣が、近寄ってくる。
「ガス欠だな」
ことばと共に、救いの手が伸びた。ユーナは身体を地面から起こされ、次いでMP回復促進薬が差し出されたので、ありがたく口に含んだ。少し楽になった気がする。完全に赤になっているMPバーと疲労度に、ユーナは溜息をついた。明らかにやりすぎである。
すると、ペルソナの口から小さく気合の声が発され、ユーナの体が宙に浮く。目の前に仮面があり、ふらふらする頭のままで彼女は尋ねた。
「え……と?」
「MPを使い切るほどの精霊術を使ったせいで、動けないだけだ。そのうち治る。
……楽しませてもらったからな。宿まで連れていくから、お前も来い」
ようやく痺れが抜け、何とか起き上がった森狼へと魔術師は言い放ち、結界の外へと歩き出した。
森狼は頭を振り、それからユーナのマルドギールを口に咥えて後を追う。
ソルシエールは、地面に落とされたとんがり帽子を拾い上げる。
どんどん離れていく後ろ姿に、泣きたくなった。
「あたしっ……」
続かないことばに、彼はそれでも振り向いてくれた。
仮面の奥の朱殷の瞳は、楽しそうに魔女を見る。
「仮面の魔術師がお膳立てした模擬戦だろう?
気にすることはない。
ああ――一つの無駄もない、撃ち方だったな」
彼にとって、勝敗などどうでもいいとでも言いたげに。
誇らしげに、紅蓮の魔術師はソルシエールの戦いぶりを評し、それだけ言い置いて、従魔使いたちと去っていく。
彼女の手の中に残されたものは。
ひしゃげたとんがり帽子と、使い込まれた思い出だけだった。
「……ホント、勝てたっていうだけのような気がします……」
紅の魔術師の肩に頭を乗せたまま、ユーナは呟いた。
即、彼は同意を示した。
「そうだな。これが訓練場でなければ、目もあてられないだろうな」
「ですよね……」
一段一段、地下からの階段を昇りながら。
訓練場より薄暗い足元に注意しつつ、彼は少し息を乱していた。
「疲労度やMPが失われたところで死にはしないが……身動きが取れなくなるのは命取りだ。どれくらいMPを精霊に捧げるのか、よく考えて使うべきだな」
「どれくらい捧げたら防げるのか、わからなかったんですよ」
「だろうな」
ユーナの使用した水の精霊術は、本来、飲み水を出すというだけの代物である。術式や法杖の話を聞いて実践したが、効果としては成功したものの結果としては失敗してしまった。MPが枯渇するほどの術は、融合召喚以来で、all or nothing的にしか扱えていない事実には頭が痛む。
「……炎よりも、雷のほうが発動は早い。当たれば全てが終わる。それを理解した上で、よくあれだけの手数を打てたな。――大したものだ」
最後の呟きは、階段を昇り切ったところでもたらされた。
――認めてもらえた、のだろうか。
ふーーーーーっと息を吐く魔術師に、ユーナは自分のステータスを確認する。MPは未だに濃い赤だが、数値的には多少回復しているようだ。疲労度も同様だが、歩けないほどではないと思う。
「え、っと、たぶんもう大丈夫だと……」
「そうか」
服を握るユーナにわかったと頷き、ペルソナは昇ってきた森狼の背に彼女の身を移した。代わりに、短槍を引き受ける。森狼の背中は心地よく、ユーナは頬を擦り寄せた。
「あいつも、これで少しは焦るだろう。いい薬だ」
「……そういえば、置いてきちゃいましたけど、いいんですか?」
「問題ない。勝ち負けでどうするっていう話もなかったからな」
言われて、確かにそうだったと思い出す。
本来、勝敗を問うのであれば、その際の条件を予め決めておくものだ。だが、そのあたりはまるっと抜けていた。
「ユーナは、攻略組を目指すんだろう?」
それは、静かな問いかけだった。
ごく自然に、ユーナは頷く。
誰でも、そうではないのだろうか?
最前線で、道を切り拓いていくことを、望まないのだろうか。
だが、そんな一般論より。
ユーナの心に去来するものは、ふたつの約束だった。
違えるつもりはない。
「すぐに、追いつきます」
「――そうか。待っている」
口の端を上げて、仮面の奥の目を細め。
紅蓮の魔術師は、その日を楽しみに、心から微笑んだ。
トップの看板を作成して下さったGinranさんの作品はこちら!
「ピカレスク・ニート ~汝、暴虐なれ」https://ncode.syosetu.com/n9683cw/
私もレビュー書かせていただいております♪
ファンタジー好きな方におススメです♪♪♪




