ブリーフィング
スクリーンに映し出される、幻界とドゥジオン・エレイムのロゴ、それが砕けて消えていき、参加者九人が幻界文字表示のキャラクター名とレベル、ばっちり日本語表記のメイン職名と共に表示される。どこで隠し撮りされたのか、と一瞬考えたが、鏡の通路という簡潔な答えが自力で導き出された。なるほど、ここに連携されるのかと納得する。
やはり気になるのは、名次奏多について、である。キャラクター名はおそらく、「カナタ」と名前だけが取られている。「ユーナ」と「ナ」つながりで何となく察することができた。服装も今の格好と同じだったので、彼も彼なりにコスプレしているのかもしれない。ひとりだけ、やけにカメラ目線でポーズが決まっているような気がする。
そして、職業は。
――双剣士?
ここには外見だけ舞姫ならいるが、中身は人形遣いである。今回は剣士と、不死伯爵、ちょっと無理をして交易商が前衛として立つのだろうなとぼんやり考えていたのだが、彼が双剣士であるなら、なかなかバランスの良いPTになれそうだ。戦い方はさすがに舞姫とは違うだろうから、そのあたりを注意しなければならない。ユーナ自身は中衛、もしくは遊撃という形で参加するのが無難だろう。
そこで、ふと首を傾げた。
地狼には、乗れない、よね……わたし。
結名が首を傾げているあいだに、スタッフ側の出入り口から男性衛兵がそそくさと籠を持って入ってきた。中のものをそれぞれの前に並べていく。
パッと見、スノーゴーグルと、やや長めのペンライトだった。その代わりに、タブレットが回収された。
「え、まだ確認が終わってないんですけど」
思わず口にすると、今井ディレクターがにこやかにスノーゴーグルを持ち上げた。
「幻界に旅立つ時、皆さんは何がしかのVRユニットを利用されていると思います。同じように、ドゥジオン・エレイムでも、ユニットが必要になります。これはガーファスという、ドゥジオン・エレイムで遊ぶためのMRユニットです。掛けたら、きっとわかってもらえるかと。さあ、皆さんもどうぞ」
そして、今井ディレクター本人も、スノーゴーグル……ではなく、ガーファスを掛ける。スノーゴーグルほども大きさがあるために、皓星も問題なく装着できるようだ。結名もウィッグがずれないようにと気をつけながら、掛けた。
息を呑む。
そこに広がっていた光景は、先ほどまで見えていた控室でありながら……一気にVR感が増したように感じた。座っている面々の服装が、一様にスクリーンに映し出されたものに切り替わっていたのである。結名もやや夏向けのアルカロット産に似た服装ではなく、長袖のエスタトゥーア謹製の短衣へと衣装が変わっていた。
しかも、視界の中に見えているアイコンは、幻界でユーナたちが使っているものと同じ、UIのものだった。思わず視線を自身のステータスへと向けると、ウィンドウが開き、拡大表示された数字がずらりと並ぶ。その行動も、反応も、ユーナたちの慣れ親しんだ幻界のものと相違なかった。
「ごらんいただいている世界が、MR……ミクスト・リアリティと呼ばれるものです」
今井ディレクターは静かにそう語り、先ほど配布されたペンライトを手にした。
「起動、武器装着!」
起動の術句に応えて、ペンライトが槍へと変化する。いつも門番が装備している、例のアレだ。
「こちらの魔術具では、このように皆さんの武器を装備できます。あとでもう一度、全員で一斉に装備してもらいますので、今はちょっと我慢して下さいね」
そして、彼は自らのてのひらへ、その槍の穂先を突き立てた。
小さい悲鳴が上がる。それは、いつのまにかMRユニットを装備していた女性衛兵が発したものだった。市民門の前に立っていた立体映像よりも、よほど質感がある。実際、システムはそれを「自傷行為」と認めたようだ。今井ディレクターの頭上にある「シュン」という名に並ぶHPバーが、僅かに減少する。
「あ、痛くもかゆくもありませんよ? ここは幻界じゃないので……でも、こんなふうにHPは減っちゃうんですよね。もちろん、敵に武器を当ててもHPを減らすことが可能ですが、まったく手ごたえはありません。
ドゥジオン・エレイムでは、この、実体ではない武器を手に、戦ってもらいます。物理に関しては当てたらいいと考えていただければ結構ですが、お持ちになったらわかりますよね? ホントこれ、軽いんですよ。だから、いつもの動きをしようとするとたいへんです。鍔迫り合いとか、刃を合わせるとか、槍を突き立てたまま敵を振り回すとか全くできないので、ご注意下さいね! ステータスが実体に影響を及ぼすことはないので、動きも各段に違います。技名はもちろん発動しますが、エフェクトだけです。当たればHPを削りますが、皆さん自身の動きがいつもと違うので、当たらないことだってあり得ます。
あと、これよりややこしいのが魔術系ですね」
術式に関しては、発声による詠唱も可能だが、手に持った術杖による詠唱短縮も可能だ。その際は幻界と同じく術杖の術式刻印をなぞることになるわけだが、杖の実物は存在しないために、この読み取りはかなり甘い。だいたい、というところでちゃんと発動するらしい。音楽系はもっと甘く、先にスキルを選択し、演奏系は楽器に手を添えて適当に動かしていても最高の結果が得られるという。歌のほうはもう少しシビアで、ガーファスのマイクが拾い上げた結果が反映されるそうだ。
「攻撃系は問題ないとしても、バフ、デバフ系が普段と大違いになります」
繰り返すが、ドゥジオン・エレイムは現実世界で行なわれている。よって、数値的な上下はあれど、プレイヤーの体感には何も影響を及ぼさない。例えば、反応速度を上昇するような魔曲が使われたとしても、恩恵に預かった自覚はプレイヤー側にはアイコンでしか表れないことになる。
「あと、神術ですね。これは法杖を掲げて聖句を口にすれば発動します。効果の大小の調整は思考の読み取りをしておりませんので、スキル内設定もしくはショートカットをご利用下さい。聖域の加護とかはエフェクトで成否判定お願いします」
「……まるっきりコマンド入力じゃないのよ……」
ぼそっと呟く柊子の声音が怖い。
衛兵隊長がクククと笑っているが、正直笑いごとではないと思う。アシュアお得意の、相手の攻撃に合わせた発動が非常に難しい、ということになるからだ。唯一の神官がいつも通りに動けないのを理解した上で、戦いに臨まなければならない。
次いで、今井ディレクターは結名を見た。
「という今までのお話でおわかりだと思いますが、従魔や人形に触れようとしても、素通りします。よって、特に従騎スキルは使用不可となります。ご了承下さい」
「……はい……」
肩を落としながら、結名は頷いた。
日和も小さく溜息をついている。
「あのさ。こういう説明、毎回してんの?」
ふと皓星が尋ねた。今井ディレクターは大きく頷く。
「もちろんです。私ではなく、各控室の担当者がPT内容に応じて行なってですが。もっとも、今回はちょっとタブレットのチェックが緩いようでしたので、多少サービスしているかもしれませんね」
実際は物販に走ったせいでゆっくりと前もってタブレットを熟読する余裕がなかっただけなのだが。
都合が悪いことは綺麗にスルーして、皓星は「なるほどな」と呟き、UIを触り始めた。その手があちこち動いているのを見て、結名も同じようにウィンドウを操作してみる。やはり、道具袋は使えない。そして、スキルポイントを追加して振ることもできない。細かいところで調整が入っていると感じられた。
今井ディレクターは道具の使用不可を告げ、消費系装備は使用した分失われることも確認した。
「ドゥジオン・エレイムは、十分という制限時間のあいだにどれだけ闘技場の召喚術師の召喚獣を倒せるかを競う内容となっております。時間が許す限り、最大で五対戦行なわれます」
「昨日、一PTが時間ギリギリで全勝を達成したので、撃破できないということはないからね!」
一勝するごとに、倍率も跳ね上がっていくそうだ。さぞかしそのPTに賭けたひとは儲かったのだろうなと思う。
誇らしげに衛兵隊長が告げたそのPT名が「眠る現実」と聞き、結名は何だかいろいろ納得してしまった。
「では、最後にですね」
今井ディレクターは槍を逆手に握り、自身へと突き立てた。その身体が、光となって砕け散る。途端に彼の名前は黒に染まり、槍は消えて魔術具に戻った。
それでも、今井ディレクター自身はもちろん、立ったままだ。今死亡したのは、あくまで参加者としての彼である。
「これが、ドゥジオン・エレイムにおける『死』です。制限時間内であっても、HPがなくなれば戦闘継続はできません。速やかにアリーナの待避所まで逃げて下さい」
システムの特性上、MPが零になったとしても、意識を喪失することはないという念押しを受けた。
「以上で、説明は終わりです。改めて、皆さんにお尋ねいたします」
彼の指先が、宙を舞う。
同時に、結名の視界へと確認ウィンドウが開いた。
整理券の配布を受けた際にも尋ねられた、アトラクションの利用基準の一覧。そして、最終確認である。
『あなたは、以上の注意事項を了承し、ドゥジオン・エレイムに参加しますか?
はい いいえ』
はい、を選ぶと、スクリーンに表示されたユーナの画像に光が灯った。
九つの光が、宿る。
満足げに今井ディレクターは頷き、両手を広げた。
「では、皆さん、お立ち下さい」
「よし、では早速武器を持ち、戦闘準備と行こうか」
衛兵隊長が魔術具を持ち、前に一歩出る。
結名も椅子から立ち上がり、魔術具を握った。ペンライトのような形なので、すっぽ抜けないように手首に通す輪があり、調整できるようになっていた。
「では、私と一緒に――起動、武器装着!」
『起動、武器装着!』
起動の術句の声が、重なる。
衛兵隊長の手には、片手剣が握られていた。
そして、結名の右手に輝くものは……短槍である。銀色の煌き、赤の宝玉に宿る火霊の姿は、いつもと変わらない力強さに満ちていた。両手で柄を握り締める。やはり、いつもよりは感触が相当細い。わずかに透けて見える魔術具の形が、その実体を物語っていた。
見回すと、誰もが自身の武器の感触を確かめている。
皓星は長剣を、拓海は戦斧を、柊子は法杖を、真尋は術杖を、芽衣は投刀を、日和は弦楽器を握っている。颯一郎は、弓に矢を実際に番えて試しに壁を狙っているようだった。背にある矢筒にはたっぷり矢が入っているように見えるが、どういう理屈で放つのだろう。
これから始まる戦いに胸を高鳴らせつつ、結名は……視線を、唯一の部外者たる彼に向けた。かつて憧れもした双剣士だ。どのように戦うのか、できれば予め打ち合わせておくほうが無難だろう。
だが、何故か。
名次奏多の手には、見慣れた一対の短剣――シンクエディアが握られていたのである。




