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幻界のクロスオーバー  作者: KAYA
第三章 生命のクロスオーバー
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Most Valuable Player

 瀕死のはずのヴェールだったが、その眼差しから光は消えない。

 ヴェールは咆哮をあげながら、喉に食らいついたアルタクスを振り払う。肉ごと引き剥がされ、森狼は地面へと叩き落とされた。足場を完全に失ったユーナは、名を持つ熊(ヴェール)の眉間に突き刺さった短剣だけを手掛かりに、宙に浮く。更にヴェールは吠えた。その眼差しがユーナを捕らえる。危険を察し、短剣を手放したが、遅かった。熊の巨大な手が彼女の胴を掴み、力を籠める。爪が深々と食い込んでいく。


「ぃぁっ」


 体が軋む。背に突き刺さる爪による激痛で叫ぶこともできない。ゲームの中であるにも関わらず、肺が、胃が、内臓が圧迫されて、何かが出てきそうな気持ちの悪さも重なる。「はっ」と短く吐く。まともに息を吸い込むことができない。視界が明滅する。

 熊の咆哮は止まない。

 耳鳴りがひどい。


『ユーナ!』


 自身を掴んだ腕が、更に内側へと強まる。

 抗えない。

 呼ぶ声がしても、応えようもなかった。


 握り、潰される……!?


疾風駆矢ペイル・トレケイン!」


 フィニア・フィニスの、風を味方につけたボルトが放たれた。

 食い破られた喉元を頸椎から貫き通し、小さな先端がユーナの視界にまで届いた時。

 唐突に、ユーナを貫いていた爪も、掴んでいた腕も消え、彼女自身は重力に従い落下する。そして、戦闘により剥き出しになった地面に、何のクッションもないまま激突した。詰まった呼吸。解放されたはずの体は、墜落の更なる痛みで大地にくずおれた。全身が弛緩する。


 光が、満ちた。


 砕け散る間際の光が膨らみ、場を占め、空へと舞い上がり広がっていく。

 閉じることもできない、うっすらと開かれた目で、ユーナは不思議な光景を見上げていた。

 複数のレベルアップ音が耳に届く中、そこに、文字が浮かぶ。


 ――Congratulations, you defeated the boss.

   The MVP is given honor.

   Bless to all.


 視界を流れていく幻界文字ウェンズ・ラーイ

 そして、視界の端で、光の柱が空に向かって立つ。

 光の奔流は一瞬、舞い上がっていた光がゆっくりと大地へ還っていく。

 小さな光の欠片が、彼女の真上にも落ちてきた。手を差し出して受け止めることも、今はできない。

 死出の道に旅立つ者を見守っていたはずの沈黙は破られ、勝利の喜びが周囲からほとばしり、歓声に変わった。その中に、叫びが聞こえた。

 指先すらも動かせない、とユーナは気づいた。

 意識すれば、自身のHPバーが拡大表示される。ほぼ完全な赤(レッド・ライン)だ。しかも、じわりとHPは削られていく。


 ――死。


 きらきらと降り注ぐ光の中で、口惜しさが重苦しくのしかかる。

 その一瞬に、己の未熟さの数々が脳裏を過ぎった。

 戻れない過去を思いながら、ゼロに近づく命を見守るしかなかった。

 何か、やわらかいものが剥き出しの手を掠めた。それが、唸る。


「どきなさい、従魔シムレース! あなたのご主人様を助けるのよ!」


 神官の声が、ユーナに希望を与えてくれた。

 彼女アシュアなら。


「アル……」


 微かに、ほんの微かに声が出た。それだけで、彼はわかってくれた。

 森狼は唸るのをやめ、僅かに身を離す。


 人影が自身に重なる。

 胸元に手が置かれ、掲げられた法杖が、煌いた。


「命の神よ、わが手に宿れ癒しの奇跡(クラシオン・リート)!!!!!」


 神の名を冠し、全力で唱えられた神術は法杖を媒介にして発動した。

 歪んでいた法杖が、無残に砕け散り光と化す。術者である神官の体を中心に光は渦巻き、癒しの神術陣を描き出した。

 アシュアの手により、ユーナと重なったそれが収束していく。

 目の前には、歯を食いしばった神官アシュアの姿があった。蒼い眼差しはまっすぐユーナを射抜く。だが、彼女が見つめている先はユーナでありながら、その奥にあった。

 消えかけた命の輝きを呼び戻すための、神術。

 彼女の決意に目元が熱くなる。零れ落ちる。


 ――ああ、わたしは……


 赤から橙へ、橙から黄へ、黄から薄い緑へ。

 見る見るうちにHPバーが回復していく。

 痛みが薄れて、遠くへ消えていく。

 吐息が漏れた。

 身体が、動く。


 やさしい神官の手が、ユーナの前髪を払った。


「……私の目の前で死ぬなんて、許さないわよ」


 口元をほころばせた彼女と目が合う。

 ユーナの閉じた眦から、また、雫が流れた。

 途端、ユーナの周囲に闇が下りた。

 無造作に外套が降ってきたのだ。


「着ろ」


 頭ごと覆った黒い外套を持ち上げ、その隙間から胸元を見ると、酷いありさまだった。

 穴開きだらけでボロボロになった術衣の隙間から、赤黒い肌が見える。傷痕だろう。血は止まっている。ユーナはあわてて外套を胸に抱きしめた。


 ――背中も何だか地面を感じているし、風通しがいい気が……。


 ユーナは腕を地につき、身を起こした。アシュアが軽く手で支えてくれる。

 疲労度は黄色のままで回復しそうにないし、体も相当怠い気がするが、生きている。

 自分の姿を見直して、それから神官に向き直った。


「助かりました、アシュアさん。ありがとうございます。……杖、本当にごめんなさい」

「ふふ、間に合ってよかったわー。ま、命には代えられないでしょ」


 両手を広げ、彼女は軽く返してくれる。ユーナは首を振った。


「新しい杖、弁償しますから」

「いいのよ、気にしなくて」

「でも」


 ことばを交わしていると、森狼が、吠えた。

 その声に目を向ける。

 やや離れたところから、駆け寄るPTMの姿が見えた。いつの間にか他の旅行者プレイヤーに取り囲まれていたようで、姿が見えていなかったのだ。


「オマエ、何もかもムチャクチャすぎるぞ!」

「姫、すっごく心配してたんだよ。ほら、ユーナも生きてたし、せっかくMVP取れたんだから喜びましょうよ」


 フィニア・フィニスの怒鳴り声と、セルウスのことばに、ユーナは息を呑んだ。


 ――MVP!?


 Most Valuable Player――最優秀選手を示す略語である。幻界ヴェルト・ラーイでは、レイドモンスターを初討伐する際、最も貢献度の高い者に与えられるという。それは栄誉と、特別な戦利品スーパー・レア・ドロップだ。もっとも、貢献度の高い者の上位数名にも、それよりは格が落ちるが希少な戦利品(レア・ドロップ)が与えられる。レイド参加者にも、等しく戦利品ドロップが全員に提供されるという大盤振る舞いだ。初討伐が終わってしまっても、次回討伐以降にもMVPには希少な戦利品(レア・ドロップ)が与えられる上、レイド参加者にも初戦よりはやや格が落ちるが戦利品ドロップは出る。レイドモンスターの場合、戦利品ドロップを地面に落とすと争奪戦にしかならないので、報酬は直接、道具袋インベントリに入れられるのだ。

 そして、先ほどの光景とつながった。光の柱は、フィニア・フィニスに立ったのだ、と。


 鼻を鳴らしながら怒っているフィニア・フィニスは、ユーナの隣に腰を落とす神官アシュアを見て表情を変え、すぐに頭を下げた。


「ありがとう。あなたのおかげでメンバーが助かった」

「あら、ユーナちゃんのお友達なのね。MVPのPTなんて、やるじゃない!」


 ぽんと軽く背中を叩かれただけでも、本気で息が詰まった。何だか体の感覚がおかしい。死にかけていたのだから、当然だが。

 ユーナの様子を見て、アシュアは道具袋インベントリを漁り始める。あわてて彼女は首を振り、自分の道具袋インベントリから使おうと思っていた回復薬ポーションを出した。併用可能な、高級品である。一口で飲み干すと、喉も潤い、HPも疲労度も少し回復した。


「重傷なのを無理やり回復した分、ペナルティ的に不自由が多少あると思うわ。時間が経過すれば完治するから、せめて今日一日は安静にしてね」


 アシュアのことばに頷く。

 すると、フィニア・フィニスが彼女へ何かを差し出した。

 両手でなければ持てないほどで、ユーナが知っているものと大きさは全く違うが、そのモノには見覚えがある。

 ユーナは沈黙のまま差し出された宝珠を見入った。今は片翼となった従魔の印章(シグヌム)が刻まれた、宝珠だった。


「命の対価なら、これくらいは要るよな」

「姫ぇぇぇ!?」

「ボクがリーダーだ」


 MVPの特別な戦利品スーパー・レア・ドロップ

 フィニア・フィニスが躊躇いなく差し出した対価を見て、ユーナは絶句した。


 フィニア・フィニスにも見えていたのだ。

 アシュアの法杖が砕け散る、瞬間が。

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