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幻界のクロスオーバー  作者: KAYA
第二章 災禍のクロスオーバー
33/375

 ラヴェンデルの採取は順調だった。予定の三束を作っても、まだ大株にはたくさん花が残っている。

 もう一束作ろうかなとユーナが欲張り始めた時、よく知る獣の鳴き声が聞こえた。びくりと身を震わせ、森の奥へ目を凝らす。

 まだここは、ぎりぎり森の外にあたる。だから、こちらを攻撃対象と認定しない限り、惑わす森の魔物は出てこないはずだった。

 高く、キュィィン!と啼いたあと、延々とキュゥキュゥが続く。とりあえず花と道具を片付け、ユーナはまた耳を澄ませた。そんなに離れていないが、森の奥のほうではなさそうだ。できるだけ音を立てないようにして、森の外側から伺うように回る。

 見えた。

 木立にちょうど隠れて見えなかったようで、真っ黒い仔犬が、罠に捕らわれていた。落ち葉の中、何かで、前足に挟まれている。狩人だろうか、おそらく旅行者プレイヤーが仕掛けたものだ。歯をむき出しにして前足から伸びた紐に噛みつき、またも悲鳴を上げた。紐はちょうど死角になっていた木の下のほうに繋がっていて、仔犬の動きを封じていた。

 ユーナが足を踏み出すと、こちらを見て威嚇し始める。

 ダメ、噛まれる。

 道具袋からテーブルクロスを取り出し、腕にぐるぐる巻いて差し出した。ガゥッ!と待っていたかのように、仔犬は思いっきり噛みつく。むしろ食いちぎろうとしている。ユーナはそこで気付いた。


 ――森狼フォレスト・ウルフ幼生――


 仔犬ではなかった。べたっとした毛並みは野良だからかなとか思っていたのに!

 頭の上に真っ赤な名前で事実を知らされ、さすがに魔獣を助けるという選択肢は自分の首を締めそうで、どう見ても生まれて一か月も経ってなさげな仔犬のような外見に、迷う。

 前足には罠が食い込んでいた。毛皮があるにしても異常な締め上げだ。放置すれば、そのうち前足に血が通わないまま、腐り落ちて衰弱し、死ぬだろう。

 未だにテーブルクロスを食んだまま唸り続ける仔狼の目は青みを帯びて燃えている。完全にこちらを敵認定だった。食いちぎろうと頭を動かすと、前足も痛むらしく、きぅんと鳴く。

 ユーナは反対側の利き腕で、ちょっと体を傾けながら、短剣ダガーを抜いた。

 すると、仔狼はすぐさまテーブルクロスから、ユーナの右手をめがけて噛みつこうと口を離そうとする。噛ませたままになるように、彼女は更に左腕を突き出して、進路を妨害した。そして、テーブルクロスに再度噛みついたところで左腕を引き抜き、前足を掴む。右の短剣の刃を紐へと絡めた。


 ガゥッ!


 あっさりとテーブルクロスのミトンを放り出し、仔狼は己の前足を掴む手に牙を立てる。涙が滲む。歯を食いしばって、ユーナは右手を引いた。木から伸びた紐だけを切っても、仔狼の運命は変わらない。前足から外さなくては。短剣の刃は何とか紐を断ち切り、仔狼は自由の身となる。それを悟ったのだろう。噛みついていた手を吐き捨てるように外し、仔狼はユーナから距離を取る。まだ、前足の動きがおかしいが、唸り続けてこちらを睨んでいた。

 足を痛めた獣は、生き延びられない。

 逃げられない。食べられない。戦えない。

 どこかのドキュメンタリで聞いたことのある内容が脳裏をよぎり、短剣を鞘に戻す。道具袋インベントリから即効性のある回復薬ポーションを出した。回復量自体は初心者ならHPの半分くらい回復できる程度の代物で、患部に振りかけるタイプだが、お手は無理だ。痛む左手を少しだけ支えにして蓋を開け、立ち上がる。唸り続ける仔狼の視線も付いてくるが、ユーナは構わず瓶を逆さにし、中身を仔狼目掛けて振り撒いた。多少だろうが、これでかかったはずである。ひょこっとしていた足が、地面にちゃんと着いた。一瞬、唸り声が途切れた。

 ユーナの左手は大惨事になっている。血塗れで今も垂れ流し状態だ。仔狼とは言え、牙は相当鋭い上、顎の力が強いのだろう。だが、怖くて仔狼から視線を外せない。小さくても森狼だ。喉笛を噛み切られたら神殿行きになる気がする。


「二度と……会わないように、どっかに行って」


 唸る仔狼をそのままに、じりじりとユーナは後ずさる。森の切れ間はすぐそこだ。もう一歩。

 森から出て、マップが切り替わった途端。

 ユーナは全力で村の門へと走った。

 門番の前に着くと、大慌てで彼はユーナを中に入れ、一旦門を閉めてくれた。そしてようやく彼女は自分のために薬を使い、左手を癒すことができた。痛みが消えても手の赤い跡と痛みがじんわりと残っている上、何だかぼこぼこしていたので、見ないようにしようと思った。





「ちょっとアンタ! ボクの獲物をどうしたんだよ!?」


 ラヴェンデルの依頼に時間の期限はなかったが、新しい依頼書が欲しくて宿に立ち寄ったので、ついでに依頼を完了しておいた。銅三枚を手渡され、食事はいつにする?と訊かれたので、夕食をお願いしますと言いおき、新たな依頼に立ち向かう。

 次は村の端の家に住む足の不自由なおばあちゃんとか男やもめの所帯などに、宿の食事を届ける依頼が入っていたので、それにした。依頼者はもちろん、宿の女将クラベルである。こちらは一軒につき小銅貨五枚という安価っぷり。ブラック臭がそろそろ漂い始めている。

 結構使い込まれた村の地図と既に裏側にはいろいろと書かれている紙を食事の入ったバスケットと共に渡され、ユーナは全部で五軒分引き受けた。とは言っても、バスケットに入る食事は三人分だったので、一気に回れるはずもなく、結局宿と配達先を往復する羽目になる。

 ようやく運び終わった頃にはもう門が閉まる時間帯で、疲労度も黄色になっていた。クラベルはユーナを労い、即食事を出し、依頼料だけではなくこの前飲んだシルエラジュースまでサービスしてくれた。永住したくなる。

 些か騙されている感が否めなかったが、夕食にはカローヴァの乳のシチューとパンに朝採れ野菜のサラダである。パンが多少硬くても、シチューに沈めてしまえば問題なかった。ブランチ→夕食コースなので、おなかが空いていたのもすばらしい調味料になっている。

 ふわふわな金の巻き毛を垂れ流し、空色の目を燃やしながら、その可愛らしい子どもはユーナに指さして詰問した。ぎりぎり小学校には通っている気がするレベルの子どもの背丈に、生足な上に緑色の短衣チュニックとブーツが何だか眩しい。現実リアルなら下草で足を怪我しそうだ。こけたら幻界ここでも擦りむくことを知っているユーナにはできないセレクトである。

 ユーナはシチューの残りをパンで拭い、最後口に放り込んで噛み締めていた。味わっている余裕がないと判断して、シルエラジュースで流し込む。そして、口の中身が空になってから、問い返した。


「獲物?」

「森に仕掛けてあったんだ。その場所にはラヴェンデルの匂いとこれが残ってた。近くにラヴェンデルが刈られた跡があった。今日のラヴェンデルの依頼をこなしたのはアンタだけだ! ネタはあがってるんだ、白状しろ!」


 ぐるぐる巻きの白い布のかたまりを差し出され、ようやく、ユーナに話が伝わった。受付でクラベルが頭を抱えているのが見える。どう言えばいいのだろう。別に獲物は取ったりしていない。森に返しただけだ。


「えーっと……逃げられました」


 私は何とか。たぶんその獲物(あのこ)も。

 内心の呟きは口に出さず、端的に事実を述べると、綺麗な顔が更に真っ赤になり、怒りが爆発する。


「ふざけんなよオマエ! あの罠いくらしたと思ってんだよ! 弁償しろっ!」

「おやおや、お困りのようですね」


 食堂中の注目の的の中、楽しそうな声が割って入る。弁償ということばにふさわしい人の登場に、ユーナは安堵した。ぼったくられずに済みそうだ。

 呼ばれたわけでもなく、タイミングを計ったかのように。

 かの商人は斧を片手に、ユーナの席へと腰を下ろした。

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