ほっと一息
紙に印刷されたように見えたが、左手首に巻かれた感触は紙ではなくとても柔らかかった。数字やバーコード、QRコードなどが印字され、もちろん、「皇海ゲームショウ」と年号のロゴも入っている。貼り合わされたリストバンドに触れていると、皓星が覗き込んできた。
「これなら失くさないんだろうけど、その恰好にはちょっと合わないな」
「レイヤー泣かせですね」
苦笑しながら、日和も同意する。確かに、ファンタジーにあるまじき物品だろう。撮影時にはポーズで工夫するしか……!と拳を震わせていた。今回は撮影ゾーンには行かない予定だが、それでもレイヤー魂が炸裂しているようだ。
「エスタさんは、いつもその……コスプレしてるんですか?」
「普段はもっと質がいいものを作っていますからね! 今回は本当に時間がなくて……これが実力とか思わないでいただきたいです」
芽衣の問いかけに、日和が頬を膨らませている。
それは回答だけど解答じゃないよね、と内心結名はツッコミを入れた。
「招待券のお客様用の控室はあちらです。開場まで今しばらくお待ち下さい」
受付嬢はひとりひとりにリストバンドをつけたあと、ゲームショウのロゴの入った袋を手渡した。中にはゲームショウの案内が入っている。次いで、控室のほうへ全員で向かう――と、中には既にかなりの人数が列を成していた。とは言え、結名的に見ても一クラス分、と言ったところである。控室というよりも、実際には招待客用の待機列の隠し場所という表現のほうが正しい気もする。但し、待遇が一般入場とは大違いである。屋内であることと、もう一つ、室内にドリンクバーが設置されていることだ。誰もが飲み放題を堪能しているようで、手に紙コップを持っている。
結名たちは幻界のアトラクションの開幕にあたる、十時ジャストの整理券番号一から八をゲットしていた。他の試遊台もあるのだろうが、開場から三十分しかないという時間的制約を考えれば、幻界のブースへまっしぐらしか選択肢はない。
気持ちとしては早く並びたいのだが、その利点があまりないのが実情だった。迷わずドリンクバーへ向かう柊子の姿に、ぞろぞろとお供のごとく付き従う一角獣の面々である。
「招待チケットって待遇いいわね……」
しみじみとそのラインナップを眺める。おそらくは超お得意様への特別待遇を見越してなのだろうが、実際に並んでいる面々を見ると、家族横流し組が殆どのような気がするほどのラフさだ。
拓海がそのとなりへと並び、紙コップをひとつ手に取った。
「エスプレッソメーカーまで置いてありますよ。あ、カフェラテでよければ淹れましょうか?」
「え、じゃあホットでお願いしようかしら」
カフェオレ大好きな柊子の好みを踏まえた問いかけに、彼女の表情が輝く。拓海はひとつ頷いて、結名にも声を掛けた。
「はい。ユーナさんもよろしければ」
「お……シャンレンさん、おまかせしちゃっていいんですか?」
「もちろんです」
「わたしもホットのカフェラテで!」
まさかここで拓海の実力をまた見られるとは……!と興奮しながら、結名は傍に行き、手元を見つめた。手慣れた様子で淹れていく彼の姿に、他の面々もまた目を瞠る。
「へえ、すごいね」
感嘆の声を上げる颯一郎に、拓海は愛想よく微笑んだ。
「皆さまの分もお淹れしますよ? えっと、シリウスさんはエスプレッソでいいですか?」
「うーん、ここ結構あったかいからなあ。アイスコーヒーがいいな」
「僕はエスプレッソで!」
「少々お待ちを」
マシンに紙コップをセットしつつ、紙コップに氷を入れていく。そのあいだに、たっぷりのフォームミルクが入ったカフェラテを柊子の前に置いた。マドラーを、軽く線を入れるように動かし……その白い円の、形を変えた。
大きなハートの出来上がりである。
「――!」
柊子の頬に朱が差し、拓海の動作を見つめていた結名は歓声を上げた。
「ラテアート! かわいーっ!」
「はい、ユーナさんにもどうぞ」
同じようにカフェラテを結名にも差し出し、ささっと上のミルクをハートに変える。結名は大きなハートを手に……すぐ、泣きそうな顔になった。
「シャンレンさん、わたし……お砂糖ないとつらいかも……」
「ですよねー」
苦笑して拓海はスティックの砂糖を渡し、合わせてマドラーもつける。少しその際にハートが崩れていた。ちょっとでも崩れてしまうと、やはり景気よく砂糖を入れられるというものである。結名がまぜまぜしている横で、熱いせいか、柊子は紙コップを持ったものの、ハートを睨むように見つめていた。
「わたくしはカフェモカをいただけますか?」
「はい」
「くっ、ハートは無理ですよね……」
「チョコで何か描いてみますね」
「まぁ♪」
日和の可愛いものに目がない様子に、シャンレンは肩を震わせる。見た目は舞姫だが、口調はエスタトゥーアという組み合わせがより拍車をかけていた。
「あたしは紅茶にしますけど……師匠はどうします? シャンレンさんに淹れてもらいます?」
「そうだな。せっかくだから、エスプレッソをひとつ」
「かしこまりました」
拓海がミニカフェを開いている中、柊子はやはりハートを睨んだまま列の最後尾へとひとり先に向かった。結名もまた彼女を追ってとなりに立つ。三人ごとに列を作っているようで、更にそのとなりには皓星が並んだ。
「それ、カラコン?」
「うん、使い捨てなんだって」
日和もそれほど視力が悪いわけではないようで、普段コスプレの際には度なしのカラーコンタクトを使うらしい。紫のものは以前カラーコンタクトのお試しセットを購入した時の余りだそうだ。
「雰囲気出てるじゃん」
「っていうか、そっくりだよね?」
エスプレッソを淹れてもらった颯一郎が、柊子の後ろにつく。そして彼女の手の中にあるハートを見つけて、小さく笑った。
「飲まないの?」
「熱いのニガテなのよ。でも、身体冷えてたし……」
眉をハの字にして、ほんの少しだけ、柊子は紙コップに口をつけ……そして、すぐに離した。やっぱり熱いらしい。
「替えようか?」
「ううん、そのうち冷めるでしょ」
皓星のことばにかぶりを振り、ふーっとカフェラテの表面に息を吹きかけ、努力を開始する。エスプレッソで唇を潤して、颯一郎は結名へと視線を向けた。
「さっきよりも、ちゃんとユーナに見えるね」
「まあ……コスプレだしな」
髪の色も瞳の色も、顔つきの印象でさえも。
日和の努力の結晶なだけあって、結名はちゃんとユーナに見えていた。ただ、違和感はあったが。
皓星が言わない違和感とは別の意味で、颯一郎は自分が抱いた感想を素直に口にした。
「初めて見た時は、どこのNPCかと思ったよ。シリウスの妹じゃないんだよね?」
その時、皓星の反応が一瞬、遅れた。結名は慌てて付け加える。
「――ああ、親戚」
「えと、従妹です」
「そっか。なるほど」
穏やかに微笑む颯一郎はとても大人に見えて、結名は何となく、担任の前にいるような心境になった。悪いことはしていないのだが、何故か背筋がピッと伸びる感覚……あれと、同じものを感じる。
「ホント、そっくりだからびっくりしちゃうわよね」
「ああ、うん、最初見た時驚いた」
柊子のことばに同意した颯一郎は――目を細めて、結名を見る。その表情がどことなく暗いものに感じて、結名は首を傾げた。
「あの? どこかおかしいですか……?」
「え、そうじゃなくって――あ、ユーナってリアルだとスタイルいいんだね!」
慌てて言いつくろったことばに、柊子の踵が浮き、手が伸びた。
颯一郎の耳を摘まみ、軽く引っ張る。
「どこ、見てるのかなー……?」
「ごめん、失言でした……」
素直に謝る颯一郎に曖昧な返事を返すしかないほど、頭から湯気が出そうな結名だった。




