合図
透明なシートが、麻紐とマスキングテープでおしゃれに……!
ラッピングまではさすがに幻界で学べなかった結名は、柊子ともども、無難にワックスペーパーとシール、そして箱とリボンにプリントされたペーパーバッグの組み合わせを選んでいた。
まるでどこかのラッピング系ウェブサイトの宣伝文句のように、拓海の用意した組み合わせは男女問わず好印象を抱かせるのではなかろうか。見た目から勝ち組なチョコレート・ブラウニーを手に、彼は微笑みを浮かべた。
「よかったら、受け取って下さい」
「――ん、ああ。ありがとう」
少しはにかんだ表情で、皓星がパッケージを受け取る。
ごめん、ねえ、ちょっと待って!?
いろいろツッコミどころがありすぎである。思わず柊子を見ると、彼女は笑いを堪えきれずに結名へ両手を差し出した。それをがしっと握り、結名は縋りつく。
「柊子さん、わたし……っ」
「結名ちゃん、安心して。アレに他意はないわ」
「それって本命ってことですかぁぁあっ!?」
「違いますっ!!!!!」
「本命」の単語に頬を赤くした拓海は、全力で結名の絶望的な発言を否定した。少し涙ぐんでいるあたり、結名の思い込みが怖い。
なお、皓星はひたすら笑い転げている。
「せっかくおいでいただいたのに、手ぶらでというのもって思っただけですよ。何でそうなるんですか……」
「あら、そんなこと心配しなくていいのに」
そして、柊子は拓海に渡したものと同じ箱を、皓星に差し出した。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます。先輩からいただけるなんて思わなかったなあ」
丁重に、捧げ持つように皓星はそれを受け取った。白々しい様子に、柊子は溜息を吐く。
「よく言うわね。完璧にもらう気だったでしょうに」
「いえいえ、叔母さんから聞くまでは本当にそう思ってたんですよ」
他人の家のリビングテーブルに戦利品を並べつつ、皓星は正直に答えた。
そして、結名に向けて手を差し出す。
「で、結名のは?」
もらう気まんまんの従兄の様子に、結名は頬を膨らませて顔を背けた。
「……まだあげないっ」
「何でだよ」
「バレンタイン・デー当日に持っていくし。伯父さんの分といっしょに」
「いや、そこはやっぱり今渡そうぜ? せめて友チョコ枠で」
「えー……」
どうしてバレンタイン・デー当日よりも今のほうが良いのか。
何となく不満で顔をしかめると、皓星の顔から真面目に表情が消えた。その頬を、柊子が突っつく。
「怖い顔しないの。いつあげるのかなんて、その程度のこと、女の子の都合に合わせなさいよ。ホント、余裕ないわね」
「皓星さん、おれのは昨日焼いた分なのでもう食べても美味しいですけど、姐さんたちのは今日焼きたてなので、明日以降に食べたほうがいいですよ。断然、しっとり具合が違います」
「あ、そうか。わかった」
ふたりのことばに、素直に皓星は頷いた。
微妙な違和感を覚え、結名は皓星を見つめる。その背後で、次なるアラームが鳴った。早くケーキクーラーに出さなければ、焦げる。
残りのチョコレート・ブラウニーのラッピング作業に追われ、結名はその時、直接訪ねることはできなかった。
ふと、その理由に気付いたのは、玄関先で皓星と別れる時だった。
車に載せていた紙バックを受け取った途端、大きく目を瞠る結名に、皓星もまた足を止める。
「……皓くん、バレンタイン・デーってどこか出掛けるの?」
何で?という違和感がことばの形をようやく取り、繋がった。
特に不自然な間もなく、皓星はするっと答えた。
「試験終わったばかりだし、特に予定ないけど」
それは、静かに否定された。
結名は安堵して、微笑んだ。
「そっか。じゃあ、学校から帰ったら持っていくね」
「ん」
「送ってくれてありがとー」と礼を口にして、結名は「またね」と自宅の玄関の扉を開ける。奥から父と母の「おかえりなさい」が響いてきた。戦利品をみせびらかすべく、結名はさっそく「ただいま」を返す。
だから、彼女は知らない。
いつもどおりの「また」のあいさつの向こう側で、従兄がその気持ちごと、蹲っていたことを。
それがどれだけ小さくても、始まりの合図であればいい。
一年以上前に封じたはずの心の底から、彼はささやかにそう祈っていた。




