諸刃の剣
前髪が風に揺れている。見慣れた黒の色合いは、現実世界な自分を思い出させた。陽に透かすと少し濃い緑が見えて、森狼の影響をまともに受けているとわかる。
グラースの癒しが体に満ちる中、ユーナは今まで二人分あったステータスのPT表示が、今は一人分しかないと気づいた。状態には「融合召喚中:アルタクス」とある。すべてのステータスが結合されており、高い値を示していた。しかし、癒しを受けて瞬く間にHPが緑へと変わっていく中、一方でMPと疲労度が減少していくのは止められない。
「融合召喚っていうのは、本来従魔使いが主体になるんだけど……従魔使いと従魔のステータスバランスによっては、従魔の精神が主導になってしまうこともあるの。今はたぶん、ダメージを受けてアルタクスが弱ったところでユーナが呼ばれたから、森狼が気を失っている状態……かな」
客観的に言うアニマリートを、癒し終えたグラースが睨む。本日二度目の睡眠を邪魔された上に、他人事のように言う彼女に憤りを覚え、口を開く。
「そういったことを、予め伝えておかないからこうなったのでは? どうせ、森狼王の牙に浮かれたんでしょうが……イグニス、あなたがいながらこんなことになるなんて……」
低いグラースの声音が冷気を纏う。
イグニスの腕の中で、ユーナは目を閉じた。確かに、心のどこかでアルタクスを感じる。丸まった森狼は眠っているように思った。泣きたくなるほどの悲哀や後悔が湧き上がる。これは、自分のだろうか、それとも……。
「大丈夫か?」
イグニスの問いに目を開く。ユーナの眼差しは、ほぼ紫に変化していた。痛みが完全に消えていることに気付き、彼女は慌ててその腕から起き上がる。
「だ、大丈夫です!」
勢いよく大きく尻尾が地面をはたき、土埃をあげてしまう。イグニスは苦笑を漏らし、彼女の手を取って一緒に立った。続けて、服や尻尾に纏わりついた土を払ってくれる。ちゃんと触れられている感触があり、何だかくすぐったかった。
「慣れぬだろうが、最初だけだ。繰り返せば馴染む。
問題は、ユーナが融合召喚を扱いきれるかどうかだな」
「ユーナの素質の高さばかりに着目して、レベルの低さを甘く見た結果です。森の眷属も驚いたことでしょう」
グラースの手がユーナに向けられ、目を細められる。口の中だけで術式が唱えられ、その音は聞き取れたものの、理解はできなかった。何かを見られているようだが、ユーナにはわからない。
アニマリートは強く頷いた。
「すぐ戦闘態勢を取ったから驚いたけど……本来は、褒めるべきよね。ちゃんと訓練ってわかってたもの。賢い子よ」
「せめてユーナの装備を整えてから出るべきだったな。身体にまたダメージが残っている」
イグニスの言は正しかった。起きたばかりには全快していた数値が、今また融合召喚中にも関わらずペナルティを示している。たったの一撃だが、かなりのダメージを負ったようだ。身体の重みを感じるほどで、ユーナは溜息をつく。
「融合召喚がどこまで使用可能なのか、確認しておくべきですが……これ以上は負担でしょう。一旦解除すべきです」
「相性は抜群みたいだから、従騎も問題ないはずよ」
手を下ろし提案するグラースに、アニマリートも同意を示した。
解除、と心の中で意識すると、目の前に「融合召喚・解除」の幻界文字が現れた。指先で触れると、ユーナの全身が光に変わる。
引き剥がされるような感覚が、つらかった。
目の前に伏せたままの森狼が姿を現す。
視界に、薄い栗色の髪がちらつく。戻ったとわかるや否や、ユーナは立っていられなくなり、その場にくずおれた。地に倒れるより早く、ユーナの体を屈強な腕が支える。回復したはずのHPはもちろん、MPも疲労度もほぼ赤に近い。融合召喚の反動だろうか。
「ステータスが足りなかったみたい……」
「とにかく、部屋に戻そう」
「アルタクスは私が診てるから、グラースはユーナを」
「かしこまりました」
慌ただしい会話が繰り広げられる。
イグニスに抱き上げられる直前、森狼が身じろぎをした。うっすらと開かれた目がこちらを向いていた気がする。しかし、確認することもできず、ユーナは宿泊施設のほうへと移されていった。できるだけ揺らさないようにと気遣われたのか、かなりの早さで歩いているにも関わらず、殆ど振動はなかった。
部屋に戻った途端、グラースの手が、ユーナに触れる。
「濯げ清き水」
水色の霊術陣が広がる。全身を水で覆われたような感触。それはすぐに流されていき、残ったのは爽快感だった。覚えのある感覚に、おそらく、昨夜眠る前にも使ってくれた術式なのだろうとユーナは悟る。
グラースがカリガを脱がせると、イグニスはユーナを寝台に横たえさせてくれた。すぐに彼女はユーナの手を握りしめ……唇を噛み、その手を寝台へ戻す。
「このまま、少し眠るといいでしょう。命の神の祝福があなたを癒します」
ユーナのステータスウィンドウは、回復術式の更なる追加を受け付けない、状態異常を示していた。先ほどの癒しの効果が続いているためだろう。手の施しようがないと悟り、ひとつユーナは頷いた。
タイム・オーバーだ。
現実時間での夜十一時を回った。
今日はここまでとあきらめて、グラースに頼む。
「すみません、少し……長く眠ることになると思います。アルタクスのこと、おねがいします」
「承りましょう」
「おやすみ、ユーナ」
森狼のことは気になる。だが、アニマリートが診てくれているということばを、ユーナは信じた。
意識するだけで、システムはログアウトのウィンドウを手元に呼び出す。
その指先がログアウトを選ぶ時、ユーナは森狼のかぼそい鳴き声を聞いたような気がした。




