対価
「どうぞ、お掛け下さい」
空いた椅子を示し、シャンレンは笑顔で子どもに促す。大きな斧に目を奪われていた子どもは、「お、おう」と頷いて、彼の隣の椅子にどっかりと腰を落とした。一瞬で場の空気を持っていくシャンレンの応対に、ユーナは感歎するより他なかった。あれだけ注目の的だったのに、席に着いたことによって、食堂内にいつものざわめきが戻ってきたような気がする。
シャンレンの身なりで判断したのか、恐らく高レベル者だと悟ったのだろう。子どもは声の音量も矛先も変えた。
「アンタ、このねーちゃんの男かよ」
「!?」
「今のところ友人です」
「!!?」
面白くもなさげに問うた子どもに対し、シャンレンは滑らかに答えた。
問いにも答えにも驚かされ、ユーナは口をぱくぱくさせる。
何の話してるんですか。
見た目は美しい子どもは、ふん、と鼻を鳴らし、頬杖をついてシャンレンを見た。
「アンタが払ってくれたっていいんだぜ? 罠代」
それには答えず、シャンレンは質問に質問で返した。
「どのような罠を使っていらしたのでしょうか?」
「くくり罠って言って、アンタわかんの?」
「これでも商人の端くれでして。ご自身で作られたのですか?」
質問の応酬の中、子どもは顔を赤らめて視線を彷徨わせ、口ごもった。そして、違う、と短く否定する。
シャンレンはわざとらしく目を瞠った。その「おやまあ」という仕草といい、何となくそこを突っつきたい雰囲気がユーナに伝わってくる。
「罠って、普通自分で作るんですか?」
「罠作成スキルと材料があれば、作れるそうですよ。以前、友人に都合したことがありまして。商店でも売っていますが、非常に高価ですね。私は露店でも見たことがあります」
そこで、シャンレンは言葉を区切って、しかも周囲に聞かれまいとするようにテーブルの中央へ身を乗り出して口元に手をやる。ユーナはそれに合わせて、そそ、と身を寄せた。子どももつい引っ張られている。
「私もその方から伺った話なんですがね、罠スキル自体に昇格クエストが必須なんですよ。何でも、NPCや旅行者にも効果があるらしくて、無断作成や無断使用は処罰対象なんだとか」
「なんだって!?」
大声を張り上げた子どもは、慌てて己の口を両手で塞ぐ。ユーナは子どもの頭上を凝視した。名前と、IDが浮かび上がる。「フィニア・フィニス」というのか。女の子っぽい名前であることに驚く。ちなみに、色はどちらも青かった。
「窃盗とかと同じなのかもしれませんね。バレたら……」
「ちょ、ちょっと用事思い出したから、ボク落ちる! じゃあな!」
完璧にわざとだろう。声を低めて続けるシャンレンのことばを遮って、フィニア・フィニスは立ち上がり、慌てて女将のところへ急ぐ。少しのやりとりのあと、客室に消えていくのを、二人して見送っていた。ようやく、ユーナの肩のこわばりが解ける。
そこへ、女将クラベルがコップを二つ、盆に載せてテーブルに持ってきた。
「すまなかったねぇ。ラヴェンデルについて訊かれたと思って、つい答えちまって……」
フィニア・フィニスに、ユーナがラヴェンデルの依頼を請けた旅行者であると話したことへの詫びだった。思ってもみない謝罪に、ユーナは慌てて首を振る。しかし、これはサービスだよ、とクラベルは薬草茶を置いて、声を上げる客のほうへ行ってしまった。コップから漂うその匂いにユーナは表情を綻ばせた。こういうふうにも使ってもらえるのかとうれしくなる。ふーふーと冷ましつつ、一口飲んでから、シャンレンに向き直った。
シャンレンもまたお茶を飲み、ほんわかしている。
「あの……罠って高いんですか?」
ユーナとしては、弁償のほうが気になって仕方がない。黄色になったらどうしようとびくびくしてしまう。シャンレンは大きく頷いた。
「そりゃあもう。商店で買ったら、小銀貨二枚はします。私が初めて買った剣並みですね。露店から買った上に、相場も知らなければ、もっと高かったかもしれません」
「……」
エネロの宿代が一泊大銅貨一枚だから……と計算し始めて蒼白になる。そんなユーナに、シャンレンは笑顔でかぶりを振った。
「もう、弁償とか言ってこないと思いますよ。相手は違反行為を行なっていたわけですから、ユーナさんが罠を壊したとしても、是正措置のようなものです。再度金銭を要求してくるようなら、門番に脅迫されたとでも言えば連行してもらえます」
今度こそ黄色旅行者ですね、と彼は笑うが、ユーナは少しも笑えない。とりあえず、弁償しなくてよさそうだ。別に獲物を得ているわけでもないし、むしろ彼女は痛い思いをした上に高価な回復薬を二本も消費しただけである。
「その怪我は、例の獲物のせいですか?」
コップを持つ手に視線が向けられ、ユーナは赤い跡をそっと撫ぜて頷いた。溜息をついて、シャンレンは道具袋を漁り始める。慌ててユーナは手を振って止めた。
「回復薬はもう使っていますし、もう痛みはありませんから! もったいないですよ」
「……回復薬を使ってそれですか? よっぽど酷い怪我だったんですね……」
ユーナのことばに、小さな、本当に小さな木の小物入れを取り出して、中から白い軟膏を指先に取る。問答無用にコップから手を取られ、塗り始めた。あっという間に傷が消えていく。
「薬師の作成した軟膏です。ご本人は『傷消し軟膏』とおっしゃっていて、まあ、安く素材をお譲りする際に分けてもらったんですよ。回復薬でも治らない傷跡を消す作用があるっていう触れ込みだったんですが、HPが全快でないと効果がないのと、あまり傷跡を気にしない方が多いので、売れないんですよねー」
「すごい……」
綺麗に跡がなくなり、ユーナはようやく笑顔を見せた。せっかくなのでおひとつどうぞ、と小物入れごと渡され、感謝と共にそのまま軟膏も受け取る。
「ところで、私がタイミング良く出てきた理由、訊いていただけないんですか?」
妙な質問に、ユーナはとても楽しそうなシャンレンを見て瞬いた。意図が分からない。とりあえず、ご要望にお応えする。
「え、えーっと、シャンレンさんは、どうしてここに?」
「実はですねー」
嬉しそうな笑顔で、PT要請が飛んできた。オープンでは話せないことのようだ。ユーナは即受諾した。PTチャットに切り替えたシャンレンが、話を続ける。
シャンレンは、マイウスで露店を開き、例のPK未遂PTの道具袋等の戦利品を売りさばいたあと、午後にはエネロに来ていたそうだ。何と、ユーナが村中を駆け回っているのも知っていたのだという。
「声、掛けてくれたらいいのに」
「私も売れ残りを商店に卸したかったので、先にそちらを済ませてきました。ついでにと他のPTの代理売却とか引き受けたりしてたので、遅くなってしまって……まあ、間に合ってよかった」
小さな革袋が置かれた。同時に、メールの受信音が響く。ユーナの視線が宙を彷徨ってメールを開いていると、シャンレンは革袋をユーナのほうへと押しやった。
「遅くなりましたが、先日の精算分です。詳細はメールで今お送りしました。PK未遂PTの分の戦利品から、転移石と転送石代をまずシリウスさんたちにお返しして、それを頭数で割っています。それ以外の戦利品につきましては、予めお渡ししていた分も含めて、アシュアさんとユーナさんと私で割らせていただきました。本来、PK未遂PTの分は助けにきてくれたシリウスさんたちで割ってほしかったんですが、PTで割らないならもう組まないとか言われてしまって……」
アシュアたちは相変わらず平常運転のようだ。今は移動中らしく、そのうちでいいとか適当な返事がきたそうで、あちらが次の村に着いてから持っていくとシャンレンは息巻いていた。その後、商人昇格クエストに挑むという。
先日の森狼王の件でもかなりの収入だったのに、今回の精算でしばらく遊んで暮らせるような気がした。まあ、何をしたところで遊びなのだが。
革袋の中身を見て、本来だったら装備を新調するのに、と思う。
大金を手にしても浮かぬ表情のユーナに、シャンレンは宣伝を開始した。
「ユーナさんにご入用のものができたら、ぜひ、私から買って下さいね。たくさん勉強させていただきますから」
何ならすぐにでも!と道具袋をテーブルに載せる。その勢いに、ユーナは笑ってしまった。
「シャンレンさんなら、ホントに安くしてくれそう」
「そりゃあもう。あなたと私の仲ですからね。定価の五%引きで如何です?」
「利益取ってますよね!?」
「バレましたか」
シャンレンは短剣を並べたりしなかった。スキルを問い詰めなかった。
だから、ユーナは感謝していた。まだ自分が迷っていることを知っていて、それ以上触れてこない彼に。
ユーナの様子も訊かれたので、正直に、今日は二種類のクエストを済ませたと胸を張った。明日中には、エネロの村長に口を利いてもらえるほどの旅行者になるのだ、と。
「ユーナさんは、もう十分、村のために働いていますよ?」
「うーん、でも、まだあんなにいっぱいありますから、また明日がんばります!」
別荘クエスト単体でも条件達成であるにも関わらず、敢えて宿の依頼をこなすユーナ。彼女の指さした場所……壁の依頼書の数の多さに、さすがのシャンレンも笑顔がひきつるのだった。




