近寄るな
深々と。
それはもう深々と、魔術師は溜息をついた。
「……離せ」
「イヤですっ! 逃げるじゃないですか!」
姿は見えずとも、声が聞こえる。
ペルソナの影に完全に隠れているので女の子の姿が見えない、というだけだったが、声は夕闇にやけに響いていて、不気味だった。
仮面の魔術師は首だけを少し後ろに傾け、淡々と答えた。
「もう逃げるだけ意味がない。だから逃げない」
「――ホントですか?」
疑り深い問いかけと共に、ぴょこんととんがり帽子が見えた。まるで西洋の魔女がかぶるような、黒々とした無地の、つばの広い帽子。その下から白くて小さな顔が覗く。
幻界では珍しい日本人形のようにまっすぐな黒髪、揃えられた前髪、その黒い瞳が上目遣いに魔術師を見上げていた。
カワイイ……っ。
正統派である。完全無欠すぎる。
やっぱり自分をベースにするんじゃなかった。ここは奇をてらってもいいから幻界でくらい可愛らしさをもっと追求すべきだっただろうか……いや、やりすぎはダメだよね……。
比較対象が目の前の日本人形から先日遭遇したグラビアアイドルな旅行者までかっとび、いろいろ旅立ちかかったユーナは、ちらりとフィニア・フィニスを見た。見た目洋風正統派美少女……こちらはまだ幼女すぎる……が、魔女の帽子をかぶった日本風正統派美少女の登場に、面白そうに口の端を上げている。そのあたりがあまり美少女の自覚が足りないといつも思う。中身アレだが。
となると、そのフィニア・フィニスを最優先事項に挙げているセルウスはどうなるのだろうかと思えば、どちらかというとバツが悪そうにフィニア・フィニスを見ていた。どうやら、どれだけ可愛らしくとも設定年齢が彼女よりもだいぶ上のために興味の対象外のようだ。……そこは逆に対象内であってほしかったかもしれない……。
ユーナが状況判断をしている様子など当然知らず、仮面の魔術師は術杖を撫ぜる。一瞬、彼の身を火炎が包み込み、日本人形的美少女は悲鳴を上げ、身を離した。
「ぁつぅっ! 何するんですか!?」
「離せと言った」
扱う炎に比べて冷え冷えとした低い声が、まさに地を這う響きで放たれた。
後ずさった彼女の服装は……黒を基調とした、短衣というよりも膝上のワンピースだった。レースやフリルがふんだん使われ、スカートはアイドル並みにふんわりと広がり、この時期にも関わらず、足元は膝上まで覆う、長い編み上げのブーツである。幻界というよりも、現実世界でたまに見かける服装だとユーナは思い至った。
身を翻した紅蓮の魔術師が、術杖を構える。
その意味を正しく理解し、日本人形的美少女からゴスロリ系日本人形的美少女にクラスチェンジした彼女は、両膝を地面につき、両手を胸元に組んで懺悔した。
「ごめんなさいですぅ~! 師匠を怒らせる気はホントなくって、あの、一緒にご飯を食べたかっただけなんです……っ」
「ああ、おひとり様追加ですね。だいじょうぶ、お部屋も空いていましたし、大きなテーブルですから」
さわやかなシャンレンの声が、奇妙に緊迫した空気を両断した。
全員の視線が彼へと集中する、そのタイミングを読んで、まるでレストランのウェイターのように手を横に向け、交易商は宿の中へと全員を促す。
「さあ、お席へどうぞ」
彼の営業スマイルは完璧だった。
そこそこ、質の良い宿なのだろう。
エネロほどテーブルとテーブルの間が詰まっていることもなく、ひとつひとつのテーブルも様々なサイズがあり、ユーナたちは一番奥の十人掛けのテーブルに通された。角だが、ややゆとりをもって配置されているので、足元に森狼が座れるほどのスペースもある。
宿に連れ込むにあたって難色を示されないだろうかと心配したが、従魔の印章の効果で、宿代は通常の半額を追加で、と言われた程度だった。ありがたい話である。
むしろ、テーブルまでの距離で、無遠慮な視線に晒され、そちらのほうが少々気まずかった。ただ、森狼のすぐ後に仮面の魔術師が続いたため、話題は二分されていたような気がする。
「……近寄るな」
「えー」
ゆったりとしたテーブルであるにも関わらず、椅子をわざわざ仮面の魔術師の更に近くへと寄せようとする彼女に、冷たく彼は言い放った。
不満タラタラだが、それでも元の位置には戻さず、椅子に座る。見た目通りの中身ではないと、ユーナは印象を改めた。
『すまない。ここの食事代は俺が持つ』
PTチャットでの呟きに、メンバーの頭が同時に反応する。
『お気になさらなくてもいいんですけどね。せっかくですから、遠慮なくごちそうになりましょうか。
ただ、お弟子さんでしたら、PTにご一緒しても問題ない気がしますよ?』
ユーナの隣に座ったシャンレンが、壁に掛けられたメニューの看板を指さしながら提案する。そのこっそり会話のさりげない誤魔化し方に、ユーナは脱帽した。
いろいろおすすめメニューがある。川沿いのためか、魚メニューも多いようだ。詳細は不明だが、肉料理には肉マーク、魚料理には魚マーク、辛いものには唐辛子のようなマークがついているため、ユーナたち旅行者にもある程度やさしい作りになっている。大皿料理になるのなら、一人一皿注文してシェアが理想……とメニューを眺めながら考えていると、吐き捨てるようにペルソナは否定した。
『――弟子と認めたわけじゃない』
「師匠~、ナイショの会話ですか? あたしも仲間に入れて下さいよー」
言い捨てた口の形をはっきりと読み取られたようで、ペルソナの赤い術衣をひっぱりながら、彼女はねだった。
「あたし、師匠の言うことなら……たぶん、半分くらいは守れますから」
誠意があるようでないような、よくわからない返事に、訊いていたシャンレンのほうが苦笑を漏らす。
「では、飲み物と料理を注文してから、まずはソルシエールさんのお話を伺いましょうか。
申し訳ありませんが、少々込み入ったお話になりますので、部外者にはご遠慮いただくしかなくて」
同じテーブルを囲むほどの距離になれば、相手の頭上を凝視することで名前もIDも見える。
ゴスロリ系日本人形的美少女のとんがり帽子の上には、確かに「ソルシエール」という幻界文字とIDが見えた。
指名を受けた本人は、心外そうに自分を指さして顔をしかめて問う。
「あ、あたし部外者ですか?」
「当然だ。黙って食え」
間髪入れずに同意を示すのは、師匠(他称)である魔術師である。
「まあ、炎を扱わせたら旅行者内で最高峰と詠われる、『紅蓮の魔術師』のお弟子さんを自称されるのですから……それなりに有能な方だと思っています。こちらとしても、優秀な方の手はお借りしたいので、事情によってはご一緒していただこうかと」
「あ、でも、あたしは炎じゃなくて……雷なんですけど、大丈夫ですか?」
「――多少は使えるようになったのか?」
慌てて魔術系統を確認するソルシエールに、かなり声音を和らげて仮面の魔術師が問う。術杖を持っていなかったので気づかなかったが、確かに彼を師匠と呼ぶのであれば、彼女もまた魔術師であってもおかしくはない……むしろ、当然とも言えた。
満面の笑みを浮かべて、とんがり帽子の魔女は誇らしげに頷いた。
「以前、教えてもらった術式を、雷系魔術に合わせて手直しして使っています。マールトをクリアしたら中級も扱えるようになったので、魔術師ギルドの訓練場で試し打ちをと思って……」
「ご注文、お決まりですか?」
メニューをじーっと眺めていたせいか、給仕の女性がテーブルに注文を取りにきた。会話を中断させられたソルシエールが唇を尖らせる。一方で、ちょうどいいとばかりにシャンレンは景気よく注文した。まず、看板にあったメニュー全部と、そして。
「あ、麦酒がいいひと、手を挙げて下さいー。
はい、では麦酒三つと、おすすめの……お酒ではないジュースを三ついただけますか? ああ、森狼にはお水と、専用に器をいただければ、食事はこちらで取り分けますので」
非常に手馴れた問いかけに、さっと手を挙げたのは男性二名だった。恐らく自分の分も追加して注文し、お子様枠にはジュースを選ぶ。ほくほく顔で給仕の女性は快く返事をし、注文を伝えるべく奥へ下がっていった。
全部?
再び見上げた看板には、数えてみると、二列にそれぞれ十個以上のメニューが並んでいた。
食べきれる?とユーナは心配になる。テーブルのメンバーを見回すと、男性陣ですら大食漢には見えない。ただ、最後に自身の従魔に視線を落とすと、空腹度は殆どMAX状態の森狼が床に伏せたまま、食事はまだかと視線だけ見上げてきたので、おそらく問題はないだろうと思われた。
まさかの伏兵の存在が理由で、追加注文することになるとは、この時点で想像もつかなかったのである。




