心のどこかで叫んでいた。気づいて、と
拓海が足を止める。
彼は肩越しに振り返り、弱弱しく笑みを浮かべた。あきらめたような、かなしそうな、どことなくうれしそうな……いろいろな感情が混ざった、彼の本当の顔。少し眩しそうに目を細めて、結名を見上げる。
何かを言いかけて、やめて。
ことばを選んで、拓海は改めて口を開いた。
「――行こ?
だいじょうぶ、逃げたりしない。全部話すから。
玄関ホールあたりにソファあったから、そこで」
車が停まったら、すぐわかるからね。
そう続けて、彼は結名を促した。
――始まりは、エネロだった。
拓海の背中を見ながら、結名は階段をまた一段、降りる。
アシュアと戦利品について話をしていたら、商人であるシャンレンが、別荘クエストに誘ってくれた。
カードルの印章に絡んだ、PK未遂。
シャンレンは言っていなかったか?
エネロで、商人戦士グランドと、もう一人を見たと。
あれが、寺崎だったのだろうか。
アンファングへ戻るなら、気をつけるようにと注意をしてくれたシャンレン。
学校で結名をユーナだと見出した土屋。
引きずられ、打たれた記憶。
助けに来てくれた彼の背中。
永久に幻界から消えた商人戦士。
アンファングで会ったシャンレン……。
結名は頭を振った。
ダメだ。
いろいろぐちゃぐちゃで、考えがまとまらない。
――話そう。
口元を引き結び、結名はとても大事なことを思い出していた。
シャンレンはユーナのフレンドだ。
今もなお、フレンドリストに彼は在る。
その事実は、誰にも否定させない。
来客用正面玄関の入ってすぐ、受付の窓を除いた壁面の両サイドには背もたれのないソファが幾つか並んでいた。
朝は意識しなかったが、ちょうど車を待つのに良い位置にある。
拓海は正面玄関側に陣取って腰を下ろした。結名が外からは見えないように、という位置取りに、シャンレンらしさが見える。鞄を下ろし、軽く背伸びをする彼が、立ったままの結名を見た。
「どうぞ?」
少し笑ってしまったのがわかったのか、拓海も口元を緩めて隣を勧めてくる。
遠慮なく隣に座り、結名は補助カバンを肩から外し、胸に抱え直した。
「話、途中になるかもしれないけど……あとで連絡もらえたら、折り返すから」
「え?」
「あー、そっか。藤峰さんがもう話したくもないっていうなら、ナシで」
「ええっ、そんなことないよ!?」
思ったよりも普通にことばが交わされて、何となく嬉しくなる。
初めてではなかろうか。
従兄以外に、現実でゲームの中の友人と話すこと。
微妙に気恥ずかしくなって、結名は苦笑する。
「びっくりはしたけど……なんていうか、今ちょっと複雑で」
「だよね。おれもそんな感じ。どっちで話せば話しやすいかなーとか」
「どっち?」
「えーっと……ユーナさんと学校でもお会いできて、本当にうれしいんですよ。
実は、ずっと話したかったので」
いきなりのシャンレン口調に、結名の頭が火を吹く。
真っ赤になった結名を見て、思わず拓海は爆笑した。
「ごめ……ふ……あははははっ」
謝っている割にはちっとも収まっていない。
声が外にまで漏れたのか、玄関脇に立っている警備員がこちらを見た。
慌てて拓海は口元を押さえて、笑いを堪える。
「えっと……わたしも、うれしいです、よ?」
うん、うれしい。
単純に、うれしい。
土屋に迫られた時はあれほど怖かったのに、この差は何だろう。
結名が不思議そうに口にすると、今度は拓海が顔を赤らめていた。何故。
「――やめよう。やっぱり現実な自分を大事にしないといけないねっ」
「そ、そうだね」
話が進まないから、と拓海はいつもの口調で言う。かなり自業自得な気がするが、結名も一応同意した。
「どこから話せばいいかな……っていうか、藤峰さんがユーナだって認めさせちゃったね。ごめん」
「っていうか、小川くん、気づいてたんだよね? いつから?」
結名の問いに、拓海は視線を泳がせる。そして、恐る恐る答えた。
「たぶん……最初のほう、かな……何となく、だったけど」
「最初!?」
シャンレン=小川拓海の公式が全くわからなかった結名にとって、衝撃の発言だった。
「うん、名前と、帰り道に会った時に見た印象が似てて、かわいいなーって……いや、それ関係ないか。
土屋が藤峰さんに気付いたのも、たぶん、あの時あたりからだと思う。おれが配った日焼け止め、覚えてる?」
さりげなくかわいい頂きました。
意識がそちらに行きそうなのを引き留めて、結名は最初の出会いを思い出す。
サンプルの日焼け止めなら、今もしっかり補助カバンの中に入っていて、今朝も使っている。既に愛用している結名だった。もちろん、拓海が配っていたことも忘れたりしていない。
そして、唐突に脳裏に浮かび上がったのは、あのエネロでの会話だった。
……そういえば、ここって日焼けしないんですか?
……日焼け止め、薬草から作らなくちゃとかになりそうですね。
結名が目を瞠る様子に、拓海は静かにことばを続ける。
「たぶん、あの時の会話も聞かれてたんだ。あの日、あのタイミングで日焼け止めを気にする女の子で、名前も面差しも同級生に似ている……発表で藤峰さんを見ながら、そこまで関連付けたんじゃないかな」
パズルの最後のピースがはまる。
複数の情報を元に、土屋は正解にたどりついたのだ。それはもう執念のようにも思えた。
結名は肩を落とした。
「ぜんっぶ、わたしのせいじゃないの……」
不用意な選択が、不用意な発言が、自分を追いつめた。
深々と溜息をつく。土屋だけを責められない、と結名は思った。わからないように工夫をすることなら、いくらでもできたはずなのだ。キャラクタークリエイトの段階から。それをしなかった結名の落ち度である。目の前に答えがあったから、土屋は手を出さずにいられなかった。
「それは違う」
だが、拓海は正面から結名のことばを否定した。
「こんなふうにも言えるんだよ?
おれがサンプルなんて配らなかったら。
シャンレンが別荘クエストに誘わなかったら。
そうしたら、あんなことは起こらなかったんだって」
考えたこともない話だった。
だが、そう言われて、ようやくシャンレンや拓海が謝る理由もわかった。
結名は大きく首を横に振る。
「そんなこと……」
「うん、わかってる。藤峰さんは責めたりしないって、わかってて言ってる。そういうとこズルいんだよな、おれ。
マジ、自分が情けなかった。何で土屋を止められなかったんだろうって――」
結名と同じように、拓海も溜息をついた。
その様子に、詩織と同じように、拓海も思い悩んでいたのだとわかる。
結名は首を振った。どう言えば、違うって、伝わるのだろう。
唇を引き結ぶ彼女に、拓海は苦笑を浮かべてことばを続けた。
「だから、許されないって思ってた。どうにかしたくって、こんなことばっかりしてた。
前にも言ったよね?
ゲームと現実は区別したほうがいい。せっかくの遊び場なのに、現実のしがらみでゲームの中の人間関係崩れるのとかつまらないし、そうなったら楽しめるものも楽しめなくなる……まあ、藤峰さんとこんなふうに話せて、ムチャクチャ喜んでるおれが言うとほんっと説得力ないけど!」
頭を抱えて、拓海は顔を伏せた。
前半部は自分に言い聞かせていたのだろう。最後にはもう顔が赤くなっていた。こちらが地だとすれば、シャンレンは本当に巨大な猫をかぶっていたのだろう。とても大人びて、余裕そうだったし。結名も拓海が喜んでいるとわかってうれしいので、そのあたりは特にツッコむつもりはなかった。
前髪をくしゃりと握りつぶして、拓海は溜息をついた。一呼吸をおき、結名に向き直る。
「とにかく、さ。土屋がしたことは明らかに犯罪だし、藤峰さんが気に病むことは何もないよ。どんな理由でも現実に暴力はダメだって」
端的にその部分だけを抜き出されると、返すことばがない。
結名が素直に頷くと、柔らかな笑みが浮かんだ。今思えば、シャンレンそっくりである。
「寺崎のほうは、たぶんほっといても何もしないと思う。一応気をつけとくけど」
「あ、うん。土屋とはもう会うことないと思うけど、寺崎くんの話は聞けてよかったかも。何だかね、ちょっと楽になった感じがするの」
ずっと、ずっと、シャンレンや拓海が気にかけてくれていたとわかって。
寺崎の「幻界が好きなんだ」「学校だってやめたくない」を聞いて。
ようやく、土屋の「ごめん」が、素直に伝わってきたような気がした。あくまで伝言だから、本当かはわからないけれど。
本当だといいな、と思えた。
聞きなれた排気音が、耳に届く。
結名はふと視線を正面玄関へ向けた。そこには、バイクで乗り付けた全身黒づくめの従兄の姿があった。
あれ?
警備員に駆け寄られ、いろいろ話をしている。
結名はソファから立ち上がった。
「知り合い?」
「従兄……何かあったのかも。あ、もう大丈夫だから、ありがとね!」
拓海から自身の鞄を返してもらい、結名は自動扉へ向かう。後ろから、拓海も追いかけた。
すぐに、皓星は結名に気付いた。
「あ、来た来た。ありがとうございます、この子なんです」
「従兄とおっしゃっていますが」
念のための確認とばかりに、結名に警備員が問う。
結名は頷いた。
「はい、従兄の片桐皓星です」
「叔母さん、車がパンクしてて今修理中。で、オレが代わり」
ヘルメットのバイザー部だけを上げて、皓星が事情を語る。
警備員は一礼して元の配置に戻っていった。
結名は気になったことを繰り返し問う。
「パンク?」
「クギ踏んだらしくて、今タイヤ丸ごと交換してるんだよ」
で、と皓星は結名の背後を見る。
結名もそちらに視線を向けた。拓海である。
結名の顔が引きつった。
「結名の、彼氏?」
「藤峰さんの、彼氏?」
シリウスとシャンレンが出会っちゃったー!と焦っていた結名に、とんでもない質問が飛んでくる。
「ちっがーう!」
来客用正面玄関に、切実な否定の声が上がった。




