我が主に、すべてを
雷の魔女はその場から下がり、青の神官は法杖を翳した。
視界にショートカットを呼び出し、そのタイミングを待つ。今、またホルドルディールは大きく跳ねた。一角獣の面々は放射線状に広がり、その直撃をまとめて受けないようにと身構えている。固まれば、そこが狙われる。逆に、それを期待してもいるのだが……。
一人佇む彼女の傍に、交易商が近づく。その立ち位置には、神官の邪魔にならないように、背後に誰もいない右手後方を選んだ。
柊子は視線をホルドルディールから外さず、言い放つ。
「――身を挺して守ったら、怒るわよ」
「あなたを守らないと、この次勝てませんから」
ただ事実を告げることばには、条件が含まれていなかった。
交易商らしいような、らしくないようなと考えて、柊子は溜息を洩らした。違う。
「小川くんらしいわね」
「お褒めに与り光栄です」
見えないと知りながらも、拓海は得意の営業スマイルを浮かべた。幻界の交易商と異なり、破壊力抜群である。
彼が立つ位置からも、遠くで、仮面の魔術師が軽く頭を振り、術杖を構えたのが見えた。一角獣の要とも言うべき双璧は、お互いにどう在るべきかをよくわかっている。その一瞬を掴むために、交易商もまた静かに戦斧を握り締めた。
心底嬉しそうな声音に、言うだけ無駄だと悟った。
自分が望む結果を得るためなら、何でもする……そういう相手だと、現実でも思い知ったではないか。
そして、よく似た行動パターンを思い出した。
身近にいる。あの。
――似た者同士じゃない?
戦闘とはまったく関係のない思考の中へと、銀色の閃光が疾った。
「来たれ聖域の加護!」
砕け散る聖域結界から、その銀色の球は跳ねていく。その勢いは大きく柊子の、拓海の頭上を越えた。行先を悟り、地図で対象を指定し、一息に神官は聖句を放つ。
光の神術陣は、双子姫の眼前に構築された。しかし、それすらも打ち砕いてホルドルディールは迫る。自動人形だからこそ、双子姫はその動きをしっかりと捉え、最優先すべきものを守るべく、個々に動いた。ルーキスは方天画戟を振るい、オルトゥスはルーキスの一撃が吸い込まれた箇所へと、重ねるように鎖鎌の刃を潜り込ませる。
回転するホルドルディールに対し、その滑り込んだ刃は鱗甲板を抉り取るように動いた。割るように赤の線が引かれ、金属音が散る。双子姫の力が強く前へと押し出した。それは彼女たちの足元近くへと投げ出され、大地を穿つ。凹んだ地面の中央で、獣形態へと球はほどかれていく。
その双子姫の腕も、無事とは言い難かった。鱗甲板とこすれ合った両手の甲や腕は傷だらけとなり、一際大きな裂傷からは内部の構成物が見え始めている。彼女たちに痛覚はない。それでも「いつもと違う」感覚が、その感触が、ふたりに嫌悪感を抱かせる材料としては十分だった。
戦意を失うことなく、双子姫は互いに武器を構える。
その傷が、光を帯びた。人形遣いの操術により、耐久度を回復すべく体内の魔石に込められた魔力が消費される。そのぬくもりを、双子姫は確かに「あたたかい」と感じた。
日和もまた、不死伯爵がアシュアへ告げたのと同じ内容を知っていた。人形も従魔も同じく、夢の存在扱いである。ここで壊されたとしても、失われることはない。
だが……そんな光景を、例え夢だとしても、見たくない。
言えないことばが胸にわだかまる。彼女の心の音は届かない。この弦楽器は指を置くだけで、音を奏でてしまう。
「戦え」と。
だから、彼女はそっと弦楽器から手を離した。反応速度を高める魔曲が、最後の音を放って消えていく――。
「ルーキス、オルトゥス、よくがんばった!」
いつもよりも低い声音で、誇らしげに彼は双子姫を褒め称えた。
陥没しているように見えるだけの床へと、迷わず走り込む。ホルドルディールの背後に回った奏多は、その手首を返して叫んだ。
「――双華乱舞!」
双剣技で、身体は動かない。だが、彼はその動きを演じてみせた。舞うように複数回相手に刃を入れた後、その背後へと駆け抜ける。双剣技の発動を受けて、その技に値するダメージがホルドルディールへと入る。しかし、硬直はない。奏多はホルドルディールの立体映像を素通りして駆け抜けた途端、踵を返した。
最強の、剣士へと。
ホルドルディールのターゲットを受け渡すために。
黒い靄が形を成す。
深い溜息を吐きながら、不死伯爵は主の下へと還った。ダメージは大きく、彼であってもその数値を黄色に染めるほどだ。その身体を支えようと、骸骨執事が気遣う。しかし、アークエルドは手を少し上げることで拒絶した。僅かに屈めていた身体を伸ばし、己の主と相対する。
だいじょうぶだよ、と口にしながら、本当にだいじょうぶかなんてわからなかった。
成否を問うより前に、試しようもないことだったからだ。
今まで、自分にその選択肢はなかった。ただ、いつも委ねてきた。
信頼できる仲間に、すべてを任せてきた。
この手が、この足が、どんなふうに動いて敵を屠ってきたのかを知っていても、それが自分の意思によるものではなく。
本能で戦いに挑む魔狼や、経験によって剣を振るう不死者や、己を知り尽くしている幻獣こそが戦いの舞台に立っていて、あくまで自分は器でしかなかった。
従魔の力を、更に強く発揮させるために取れる手段が、この手にある。
レベルが足りない、という制限が、今回は存在しない。
それは、彼らに自分を預けることができない事実を意味していた。
嘆きの音が聞こえる。崩壊の兆しがわかる。それを敗北で終わらせないために、戦わなければならない。
不安だった。
それは、唇から零れ落ちた。
「いいのかな……」
その声音に、深紅のまなざしは笑みを浮かべた。
「以前、お伝えしなかったか?」
心配げな紫色のまなざしを受け、彼は跪く。
触れられない指先にではなく、更に、深く頭を下げて。
「――私の全ては、貴女のものだ」
その唇が、爪先へと落ちる――。
結名は黙って彼の成そうとすることを見守れなかった。即座に両手で翼を形作り、視界に浮かぶスキルの選択表示をなぞるように……彼女はその誓句を口にした。
「融合召喚!」
召喚陣が広がる。不死伯爵が光に融けた。いつもなら自分がバラバラになるような感覚があるが、今回は何もない。ただ、手が、服が、流れる髪の色合いが、変化していく。
装備の変更を、ウィンドウが問う。
結名は紅のまなざしで選んだ。今、この身体が必要としているものは炎ではなく――一振りの魔剣、だった。




