今、ここにある必然
戦いが始まる。
多くの男女が地下鉄を降りてまっしぐらにひとつの出口を目指して歩いていく。
早朝の寒さをものともせず、薄闇に包まれた歩道をひたすら進む。時折駆け抜けていく者までおり、彼がスタッフでなければいいなとぼんやり思いつつ、日和はその後姿を見送った。もし、一般参加者であるなら、チケットがどこにあるのかわからなくなる呪いをかけておいた。
いつものキャリーを引きながら、脳裏にはユーナと合流したあとの段取りを描く。特に重要なのは、更衣室に入ってからの動きだ。一秒たりとも無駄にはできない。今回はコスプレすることがメインであり、逆に撮影可能ゾーンには行かないので、その点が気楽ではある。が、妥協はできない。既にユーナの衣装では本人の体形に合わせて作成するという第一段階をかっとばしているのだ。まずは手直し。裁縫セットと安全ピンが唸る。
会場である、皇海国際展示場に近づく。そのころには、薄闇がはっきりとした夜明けに変わっていた。天候に恵まれて、本当によかった。傘ひとつあるなしで、やはり動きがだいぶ違う。待ち合わせは早朝から開放される更衣室の前、コスプレ受付のあたりということになっている。他の入場口近くとなれば、まず列にまぎれてわからなくなってしまうからだ。今回はオフ会ではないという大前提なので、あくまで柊子との待ち合わせである。単なるオフ会なら相手を確認するためにいろいろ気遣いが必要になるが、その点は気楽だった。
既に一般入場の待機列は長蛇となっていた。今回はありがたいことに招待チケットなので、並ぶ必要がない。その横をどんどん進む。
と。
「え、あっ、里見さん!?」
聞き覚えのある声に、足を止めて振り向く。
同僚……というか、同じ職場に勤める外部スタッフの女の子が、携帯電話を片手に並んでいた。コスプレではないが、クラシックな白と黒のゴシック系ワンピースを着ている上に、髪型もツインテールに分けていた。職場とはまったくイメージが違う。周囲はデニム組の男性ばかりで、彼女はまるでアスファルトに咲いた一輪の花のような状態だった。列としても、かなり前のように思う。始発組だろうか。
列のほうへと歩み寄り、区分けされた腰高のフェンス越しに挨拶を交わす。
「おはようございます。奇遇ですね」
「あ、おはようございます……」
少し声のトーンを落としたことがわかったようで、彼女もまたややテンションを下げた。周囲は一人参加が多いようで、誰もが携帯電話に視線を落としていながら、こちらのほうを気にかけて耳を澄ましている。
「一般ですか?」
「ええ、先行取れなくて……」
更に気落ちしたのか、語尾が消え入る。その視線が落ち、キャリーに向く。
「里見さんは、スタッフ……なわけないですよね」
「ええ、まあ」
公務員は副業禁止である。
そして日和も、さすがに職場では性癖を明かしていない。このあと、合流してしまえばバラすことになってしまうのだが、今、注目されていないようでされている中、堂々と語るのは避けたかった。
そして、ふと思い出す。
「――徳岡さん、実はですね」
そっと彼女の耳元へと唇を寄せる。
それは、魔性の囁きだった。
――始発で来たよな、俺?
目の前の状況と、携帯電話が表示する時間にあまりにも違和感があり、真尋は携帯電話を二度見した。
コスプレ受付への列が出来、その周囲は待ち合わせの面々が合流しているようで、賑わいを増していた。更衣室入り口にはどんどんスタイル抜群な男女が吸い込まれていく。その分、ごく一般参加的服装の彼を異様に浮かせていた。
だが、彼ひとりではない。
ちらりと視線を向ける。ひとつ柱向こうのあたりに、自身と同じような雰囲気の男が立っていた。彼女がコスプレをしていて、出待ちだろうか。こざっぱりとした服装と、高価そうな靴が印象的だった。カメラを首から下げていないあたりが、カメコでないことを物語っている。そして、彼もまた、携帯電話を操作して手持ち無沙汰にしているようだった。
――まあ、こっちは恋人じゃないけどな!
自虐的に口元を歪めた時、携帯電話が蠢いた。SSだ。アーシュと表示された星は、「今どこ?」という端的な問いかけを流していた。「待ち合わせ場所にいるけど?」と返信しておく。
「あ、お待たせー!」
その直後、大きな声が通路に響いた。周囲もまたそちらのほうを見るが、自身とは関係ないと知るや視線を逸らす。真尋も視線を逸らして他人の振りをしたかった。
「うわ、本当にみんないるんだ……」
「ふふふ、誰が誰だかわかる?」
青い服装に身を包んだ柊子は、にこやかにその男に話しかけていた。先ほどから、向こうで待っていた、男である。
その後ろには照れ臭そうに微笑む男子がふたりいて、ひとりは眼鏡をかけていた。眼鏡男子の陰には女の子が隠れている。いや、問題はそこではない。更に、その後方だ。
同僚がいるのは何となくわかっていたからいい。むしろ、覚悟はしていた。
それよりも、何で、彼女までいるんだろうか。
「あ、ちょっと待っててね」
衝撃に動けずにいると、にこにこを通り越してニマニマしている柊子が近づいてきた。
「おはよ。結構スゴイでしょ? びっくりした?」
「……した」
ようやく、ことばを発することができた。
驚愕しきりの真尋を満足げに眺め、柊子は合流を促す。
「ほら、あんまり時間ないから、先に自己紹介ね」
いらん、と言い放つこともできず、真尋は素直に柊子の後を追った。
壮観、のひとことに尽きる。
結名は皓星のシャツの裾を握り締め、その光景を食い入るように見つめていた。
「――あ、どうも、はじめまして。セルヴァです、っていうのも気恥ずかしいね」
「ああ、わかる。すっごく……で、俺は何て自己紹介すればいいんだ?」
「ぺるぺるでしょ」
「ぺるぺるか、なるほど」
「お前ら、俺の本名忘れてるだろ……」
リアル一角獣――――――っ!!!!!
心の中で絶叫中。
今にも悶絶しそうな結名である。
「結名、アシュアの紹介なんだから大丈夫だって」
「う、うん、もういろいろいっぱいいっぱいで……」
「だよね。おれも何だか胸が……」
皓星は振り返り、陰に隠れている従妹を促した。顔を真っ赤にしている上、完全に腰が引けている結名のとなりで、拓海もまた頬を紅潮させている。
誰もが、この空間に落ち着いてはいられなかった。
颯一郎もまた興奮した様子で、皓星たちのほうへ近づく。そのまなざしが、不思議そうに瞬いた。
「って、あれ? その子……」
「ああ、うん、オレはシリウスで……こっちはユーナ。ホント、何だか変な感じだよな……」
「ユーナ!?」
驚愕の声に、「そんなにわたしってユーナと違うのかな……あんまり変えてないはずなんだけど……」と結名は心で涙する。確かに、結名の主観ではあるが、あちらのほうが二割以上可愛く設定しているのは事実だ。皓星の陰から顔を出し、何とか、結名も挨拶を口にした。
「はい、あの、はじめまして……」
「はじめまして! え、まだ学生さん、だよね?」
「それ言うなら私も学生だけど?」
「ああ、うん、それは貫禄あってわからないと思……」
ダン!と柊子の靴の踵が、皓星を襲う。間一髪、真横に身を退けて難を逃れていた。
「チッ」
「柊……アシュア、それはちょっと」
苦笑しながら、日和は柊子にツッコミを入れた。はしゃいでいた自覚のあった柊子は、フフと楽しげに笑う。
その視線が、こちらを向いた。どう反応するべきかと悩み、彼女はとっさに日和へと声を掛ける。
「あの、あたし……」
「ふふふ、荷物持ち、お願いしますね」
日和のキャリーを持ったまま、彼女は困惑しつつも頷く。彼が近づいてくる。同じ職場の人間として挨拶するべきかどうかに、心底悩むところだ。が、もはやこの場面で逃れようもない。
「わたくしはどちらでも構わないのですが、幻界のブースでわかってしまいますからね。お好みでどうぞ」
日和のことばに、大きく目を瞠る。
幻界とは異なり、その瞳はあたたかみのある焦げ茶色をしていた。
「――知ってたんですか?」
「確信したのは、今さっきですよ。あなた正直なので。こうして見ると、古賀くんを見る目が、同じです」
そう口にする彼女の口調自体が、幻界のエスタトゥーアのものと同じだと――ようやく、徳岡芽衣は気付いた。
 




