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幻界のクロスオーバー  作者: KAYA
第五章 疾風のクロスオーバー
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惜別

 イグニスは避けなかった。

 槍を持つ手首を軽く捻ると、焔槍が小さく円を描く。焔槍の複雑な穂先の一つがマルドギールの鉤爪にひっかかり、ユーナの手から離れていった。訓練場の地面に深々と刺さる。

 交錯から数歩離れて、森狼は身を翻し、ようやく、動きを止めた。

 あまりにあっけなく武器を奪われ、ユーナは唇を噛む。


「穂先の動きが読みやすすぎる。鉤爪がある分、そこを掬い取られてしまえばおしまいだ。攻撃のタイミングを惑わす動作も含めて、鍛錬するがいい。

 ……時間だな」


 鐘が、鳴り響く。

 イグニスは小さく溜息をつき、焔槍を消した。合わせるように、森狼が身を屈める。降りろ、というニュアンスを受け取り、ユーナは地面に足を下ろした。

 ユーナのマルドギールを引き抜き、イグニスは軽く振った。穂先が一瞬、炎に包まれ、消える。曇りなき刃がそこにあった。手首を返し、柄をユーナに差し出す。


「――ありがとうございました……っ」


 地面に垂直に立ち、足を揃え。

 背筋を伸ばして。

 ゆっくりと、首と頭が一直線になるように、

 両手は前で、少しだけ重ねて。

 腰は四十五度まで曲げる。


 皇海学園外部入学生向けのオリエンテーションで習った、最敬礼である。

 短時間に、できる限りのことをしてもらったと思う。

 これ以上のことは、絶対に望めないだろう。

 心からの感謝をこめて、ユーナは頭を下げた。


 ゆっくりと姿勢を戻したユーナは、面食らったような表情のイグニスと向き合う。

 すぐに彼は目元を細めた。その表情はアニマリートを見る時のそれによく似ていて、とても優しげな印象を受ける。


「神の祝福が、そなたの道行きを照らすよう……私も祈ろう」


 渡そうとしていたマルドギールを、天に掲げる。

 左手だけで刻まれた命の聖印に次いで、見たことのない印が刻まれた。それはほんの一瞬だったが、狙ったかのようにマルドギールの刃が太陽の光を照り返し、ユーナの視界を奪っていたため、彼女自身はよく見ることができなかった。チカチカする目元に咄嗟に右手でかばったのだが、その手がイグニスに取られて、強く引かれる。


「わが愛弟子に、常に(クォンド・)勝利の炎があるようにヴィンチェリ・フランマ・センペル――」


 抱きとめられた体。

 頭の真上で響いた、低い声の聖句。

 次いで、額に落とされた口づけに……森狼が吠えた。

 ユーナが硬直しているあいだに、イグニスはマルドギールを彼女の手に戻す。唸りをあげる森狼を見やり、彼は楽しそうに身を翻した。


「さあ、そろそろ招かれざる客が来る。鉢合わせぬよう、急ぐぞ」


 頬も熱いが、額も熱い。

 ユーナはぱたぱたと空いた手を振り、少し風を当ててから歩き出した。イグニスはもう先に進み、屋内への扉を開いて待っている。しかし、森狼は動く気配がなかった。足を止め、未だに動かず唸る森狼の背を、軽く撫ぜる。すっかりこの毛並みの心地よさに慣れてしまったとユーナは笑んだ。


「行こ、アルタクス」


 名を呼べば、唸りは止む。また鼻を鳴らすかなと顔を見ると、やや目が据わっているように見えた。フーッと強い鼻息がユーナの前髪を揺らす。フェイントである。憮然としていると、先に森狼は歩き出してしまった。慌てて早足で追いかける。

 ユーナは、一度だけ訓練場を振り返った。


 空が青い。

 あの空を舞うアニマリートの姿を、融合召喚ウィンクルムの正しい姿を、忘れまいと思った。





 惑わす森。

 まさか、またこの森を駆け抜けることになるとは、ユーナは想像すらしていなかった。しかし、今回は一人ではない。厳密にいうと、一人と一頭である。

 イグニスに勧められた道筋は、南へ抜けて街道を往くのでもなく、東門から入り直してエネロまで転送門を使うことでもなく、北回りで惑わす森を直線的に駆ける道だった。森の眷属に故郷との別れを告げさせてやれと言われてしまうと、他に選択肢は消える。

 ユーナは森狼の背にぴたりと伏せている形で、彼の思うままに駆けさせているのが実情だった。

 森狼には一応地図(マップ)を見せてみたのだが、芳しい返事は得られず、エネロということばでも返事がなかった。途方に暮れかけた時、初めて遭った場所に行けるかと訊けば、それには機嫌よく、すぐに反応を返してくれたので助かった。

 できるだけ邪魔にならないように、マルドギールは布でくるみ直して右手に握っている。今のユーナであれば、片手だけで森狼の毛並みを掴んでいれば問題なく移動ができた。徐々に森狼の疲労度は蓄積されているようだったが、戦闘には支障がないレベルである。ユーナが歩いて移動するよりも減り具合が低いのは、スキルマスタリーの影響かもしれない。

 鬱蒼と生い茂る森は、昼間であっても薄暗い。しかし、まさに我が家と言わんばかりにアルタクスは駆けていた。心なしか楽しそうですらある、迷いのない足取り。そういえば、ユーナがログアウトしているあいだは当然ひきこもっていたはずである。さぞ駆け回りたかっただろう。

 恐ろしいほどのスピードで、地図マップの光点はエネロ方面へと移動していく。

 赤い、敵影を示す光点が出現した、と思った時には、森狼が叩き潰しているか、顎で砕いている始末だ。とんでもない難易度の下がりっぷりである。律儀にユーナへ戦利品ドロップを渡してくれるので、今夜の宿代はすぐに稼げそうだった。しかし、これでは槍の鍛錬には程遠い。


「つ、次に何かいたら、教えてもらっていいかなあ?」


 恐る恐る、戦利品ドロップを受け取りながら問うと、森狼はちらりとユーナを見た。了承の返事だと受け取り、ユーナは槍の穂先から布をとっておく。好戦的であるからこそ、「戦いたい」という希望をユーナが持つ場合、基本的に尊重してくれるアルタクスだった。余計な戦闘は回避したい、という希望の場合、今のところは間違いなく丸無視される気がする。


 赤い光点が沸き、森狼の足が止まった。

 彼の鼻先の直線上に目を凝らすと、何とかその敵影を見つけることができた。

 木立ちの向こう……栗鼠リスだ。ただ、大きさは森狼の幼生ほどもあるが。

 森栗鼠フォレスト・スクァーレルと表示された赤い文字を見て、ユーナは槍を持つ手に力をこめる。


『さっきみたいに……近づける?』


 PTチャットで問えば、行動で森狼は応えた。

 イグニスと向き合った時と同じように、森狼の駆ける速度が急に上がる。ユーナは森栗鼠フォレスト・スクァーレルに照準を当てるつもりで、やや長めに槍を持ち、横を駆け抜け様に振り抜く。貫く感触が手を、腕を伝う。そのまま槍は森栗鼠フォレスト・スクァーレルの体に取られてしまった。ユーナの顔色が変わるのとほぼ同時、きぅぅぅっというやけにかわいい断末魔が響き渡り、森栗鼠フォレスト・スクァーレルは砕け散る。マルドギールはその場に転がった。

 安堵の溜息をつきながら、ユーナは反省した。武器を奪われるなど、いくらなんでも危険すぎる。素手で握ると滑りやすいのかもしれない。そういえば、手袋があったっけ……。

 ユーナがいろいろ考えているあいだにも、アルタクスは身を翻してマルドギールのほうへと戻ってくれる。拾い上げるべく森狼の背から降りた。

 その時。


「お前、何邪魔してんだよ。命の神の祝福があるからって、調子こいてんじゃねえぞ……!」


 怒りに満ちた、少年の声が聞こえた。

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