閑話 やっぱりダメ
「ダメっ、ダメだよ、皓くん……っ」
「お前なぁ……こうなることなんて、わかってただろう?」
「だってぇ」
バイクにまたがった瞬間、結名は音を上げた。
どう頑張っても太ももが丸見えである。スカートは完全に広がり切っていて、体操服の下のショートパンツが結名視点で見えるか見えないかのぎりぎりだ。ということは、走り出せば間違いなく……これは泣く。というかもう涙目である。
礼儀正しく拓海はバイクに背を向けてくれているのが、救いと言えば救いだろうか。
とりあえず、結名は速攻で従兄の背とシートに手をつき、バイクから降りた。
「……送ろうか?」
結名が着地した途端、拓海は笑顔で振り返った。
しかし、皓星は首を横に振る。
「いや、叔母さんも心配してるから、その辺でタクシー捕まえて乗せる。シャンレンは家どのへんなんだ?」
近いなら一緒に乗ればいいけど、的なニュアンスだったが、拓海は丁重に辞退した。
「中学校、ここの校区でして」
歩いて帰るほうがよほど早いのである。
なるほど、と皓星は結名からヘルメットを取り返す。
「うちは川の向こうだからなあ」
「じゃあ、タクシー捕まえるねー」
ちょうどタクシーの空車が結名たちの対向車線側に見えたのだ。
元気よく結名が手を振ると、対面の道路をUターンしてタクシーが停まる。
自動的に開いたドアに、拓海はそっと手を上部へとあて、結名を促した。
「どうぞ?」
「あ、ありがとう……」
どこのお姫様待遇だろう。
浮かれ切った拓海の様子にひきつりながら、結名はタクシーに乗る。タクシーの運転手もぽかーんとしているのが見えた。初老の男性である。
結名は拓海に別れを告げた。
「じゃあ、またあとでねー」
「うん、またね」
滑らかに拓海は身をひき、それに合わせて既にバイクのエンジンをかけて準備万端の皓星の声が微かに滑り込んでくる。
「先に行くからなー」
ことばの通り、先に皓星のバイクが走り出す。
運転手はこちらをバックミラーで確認し、後部ドアを閉めた。
拓海に手を振るとすぐ、タクシーはゆっくりと動き始めた。
「いらっしゃい、お嬢ちゃん。どちらまで?」
「えっと、あ、あのバイクの走っていくほうです。皇海川橋の向こう」
「はいよ」
軽い問答のあと、結名は肩から補助カバンを下ろして胸に抱く。
そこで、気づいた。
財布がない。
「さっきの子、エスコート上手だったねえ。よく【歌姫】で客乗せる時にもああいうことするホストいるんだけど、若いのにやるねぇ。ああ、お嬢ちゃんは知らないか。【歌姫】ってのは、姫横丁っていう高級クラブ街なんだけど、まあホント上客しかいないスゴイとこでね」
「そ、そうなんですか……」
タクシーの運転手の話を聞き流しまくり、結名は焦る。
鞄を皓星のメットインに片付けてもらったのが敗因だった。補助カバンには体操服を入れていたので、今日は鞄のほうに財布や携帯電話を移していたのだ。
結名は覚悟を決めた。
「運転手さん、絶対に、絶対に前のバイク、見失わないで下さい……っ」
到着しても、なかなか降りなければきっと皓星はタクシーのほうに来るはずだ。
そうしたら、鞄を出してもらうか、立て替えてもらおう。
結名の切実な願いを聞き、運転手は目を瞠る。
「――何だって? お嬢さん、あのバイクのにーちゃんと何かあったのか?
よっしゃ、おっちゃんにまかせな!」
よくわからないが、とにかくタクシーの運転手の何かに火が点いたらしい。
グン、と体にかかるGを感じ、結名はあわててシートベルトを締めた。
瞬く間にタクシーは皓星のバイクとの距離を詰め、まるで煽っているような間隔で追い続ける。
信号が黄色に切り替わっているのにそのままのスピードで突っ込む始末だ。
怖い。
結名の自宅の前で、皓星が先にバイクを停める。ほぼ同時に、結名の乗ったタクシーもその背後に着いた。
「ちゃんと話し合うんだぞっ! お代は八百二十円だ!」
タクシーの運転手はぐっと右手の親指を立て、口元の銀歯を光らせて結名に笑顔を向ける。
結名の背筋に、冷たい汗が流れていった……。




