邪魔
瞬く間に、テーブルに並んだ料理が消えていく。
それは瞬間移動という空間魔術ではなく、驚異的な食欲とそれに伴う飲食が原因で発生している一事象に過ぎない。
ユーナは辛うじて、バーニャカウダのような野菜盛や、甘辛いたれで焼かれた肉を蒸したパンで挟んだものなどを森狼に取り分けることができた。しかし、次々と並べられる料理が、端から炎と雷の魔術師の師弟(他者認定)によって消えていくのである。
しかも、優雅に、かつ、手早く。
一言も余計な発言をすることなく……話せば食べ損ねることがわかっている……ふたりは黙々と皿を空にしていく。
そのあまりの勢いに、シャンレンは悟った。皿を運んできた給仕の女性に、空いた皿を渡しながら頼む。
「すみません。もう一回、全種類お願いします。ええ、飲み物も全員分同じものを」
料理争奪戦に敗北続きでフィニア・フィニスに足を踏まれまくり、半泣きになっていたセルウスの目が輝いたのは、言うまでもない。ユーナに至ってはおなかが鳴りそうだったので、心底助かったと感激していた。
全員の食欲が満たされたころ、「腹八分目じゃないとスイーツが入りませんね」と追加注文したお茶を片手に魔女が呟いた。その師匠以外の顔がひきつる。
「果物の盛り合わせ、なかったか?」
「果物はスイーツにあらず、ですよ。師匠」
一緒にご飯を食べましょう、の誘いの理由を正しく理解したPTMは、もうその台詞は聞き流すことにした。ソルシエールは給仕にスイーツを要求したが、さすがに田舎町のせいか、果物以外の甘味はなく、仕方なしに果物の盛り合わせを注文する。
「……自分の分は払えよ」
「え!? 師匠の奢りですよね? これ!」
ペルソナのことばを魔女は聞き直し、更に違うの?とシャンレンに視線を向ける。彼はにこやかに営業スマイルで応えた。要するに、誤魔化した。
「そんなぁ……」
がっくりと項垂れて、ソルシエールはそれでも運ばれてきた果物の盛り合わせを、自分の前で独占する。横から紅蓮の魔術師が手を伸ばし、ライチのような果実を横取りしていた。仲睦まじいようでとユーナはむしろ感心する。
「さて、おなかも満足したところで、お話ですね。
ソルシエールさん、お食事も終わりましたし、退席されますか?」
目的は達成されましたよね?と問うシャンレンに、ソルシエールは口元を引き結んだ。そして、ちらりと仮面の魔術師を見る。彼は完全に視線を合わせる気がなく、横取りした果実を皮のまま齧っていた。
仕方なしに、彼女は口を開く。
「――何となく、師匠が同席させたくなかった理由はわかります。
こっそり、パワーレベリングの手伝い、するんですよね?」
テーブルでだけ聞こえるように声を低めて、ソルシエールは確認するように言った。
営業スマイルのまま変わらないシャンレン、互いに顔を見合わせるフィニア・フィニスやセルウスを見て、それから、ペルソナのとなり……ユーナへと視線を向ける。
「その子が噂の従魔使いですよね。後続から上がってきた攻略板のカキコ見ました。アンファングの討伐クエストで、すんごく目立ってたっていうの。
その討伐クエストで、青の神官様がやらかしたって書いてあったから、師匠も参加してたんじゃないんですか?」
「やらかした?」
ペルソナがおうむ返しに訊くと、魔女は彼のほうを向き直り、大きく頷いてみせた。
「死にかけた初心者を、わざわざ青の神官様が法杖失くしてまで助けたって。
あのひと、ホントお人好しですよね。攻略組なのに初心者向けレイドクエで戻ったり、神殿の近くなのに、そこまでするなんて……マジありえなくないですか? 神殿戻りさせてもすぐなのに」
「黙れ」
ユーナは愕然とした。
ネット上の攻略板で、自分についてチェックしたことがなかったので、そういうことになっているとは知らなかった。巷で、アシュアが、それほどまでに卑下されているとも思わなかった。
ソルシエールは、唸るように放たれたことばと、拒絶の色を浮かべた朱殷に気付いて大きく目を瞠った。
シャンレンは営業スマイルのまま目を細め……そして、ペルソナを見る。若葉色のまなざしに問われ、仮面の魔術師は彼女に向き合う。
「とっととマールトに戻って、マイウスへ行け」
「どうしてですか? あたし、ここにいたいんです。師匠がいますから」
まっすぐにソルシエールは答える。その口調は仮面の魔術師によく似た響きを持っていた。淡々と、自分の要求を述べるだけである。
黒と赤が睨み合う中、フィニア・フィニスがつまらなさげに頬杖をついたまま、口を開いた。
「このひと、あんまりお師匠様以外のことキョーミなさそうだね。
ボク、別にパワーレベリングしてまでレベル上げしたいわけじゃないし、イラナイかなー」
「あ、そうですね。僕も結構です」
フィニア・フィニスの、ソルシエールのPT参加を認めない発言に、セルウスも右手を挙げて同調する。食事を先に食べられまくったのが理由ではない。……たぶん。
その冷たい切り捨てに、とんがり帽子と黒の瞳が揺れた。
フィニア・フィニスは続ける。めずらしく、少しためらいがちに。だが、それは決して彼女に向けたものではなく、共に戦った攻略組への配慮だった。
「紅蓮の魔術師自身はさー、マジすごいと思う。この前のレイドで、発動のタイミングとか、魔術と弓矢で違うはずなのに、指示飛ばして、威力調整までして、連続技みたいに当ててきて……ホント、勉強になった。だから、師匠って慕うやつがいるのは、わかる気がする。
けど、自称にしてもサイアクだな、アンタ。
何でそんなに上から目線なわけ? 青の神官のこと、そんなふうに言えるだけ、アンタ何がわかってんの?
今も、くんなって言われたんだろ。しかも、一度はアンタを撒いたのに、それでもしつこく勝手についてきやがって……誰からも歓迎されないってこと、アンタの師匠はわかってたのにさ」
その空色の眼差しが鋭く、とんがり帽子の魔女を貫いた。
「――邪魔なんだよ。出ていけ」
黒い衣装を身に纏った、とんがり帽子の女の子が去っていく。ユーナは隣の席の仮面を見たが、ただその背を見送るばかりの様子に、思わず立ち上がった。途端、当の仮面の魔術師がユーナを止める。
「いや、いい。
――悪かったな、言わせた」
自然とPTチャットに会話が切り替わる。
フィニア・フィニスに仮面が向く。フィニア・フィニスは口の端を上げて目を細め、楽しげに応えた。
「んー? 攻略組だって迷うことがあるってだけだろ? ふふん、これで貸し借りなしで」
「助かる」
「さすが姫、かっこよかったです……っ」
ふわふわきらきらしている金色の美少女が天使のように微笑んでいる姿にしか見えないが、内容はどこまでもオトコマエである。正しいのだが、いろいろ剥離しているような気がしてならないユーナだった。とりあえず、セルウス的には問題ないようだが。
「大丈夫ですよ。ペルソナさんと彼女、フレンドですよね? あとでフォローなりなんなりされるでしょうから、今は話を進めましょう」
シャンレンの促しに、椅子へと身を沈ませる。
確かに、彼女のことばはユーナにも少なからずぷすぷすと刺さったが、全て事実だ。自業自得でしかない。だが、彼女は人づてに聞いたことをそのまま口にしただけで……あれが客観的な意見ではないだろうか。そこに悪意があるかどうかはわからないが、どちらにせよあれだけフィニア・フィニスに言われたら、自分でもへこむ。ユーナはペルソナを見た。ちゃんとフォローしてくれるのかという心配は、伝わったようだ。少し迷った様子で、それでも彼は、不器用に理由を述べた。
「信用できない人間はPTに入れられない。
迷いは戦闘にも出る。
今、この席に座るに値しないだけだ。気にしないでほしい」
今。
その単語に、ユーナは安堵し、小さく頷いた。
フィニア・フィニスの配慮も、ペルソナも言い分もわかる。弟子と認めなくても、フレンドであるなら……また、話せるわけだし。
ユーナが納得したのを見て、シャンレンは改めて話を切り出した。
「それで、姐さんはやはり?」
「ああ、ユヌヤにいる。
シャンレンの法杖のおかげで、俺もセルヴァもユヌヤは開放できた。助かった」
心からのことばに、交易商は微笑んだ。
「それはよかった。使い勝手は?」
「……まあ、何とかってところだな」
ないよりはマシ、という響きを感じ、ユーナは溜息をついた。もともと、アシュアの持っていた法杖は、彼女の命を助けるための触媒として失われたのだ。責任を感じずにはいられない。
だが、アシュアは、「傍に来て対価を支払う」ことを求めている。
まず、ユヌヤまで辿り着くこと。そして、できればそれまでに、彼女にふさわしい法杖を手に入れる道筋を見出したかった。ユーナよりもよっぽど、シリウスやシャンレンのほうが、その道筋を見出す力があるのだろうが、だからと言って可能性を放棄するつもりもない。
「当面はユヌヤのクエストボス討伐を手伝う気らしい。ユヌヤに神殿帰りしている連中が戻り次第、レイドモンスターのほうは見に行くと言っていた。ただ、最初は見るだけにして、戻るそうだ」
「了解しました」
「あ、その神殿帰りなんですけど……ギルドにお金とか装備って、預けておかなかったんですか?」
全滅した話を聞いた時にも抱いた疑問だったが、口を挟む余地がなかった。
ユーナの問いかけに、シャンレンが切り返す。
「どういうことですか? ギルドにお金や装備を預けるなんて、できないでしょう?」
そのことばに、ユーナは頬を指先でかいた。どんなふうに説明すればいいのか、ことばに迷う。
セルウスが身を乗り出した。
「テイマーズギルドで何かあったんだな?」
「なるほど。聞かせて下さい」
シャンレンの頷きに、ユーナは迷いながら、それでも口を開いた。特別依頼を話してしまうと、融合召喚のことまで話さなければならなくなる。シリウスにすら相談できていない状態で、どのように説明すればいいのか……問題がないのかがわからない。なので、そこは伏せて、できる限りシンプルに事実を述べる。
討伐クエストにより、従魔使いの存在が旅行者間にも知れ渡った。そのため、テイマーズギルドが一気に賑わいを取り戻し、ユーナの貢献度が上昇した。
その上昇したギルドランクによって支部内保管室の利用開放と、銀行を使うことができるようになった。
端的なユーナの説明を聞いて、シャンレンは息を呑んだ。
「――ギルドランクが五になっている旅行者が、そもそもユーナさん以外にはいないでしょう。ですが、ギルドランクが三になっている可能性は高いですね。先日の討伐クエスト以外にも、各地のイベントでも同様の措置が取られていると聞きます。実際に、ギルドに確認してみるほうがいいでしょう。
支部内保管室が利用できるとなれば、そこまで取りにいく必要はありますが、予備の装備や金目の物を預けておくことで、神殿帰り時の復帰が格段に楽になります」
早速確認しなければ、と興奮気味に話す。
ペルソナも一つ頷いた。そして、森狼へと視線を落とす。
「そういえば、ユーナの狼に触りたがっていたな……」
いくらでもどうぞ、とユーナとしては言いたかったが、こればかりは森狼の了承がなければ危険すぎる。ペルソナの視線がアルタクスに向くが、森狼は半分眠りかかっているようで身動きひとつしなかった。疲れている上に、満腹なのだ。横になっていたら眠たくなるのは当然である。
「とりあえず、まだ時間はありそうですね。
森狼で思い出しましたが、先日の森狼王のクエスト、他にもクリア者が出たようです」
結局フラグは判明しないまま、クエストが発動して森狼王を倒したそうだ。攻略板上の書き込みでしかないが、森狼王の牙も出たという。
少なくとも、今ユーナが身につけているもの一つしか存在しない、というわけではないことに、安堵した。
「よかった……」
その様子を見て、シャンレンの笑みが深くなる。
「そのうち、フラグも判明するでしょう。
――私はこのあと、ギルドや他の宿も回って、ちょっと情報を集めます。明日は先にマイウスに行きますので、アンテステリオンのクエストが終わり次第、いらして下さい。
ペルソナさんは?」
問いかけに、紅蓮の魔術師は彼の望む答えを出す。
「もともと、魔術師ギルドに寄って、アンテステリオンのレイドに参加するつもりだった。シャンレンがいるなら、もうクエストアイテムは揃っているんだろう? このまま同行したいと思うんだが、いいか?」
最後の問いかけはフィニア・フィニスに向けてのものだった。以前、フィニア・フィニスがリーダーを務めていたことを、彼も覚えていたのだろう。
少し考えて、フィニア・フィニスは答えた。
「……レベル気にせずに全力で行けるなら、いいよ。
MVPは誰が取っても構わないんだ。ボクたちの誰が希少な戦利品を手に入れても、問題ない」
おそらく、目的は、同じだろう。
彼女に相応しい法杖を手に入れることができるなら、自分たちの内の誰でもいい。
そして、早くユヌヤにたどりつくためなら。
暗に示された内容に、魔術師は頷いた。
レベル差を気にせず攻撃すれば、経験値の獲得は大きくペルソナに偏ることになる。
フィニア・フィニスの覚悟に、セルウスは両手を組んで目を輝かせた。目が潤んでいる様子から、不満はないようだ。
ユーナもまた頷いて同意を示した。
「助かります。では、明日の朝、皆さんは食堂集合で。
一旦PTは解散します。ペルソナさんは、ここのお会計もお願いしますね。ごちそうさまでした」
PTは解散され、それぞれが食事の礼を口にしながら、席を立つ。
ユーナが動くと、森狼も起き上がって後に続いた。
にこやかに寄ってきた給仕に代金を支払う時、ようやく仮面の魔術師は気づく。
――とんがり帽子の魔女の分の食費を取り立て忘れた、と。




