強制切断
「……今起こしちゃったら、結名も怒るわよ。姉さん、皓君にすんごく怒られたって言ってたんだから」
「でもなあ……まだ例の件の処理も終わってないのに、ゲームの中だなんて、危ないだろう?」
「ちゃんと約束したから、大丈夫よ。それより、携帯を取りにいかないと。メールすればいいらしいから」
両親の会話が耳に入る。
どこか現実味がなくて、それでいて目覚めは最悪だった。
切り離された世界は遠い。
時間の流れが違いすぎるため、今すぐ戻ったとしても、あの瞬間にはもう戻れない。
仲間を置いてきてしまった。
よりにもよって……戦闘中に。
結名は息を吐いた。
胸に落ちた重さは、少しも軽くならない。
「結名?」
娘の様子に気付き、父が声をかけてくる。
VRユニットをひきはがして、結名は身を起こした。
ベッドに横たわる彼女の枕元で、言い争っていたようだ。心配そうな二つの顔が、こちらを覗いている。
しかし、今はどうしても「心配かけてごめんね」が言えなかった。
「ごめんね、結名。止めたんだけど……間に合わなかったのね」
険しい顔をした結名から、状況を察した母は謝った。
まさか娘に睨まれるとは思わなかった父は、視線を泳がせる。
「え、あ、いや、その、だ、大丈夫なのか? 絡まれた奴に会ったりして、たいへんなんじゃ……」
「相手、アカウント凍結されたみたいだから、もうゲームで会うことはないと思う」
「そ、そうか、それはよかった」
何がいいの?
もう取り返しがつかないんだよ。
父のことばは、先ほどの状況を指しているわけではない。
そんなことは百も承知で、それでも、ぐるぐると渦巻く気持ちを、抑えられない。
結名は父を見上げ、言い放った。
「お父さん……もうわたしの部屋に入ってこないで!」
高ぶる心をそのまま口にしたら、思ったよりも強い言い方になった。
まるで悲鳴のように叫ぶ娘の声に、両親は衝撃を受けた。
慌てて父は謝り始める。
「ゆ、結名、本当にごめん。お父さん、そんなつもりじゃなかったんだ」
一方で、母は顔をしかめていた。
「お父さんに対して、そんな言い方はないでしょう? 今日だって結名と話すために……」
ああ、ダメだ。
本当にごめんなさい。
結名はベッドに再度もぐると、頭から布団をかぶった。
「もうイヤ! 出てってっ! いいから、ほっといてよ!!!」
こんなことが言いたいわけじゃないのに。
こみあげてくる涙を、枕で押さえつける。
こらえきれない嗚咽が漏れ出ていく。
娘の拒絶を前に、両親は引き下がった。
母は娘を引っ張り出そうと躍起になりかけたが、父がそれを止めたのだ。
「ごめんよ、結名。……落ち着いたら、ごはんにしよう。下で待ってるからな」
あたたかいことばを置いて、部屋を出て行った。
残ったのは、子供じみた結名だけだった。
泣いても叫んでも、何をしたところで、もう戻らない。
父に哀しい顔をさせるつもりなんてなかった。
母に口答えするつもりなんてなかった。
あの時間を失ったのは、誰のせいでもないのに。
わたしの部屋に来なければよかったのに。
頭の中をぐるぐる回る。
少しも落ち着かない気持ちと考えが、ぐるぐる輪になって。
どこまでも回り続けるような感覚。
遊園地のメリーゴーランドのような楽しさはなく、どちらかというとティーカップのハンドルを自分で回しすぎてしまったような。
ああ、気持ち悪い……。
煌く星のメロディが、夜に沈んだ部屋に響く。
小さかった音が、徐々に膨れ上がっていく。
あまりの音量に、結名は身を起こし、携帯電話を手に取った。暗闇の中で灯る画面に浮かび上がったものは、従兄の名だった。
……現実にいるの?
フリックし、頭に近づける。
「――はい」
『やられたんだって?』
笑うのを堪えるような声に、結名は頬を膨らませた。
全部知っているのだ。
父によって強制ログアウトを引き起こされたことも、きっと、結名がふてくされていることも。
「だから、何?」
『怒るなよ。叔父さんがどれだけ心配してたか、知ってるだろ』
「わかってる!」
『わかってないなー』
とても楽しそうな声で、腹が立つ。
いくら従兄でも、これはないだろう。
結名はキレていた。自分でも、子どもじみているとわかっていても、止められないほどに。
そして、自分もキレた経験のある皓星だからこそ、今の結名の心境は十二分に理解できた。
また、彼女が聞く耳を持つ術もわかっていた。
『ユヌヤの転送門、開放したぜ』
誇らしげに、彼は言い放った。
結名は携帯電話の画面を見直した。時間は……幻界時間にしても、あのフレンドチャットから、丸一日掛かっていない。
「……ホントに?」
『とーぜん。で、よっしゃあ、アンファング飛ぶぞー!ってなタイミングで、お呼び出しされたってわけ。まあ、アシュアもメシ食ってくるとか言ってたし、そろそろセルヴァたちも帰ってくる頃合いだからさ。みんなで行くよ、討伐イベント。
――で、ユーナはどうする?』
問われて、口ごもる。
ごはんを食べて、お風呂に入って、寝る準備も済ませて……どれくらいかかる?
その前に、何をしなければいけない?
心がもう、幻界に向いている。
黙った結名に、皓星は状況説明を要求した。
現実ではなく、幻界でのことだ。
『ログアウトした時、何してたんだよ?』
「……レイド中だったの。PT組んで戦闘してて、わたし、そのまま……」
『げっ、それマズイな。とりあえずPT組んでたやつにメールしろよ。相手、フレンドだろ?』
指摘され、ようやく気付く。
そうだ。メールすればいい。
公式サイトから、フレンドにメールを飛ばせるではないか。
結名は慌ててPCの前に陣取る。軽くマウスに触れると、スリープモードから復旧した。すぐさま、公式サイトにサインインする。
『例の討伐イベントなら、落ちたとこはフィールドだよな。アンファングとエネロの間で、ユーナのレベルならほっといても問題はないけど……ひょっとしたら、待ってるかもしれないし』
「うん。今、メールする」
『それさえしとけば、何とかなるだろ。じゃあ、オレも準備して戻るから』
「えっ」
切る流れに、思わず口から疑問が漏れた。
フフフと耳元で、怪しげな皓星の笑い声が零れる。
『ま、どうせまだ討伐されてないだろ。オレたちが行けば、まずレアドロはいただきだな』
「うー」
シリウスたちが来なくても、戦闘の手順さえ全員で共通認識ができれば……。
アルタクスとの連携を、もっと上手にこなせたら……。
格安の、捨ててもいい武器をたくさん用意して、効率的に使えれば……。
結名の脳裏に様々な戦勝プランが過ぎる。
不満げに唸ると、静かに諭された。
『行きたいなら、しなくちゃいけないことがあるだろ? ちゃんと話して来いよ。
――オレ、天岩戸を開けろって、母さんからお達し受けたんだからな』
付け加えられたことばは、少しおどけていて。
思わず結名も吹き出してしまう。
「わたしが天照大神なら、皓くんは……天鈿女命?」
『まあ、脱いだくらいで出てくるなら脱ぐけどさ。たぶん、それは幻界じゃないかな。オレはせいぜい天手力男神ってとこ』
あまりにもはまり役で、今度こそ結名は声を上げて笑った。




