わたしとあなたの、形
「これが、融合召喚……召喚契約の先、従魔との合一よ。従魔の力を己の中に取り込み、扱うことができるようになる……」
酩酊しているかのように言うアニマリートの瞳は、いつの間にか金色に輝いていた。
髪の色も、赤毛からやや茶色みが強くなっている。
彼女の翼が羽ばたき、自在に宙を飛ぶ。太陽と、その絆の眩しさに目を細め、ユーナは空を見上げた。一方で、イグニスは口元を押さえ、そっと視線を地面に落とす。
「……アニマリート、服……」
呟きを、ユーナの耳も拾い上げる。空を舞っていたにも関わらず、アニマリートにも聞こえたのだろう。彼女の身が光に包まれ、空中で光が砕けた。アニマリートが落ちてくるのを、見事に大梟が掬いあげ、首筋を宙づり状態で降りてくる。彼女の両手は短衣の裾をしっかりとひっぱっていた。
「――何でもっと早く言わないの……」
「まさか、すぐに使うとは思わなかった」
恨みがましく見上げる彼女から、視線を逸らしたままイグニスは言う。
太陽が眩しくて、ユーナは全然気づいていなかった。森狼は大梟に気をとられていて、今にも追いかけたそうに立ち上がっている。
――空を飛ぶのって憧れるけど、難易度高いかも……。
少なくとも、相応の服をゲットしてからにしようと、ユーナは心に決めた。
大地に降りたアニマリートは、軽く裾を払ってユーナを見た。頬が赤いが、ここは言わぬが仏である。
「従魔使いの召喚スキルは、従魔召喚になるわ。離れた場所にいる従魔を召喚する……それだけで、こちらの戦力が上がる。日常的にたくさん引き連れているわけにもいかないし、ストレスにもなるから、従魔になるための条件に掲げる魔物もいるくらいよ」
この子とかね、とアニマリートは両手を天に差し出す。
大梟ブレーザはくるりと体を丸め、殆ど落ちる状態でその中へ飛び込んでいく。柔らかな羽毛の玉になった大梟を、うれしそうに彼女は受け止めた。そして頬ずりし、すぐさま空へと放つ。再び、大梟は空へと飛び立った。
「会えてうれしかった! またね、ブレーザ!!」
アニマリートが金の腕輪を撫ぜると、召還陣が宙に描かれた。訓練場の空をもう一周してから、大梟はその中へ還っていく。
「融合召喚はテイマーズギルドでも使えるものが限られる、特別なスキルなの。召喚スキルを有する従魔使いが、心通わせる従魔からすべてを委ねられ、その種族の最上位にあたる契約触媒を使う。ここまでしてようやく得られるスキル……」
光の破片が消え去るまで見送りながら、アニマリートは語る。
ごくり、とユーナの喉が鳴った。胸の鼓動がうるさいほどで、目の前に道が開かれていくような気分だった。
どれだけ長い間、悩み続けたんだろう。
自分に合う武器スキルを探して、それでも、どうしても思い切ってスキル振りができなかった。
人生と同じで、幻界もまたやり直しがきかない。キャラクターの削除なんて、考えられなかった。同じ時間は二度と来ない。
繰り出されるアクティブスキルを見るたび、心のどこかで、いつも羨ましく思っていた。
傍にあるぬくもりが、ただ救いだった。
ユーナは森狼を見た。
森狼は主を見た。
アニマリートは口元を緩めた。その紅玉がユーナに向けられる。
いたずらっぽく目を細めて、彼女は問う。
「……召喚スキル、欲しくない?」
「欲しいです!」
間髪入れずユーナは答えた。ついに、声を上げてアニマリートは笑った。その隣で、イグニスは感慨深げに目を閉じていた。
「あ、でも……融合召喚ってどれくらいスキルポイントが必要なんですか?」
強力なスキルだから十とか必要なのだろうかと心配しながら訊く。アニマリートは指先で〇を描いた。
「基本的に召喚スキルだから、それさえあれば大丈夫よ。あとは、森狼の気持ちね」
アニマリートが森狼を見ると、アルタクスは鼻を鳴らした。当然、と言いたげな素振りだが、尻尾がぶんぶん振られている。おそらく、融合召喚を楽しみにしているのは、ユーナだけではない。
念のため、ユーナはアルタクスの前に立ち、視線をもう一度合わせる。
「アルタクス……いいの?」
答えはわかりきっていたのかもしれない。
それでも聞かずにいられなかった。
今までどれだけ、この森狼に甘えてきたのだろう。
覚悟はいつも彼の中にあり、自分の中にはなかった。
だが、強さを求める気持ちは違う。
それは誰よりも自分の中にあったもので、きっと森狼はその気持ちすら悟っていたのだ。
成長するためにノンアクティブな魔物を自発的に倒すほど、共に進める道をいつも先に歩んでくれていた。そして、共に戦おうとその背に乗せてくれた……。
紫と黒のまなざしが、互いへの信頼を確かな自信に変えて交錯する。
まっすぐな肯定を、ユーナは受け止めた。
ユーナは森狼王の牙の首飾りを、己の首に掛けた。
一対の牙が中央の緑の魔石を囲うように配置され、太陽の光に煌めく。
そして、スキル・ウィンドウを開いた。
「召喚」の幻界文字を細い指先が叩く。彼女の残りのスキルポイントはゼロとなった。
彼女の脳裏に、召喚契約の術式が刻み込まれる。
静かに両手を開くと、地面にユーナを中心とした契約陣が描かれていった。紫色の光は初めて見るもので、ユーナも目を瞠る。己の瞳の色、そのままの輝きの中へ、森狼が迷わず足を進めてくる。
ユーナは首飾りの牙のひとつを、握りしめた。
森狼王の牙を――使う。
彼女の意志に応えて、牙が砕け散る。同時に、力あることばが胸に浮かんだ。
「……融合の誓約」
誓句に契約陣が発動する。
紫色の光の柱がふたりを包み込み、光の粒子へと変えていく。
太陽の日射しよりも、強い光。
ただ、おぼえのあるぬくもりがユーナを埋め尽くす。
アニマリートとイグニスは、新たなる力を得た従魔使いの姿を見守っていた。
薄れていく紫光の中から、目を閉じた黒髪の少女が現れる。
ピンと先の尖った三角の黒い狼耳、ふさふさとした、どこか緑を帯びた黒い尾、うっすらと開かれた少女の口元からは鋭い牙がちらりと見えた。
少女が、ゆっくりとその目を開く。
限りなく黒に近い、紫の双眸が、二人に向けられた。
そこには、何の感情も浮かんでいなかった。
「……訓練……」
呟きは、少女のものでありながら、彼女のものではなかった。
イグニスがアニマリートを庇うように立つ。少女の口元が笑みに歪む。今まで見たことのない、愉悦を称えた形に、アニマリートが目を大きく見開いた。イグニスの手の中に、焔槍が出現する。少女の姿が、アニマリートの視界から消え……イグニスは槍を構えた。
鈍い、衝突音が響く。
少女の両手の爪が、鋭く太い長さのそれと変わっていた。一瞬でイグニスのところまで踏み込み、黒々とした狼爪を振るい……焔槍がそれを受け止めていた。軽く焔槍を払うと、少女も手を引き、跳んで体を後退させる。
アニマリートは頭を抱えて呟いた。
「……言うの忘れてたぁ……」
「説明不足すぎるっ」
イグニスが言い捨てるのを聞き終えるより早く、少女は地を駆けた。
その呼吸に合わせ、彼もまた強く足を踏み込みながら、手首を返す。
焔槍の柄が少女の腹に打ち込まれ、地面に転がる。どこもかしこも土埃に塗れ、打ち伏せた痛々しい姿に、アニマリートは顔をしかめた。
……全身に響くダメージに、起き上がることができない、はずだった。
だが、イグニスの読みを外すと言わんばかりに、その体が起き上がる。痛みなどを無視していても、相応の衝撃が動きを鈍らせる。
今ならば届く。
イグニスは確信した。
「ユーナ、目覚めよ!」
激高した炎のことばに、びくりと少女は身を震わす。
その見開かれた瞳の色が、紫を帯びていく。指先の爪が消え、再び少女は地に伏せた。
安堵の溜息を吐き、イグニスも焔槍を仕舞う。そして、倒れた少女の身を抱き起こした。黒髪を撫でつけ、埃を軽く払う。
ユーナは、痛みに息を詰まらせながら、謝った。
「――ごめん、なさい……動け、なく……て……」
「要らぬ。すまなかった。こちらの落ち度だ」
本日二度目の、氷の使い手が必要に思えた。イグニスは苦々しく思いながら、その名を呼ぶ。真上にあるはずの太陽の熱を嘲笑うような冷気が、背後から生み出された。
「あなたがたは……いったい何をしているんですか!?」
当然、彼女は怒りを炸裂させるのだった。




