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幻界のクロスオーバー  作者: KAYA
第三章 生命のクロスオーバー
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お風呂に入ろう

「ホントに!? もう大歓迎! ありがとう!!! うれしー!」


 アニマリートは言葉通り、飛び上がって喜んでいた。イグニスの目元も細まり、口元は少し上がっているように見える。

 ユーナの決断がもたらした効果に、彼女自身が嬉しくなる。

 もちろん、その影にはほんの少し、期待を裏切ってはならないという己への戒めも姿を見せているが、ここは喜ぶところだ。がんばろうと両手を握りしめると、その手を包み込むようにアニマリートが手を添えた。


「じゃあ、登録手続きは明日にして、今日はゆっくり休んで。ここ、従魔シムレースの慣らしのための宿泊施設なの。今は誰もいないから、楽にしてね。いちばん手前の部屋を使っていいからね。今日は特別タダにしておくけど、明日からも一泊大銅貨一枚でいいから」

「お風呂付なのにいいんですか!?」


 エネロの宿代より安い。

 アニマリートはぱたぱたと手を振った。


「いーのいーの。誰も使ってないし。イグニス、お風呂の使い方とか、部屋の案内頼める? 私、グラースに話してくるー!」

「了解した」


 返事を聞くや否や、アニマリートは階段を駆け下りていく。

 イグニスはコップや深皿を回収し、流しに置き、先に部屋へとユーナを促した。

 通路に入って一番手前の部屋の扉を開けると、広々とした寝室になっていた。エネロの宿の部屋が二つ入りそうだ。窓にはガラスが嵌まっていて、大きな寝台には柔らかな布団が敷かれている。寝台以外のスペースもやたら広いのは、従魔のためだろう。

 寝室の右手にも扉があり、イグニスはそちらを開けた。ちらりと見えているのは……巨大な木桶だった。丸い木製の湯船の縁近くに蛇口があり、更にシャワーらしき金具が、上のほうにもついている!


「訓練で従魔シムレースが汚れるからと、ギルドマスターが特注したものだ。体は湯船の中で洗ってほしい。給水の切り替えはここ、温度調整はこの魔石を操作すればいい。排水はそこを押せばできる。あと、こちらが従魔シムレースもひとも使える洗い粉で……」


 こくこくと頷きながら、設備の説明を聞く。濡れても大丈夫なように、床はタイル貼りで排水口もついていた。現実世界リアルと大差ないお風呂である。とてつもなくハイテクに感じる。タオルまで貸してくれるそうだ。素晴らしい。


「では、入れようか」


 幻界初のお風呂に胸をときめかせていたユーナが、凍り付いた。

 イグニスの視線がこちらを向いている。足が自然と後ろに下がった。


「ひ、一人で入れます!」

「そうか? 既に逃げ腰だが……」

「気のせいですよ!」

「ふむ」


 自身の顎に手をかけ首を傾げる。相当疑わしそうに見られているようだ。

 ま、まさかお風呂の使い方を教えるって、そういうことまで!?


「わたし、自分でっ」

「そんな外見なりをしていても、森狼フォレスト・ウルフの幼生だからな。暴れると厄介だと思うが」


 全力で「自分でお風呂入れます」宣言しかけていたユーナの声と、イグニスの忠告が重なる。

 ユーナが顔を赤らめて絶句しているあいだに、イグニスは身を屈めた。お風呂から逃げようとしたらしいアルタクスを摘み上げている。そのまま、ぽいっと湯船に投げ入れた。そして、シャワーのほうの蛇口をひねる。仔狼は全力で吠えている。


「こら、暴れるな」


 軽々と片手で押さえつけられ、逃げられない。

 べたっとしていた毛並みが、濡れて更にべったりしている。思ったより体は大きくなっていないようだ。あれでも乾いていたのかと驚く。

 イグニスの半身をも濡らしているが、彼は気にならないようだ。生成りのシャツがぴたりと貼りついている。


「洗い粉を」


 指示を受けて、ユーナはあわてて備え付けの棚から洗い粉を取った。

 ほんの少しだけアルタクスに振りかけたのだが、あっという間に泡だらけになる。イグニスは盛大にわしゃわしゃと洗い始めた。

 仔狼はがうがう喚きながら、どう見てもイグニスの手に噛みついているのだが、噛みつかれたほうは平気そうな顔をして洗い続けていた。以前噛まれた時の痛みを思い出して、ユーナは顔をしかめる。


「……痛くないんですか?」

「ふっ、この程度、少しかゆいくらいだな」


 仔狼の双眸が煌く。一拍の間を置いて双牙を剥き出しにし、本気を出して噛みつ……こうとしたところで、泡だらけのイグニスの手が顎を掴んだ。


「この洗い粉、従魔が誤って口にしても問題ないぞ」


 ほらご覧の通りと言わんばかりに上下の顎を掴んで子狼の体躯をぶらぶらさせる。

 あー、痛いんですね。

 ユーナはそのまま任せることにした。シャワーヘッドは蛇腹がついていて、引き伸ばすことまでできた。吊られているアルタクスの全身の泡を落としていく。今なら大丈夫かも、と毛皮を撫でながら、お湯で流した。お湯はかなりのぬるま湯だった。恐らく、この温度ならアルタクスを洗っても問題ないのだろう。覚えておくことにする。

 イグニスがよく洗ってくれたからかもしれないが、全く引っかかりのない毛並みだった。洗い流してみると、つやつやしているようにも見える。ほんの少し、緑を帯びているような黒だ。


「もうよかろう。湯を捨ててくれ」


 イグニスは片手で仔狼を掴み直し、宙づりにしたまま、吊戸棚からタオルを取り出してタイルの上に落とした。ユーナは排水の操作をして、それからタオルを拾って広げる。それに合わせてイグニスが仔狼を下ろした。

 途端。

 全身を震わせて、仔狼が水飛沫を飛ばした。

 水も滴るイイ男女の出来上がりである。この場合、比喩ではない。

 ぽたぽたと前髪から滴る雫を手の甲で拭うと、イグニスはどこかのテレビCM並みに歯が煌かせて笑った。


「いい根性だ。しっかりしつけてやろう」


 もう一枚タオルを出し、全力で仔狼を拭い始める。ユーナは怖くて手が出せなかった。既に仔狼は吠えているというよりも、悲鳴を上げている。

 出来は素晴らしかった。

 室内灯に照らされた体躯はほっそりと引き締まり、その毛並みは期待通りのふかふかつやつやっぷりを見せている。本人は全力で抗いすぎて、床に完全に伏している。既に疲労度がレッドゾーン突入な上、HPも少し削れているようだ。

 対して、プロのグルーミングの腕前を見せたイグニスは、鼻を鳴らしている。


「フン、アニマリートが抱きしめたくなるような毛並みでなければ、貴様なぞ……っ」

「がぅぅぅぅぅぅ」


 とりあえず、文句の言い合いができる程度の元気は残っているようだ。

 自身の仕上げに満足したらしいイグニスは、汚れたタオルを片手に「おやすみ」と言って、あっさり部屋を出て行った。

 念のため、中から鍵をかける。

 ようやく自分の番だと、ユーナは浴室に戻り、嬉々として装備を外す。着替えがないので、術衣は畳んで棚の空いているスペースに置く。下着はそもそも触れることもできないようだ。装備変更と異なるのだろう。特に着ているという感触もないので、そのまま蛇口をひねり、たっぷりとお湯を出す。温度も問題なく調整できたので、心地よい。

 浴室の床には、相変わらずのアルタクスが寝そべって、こちらを見ている。

 その眼差しを受けて、髪を洗いながらユーナは問うた。


「なあに? もう一回入りたいの?」


 仔狼はすぐに、俯せた。

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