師匠と呼ぶなってば
どんな妄想をしていたら、職場にいる女の子がゲーム世界で自分を師匠と慕って付きまとっていることに気付けるんだ?
責められている自覚はある真尋だったが、未だにことばは出なかった。
芽衣は深く溜息を吐いた。気持ちを落ち着かせるためだと、見ただけでわかる。そして、まっすぐに真尋を睨む。
「鈍すぎませんか!? 師匠!」
どうコメントしろと?
真尋は絶句したまま、彼女を見返す。
「え、えええっ!? ソルちゃん!!? うっそー!」
「ふふふふふ」
驚愕の声を上げる柊子に、含み笑いを洩らしながら日和が首筋の髪を払い、誇らしげに言う。
「驚かせるのはあなたの専売特許ではありませんよ」
「って、エスタ知ってたの?」
「ついさっき」
「知らなかったんじゃないの!」」
その会話で、真尋は日和すらも芽衣のことに気付かず連れてきたのかと理解した。だからどうだという問題ではあるが。
日和は結名の腕を引き寄せ、もう一度念押しした。
「というわけで、わたくしたちは準備してまいりますので。ソルシエールさん、ペルソナを逃がさないように」
「はい!」
「そこ頷くなよ……」
両手に握りこぶしを作って頷く芽衣に、ついに真尋は天を仰いだ。日和は結名と共に、キャリーを引きつつコスプレ受付へ急ぐ。
肩を震わせる颯一郎へと視線を流し、真尋は小さく溜息をつく。颯一郎は楽しげに口を開いた。
「むしろ、こっちが年貢の納め時?」
「俺、帰る」
「ダメですー!」
自身の腕へと絡む、細い、腕。咄嗟に振り払おうとしたのは、むしろ条件反射だった。それは幻界なら絶対に振り払えない故のものだったが、ここは――現実だった。
呆気なく、その手が離れていく。そして、勢いがついたのか、芽衣はふらつき、背後の壁に背を軽く触れさせた。
互いに、その事実に目を瞠る。
「何やってんの!」
柊子の、本気の怒鳴り声が響く。
真尋は慌てて駆け寄り、その手を取った。
「悪い! 怪我してないか?」
「……はい」
俯きがちに呆然としていた芽衣は、握られた手からゆっくりと真尋へと視線を上げる。その表情が、崩れた。それは苦笑だった。
「まさか、振り払われるとか、思わなくて。そうですよね。ここ、リアルでした」
「ああ、うん、リアルだよな……」
その事実の重さを改めて口にするふたりへ、柊子は肩を竦める。
「今更、何言ってるの? あー、もう、ホント怪我ない? だいじょうぶ?」
「ええ、だいじょうぶです」
芽衣が壁から背を離すと、真尋もまたその手を離した。柊子は軽く芽衣の背を払う。
周囲にいつのまにか走っていた沈黙が、それをきっかけに破れる。ざわめきを取り戻していく様子に、皓星は安堵した。騒ぎにならずに済んで、よかった。
「あんまりふざけるなよ。ゲームショウ開始前に退場させられるぞ」
「悪い」
「すみません」
大の大人ふたりがまともに学生から注意を受けている様は、なかなかシュールだった。
拓海は氷解した緊迫感に、皓星の袖を引く。
「まあまあ、師弟のじゃれ合いですから」
真尋の眉間に皺が寄るのを見つけ、柊子は指先で軽く弾いた。
「もう……まあ、同じ職場じゃあね。驚くのも無理ないかしら。
それにしても、ソルちゃん、よくペルソナってわかったわね」
そのやり取りに顔を顰めていたのは芽衣も同じなのだが、柊子はそれには気付かず尋ねる。
問いかけに、芽衣は少し押し黙り……だが、柊子が話題を変えようとするより早く、口を開いた。
「あたしが気付いたの、アシュアさんが来たからなんです、けど」
「私!? ……あー、チケット渡しに行った時? え、でも、別に……何も……」
自身のせいかと困惑する柊子に、真尋はかぶりを振る。
思い当たる節があるなら、自分のほうだ。
「アーシュのせいじゃないって。……あれだよ」
「何よ?」
はぁ、と気を落とす柊子に、僅かにことばを迷う。身長差で上目遣いになる彼女を見下ろし、しかし、結局真尋は自白した。
「あー……アーシュの、名前、呼んだんだよな……」
「アンタのせいじゃないのー!」
スパアアン!と、景気よく柊子のハンドバッグが唸りを上げる。
遠くで舌打ちが聞こえた。無関係な観客のうち、孤独を自覚した者が不満を訴えている。拓海は内心合掌した。
「そうですよ。師匠が呼んじゃうから、気付いちゃったんですー」
「自業自得! ソルちゃんはそれで気になって?」
「……はい」
「そっかー」
何となく、見た目的には柊子のほうが年上に見えてしまう落ち着きぶりだ。拓海は空気をここは読むべきだと判断した。真尋には逃げ場がないほうがいいだろう。
「姐さん、ペルソナさんたちの連絡先、わかるんですよね?」
「まあね」
「じゃあ、ご一緒していただけますか? チケットについてわかり次第、連絡するということで」
「え、皆で行けば……」
「ユーナさんやエスタトゥーアさんと入れ違いになると困りますから」
「あ、僕も……」
さりげなく颯一郎も逃げ腰である。
芽衣は真尋を見る。既にあきらめがついたのか、彼は頷いた。
「わかった。俺とソルはここで」
「助かります。では」
見事な仕切りで、拓海は残りのメンバーを率いて去っていく。
ふたりきりになり、芽衣は改めて頭を下げた。
「すみません、古賀さん……」
「あー……とりあえず、ゲームショウでそれはやめで」
現実な名前を呼ぶことに注意を受け、芽衣は困ったように笑う。
「じゃあ、師匠?」
「それは幻界でもやめろって言ってるし」
「でも、あたしにとってはやっぱり師匠なんです。実は、現実でも……おぼえてますか?」
芽衣が初めて配属された時、窓口対応の説明をしたのは、実は真尋だった。全体説明は日和が担当したのだが、個別対応は半年だけ先輩にあたる真尋が自分の確認にもなるからと請け負ってくれたのである。彼がペルソナだと知ってから、結局職場で会うのは苦しくて……二日にはもう休みをもらってしまったほどだった。
そして、幻界でリアルなことを訊くわけにもいかず、このチャンスにすがったのだ。絶対始発で!と心に決めて、昨夜は幻界にもログインしなかった。よく眠れたかと聞かれれば、コンシーラーがいい仕事をしてくれましたと答えるレベルだが。
訥々とそんな思い出話を語る中、真尋は口を挟まなかった。
ただ、反応がないな、と芽衣ががっかりしてことばを途切れさせた時、彼はまた溜息を吐いた。
「――おぼえてるけど?」
だから何?とでも続きそうな声音に、芽衣は視線を落とす。単に、どちらでもお世話になっております、と他人行儀なあいさつをしにきたわけではない。
幻界では、同じ結盟に所属することになる前から、そこそこ仲良くなってきたつもりだった。そっけないのは単なる地で、他意はないと知っている。疎ましいと思われていたとしても、基本的に面倒見が良い彼はちゃんとこちらに目を向けてくれる。
嫌われてはいない、と思いたかった。
だから、一歩踏み出せば、きっといい意味で何かが変わると信じたかった。
「――あたし、ずっと師匠を守りたかったんです。えと、それくらい強くなりたかった、というか」
思いっきり眉間に皺が寄っている真尋へ、言い直す。
「紅蓮の仮面、手に入れてから……師匠、炎特化じゃないですか。回避にも振らないし、ひたすら知力特化で、火力はあるけど防御は紙で」
前に出て戦えるようになるために、雷魔術だけではなく、体術を合わせた。
術式を連発して打ち出せるように、体術だけではなく投刃を取り、細工師の中でも彫金を選んだ。
MPが切れた彼が、真っ青な顔で倒れている姿を見て……MP譲渡のスキルを選択した。
どれもこれもが師匠を追いかけて選んだものばかりで、だからこそ、同じPTに、同じ結盟に所属できるようになって本当にうれしかった。
「紙……まあ、守備はな。ただ、守られなければならないほど、弱くはないつもりだが?」
「そうですけど!」
バージョン一・〇という前提が必要だが、彼は一・一に上がるまで、最高の炎の魔術師だったことは確かだ。炎魔術は雷魔術ほどではないが、初級であれば発動も早い。
今、バージョン一・一となり、レベルキャップが解放され、一斉に廃人たちがレベル上げを開始したために、おそらく彼の上を行く魔術師も出ているだろう。それでも、彼自身の炎魔術は、特別な戦利品である紅蓮の仮面の効果で、十%の攻撃力増が約束されている。同じレベルでさえあれば、彼に並ぶ炎の魔術師はいない。もっとも、装備品による優位のために、上位互換の装備が出てしまえば崩れてしまう代物ではある。
それでも。
芽衣は断言した。
「師匠は、最強の炎の魔術師です」
きっぱりと言い放つ芽衣のことばから――真尋はただ、視線を逸らした。
「お前なあ、俺がいなくても強いだろう? まあ、物理的に言えば十分俺より強いし」
それは紅蓮の魔術師のことばだった。
「もう、王都に辿りついたんだ。俺のことなんて気にせず、やりたいことをやればいいんじゃないか? 大聖堂に潜り込んだ時みたいに」
やっぱり伝わらない。
芽衣は、その事実を痛切に感じ取っていた。自分がやりたいことをやらずして、何がゲームだ。だからこそ、最初からあたしは、ずっとずっと。
彼の防御力はエスタトゥーアによる術衣の護りのみ、と言っても過言ではない。誰かが前に出れば、彼の攻撃に合うスタイルで間合いを取れば、それだけで戦いの在り方は変わる。
その温度差には気付いていた。彼自身は……一度もそれを望んだことはなかったから。
「で、いい加減さ、本当に師匠は卒業しろよ。お前と一緒に戦えば楽なのも、火力が出るのもわかってる。それは、俺が師匠だからじゃないだろう? ソルシエール」
ふと。
何かが、ひっかかった。
あきらめの中、拒絶を聞いていたつもりだったはずなのに。
芽衣が見上げた先には、まっすぐなまなざしがあった。
「お前がいたからだよ。ソルシエールがサポートに入ってくれるから、俺も全力を出せるんだよ。ソルの力だろ、それ。そこんとこさ、わかれよ」
はーっと溜息を吐いて身体を折って俯く。
芽衣は、その背中を見て……頬を、赤らめた。
師弟ではなく、対等な相手としてと。
――彼女もまた、ようやく気付いたのである。




