第三の町
アンテステリオン。
川沿いにあるため、四方を街壁と水堀の二重に囲うことで防衛力を高めた町である。街壁自体に使われている石材の色合いも薄いせいか、最初の町と印象を大きく異にしていた。斜めに傾いた太陽の光を受け、組まれた石のひとつひとつが今はオレンジめいて見える。
ユーナは川から流れてくる風の心地よさに、足を速めた。アンテステリオンの中には水路もあるはずだ。できるだけ涼しい宿を探したいと思うのは、灼熱の太陽に肌を炙られたせいに違いない。となりを歩く従魔もまた、主の気持ちが逸るのに気づき、付き従う。
堀にあまり幅がない理由は、下ろされた跳ね橋を見てわかった。あまり広くしてしまうと、跳ね橋の上げ下ろしもたいへんだろう。街壁があるので、ただの足止め用かもしれない。跳ね橋を渡り切ったところに、門番が立っていた。アンファングよりはやや小さめの正門の前に立つと、声をかけられる。
「ようこそ、アンテステリオンへ! 歓迎します、旅の方」
まだ若い男性は、快活にユーナを歓迎した。そして、転送門広場は大通りを直進したところにあると教えてくれる。従魔の印章の存在も知られているようで、特にアルタクスについて言及されることもなかった。礼を口にして、ユーナは森狼と共に門をくぐる。
アンテステリオンの大通りはアンファングのそれに比べて、半分ほどの幅しかなかった。始まりの町だけあって、恐らくアンファングは主要都市という位置づけなのだろう。半分ほどとは言え、それでも十分馬車が走れそうなほどの幅だ。門近くには商店のほかにも食事処や宿屋が多く、閉門の時間で客が入るのを見越し、あちこちから胃を刺激する匂いが流れてきていた。逆に露店はまったく出ていない。閉門が近いために、もう片付けて商人ギルドへ露店許可証を返しに行っているのかもしれない、とユーナはいろいろ思いを巡らせながら、広場を目指した。
約束の場所が、その近くの商店なのだ。
転送門にほど近い、ラリクス・ラーデンという店。
約束を果たすために、ユーナは広場を反時計回りに回りながら、入り口に下げられている木の看板を一つずつ見ていく。そんな中、めずらしく森狼がユーナを追い越し、ある店の軒先で足を止めた。
そこには、まさに幻界文字で「ラリクス・ラーデン」と書かれた看板があった。
ユーナが扉に近づくと、森狼はその場に身を横たえた。待っている、ということだろう。何となく、スーパーの店先に繋がれている犬のような様相に、ユーナの笑みが零れた。
『ちょっと、行ってくるね』
呟くと、前脚に頭を乗せて目を閉じる。疲労度は既に黄色になっている。ここまでほぼノンストップだったのだから、致し方ないことだった。ユーナ自身の疲労度もまた、緑ではなく薄い黄緑になりかかっているほどだ。
大きく開かれた扉の奥から、楽しげな話し声や笑い声が聞こえてくる。ユーナはオープンチャットで声をかけつつ、顔を覗かせた。
「こんにちはー」
店内はやや薄暗かったが、壁や天井にいくつか明かりが灯されていた。商店の名の通り、装備から食糧から薬類から、様々なものが棚に雑然と並んでおり、今はぼんやりと淡い光の中で浮かび上がるように見える。やや品薄にも見える品揃えを意外に思いながら、ユーナは店の奥、店主のいるカウンターに視線を向けた。その前だけが一部空白となっており、知り合いが円陣を組んでいた。
「ああ、来ましたね」
「マジ?」
「従騎スキル、すごいなー……」
三者三様の反応を見ながら、ユーナは肩の力が抜けるのを感じた。
間に合った。
アンファングからアンテステリオンまで、ほぼ休みなしに駆け抜けた甲斐があったというものだ。
「ちょうど、こちらのおふたりもいらしたところだったんですよ。
確認していただきたいものがありますので、こちらへどうぞ」
ひとり、カウンターの脇の椅子に腰かけていたシャンレンは立ち上がり、ユーナに椅子を勧めた。疲れていたために、誘われるがままに素直に腰を下ろす。
ちょうどそこで、閉門の鐘の音が鳴り響いた。
カウンターの裏からあわてて店主が出てくる。
「おっと、看板は下ろすからな」
「はい、少しこのまま、場所をお借りしてもだいじょうぶですか?」
「もちろんだとも! いやあ、今日も儲けさせてもらったからなあ……し、従魔!? 嬢ちゃん、従魔使いかい? はー、そりゃあ大したもんだあ」
軒先へ出て森狼と鉢合わせし、ラリクスは声を張り上げる。頭だけを店の中へ戻しての問いに、ユーナはくすぐったい気持ちになりながら、頷いてみせた。
「すっかり懐いたみたいだな」
ふわふわの金髪を楽しげに揺らして、笑顔を満開にしてフィニア・フィニスは言う。セルウスはユーナの頭の先から足先まで眺め、最後、マルドギールで視線を止めた。
「何だか、相当強くなってるように見えるんだけど……」
「いい品を手に入れたんですね」
カウンター上にいろいろと並べながら、ちらりとシャンレンもマルドギールを見る。その右目には片眼鏡が輝いていた。一目瞭然なのだろうな、とユーナは空笑いする。シャンレンの鑑定スキルがいくつかはわからないが、ほぼ装備の内容は筒抜けと考えるべきだろう。だが、彼が敵に回るかもという懸念を抱く必要は全くないので、気は楽だった。
「アンタさあ、コレ、わざとだよな?」
シャンレンを指さしながら、フィニア・フィニスは笑顔のままでユーナに問う。先ほどとは異なり、微妙に怖い笑顔に見える。
ユーナがシャンレンやフィニア・フィニスからメールが来ていると気づいたのは、エネロのすぐ傍だった。
ユーナたちはテイマーズギルドの裏門から一時間程度で、アルタクスが幼生だったころ罠にかかっていた場所に到着しており、その時はエネロに寄って、森狼にも場所を確認してもらおうと考えていたころのことである。森狼の故郷だからか、森狼自体が森と相性が良いために早く駆け抜けられるのかはわからないまま、まだ天高くにある太陽と、森狼のさほど減っていない疲労度を見て、ユーナは更にアンテステリオンを目指すべきか迷っていた。
地図には、方位記号と街道、集落はしっかりと描かれている。エネロの西へ徒歩で一日の距離にあるというアンテステリオンのことを考え、ユーナは計算した。時間は昼過ぎで、森を突っ切る最短コースを選べば……。
今どこ?の返事に、アンテステリオンに向かっているとメールを送れば、シャンレンは今日中にラリクス・ラーデンという店にお金を預けておくと言い、フィニア・フィニスは着いたら知らせろと言ってきたのだ。
思わず、ラリクス・ラーデンへ行けば楽しいかも、と悪戯心満載でフィニア・フィニスに伝えたのだが、結果としてよかったようである。特に怯えているようには見えない。
「誤解、解けてそう?」
「あー……どうかな」
めずらしくひきつった笑顔になったフィニア・フィニスの答えに、ユーナはシャンレンを見た。機嫌よさげにアイテムを仕分けしているようだ。ユーナは首を傾げた。先日の代理売却分のお金を受け取りにきたはずだが、どういうことだろう?
「あ、そうだ。ほら、従魔の宝珠、返しておくね?」
最重要品目である。ユーナが道具袋から出した大きな宝珠を見て、フィニア・フィニスは笑みを消す。両手で慎重に受け取り、自身の道具袋に仕舞った。
「鑑定、助かった。そう言えば、アンタにも礼言ってなかったな」
思ったよりもやわらかく、フィニア・フィニスはシャンレンに声をかけていた。彼は営業スマイルを浮かべて首を横に振る。
「報酬はいただきましたから、不要です」
「ならいいけどさ……そっちも結構かかってんじゃないの?」
「ただの代理売却品ですから、原価をいただければ十分です」
シャンレンがいろいろと並べていたもの、それは何と、このアンテステリオンでのクエストに使う戦利品の数々だった。
現実時間にして昨日、アンテステリオンにたどりついたフィニア・フィニスとセルウスは、時間も遅かったためにすぐログアウトしていた。今日はログイン後、すぐに戦利品集めに勤しんでいたようだが、露店にあるものを買い集めても足りず、仕方なしに戦いに出ていたという。フィニア・フィニスの武器の特性上、連射が効かないために数をこなせないまま、帰還したところだそうだ。
一方で、シャンレンにしてみると、懇意にしている店にユーナへの代金支払いを頼む一方で、礼の代わりにと代理売却の仕事を受けていた。ついでに不要とされるクエストクリア用の戦利品を貯め込んでいたという。
「これから高値で売れる品ですからね。ちょうどよかった」
レベル開放の情報は、彼らも既に承知しているようだった。更にシャンレンは一度ログアウトして公式サイトまで確認しており、そこで、「品薄だったVRユニットの増産体制が整い、GW中に販売が始まる」ということまで掲載されていたとユーナに教えてくれた。
それはすなわち……新しい旅行者が増える、ということでもある。
「高値で売れるものなのに……いいんですか?」
「ええ、今はできるだけ早く、皆さんには前に進んでほしいというのが本音です」
せっかく交易商になったにも関わらず、悉く商売のチャンスを逃していないかと心配になったユーナに、掛値なしの本音をシャンレンは口にした。
「王都……ヤバイって噂、ホントなんですか?」
セルウスの、躊躇いがちな問いかけに、シャンレンは営業スマイルを消した。そして、彼が知る事実を、端的に述べる。
「攻略組の殆どが、アンファングへ死に戻りしています」
ヒュッ、と、声にならない喉の音が、漏れた。




