誓約
「じゃあ、決まりな」
フィニア・フィニスは椅子から立ち上がり、楽しげな足取りで扉のほうへ向かう。と、すぐに足を止め、テーブルに残っていたユーナへと振り向いた。
同時に、ユーナの目の前に見慣れたウィンドウが広がる。「フィニア・フィニスからのフレンド要請が届いています。フレンドになりますか? はい いいえ」のことばに、当の本人を見る。驚いているユーナの様子に、フィニア・フィニスは眉をひそめた。
「――なんだよ。いちいちここまで来るの、面倒だからさ。次はアンタが神殿まで来いよ。二の鐘よりちょっと前な。準備済ませとけよ。他にもうじゃうじゃいるだろうから、着いたら連絡してくれ」
要するに、一緒にレイドに参加しよう、と誘われているらしい。
スキル、「テイム」しかないんだけど。
今まで結構高レベルな人と一緒にいたから、殆どおんぶにだっこ状態で、あまり戦闘に慣れてるとは言いにくいし。
アルタクスとのボス戦なんて初めてだから、どうフォローしたらいいのかもわからない……。
様々な不安要素が胸を駆け巡る。
それでも、フィニア・フィニスはユーナを見つめたまま、待っていた。
訝し気な様子から、眉がゆるみ、そして、少しまなざしが揺れる。
ユーナは口元をほころばせた。
この子……何も知らないのに、わたしを誘ってくれてるんだ。
アルタクスを見て、じゅうぶんと言ってくれるのなら。
精一杯、その気持ちには応えたかった。
指先で「はい」をタップして、了承を示した。
「うん、わかった。またあとで」
ユーナの承諾を受け、フィニア・フィニスが笑顔になる。
裏表のまったくない、純粋な喜びがそこにあった。
初めて見た、最高に可愛い笑顔だった。
その素敵な笑顔のまま、フィニア・フィニスは語る。
「じ、実はさ。あんまりお金なかったから、腕を治すのは媒介が必要な高等神術じゃなくて、通常の薬術と神術の併用にしたんだ。で、施療院で入院中で、今ちょっと抜け出してきただけなんだよ。一晩寝たから、ボク的にはもうすっかり元通りって感じなんだけど……」
少しもじもじしながら説明する。
――入院中のくせに情報収集して、朝っぱらからここにきたの?
一気にユーナの表情が険しくなる。しかも、フィニア・フィニスは開門の鐘の後に検診があり、問題がなければ退院、と続けた。
とっとと考えなしな子どもをギルドホールから追い払うべく、ユーナは仔狼に視線を向ける。仔狼の本気の唸り声が背後から上がり、フィニア・フィニスはさすがに身を震わせた。
小さな嵐が去っていく。
遠く消えていく金の巻き毛の小柄な背中を見送っていると、後ろから呑気な声が飛んできた。
「ユーナ、朝ごはんするー?」
一部始終を見ていて、そろそろ目が覚めたようだ。振り返ると、アニマリートは既に返事を確定しているように、大皿に盛られた焼きたての白パンの山をテーブルに載せている。奥から盆で運んでいるグラースの姿も見えた。慌てて手伝いを申し出たが、グラースの「朝食代、ユーナさんの分は銅三枚、従魔の分は銅一枚いただきます」ということばに了承しお支払いした途端、「お客様はテーブルにどうぞ」と促されてしまった。
銅三枚にしては、焼きたての白パンに赤い色合いのスープにゆでたてのソーセージ、サラダにドリンク付きという、素晴らしい朝食が出揃う。仔狼のためには、ソーセージの混ざったサラダが供され、ありがたくアルタクスの前に置いた。何となく嫌そうに見える。
お茶を入れるのが得意らしいイグニスの薬草茶は、朝の目覚めにぴったりな一杯だった。外はまだ少し肌寒かったので、温まる。
「結局、例の討伐隊に参加するのね?」
アニマリートの問いかけに、頷く。そして、視線を仔狼に向けた。往生際悪く、サラダのほうはちまちま食べている。ソーセージの姿は既にない。
「どこまでできるかはわからないけど……でも、一緒に行ってくれるそうなので」
「うんうん、いい傾向! だいぶ慣れたみたいでよかった」
アニマリートの弾んだ声が、彼女の気持ちまで伝えてくれる。一つ頷いて笑顔を返す。
赤っぽいスープの味は、ミネストローネのようだった。白いゴマのような粒が浮いていて、みじん切りにされた野菜や小さくスイカの皮のようなものが見える。例のトマト味ミニスイカの存在が脳裏にチラつく。一口啜った途端、ぴりりと辛いことがわかって驚いた。慌ててパンを頬張り、その小麦の甘さと相殺する。
恐る恐る、迷うようにアニマリートは言葉を続けた。
「さっきの子、討伐対象が森熊って言ってたけど……ギルドへの通達では『黒い魔獣』っていう書き方をしていたの。たぶん、他のところも同様だと思うし、実際に遭遇したことのないひとなら、その狼を見て誤解する可能性があるって考えておいてね」
「恐らく、名前付きだろう」
ネームドモンスターとはボスに限らず各所に出現する、レアドロップを有する特殊個体という位置づけである。種族の中でも卓越した強さを持つので、同種の個体と考えて戦闘をすると全滅する恐れもある。今回の個体も同様だろうとイグニスは評した。強さと行動パターンが並み外れているので、油断しないようにと念を押される。
「ごはん食べたら登録を済ませましょう。従魔の印章さえあれば、外に出ても大丈夫だからね」
ギルドへの登録自体は、署名ひとつで完了するらしい。ただ、従魔の印章のほうは特殊な契約をテイマーズギルドと結ぶことで得られるので、それも登録後に行うと言われた。
従魔の印章は、名前の前に表示されるため、見間違いがないそうだ。ただ、存在を知らない田舎者(アニマリート談)もいるので、注意するに越したことはないようだ。
田舎者のユーナは、従魔の印章の形に想像がつかない。カッコイイといいな、と思いながら、何とかサラダを完食したアルタクスに微笑んだ。タイミングよく、グラースから水の深皿が差し出され、礼を言って幼生に与える。
負けてはいられない、とユーナもピリ辛スープを攻略開始した。
いささか満腹すぎるかもと反省するほど食べ過ぎて、食事を終える。白パンはたくさん焼いていたようで、余ったものから三つも昼用にとイグニスから渡された。綺麗に布でくるまれており、ありがたく頂戴する。グラースはその隙にテーブルを片付けてしまう。とても手際がいい。
カウンターの奥に戻っていたアニマリートが、その片付いたテーブルに戻ってきた。一枚の羊皮紙とインク壺と羽ペンを並べる。ユーナと向かい合うように座り、改めて羊皮紙を差し出す。そこには、幻界文字でテイマーズギルドへの所属契約について、説明が書かれていた。話に聞いていた通りの内容であるのを確認して、ユーナもまた銀貨一枚を差し出す。
「では、こちらに署名を……ええ、ありがとう」
既にギルドマスターであるアニマリートの署名は入っていた。ユーナもまた、同じく幻界文字で自署する。青いインクで署名が書かれた契約書を受け取り、アニマリートは手を翳す。
「すべての命を生み出せし大いなる神よ、ご照覧あれ。ここに我がテイマーズギルドの一員として、新たなる仲間を迎え、その絆を約し、御身に捧げん……宣誓」
命の聖印を刻み、誓言を口にする。
青いインクが一瞬燃え上がるように揺らぎ、消えた時には黒のインクとなり定着していた。
驚いてその様子を見ているユーナに、アニマリートはにこやかに言う。
「改めて……ようこそ、テイマーズギルドへ! 歓迎するわ、ユーナ」




