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幻界のクロスオーバー  作者: KAYA
第三章 生命のクロスオーバー
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従魔の印章

 すばやく契約書がグラースの手で回収され、アニマリートの手元に、彼女のてのひらよりよほど大きい水晶が残される。例の、記録水晶だ。早速登録しなければならないらしい。ユーナが差し出されたそれに手を置くと一瞬だけ、水晶の中が渦巻くように揺れて凪いだ。これで完了だそうだ。

 水晶も回収され、次は宝珠が残された。薄い黄色の宝珠は水晶よりは小さく、手に載るほどのサイズである。中に、何かの記号が見える。


「こっちは、君に覚悟を訊かなくちゃね」


 立ち上がり、アニマリートは宝珠を手に仔狼の前へと進む。アルタクスは後ずさることもなく、腰を落としたまま、静かに彼女を見上げていた。アニマリートはアルタクスの目線に近づくべく、膝を落とす。そして、宝珠を仔狼へと見せた。


従魔の印章(シグヌム)は、テイマーズギルドの子飼いである証。主を選ぶことはできても、主が選んだことから逃れられないのが従魔シムレースの運命……それは、自由から遠ざかる道でしかない。それでも、君はこのくびきを願うの? 主が望む以上、一生従魔の印章(シグヌム)は君につきまとうことになるよ。それでもいいの?」


 問いかけのことばはひどく厳しいものなのに、口調はとても柔らかく聞こえた。まだ、選べるよと確認する行為に思えた。

 彼女の問いに対し、仔狼は立ち上がる。


 従魔の印章(シグヌム)の重さを、ギルドマスターであるアニマリートは確かにわかっている。

 ユーナはそれを感じ取り、己が如何に考えず、アルタクスへそれをいようとしていたのかを知り、唇を噛んだ。


 仔狼は、一切、ユーナのほうは見なかった。迷いなどないと、彼女に示すかのように。

 ただ、彼は前に進み……その黒々とした鼻先を、宝珠へと一瞬、くっつける。

 途端、アニマリートの目が緩み、滂沱の涙が流れる。ぼたぼたと床に滴るほどで、こちらのほうが驚いて、仔狼もさすがに怯む。その隙を見逃さず、アニマリートは両手を広げて仔狼を捕らえた。さりげなく前足を完全に封じ、首と肩で仔狼の頭を封じ、全力で抱きしめている。


「ぅがぅっ!」

「君、ほんっとイイ子だね~~~~~っ」


 あー……いいなぁ……。


 ユーナはその様子を見て、同じように抱きしめてみたいと思った。否、できれば仔狼ほんにんの了承の下に、ぎゅーっとしてみたい。さすがにすぐは無理だろうから、最初はなでなででもいい。

 前途多難な道のりを感じる。


 あれ、宝珠、ポイされてる……。

 ころころと転がっていく宝珠を、グラースが拾い上げた。そして、頬に手をあて、深く溜息をつく。


「すみません、いつものことなのでお許しを」

「問答無用につければいいものを……」


 イグニスも合わせて溜息をついていた。

 が。

 抱きしめるだけではなく頬ずりまで始めているのを見て、舌打ちする。

 完全に悦に入っているアニマリートの隣へ進み、グラースは宝珠を差し出した。


「ギルドマスター、お仕事を」

「はぅぅぅぅ……カワイイ♪」

アニマリート様(・・・・・・・)


 グラースの声音が極寒の冬を招いた。

 一瞬だったが、物理的に空気が凍てついた気がする。

 吐いた息が白く見えて、ユーナは再度息をつく。白くならなかった。あれ、気のせい?

 アニマリートはグラースの迫力にすごすごと仔狼から身を離し、宝珠を受け取っていた。

 キリッと顔つきが変わる。

 宝珠を仔狼へと向け、彼女は言い放つ。


「なれば、この証を受けよ、従魔シムレース! 従魔刻印イニーレ・シグヌム!!」


 宝珠が砕け散り、内に秘めた刻印陣を中空に描く。アルファベットのVに似た、翼のようにも見える紋章が広がる。舞い降りた刻印陣が仔狼の全身を包むと、集約し、頭の上で弾けた。

 アルタクスの名の前に、黄色の紋章が輝く。


「……これで、テイマーズギルドがこのの後ろ盾になれるから、何かあったら遠慮なく言ってね?」


 ゆっくりと手を下ろしたアニマリートのその声は、ひどく寂しげにユーナの中で響いていた。

 名を与えられ、在る場所すら選べず、印を刻まれ、それでも仔狼は彼女に向き直る。

 従魔使い(テイマー)として、どのように彼の隣に立てばいいのか。

 ユーナは、白い靄の中を歩いているような、そんな不確かさを抱えて仔狼を見返した。


「命の神の祝福を受けし、旅の者よ」


 低い、火の名を持つ男性が、ユーナを呼ぶ。

 そのことばは、まさに道しるべのひとつだった。


「そなたと異なり、従魔シムレースは一度きりの命しか持たぬ。それは幻界ヴェルト・ラーイの理だ。そして、従魔は命を賭してそなたを護り、援けるだろう……心せよ。この世界に生を受けし者は、本来、一つ限りの命を精一杯生きているのだ。そなたらのものさしで測ることはできぬ」


 ゲームの中なんだから、簡単にリトライできるよね?

 死んじゃっても、すぐに蘇生魔法で生き返るんでしょう?

 お迎えは、同じ神殿でいいのかな?


 安易に考えていた。

 この世界の住人だからこそ、旅行者プレイヤーに忠告できる内容だった。

 急に、左側に表示されているステータスバーが気になり始める。今は緑色で、まさにオールグリーン。これが、仔狼の命、そのものなのだ。


 左側に視線を向けたまま、黙ってしまったユーナの足元へ、仔狼が近づく。

 その身が、ほんのわずかに、足元に触れた。

 柔らかな毛並みの感触に、目を瞠る。


従魔シムレースにとって、心を通わせる主のために死力を尽くすのは当然です。むしろ、己が生き延び、主を失うことになれば発狂するでしょう。ですから、あなたが気にするべきなのは、従魔シムレースの命ではありません。おわかりですね?」


 グレースの淡々とした口調が、とてもやさしいものに聞こえた。


 あたたかい。

 わずかに触れた場所のぬくもりが、ひどくうれしかった。

 頷くユーナに、仔狼は一声吠えた。

 きっと、自分を叱ってるんだろうな、という気がする。


 少しだけ、ほんの少しだけ。

 ゆっくりとその場に身を屈める。

 蒼の双眸が、ユーナを射抜くように見ている中。

 そっと彼女は手を伸ばした。

 指先が毛並みに届く。

 まだ、吠えない。

 てのひらが、毛並みを包む。

 やさしく首筋を撫ぜると、僅かに仔狼は目を細めた。


 ユーナの目尻から、いろいろな感情を混ぜた一粒が零れ落ち……僅かに緑の感じる毛皮の上で、弾けて消えていく。アルタクスは無言のまま、それを受け止めていた。

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