合流
『前回、異常を検知したため、強制ログアウトを実施いたしました。
再開時はログアウト時と同じ場所からのスタートとなります。
なお、ペナルティ時間は既に経過しておりますので、すぐにログイン可能です。
ログインを開始します……』
通常のログインでは流れない音声メッセージを受け取りながら、結名は光の奔流に身を任せる。
アンファング~エネロ間のフィールド、森の中でさえなければ戦闘スキルのないユーナでも問題はない。ただ、気がかりなのは……。
意識が浮上していく。目覚めは不愉快なものではなかった。体が、何か硬いものに凭れているのがわかる。薄っすら開いた目には、街道の石畳が光を反射していて、眩しい。名を持つ森熊と戦闘を開始した、街道と森の狭間にいるようだ。落ちた時と寸分たがわず、木の根元に座り込んでいる。
いつもの癖で、時計をチェックする。視界の端には現実時間と幻界時間が表示されている。丸一日ほど経過しているのがわかった。そして、PT表示に仔狼の名が残されているのに気づく。
「アルタクス?」
PTチャットで声をかけても、返事はなかった。
地図を確認しようと開いた瞬間、目の前に影が飛び出してくる。身を翻し、「がぅっ」と一声鳴いた。
仔狼である。
ずっと待っていたのだろうか。
「ただいま。待たせてごめんね」
ただ、会えたことにとてつもない安堵感を感じながら、ユーナはその全身を見回す。
ステータスバーでもわかるが、HPは多少減少していたが緑のままだった。見当たる範囲に残っている傷もなさそうだ。むしろ、気になるのは空腹度である。ややオレンジがかった黄色になっていた。何も食べていないようだ。ひょっとすると、空腹に伴うHP減少かもしれない。黒々とした目が、青みを帯びてユーナを見返す。
ユーナは身体を起こし、道具袋を漁った。テイマーズギルドで分けてもらったパンを出す。仔狼に向けて差し出すと、アルタクスはふんふんと匂いを嗅いだ。それから口の先で微かにパンを咥え、ユーナの手からパンを奪い、食べ始める。瞬く間に空腹度は満腹に切り替わっていった。
その間に、ユーナはメールを開いた。三通、届いている。
一通はフィニア・フィニスからの返事だった。了承の意と、ログインしたら連絡するようにというものだった。早速、今ログインした旨を返信する。ひょっとしたらフレンドチャットをしたほうが、合流しやすいだろうかとウィンドウを操作した。が、フィールド上では使用不可のようだ。当然と言えば当然である。
もう一通は、なんと紅蓮の魔術師からのものだった。
『完成した。受け渡しの希望は?』
とてつもなくシンプルな内容だった。
が、思い当たる節はある。
彼に託した、森狼王の牙のことだろう。
お礼と、討伐隊に参加しているならアンファングで会えるとうれしいという内容をこちらには返しておく。
最後の一通は、従兄からのものだった。
『開門に間に合った。例の聖騎士様とやら、すごいな。とりあえずついていく。アシュアたちも一緒だ』
こちらはもう出陣しているようだ。
進軍のスピードがわからないが、ここを通りかかるのはまちがいない。
アンファングで合流を考えていたが、相当早くなりそうだった。
ユーナは改めて装備を確認した。ショートスピアは名を持つ熊に刺してそのまま折れてしまったし、ショートソードは鞘から抜いていたせいか、紛失している。道具袋から初心者用短剣を出し、セルヴァ譲りの短剣と場所を入れ替えて装備を整えた。直接攻撃の手段としては弱い上、余程タイミングを狙わないと危険すぎるが、ないよりはマシである。
今日の閉門までに倒せなければ、明日は買い物を済ませてから参加するほうがよさそうだ。格安装備が大量に流れていることを期待するしかない。
戦闘スキルが磨かれていない以上、自身をダメージソースに数えることは基本、回避すべきだとも思う。ただ、アルタクスにすべてを任せて眺めていることなど、できるはずもなかった。
完食した仔狼に水をと思い、水筒を出す。が、木皿がないことに気付いた。慌てて周りを見回すと、大きな葉を持つ低木があったため、一枚引きちぎって地面に置き、その上に水を少し入れてみる。仔狼は早速飲み始めた。喉も乾いていたようだ。幾度か追加して、仔狼の喉を潤す。
仔狼が満足げに座り込んだところで、ユーナも道具袋からパンを出し、齧りついた。強制ログアウトは昼食前だったので、空腹度が進んでいたのだ。パンは少し硬くなっているが、食べられないほどではない。口の中の水分を奪われるので、水を飲みながら食べた。このせいで、仔狼はより水を欲したのかもしれない。夕食の伯母さん特製ビーフシチューが恋しくなる味だ。そういえば、テイマーズギルドでの食事も美味しかった。今度グラースに、本格的に料理を教えてほしいと思った。調理道具も揃えねば。
ふと、仔狼が立ち上がり、前脚で地面を叩く。そこには小さな草虫が沸いていて、即、砕け散った。平和だなあと感じてしまうほど、どこか感覚が麻痺している気がする。
最後の一欠片を口に放り込むと、視界にPT要請が出現した。慌てて水で流し込み、即、承諾を出す。フィニア・フィニスである。画面のPT表示が、一気に四つに戻る。合わせて、地図が表示された。一際大きい青の光点は自身だ。その隣に小さな青、これはアルタクスだろう。ほど近く、アンファング側に、二つの青の光点と、巨大な赤い光点があった。
『ユーナ、来い!』
「行くよ、アルタクス!」
フィニア・フィニスの声に応え、ユーナは飛び起きて走り出す。
あっさりと追いつき、並走していた仔狼だったが、すぐに追い越して前を進む。ユーナは走るスピードを上げた。ログアウト中に、多少疲労度が回復していたようだ。これなら戦える。
念のため、道具袋からHP回復薬を漁る。徐々に回復していく継続タイプのものだ。これならば、離れていても少しは効果を期待できる。エネロでシャンレンから譲られたものなので、重ね掛けもできるという品の良さだ。
現場に到着次第使えるようにと考えていると、仔狼が吠えた。
やや湾曲していた道の向こう。
視界に隠れていた街道上に、人だかりが見える。思いのほか、近くまで接近していたようだ。
先頭に、あの聖騎士の旗が見えた。騎乗している聖騎士が、こちらに旗を振り、そのまま進んでいる。
――何で、来るの?
ユーナは地図で現在地を確認する。
フィニア・フィニスたちは、聖騎士よりもまだ後方にいる。
ユーナはPTチャットで叫んだ。
「聖騎士、気づいてないの!?」
『またかよ!?』
すかさずフィニア・フィニスのツッコミが耳を打つ。街道上の混雑を避け、森側を駆け抜けようと、ユーナは街道の石畳から下りた。それを察し、仔狼もまた森側を行く。途中、草兎を蹴散らしながらでも、ユーナより足が速い。
「同士よ! 共に討伐の道を……」
「その討伐対象と、後方のPTが戦闘中ですよ!」
すれ違いざま、朗々と口上を述べようとする聖騎士の声を遮り、ユーナはオープンチャットで言い放つ。聖騎士は呆気に取られ、しかし、すぐに問い返した。
「何だと!?」
「討伐隊を反転させて下さい! 後方にて魔獣出現!!」
足を止め、できる限りの大声で叫ぶ。
前方に詰めていた聖騎士の周囲のPTは、「後方に魔獣出現だぞー!」と騒ぎ始める。
「全軍、反転! 後方へ急ごう!!」
流石に学習したのか、聖騎士は石畳から下り、ユーナたちのいる森側から後方へと駆け始めた。あっさりと討伐隊を放置し、先に行ってしまう。
呆れてユーナが肩を落とし、再び走り始めようとした時。
仔狼の姿が緑色の光に包まれ、視界にウィンドウが開かれた。
『アルタクスがレベル十になりましたので、成長します。
種族 森狼幼生→森狼』
ちょっと待って、レベル九なの見忘れた!
息を呑んだユーナの前で、仔狼がその形を変えていく。
中型犬程度のサイズだった体躯が、瞬く間に巨大化する。ほっそりとしていながらも、立った姿はユーナよりも高さがあるのではないかと思われた。光が消えた後に見えたのは、いつか追いかけられた、森狼の姿だった。
アルタクスである。
だが、黒い毛並みとその体躯に、ユーナはあの時の恐怖を思い出していた。
喜びよりも先に恐怖が胸を襲い、言葉が出ない。
のそり、と彼はユーナのほうへと足を向ける。
ユーナは身を震わせた。




