戦う前に
「ほら、貸せよ」
「ん、ありがと」
森狼のぬいぐるみとストラップ入り紙バッグは、速やかに皓星の手へと預けられた。重さはそれほどでもないのだが、かさばるので助かる。その本人は当初から掛けているボディバッグのみで、紙バッグは持っていない。あまりの意外さに、結名は驚いた。
「……何も買わなかったの?」
「ここからなら全アイテム通販できるんだって。クレジット払いの自宅配送にしといた」
その指先が示すのは、物販に貼られたポスターだった。QRコードとGPSによる認証により、ゲームショウのみのサービスだという。クレジットカードを所有していない高校生には不可能な手段だ。
「大人ってズルい」
「まだ成人してないけどな」
「え、そうなんだ?」
頬を膨らませる結名に皓星が突っ込んでいると、驚いたように颯一郎が口を挟んだ。当然の如く皓星は頷く。
「夏生まれだから、まだ十八。一応、未成年者」
「ああ、だからシリウスなのか」
納得している真尋に、結名もまた驚く。
「よくそれでわかりますね」
「アーシュが冬生まれなのと同じ理屈だからな」
言われてみるとそうかもしれないが、古代エジプトの暦など、あまり知るひとはいない気がする。
「何で教えてくれなかったんですか、シリウス!」
「気付いてるかと……」
両手にがっつりぬいぐるみ全種類を買い込んだ日和は、桃色のまなざしと唇を尖らせていた。荷物持ちとして芽衣もまさかの活躍ぶりである。あとで車のトランクに載せようという話で決着がついた。少し拓海もホッとしているようだ。
「シャンレンさん、何買ったんですか?」
「実は、マグネット集めが趣味でして。冷蔵庫に貼りつけようかと。あとは、母へのお土産ですね」
親子二代に渡る趣味で、既に冷蔵庫の裏面以外貼りまくっていることはさすがに言わない。
ちらっと見えている魔蟻の足スナックから、結名は慌てて目を背けた。
既に柊子たちは先へ進んでいる。皓星に促され、年少組もまた足を早めた。
闘技場控室と書かれた入り口の前には、また衛兵が立っていた。端末でリストバンドを読み取ると、「闘技場内では一切の撮影や録音、録画を禁止しています。携帯電話やカメラ、ICレコーダーなどの電子機器のご利用はご遠慮下さい」と念押しされ、中へと通される。そこでは、参加者らしき人たちが手にタブレットを持ち、待機しているようだった。幻界のロゴの入ったタブレットで、思わずその背に目を凝らす。
次いで結名は、少し遅かっただろうかと時刻を確認しようとして、携帯電話の使用は禁止だったとバッグの口から手を離した。周囲を見ると、デジタルな幻界文字の時計があった。集合時間まで、まだニ十分以上ある。五分前集合を要求される学校生活から照らし合わせても、問題ないはずだ。
控室内の、いわば待合室のような形らしく、そこにはまた受付があった。
リストバンドの照合を受けると、一人に一台タブレットが手渡される。そこには何と、職業ごとの戦闘に関する注意事項が表示されていた。結名の場合には、従魔使いとはっきり書かれている。しかし、ゆっくりその場で読む暇は与えられなかった。
「皆さまはそのまま、控室Aにお進み下さい。そちらで詳しい説明を行います」
やや焦っている様子の受付嬢のことばに、全員がタブレットを持ったまま移動する。歩きタブレットになりそうで怖い。結名はタブレットを胸に抱くように持った。
「ようこそ、闘技場へ!」
元気溌剌としたあいさつが、控室へ入った途端響いた。
闘技場の控室と言えば、以前案内してくれた相手は衛兵隊長である。任務であると顔に書いてあるような男性だったので、少しも愛想などなかった。その落差に驚いてしまう。
「それでは、皆さまにドゥジオン・エレイムについて説明をさせていただきますね!
すぐに準備いたしますので、まずはこちらのお席に、ご自由にお座り下さい!」
スクリーンが設置された前には、あの控室と同じ机と椅子があった。十人が一度に座れるように配置されており、違和感を覚える。一PT十人ならば、整理券番号九と十の参加者はどこだろうか。
気になりながらも、結名は席に座り、まずは注意事項に目を通そうとした。タブレットを机上に置き、指を滑らせる。
でかでかと幻界文字で書かれた自身のキャラクター名と、今日の日付と整理券番号が眩しい。さすがに幻界でなくとも、自分の名前と数字くらいは読める。その下には従魔使いの文字と、テイマーズギルドの紋章があった。更に、地狼、不死伯爵、不死鳥幼生の姿が小さい画像で映し出されている。この画面、欲しい。
画像の下には、案内文が入っていた。
――従魔召喚を取得していない方のために、予め闘技場にはあなたの従魔が待機します。最大三体まで可能。選択して下さい。
三体しかいないので、既に選択済みになっている。
うれしさに顔がにやけ、結名は頬に手を添えてぐいっと引っ張った。
決定をタップし、次項を読む。
「ちょ、ちょっと!」
となりに座った芽衣が、いきなり結名の袖を引いた。頬を紅潮させた彼女の向こうどなりは紅蓮の魔術師……真尋である。となりに座れてうれしかったのかな?と首を傾げると、彼女は机の下で指を指した。その方向へと視線を向ける。
そこには、見覚えのある男の子が、衛兵のとなりに立っていた。
薄い茶髪に、拓海とはまた違う、カッコイイというよりもどこか女性的な綺麗さを感じる容貌。すらっとした体つきにぴったりとした目立つ赤と黒と白の……人のことは言えないが胸元が開きすぎな、普通ではない服。そこでコスプレかなとぼんやり眺めていると、芽衣が耳打ちした。
「名次……奏多っ!」
その固有名詞と待機列で見たポスター、さらにすぐそこにある実物が、重なる。
結名は大きくその目を見開いた。そして、芽衣の手を握り返し、彼女と名次奏多を交互に見る。動作不良を起こした結名と芽衣に、彼はにっこりと微笑んで手を振った。芽衣は即座に手を振り返す。さすが雷の魔女、と結名が感心していると、その向こうに座る真尋の顔が微妙に憮然としているように見えた。……気のせいだろうか……。興奮している芽衣はまったく気づいていないようだ。
「ねえ……」
小さく日和を肘で小突き、柊子が注意を引く。表情を強張らせた親友は、そのまま柊子へと顔を向けた。その強張り具合が気にかかったのだろう。柊子は「大丈夫?」と心配げに尋ねていた。コンサートを見に行こうと言うほどなのだから、好きすぎて……緊張しているのかもしれない。日和は深々と深呼吸をしているようだった。
「うぉっほんっ!」
わざとらしい咳払いが響く。すっかり視界から除外していたが、恰幅の良い衛兵隊長姿の中年男性が、衛兵の反対側に立っていた。父と似たようなスタッフ証を首から下げているところが、コンパニオンとは異なる。そのとなりには恥ずかしげな女性衛兵がふたり立っていた。片方は手に携帯電話を持ち、もう片方はメモ帳とペンを持っていた。正直、コンパニオンには見えない。
「マズいな」
芽衣から手を離し、振り向く。自身の反対側には、皓星が座っている。眼鏡の奥、その眉間に皺を寄せていた。
「――改めて、ドゥジオン・エレイムへようこそ! クラン『一角獣』の諸君!」
そのことばに顔色を変え、遂に皓星が席を立つべく腰を上げ……る前に。
「ちょっと待ってくれないかしら?」
完全に目を据わらせた柊子が、タブレットを片手に声を上げた。




