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幻界のクロスオーバー  作者: KAYA
第二章 災禍のクロスオーバー
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ここはゲームの世界じゃない

 よし、逃げよう。

 いや、別に逃げるっていうか、その、帰るだけなんだけど!


 終礼中、担任からの連絡事項を聞きながら、結名は鞄に視線を走らせる。授業終了後、荷物はもうまとめている。即座に出られる。

 何が怖いって、後ろからのアレである。絶対もう振り向かない。授業中からこちら、ずっと見ているのである。

 例の土屋だ。

 発表プレゼンで、後ろのほうの発表者に体を向ける度、こちらをガン見している土屋が視界に入ってしまう。

 結名も、もう予測がついていた。

 土屋はPK未遂PTの一人なのだろう。どこでどう悟られたのかはわからないが、土屋自身は結名がユーナである確信を抱いているように思う。午前中は普通だった。昼休みも絡んでこなかった。となると、五限の国語以外にないのだが、思い当たる節がない。一分の発表プレゼンの中には、どこにもゲームなんていう単語は出さなかったし。

 とりあえず、話すことからしてしたくないので、即帰宅することにした。絶対に怒られるが、皓星に相談するより他ない。とにかく怖い。

 起立、礼、ありがとうございました!という掛け声のあと、詩織に「帰るね、また明日」と言い置いて、結名は教室前の扉からそそくさと出て行った。祝、今週掃除当番ナシ。

 いつもなら西階段から帰るところだが、本日は東階段を利用する。菊池先生キクセンの話は要件のみなのでいつも好感を抱いているのだが、一階に降りて複数の問題に気づいた。余りにも早く教室を飛び出しすぎて、他にまだ、生徒がいない。その上、西階段を利用したと思しき土屋が中庭ピロティへの扉の前に立ちふさがっていた。

 結名は後ずさり、別の扉から出ようと身を翻す。しかし、土屋が距離を縮め、その腕を取るほうが早かった。男子の力だ。振りほどけない。結名が身じろぎすると、土屋はより一層力を込めた。痛い。


「っぁ!」

「何で逃げるんだよ!? ちょっと話がしたいだけだろ!」


 わたしには全く話なんてありません。

 階段のほうからざわめきが近づく。誰かが来たら、助かる!

 恐らく真逆のことを考えた土屋は、結名の腕を掴んだまま、中庭側の扉へと引きずり出す。中庭側には生垣もあり、死角も多い。校舎の裏側に連れていくつもりだと悟り、結名は両足に力を入れた。それでも、軽々と土屋は結名を引きずっていく。

 何でこうなっているのかがさっぱりわからない。


「ほら、こっちこいよ!」


 扉を押し開ける土屋が外に出る。結名は、鞄を手放し、咄嗟に反対側の扉の取っ手を握った。強く引かれ、壮絶に痛い。


「ぃゃだってば!」

「手ぇ離せよ!」


 取っ手を握った手を思いっきり叩かれた。甲だったので、何とか耐える。手放したらおしまいだ。


 ピィィィィィッ!

 警告音アラートがスピーカーから響いた。

 初めて聞く音に気を取られる。土屋も同じで、一瞬、腕を掴んでいた力が弱まった。振り払う。


「この……っ!」


 空いた手が、振り上げられた。


「土屋!」


 凄まじい怒鳴り声と共に、土屋と結名の間に誰かが割り込んだ。ばたばたと複数の足音が駆け寄ってきているのに、ようやく気付く。後ろからだけではない。中庭ピロティの向こうからも、警備員が駆け付けてくる。

 土屋はきょろきょろと手を振り上げたまま見回し、慌てて自身の手を下ろした。しかし、警備員はすぐに土屋を押さえ、結名たちから引き離す。


「その男子、一年二組の土屋です。担任は菊池先生で、今は教室にいますから、呼んで下さい。……大丈夫? 藤峰さん」


 問われたことばに、涙が零れる。

 腕が痛い。手が痛い。胸が痛い。


「どこか痛い? すみません、保健室に連れて行きます」

「わかりました。菊池先生にはお伝えします。君は?」

「同じクラスの小川拓海(たくみ)です」


 行こう、と優しく手を取られた。一瞬立ち止まり、落ちた鞄も、反対側の手で拾い上げてくれる。

 ぐずっと鼻を啜り、ポケットからハンカチを取り出して目元を拭う。

 そっと引かれて、歩き出す。


 保健室は同じ階にあり、すぐ近くだった。養護教諭に引き継ぐと、彼はすぐに出て行く。

 事情を知った養護教諭はぷりぷり怒りながら、結名のシャツを脱がした。左腕の掴まれたところが真っ赤になり、指の跡もぼんやり見える。右手の甲も赤くなっていた。そして、湿布を貼る前に手と腕の写真を撮る許可を求められた。暴力行為の証拠として、また、怪我の状況を両親に伝えるためだと言う。結名は力なく頷いた。


 とんでもない午後になった。

 保健室で治療を受けていた結名のところへ担任と警察が事情を聴きに来たり、すぐに母が迎えに来たり、その母へ担任が事情を話したりと、結局結名が帰宅できたのは、夕暮れ時だった。

 小川の証言により、結名は自分自身の言葉を足すまでもなく、一方的な暴力の被害者となっていた。まったくもってその通りなわけだが、土屋自身は暴力を振るうつもりはなく、話がしたかっただけだと繰り返しているらしい。だが、監視カメラにも土屋が暴力を振るっているシーンはしっかり撮影されており、しかも結名は怪我までしている。事情聴取に入る際にも暴れて、警備員にも怪我を負わせたらしく、学園は校内の指導だけでは難しいと判断し、警察を呼んだそうだ。

 土屋が話したいと言っているとは言われたが、断固拒否した。

 本当に、本当に疲れて。

 結名は自宅に帰ると、心配して声をかける母を振り切って布団に潜り込み、すぐに目を閉じた。

 ぐるぐる、いろいろ頭の中を回っていく。

 ぐるぐる、ぐるぐる……。






「結名」


 廊下から刺す明かりと、その声に。

 いつの間にか眠っていたと気づいた。

 うっすらを目を開けると、再度、名を呼ばれた。

 返事もしていないのに、扉を開けたまま、彼は結名の枕元へと歩みを進めてくる。

 ぽんぽん、と軽く頭を撫でられた。ふぐぅっと変な声が出てしまう。また目から涙が零れる。


「大丈夫か?」

「……ごめんっ、ごめんなさい、皓くん……っ」

「何で謝るんだよ。結名は何も悪くないって」


 結名は布団を跳ね上げ、思いっきりかぶりを振った。


「っ……違うの……っ」


 ぼたぼた泣く結名の隣に座って、手近にあったティッシュケースを丸ごと結名に渡し、皓星は首を傾げた。

 幾度も涙を拭ったり、洟を拭いたりしながら、結名は話した。

 土屋から休み時間に絡まれたこと、土屋が幻界ヴェルト・ラーイに嵌まっていること、結名も幻界ヴェルト・ラーイをしているのだろうと言われたこと、神殿帰りということば、帰ろうとしたら先回りされて、話がしたいと引きずられてしまったこと……思い当たる節がまるでないから、たぶん、結名とユーナという音で同一人物だと思い込んでいるのだろうということまで。

 ぽつぽつ、結名が何とか話せた事実と推測を聞きながら、幾度か彼は口を挟もうとして、言葉を飲み込んでいるのはわかった。「なあに?」と訊いても、「いいから、続けて」と促されていた。

 もう止まらないからと瞼の上からティッシュで押さえつけながら、何とか全部、話が終わって。

 何も言わない皓星が怖くなって、結名はようやく顔を上げた。

 ただ、目を閉じていた。握った拳が震えていた。

 噛み締めた口元が見えた。


「だから、言ったんだよ……」


 深い、深い溜息と一緒に洩らされたことばはとても苦く聞こえて。

 また涙が出そうになった時、皓星は結名を見た。

 延ばされた手が、ぽん、と頭に置かれて、髪をくしゃっと握る。


「……無事でよかった」


 続けられたことばも、そのまなざしも、とてつもなくやさしかった。


 取り返しがつかない。

 予めわからないようにしておけばよかった。

 名前が全く違っていたら、きっと気づかれなかった。

 なりふり構わなかった土屋は確かにバカだったけど、自分も負けず劣らずバカだった。


 浮かんでくる涙は、空のティッシュケースではもう止められなくて。

 結名は枕に頭を埋めた。


「ほんとに、ごめんね……ごめんなさい……」

「もういいって」


 繰り返し繰り返し謝る結名の髪を、皓星は撫でた。

 その心地よさに、いつの間にか結名が寝息を立てるまで、繰り返し、ずっと。

 

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