みんなで待つのなら
「名次奏多、ミニコンサートするんですね」
壁に貼られたポスターを眺めつつ、芽衣は紅茶を傾けた。ティーバッグにはかなりの種類があったが、今回はオーソドックスにダージリンである。まだ時間があるので、次があればフレーバーティーも試したいと考えていた。
聞いたことはある名前だがよく知らない、という根っからゲーマーで他に興味も趣味もない真尋である。特に反応を返すこともできず、聞き流した。聞き流さなかったのは、日和のほうである。
「何かのゲームで主題歌を歌っているようですね。十一時からですから、アトラクションが終わったあとでも間に合いますし、見に行きましょう」
「え、でも、入れますか?」
「チケットがないとステージ傍の席には座れないでしょうが、遠目から見るくらいならできるでしょうし」
ミニコンサートの場所はメインステージだ。その正面にはイベント参加者用の座席が確保されているのだが、メインステージは展示ブースの居並ぶホールにある。展示会場すべてが一体のホールになっているため、ある程度近くにいれば音もステージの状況も筒抜けである。特別なイベントホールで実施されないと知り、芽衣の目が輝いた。
「うわ、あたし、今回の新曲、DLしたくらい気に入ってて! うれしいかも……」
「わたしの友達も昨日カラオケで歌いまくっていましたよ! コンサートとか、知ってるのかな……?」
振り向いた結名のことばに、芽衣は身を乗り出した。
「ユーナ、カラオケ好きなの?」
「昨日五時間耐久しました!」
手を開いて耐久時間を告げる結名に、真尋が心底嫌そうな顔で口を開いた。
「マジか……ありえん……」
「ペルソナは飲み会でも歌いませんからねー。ソルシエールさんは上手ですよ」
「え、さ……じゃなくて、エスタトゥーアさんだって上手じゃないですかー!」
律儀に本名ではなくキャラクターネームで言い直す。
結名は繰り返し頷いた。
「そうですよね。幻界でも、メーアとエスタさんのハーモニーで魅了されまくったし……」
「そんなことあったんですね」
「あ、シャンレンさんだって歌上手いですよね!?」
「うわ、そこで振る?」
自分のエスプレッソのカップを片手に、拓海は思わず地が出た。つい先日の音楽の授業を思い出し、そのあとの騒動まで記憶から引っ張り出され、営業スマイルから一気に苦笑へ変貌した。
「決まりね」
フッと柊子が微笑む。未だに熱くて飲めないカフェラテを片手に。
皓星はこの後の展開を予想して、深々と溜息を吐いた。
「二次会はカラオケで!」
「行きます!」
「行きましょう!」
「久しぶりだなあ、カラオケ」
柊子の宣言に勢いよく手を挙げる芽衣と、拳を握る日和だった。のんびりと楽しそうなのは颯一郎である。
結名は皓星を見た。彼は空っぽになった結名の紙コップと自分のを重ねつつ、取り上げた。
「遅くならないんならいいと思うけど、一応こっちで連絡入れとく」
「ありがとう、皓くん!」
つい本名で呼んでいる結名に苦笑を洩らしつつも、そのまま「ちょっと捨ててくる」と列から離れていく。
「保護者がついてるなら安心だね」
「あの前衛は抜けられないでしょうよ」
颯一郎のことばに笑みを零しながら、柊子はようやく紙コップに口をつけて傾けた。その視線が、同じくエスプレッソを苦々しい顔で傾けている真尋を捉える。
軽く唇を舐めて、柊子は首を傾げた。一度、カラオケに誘ったことがあるのだが、「俺は歌わないから、延々ソロコンサートしろよ」と言われたっきり行っていないのである。今の話からも、真尋はカラオケ嫌いと悟れるわけだが。
「無理して来なくていいわよ?」
「――行く」
小さく溜息を吐きながら嫌そうに言われた。協調性というべきかどうか、悩ましいところである。強制はしていないし、今回は人が多いので、ソロコンサートは避けられそうだ。むしろ、マイクの奪い合いかもしれない。
「うわー、あたしホント来てよかった……!」
「レンくん、どんなの歌うの?」
「それがですねー」
芽衣が感激しているのに口元を綻ばせつつ、柊子は拓海に尋ねた。すると、結名が楽しげに説明しようと口を開き、あわてて拓海がその身体で間を遮る。
「ユーナさん、リアルトークはほどほどにですよ!?」
「あ、はい……」
「その顔でバラード歌ったら、クラスの女子がオチまくったとかだろ?」
「シリウスさんー!?」
血相を変えた拓海の様子に、叱られたと結名は気を沈ませた。が、戻ってきた皓星が百%想像で言い放つと、拓海はいよいよ頬を紅潮させて声を荒げる。結名は全力でかぶりを横に振った。
「わ、わたし言ってません!」
「うん、聞いてないけど、まあ……見ればわかるよなあ」
「ああ、わかるかも」
皓星が同意を求めると、颯一郎までが納得したように頷いた。柊子は拓海の肩をぽんと叩く。
「レンくん、その実力を是非後程!」
拓海は、ようやくこの時、年長組にからかわれたと気づいたのだった。
わたし悪くない、と他人事のように結名は視線を逸らし……招待券受付側の扉から、新たに入ってきた人影を見て、凍りつく。
迷わず、彼はまっすぐ待機列のほうへ歩み寄った。
「おはよう、皓星君。本当に早く来たね。
皆さんもおはようございます。ご来場ありがとうございます」
父、藤峰恭隆はスタッフ証を首から下げ、まず皓星に気付いた。そして、愛想よく皓星の周囲にいる一角獣へとあいさつをし、次いで、不思議そうに周囲を見回す。
「――結名は?」
気付いてもらえない娘は、眉間に皺を寄せて困惑したまま皓星を見た。絶望的にマズイという顔をした従兄の姿に、そういえばコスプレの許可を得ていなかったと思い至る。
一方、「ユーナは?」と尋ねるスタッフ男性の出現に、真っ先に状況を察したのは柊子だった。しかし、二人の顔色が変わっていることに気付いたものの、答えようもない。そして、「ユーナ」の名前に反応して、周りは素直に彼女を見た。
そのまなざしが、すべてを物語る。
驚愕のままに結名の父は目を瞠り……すっかり印象を変えた娘の姿を、上から下までことばなく見つめた。
沈黙が走る。
結名は居たたまれなくなり、視線を床に落とした。目を逸らされたことで、恭隆もようやく正気に戻る。瞬きを繰り返したあと、やや苦笑気味に、結名の父は娘を呼んだ。
「結名、ちょっとおいで」
「はい……」
「叔父さん、これはその」
「皓星君もだよ」
ちょっと失礼、と断りを入れ、ふたりを連れて受付側へと出ていく。
その後姿を見送り、柊子は紙コップを握ったまま合掌した。
「うわ、悪いことしちゃったかも……」
「アーシュ、知ってたな?」
目を細めた真尋が、柊子を呼ぶ。弱り切ったように目を向けると、呆れ返っていた真尋もまた、少し矛先を弱めた。
「ゆうな、ってアレ」
「うーん……」
拓海はクラスメイトなので既に知っているとしても、この場にいる他の一角獣のメンバーもまた気付かずにはいられないだろう。よって、柊子は片手の人差し指を立てて、口元に寄せた。
「ナイショ、ってことで」
返されたのは、深い溜息と……同意の頷きだった。




