お披露目
目の前で繰り広げられる術式に……否、手技に。
結名の表情はどんどん輝いていった。
既に日和も衣装を着替え、色とりどりの帯を腰で締めている。結名と同様に、日和もウィッグをかぶっていた。今、彼女はキャリーの上に鏡を置き、メイク道具一式を広げて顔をキャンバスと化している。
薄桃色のショートボブに、薄桃色のカラーコンタクト。
一筆ごとに限りなく舞姫に近づく様子に、結名は声を上げた。
「うわぁ……エスタさん、メイク上手なんですね! メーアみたい……」
「ふふ、今のわたくしでは、エスタトゥーアのコスプレだと似合いませんからね。いつか撮影しておこうと思って、ウィッグとカラコンは購入しておいたんです。でも、帯は浴衣の兵児帯ですし、衣装の短衣とサンダルは他のキャラクターの使い回しだったりします」
「全然そんなふうに見えませんよ。すごーい!」
「ユーナにそう言われると、うれしいなっ」
はしゃいだメーアのような口調で、日和が言う。
マジメーア、と結名は打ち震えた。日和は悪戯っぽくにっこりと鏡の中でも微笑む。
「これで、メーアを驚かせようかと」
「驚くどころじゃないと思います……」
ドッペルゲンガーのように感じるのではなかろうかと、結名は舞姫の心中を慮った。かなり楽しみだ。
薄いピンクのリップグロスで仕上げ、日和は場所を空ける。
「では、次はユーナさんの番ですよ。腕、見せていただけますか?」
「はい!」
先ほどまで日和が座っていた場所に腰を落とし、結名は素直に腕を出した。薄い栗色の髪が肩口からさらさらと零れていく。重さも感じない上に、触り心地もとても良いウィッグで、結名は初のウィッグ体験を満喫していた。
その腕を取り、一通り引かれたラインを眺める。そして日和は、真新しいスポンジを手に取った。
「テカるので、本当は全体にファンデを塗りたいんですが……今は大丈夫でも、あとの肌荒れが怖いので、ポイントメイクを使う要所のみにしますね。日焼け止めは塗っていますよね?」
結名が頷くと、日和は早速メイクを開始した。鏡の中の自分が、どんどん印象を変えていく。特に違うのは、目だ。
紫色のカラーコンタクトで、すっかり「ユーナ」らしくなっている。
日和が軽く眉を整え、目が大きく見えるようにアイライン描き加えたりと工夫を凝らしていくにつれ、幻界のキャラクターであるはずの「ユーナ」が現実に下りてくるようだった。
とは言え、致命的に違う部分もある。
喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのか、結名は自分の胸元を見た。白の短衣はウエストの部分で茶色の皮でできた帯で締められているのだが、先ほど、見目よくするために散々その胸は日和によっていぢられていた。ひとことで言えば、谷間である。やや大きめに作ってもらった衣装だったが、やはり、成長に伴って実際の結名のほうが身体は大きくなっていた。いつのまにか胸も育っていたようで、幻界ではまったく気にならなかった胸元が、隙間からハの字状態で見えていたのである。覗かれるのは困りますからね、と日和の努力により、寄せて上げられた結果の谷間だった。今度母と下着を買いに行こうと決意した結名である。
「現実のユーナさんとわからなければ、結局幻界のユーナさんがどなたかなんてわかりませんからね。――少し、口を開けていただけます?」
唇に塗られたり、線を引かれたり、また塗られたりと繰り返していくと、結名のものではなく、ユーナの唇の形ができあがっていく。
「わたくしの記憶だけが頼りなので、本来とは少し違うのでしょうが……あの世界、スクリーンショットも撮れませんし……違うって怒らないで下さいね?」
「そっくりですよ!?」
「あ、おしゃべり禁止です」
「はい……」
メイク中に動くのは自殺行為である。
楽しげな日和の様子と、鏡の中の変わっていく自分を見ながら、結名は思った。
――同じにしたはずなのに、全然違う……。
ゲームの中のユーナと、現実の結名。
姿かたちを大きく変えてしまえば、戦いにくくなるだろうという予測の下に、同じような寸法で作り上げたアバターだったはずだ。顔は二割増しくらいに可愛くしたつもりだったが、日和のメイクのポイントを見ていると、二割どころではない変わりようである。
――がっかり、されてないかなあ……。
まともにあいさつもできなかった一角獣の面々を思い出し、結名は気持ちを沈ませた。皓星や柊子、拓海以外のメンバーとは、今日初顔合わせになる。日和についてはあらかじめ話に聞いていたこともあり、あまり身構えずに済んだ。今もこうして一緒にいても、とにかく気持ちのやさしいひとだと思う。
まだ、一日は始まったばかりだ。
鏡の中のユーナは口元を緩めた。綺麗な弧を描くと、鏡の中のメーアまでが微笑んだ。
「とても可愛いですよ」
「ありがとうございます!」
ユーナの姿でなら、もっといつも通りにできるだろうか。
紅蓮の魔術師は、少し垂れ目気味の、若干冷たそうなイメージの男性だった。黒のスキニーに白のインナーがちらっと見えるカーキの薄手のセーターは、早朝の寒さに耐えるためだろうか。全身真っ赤なら一発で紅蓮の魔術師だとわかったのに、と少し残念に思う。そして、意外とまともそうな印象で驚いたが、人形遣いや雷の魔女と同じ職場だと聞いたことのほうがもっと驚きだった。
皇海市は幻界の運営のお膝元なので、ベータテスターも多くが皇海市在住者から抽出されたとは聞いている。実際にエスタトゥーアやアシュア、ペルソナはβ時代から一緒に戦ったこともある仲なので、地元が同じでもおかしくはない。結名は単純に、休み明けにはどうなるのだろうと気になった。幻界の紅蓮の魔術師がそのまま働いているわけではないだろうが……と想像して笑ってしまう。
「エスタさんの職場、楽しそうですね」
ユーナのことばに、一瞬、日和の手が止まる。苦笑気味に彼女は応じた。
「……そ、そうですか?」
「ペルソナさんたちと一緒に働くとか」
「普通ですよ? ペルソナもソルシエールさんも、ああ見えてちゃんとお仕事していますし」
どう見てもメーアな外見で言われると、違和感がすごい。
ふむふむと頷く結名も、決してあのふたりが働かないと思ったわけではなく、むしろ真逆で、とんでもないスピードで様々なトラブルを処理していきそうだと、想像が明後日のほうに飛んだだけである。窓口での対応の円滑さを思えば、あながち的外れでもない想像である。
仕上げに、ぽんぽん、と置くように結名の唇へリップグロスを乗せて、日和は満足げに封を閉めた。
「はい、完成です。メイク直し用のポーチと、あとは貴重品を持っていきましょう。ユーナさんのお洋服は、わたくしのキャリーに詰めてもよろしいでしょうか?」
「え、いいんですか?」
「クロークに預けますので、荷物一個ごとに、サイズに応じてお金を取られてしまうんですよ。キャリーのサイズはどう足掻いても変わりませんから、どうぞご遠慮なく」
結名はことばに甘えることにした。手際よく日和はキャリーからいくつか出し、代わりに使わないものを仕舞っていく。ふと、自身の腕に舞姫のように鈴を巻き、小さく鈴の音が響くのを確認し、取り外して帯の中のウェストポーチに片づけていた。ここでは迷惑になると判断したのだろう。
結名はそのまま、自身のバッグを手に取った。貴重品を入れておくために別途ウェストポーチを、などとは考えていなかったので、単なる白のハンドバッグである。持ち運ぶとなると衣装と少しギャップがあるが、致し方ない。
そして、ふたりは立ち上がった。
「あの、連絡先とか交換しても、いいですか……?」
コスプレ更衣室の出入口へと視線を向けた真尋へ、ふたりだけの時間は残り少ないと判断した芽衣がねだる。その殊勝な態度に、真尋は苦笑した。
「いいけど……それなら、幻界宛てのもあったほうがいいよな」
「はい!」
携帯電話を取り出し、互いに連絡先をコードで表示し、カメラで読み込ませる。嬉々としてその画面を見つめる芽衣の横顔を見ながら、真尋は幻界の彼女と重ねた。確かに、面倒見のよさはそのままである。春から入ってきた同じ外部スタッフの子たちの教育は、正規職員ではなく、彼女が担当している。その分本来の春先の忙しい時期の仕事に没頭することができ、正規職員の間でも評判がよかった。そういったことは、完全定時上がりとなる外部スタッフのほうには伝わらない。必要とあれば残業に走る正規職員のあいだでの内緒話のひとつになるためだ。
「ありがとうございます! 迷惑は、かけませんから……」
何でその態度が幻界での彼女にはあまり見えないのだろうかと思いつつ、真尋はあいまいに頷いた。ゲームショウでは、紅蓮の魔術師に徹したほうがよさそうだが、やはり現実の背景がちらついてうまくいかない。
「ふっふっふ、おまたせー!」
異様なほど元気のよい日和の声に、ふたりは弾かれたように振り向く。
すると――そこには、鈴を涼やかに鳴らす舞姫と、少し恥ずかしそうな従魔使いが立っていた。




