100万PV突破記念閑話 ログアウト
不死鳥が国の象徴だからかなぁ。
真っ白な鳥の像は、どことなく不死鳥幼生に似ている。その嘴から吐き出される湯は無色透明で、広々とした湯舟へと流れ落ちていた。ユーナはタオルで髪をまとめながら、肩まで湯に浸かる。はふっ、と声が出てしまうほど、気持ちいい。
貴賓棟には、各個室に小さな浴室が備えられている。王侯貴族が身支度を整えるためのものだが、それとは別に、純粋に湯を愉しむための大浴場も設置されていた。普段は水霊任せのユーナだが、プールのように広い湯殿、と聞けばやはり足を運びたくもなる。もう二度と訪れることのない場所だし、と考えて、気持ちは沈むのだが。
広々とした湯殿を見ると、中学の修学旅行を思い出す。あの時は芋洗い状態に湯舟が女子で埋め尽くされていたが、今は、ふたりきりの貸し切りである。シャワーブースもあり、西欧風の作りっぽく仕上げているものの、そういう点は日本的だなと思う。馴染めるように、楽しめるようにと設定されているのだろう。
ゆったりと浸かる自身に対し、もうひとりは……と視線を動かすと。
バシャバシャと、胸元と腰回りを自身と同じ全く透けない白の下着で覆われた朱金の幼女が視界を泳いでいく。頭には白い布を巻いているが、今にも取れそうだ。その飛沫が顔にかかり、ユーナは目を瞬かせた。手の甲で顔を拭う。
「……アデラって、そういうことするんだ」
「ほっほっほ、この婆もなかなか泳ぎが達者であろうぼごぼ……」
「泳ぎながらしゃべらないのー!」
犬かきのような鳥かきなのか、実は平泳ぎなのか。
よくわからないが、頭だけを出しながら器用に泳いでいた。しかし、口を開くことでバランスを崩し、頭ごと沈む。ユーナは慌てて傍に寄り、ぷかーっと浮く布の下へ手を突っ込み、小さな身体を引き上げる。朱金の髪までもがぼたぼたと雫を垂らしていた。が、ぶん、と軽く頭を振るだけで、その髪はふんわりと乾く。一瞬だけ感じた熱が、瞬間ドライヤーの使用を物語っていた。
「もー、不死鳥が溺死、とかしゃれにならないよ?」
「ぐへふっ」
気管に入ったらしい。妙な咳をするアデライールを膝の上に乗せ、背中を撫でさする。ユーナの肩口に顎を置き、幼女は喘鳴を繰り返した。
その時。
湯殿の周囲に並ぶ扉のうちのひとつが、少し押し開けられた。
「ユーナちゃーん、一緒に入ってもいいー?」
「あ、アシュアさん!?」
「まあ、裸ってわけじゃないから、いいわよねー?」
「はいぃぃっ!」
湯殿に響き渡る青の神官の声に、ユーナは上ずった返事をした。抱かれたままのアデライールは頭を少し上げ、首を傾げる。
「何じゃ? ここは湯殿故、いちいち断りなんぞ……」
「え、まあ、そうなんだけど……」
一角獣の共同浴場はスペースと金銭的な理由で、使用者が貸切札を掛けて使うことになっている。対して、貴賓棟の大浴場は公共の場らしく、貸切という概念がないようだ。扉をくぐる際に出た警告文にも、「湯殿には誰でも入れます」という念押しがあった。
アシュアが断りを入れてくれたのは、たぶん、心構えというか――。
そんなことを考えながら、アデライールの背筋をとんとんする。
すると、豪奢な扉を開き、ぺたぺたとした足音が湯殿に響いた。
ひとりではない。
「んまあああああぁぁぁっ♪」
歓声を上げるのは、白い髪をひとまとめに紐で結い上げたエスタトゥーアである。長身なだけあってモデル体型が眩しい。その両隣には同じように紐で髪を結った双子姫が付き従っていた。
「あ……かーさま、ルーキスお風呂、知っています!」
「かぁさま、オルトゥスも知っています!」
怯えた様子を最初は見せていたものの、湯殿を見回して一気に双子姫もはしゃぎ始める。そのままユーナたちのいる浴槽のほうへ駆け出そうとしたところを、アシュアが止めた。エスタトゥーアにしろ、アシュアにしろ、普段術衣に覆われている身体が露出していることに対して、違和感がすごい。
「コォラ、すぐ湯舟に飛び込まないの! ちゃんと掛湯してから!」
「かけゆ?」
「かけゆ?」
髪を結うと大人っぽいな、と思っていたが、小首を傾げると一気に幼さが増す。
シャワーブースのほうに一足先に入ったエスタトゥーアが、手招きをした。
「こちらですよ、ふたりとも。洗ってあげましょう」
「はーい」
「はぁい」
アシュアは両手に小ビンがいくつか入った湯桶のようなものを持っていた。シャワーブースの仕切りの上にそれを並べ、ユーナたちを見て尋ねる。
「洗い粉、レンくんに分けてもらったんだけど……ユーナちゃんたちは使った?」
「いえ、掛湯だけで」
「じゃあ、一緒に洗っちゃお。もー、おばあちゃんったら髪お湯に入れちゃダメよー」
ぷぅっと頬を膨らませるアデライールを、水際から抱き上げる。
膨らみの上に頬を乗せると、たちまちアデライールは破顔した。
「ほぉ、神官殿はなかなか」
「何の話してんの……」
幼女を腕に抱いたまま移動する姿は、姉と妹と言うよりも。
ユーナもまた湯舟から身体を上げつつ、抱いた感想は賢く口には出さずにその後姿を追った。シャワーブースにはスイングドアが設置されており、アシュアとアデライールが入ると、アシュアは足しか見えなくなる。アデライールは丸見えだ。
「やっぱり、下着が濡れたりしないっていうのは驚きますよね」
「まあ、脱げないから。たぶん、感触的には違和感なくしてるだけじゃない?」
わしゃわしゃとアデライールの髪を洗いながら、アシュアは少し笑って応えた。
「下着の部分、触れませんしね」
「まあ、触り合いなんて、普通しないし」
女子校出身なので、修学旅行ではよく……と感慨深げにエスタトゥーアが口にする。「しゅうがくりょこう?」と首を傾げる双子姫が可愛い。だが、微妙にアシュアの目が遠くなった。
「えー、あれは絶対女子校関係ないと思う……ノリが体育会系だっただけのよーな……」
女子校怖い。からの、体育会系怖い。
自分も体育会系だったことは棚上げのユーナである。
中学では多少恥ずかしさはあったものの、それほど成長的なものは気にしなかった気がするが……。
話を聞きながらも、ユーナはこそこそと扉のほうへと近づく。
「あ、ちょっとタオル取ってきます」
「どうぞー」
湯殿の周囲にある扉は、ひとつひとつが控室のようになっている。扉を開くと目の前に地狼が寝そべっていた。むくりと起きた頭を一撫でする。
「もうちょっと待っててね」
「グルゥ」
水霊の清めによってしっとりとした毛並みを取り戻した地狼は、特に文句もなく再び身を伏せる。室内には長椅子やら洗面台やらがあり、温泉宿のように籠ではなく、精緻なデザインの鍵付きの衣装櫃が置かれていた。
ぼたぼたになってしまった頭のタオルを外し、もう一枚もっていく。地狼がいる以上必要ないのだが、一応鍵を掛け直し、浴場に戻った。
既に洗い終わったようで、双子姫と幼女は湯舟に浸かっていた。今はアシュアとエスタトゥーアがシャワーブースに入っている。ユーナはその隣を使うことにした。にゅっと、小ビンを手にした白い手が仕切りの上から伸びてくる。
「ユーナさん、これ、髪を洗う粉だそうですよ。なかなかいいです」
「あ、ありがとうございます」
ありがたく受け取り、ユーナも髪を包んだタオルを取る。どこに置こうかなと見回すと、シャワーの上に小さな段があった。なかなか気が利いている。
「ふっふっふ、この婆が泳ぎを教えてしんぜよう」
「おばばさま、泳げるのですか?」
「教えてくださいませ、おばばさま!」
え、教えるのってあの犬……鳥かき……?
シャワーの合間に漏れ聞こえる恐ろしい会話に、自然と洗う手が早くなる。水音も激しい。
「ぐぁぼ? ぼばばばば、ぶーばず、ぶばばばびばず」
「ごぼぼぁず、ぶばばばびばず」
「何じゃと!?」
「ルーキス、オルトゥス! 頭をお湯から出しなさい!」
切羽詰まったエスタトゥーアの注意に、髪を洗い流したユーナもまたスイングドアを開けて湯舟を見た。双子姫がぶるぶると頭を振っている。自動人形危うし、と思ったが、さすがにおぼれてはいないようだ。
アデライールは浮くのだが、と双子姫を金槌認定しようとしたら、エスタトゥーアは溜息をついて物理的な話をした。
「質量が違いますから、あなたたちは殆ど浮きませんよ。水でおぼれたりもしませんが、単に沈みますから、気を付けて下さいね」
「はーい」
「はぁい」
「そうか、それはすまぬのぅ」
よしよし、と双子姫の髪を撫で、ついでに乾かしている。
安堵していると、エスタトゥーアの奥のブースからアシュアが出てきた。髪をタオルで拭い、ひとまとめにしている。うなじから濃紺の髪が一筋零れ落ちていた。
「水中戦だと活躍しそうね」
「普段よりは方天画戟も鎖鎌も使えませんけどね。特に鎖なんて使いようがありませんから……」
殺伐とした会話を交わし、エスタトゥーアもまた一度ブースに戻っていく。あとは泡を落とすだけのようで、彼女は身体用の洗い粉と海綿のようなスポンジを手渡してくれた。
「助かります!」
「ふふ、お風呂はやっぱり気持ちがいいですね」
スイングドアを開いて、エスタトゥーアもまた湯舟のほうへ歩いていく。洗い髪をやはり紐で結い上げており、浴槽対策は万全だ。
「バタ足くらいならいけるんじゃないかしら?」
「アシュア、手を握ってはダメですよ。そう、その浴槽の縁で……」
さりげに水泳教室が開催されている。
ユーナは楽しげな水音を聞きながら、もこもこと洗い粉をスポンジで泡立てていく。そして体を景気よく洗い始めた。
その時、三つめの扉が開かれる。
「お、ホント広いな」
「シリウスさん、いいんですか……?」
「いいっていいって。βでも一緒に入ってたし」
軽い調子で聞こえる剣士と交易商の声に、ユーナはブースの中で身を凍らせた。シャワーや不死鳥の像が水を吐き出す音だけが、一瞬響く。
「あら、来たの? ちょうどいいわ。ルーキスとオルトゥスに水泳教えてるんだけど、ちょっと支えてあげてくれない?」
「いいけど、先に身体流すから」
「ちょうどいい力持ちが来ましたね」
「おお、それはよい」
「バタ足なのです!」
「バタバタしたいのです!」
「完全に温水プールですね……」
ナチュラルにことばを交わすシリウスに、ユーナは蒼白になる。
ぺたぺたとした足音が、近づく。
「シリウスさん、これ使いますか? 名付けてお風呂セット」
「そのまんまだな」
シャンレンから受け渡されたのだろう。かこーん、という桶を置く音が隣のブースから聞こえた。頭からぼたぼたと、ユーナは黙したままシャワーを浴び続ける。既に身体中の泡は洗い流されていった。
――どうすればいいのー!?
「あれ?」
流れっぱなしのシャワーに気付き、ひょこっと黒い頭が仕切りの上からこちらを覗く。
覗く。
「――――――っ!」
ひゅん!
ユーナの右手が小ビンを投擲し、シリウスは思わずそれを受け止めた。洗い粉、と幻界文字で書かれたラベルに目を落とす。
その隙に、ユーナは棚からタオルを取り、ぐるりと自分に巻きつけた。
「もうっ、何で覗くのー!?」
「へ? あ、ごめん……」
その恥じらいの声に、さすがのシリウスも頬を赤くする。湯殿では下着でも気にしないアシュアたちの影響で、この反応は完全に予想外だった。プールと同じ扱いなので、大浴場内では警告も出ないのだ。
「え、と? ユーナさん? うわ、すみません……」
「あー、ユーナちゃん気にしちゃうほうだった? それじゃあ、男子回れ右ー」
「はい……」
素直に背中を向けるふたりに、ユーナはとぼとぼとシャワーブースを出る。そこへ、アシュアが近づき、腕を取った。自分の控室のほうへ促す。
「こっちこっち」
ぼたぼたと未だに雫を垂らしながら、ふたりは扉をくぐる。
誰もいない控室に飛び込み、アシュアはすぐに自分の衣装櫃へと駆け寄った。道具袋から取り出したのは……どう見ても、水着である。水色のビキニタイプだが、まだ新品だった。
「これあげるから、使って?」
「え、でもこれ」
「あのまま分かれちゃったら、入りにくくなっちゃうでしょ。これ、アルカロット産なんだけど、私もエスタもお風呂は下着で入るのに慣れてるから使ってなくって。いいからどうぞー」
そう言い置いて、ユーナを残して出ていく。着替えの配慮だと悟り、ユーナは今一度水着を見た。何となく、下着よりも露出度が高い気がしないでもないが、これならば水着である。
覚悟を決めた。
「ペルソナとセルヴァは、やっぱりアウトか」
「特効薬は飲んだし、アズムさんが診てくれてるからだいじょうぶでしょ。今頃ログアウトしちゃってるんじゃないかしら?」
いくら病魔の本体である遺体を焼却したとしても、既に感染している熱病の発症までは止められない。今回初めて王家の霊廟に立ち入った紅蓮の魔術師と弓手、そして人形遣いが感染する可能性は大いにあった。今はまだ人形遣いには症状が出ていない。
はしゃぐ双子姫と幼女を見守りながら、アシュアは湯舟に入るシリウスへ答える。
「私もここ出たら、一応行くけど。どうせ明日の夜までログインできないんだし、特効薬さえ飲んでたら、別に回復神術で早める意味もないのよね」
「聖騎士マリスが協力的なのは助かりますね」
「意外とね」
貴賓棟での世話役を任されている聖騎士マリスには、既に事情を伝えてある。とはいえ、全員揃って長期間眠りにつくだろうという予測程度だが、彼はその間の面倒をすべて請け負ってくれた。
場所柄、大神殿の干渉が気になるところではあったが、貴賓棟でのログアウトは通常の宿でのログアウトと同じ扱いのようだった。念のため地狼や不死伯爵、骸骨執事、そして双子姫が眠るメンバーを護衛することになっている。
「あれ? イベントの件って話しましたっけ?」
「あー……」
シャンレンの指摘に、すっかり忘れてた、とシリウスが視線を逸らす。その先に、彼女がいた。
水色の水着に身を包み、栗色の髪をひとまとめにしている。胸元を飾る牙の首飾りが目を惹いた。
「お、いいじゃん」
「――もらいものだけど……」
「よくお似合いですよ」
少し恥ずかしげに胸元で腕を組んでいるのだが、細身の体ははっきりと見えている。
女性を褒めることに掛けては呼吸することと同じであるシャンレンのことばに、ユーナは照れたように笑った。
「いい色合いですね」
「でしょ。アルカロット産だから、ちゃんと水着なの」
「ユーナ、かわいいです!」
「ユーナ、素敵です!」
「なかなか似合うではないか、主よ。ほほぅ、近う寄れ」
両手を広げるアデライールの姿に、ユーナは身体に掛湯を済ませてから近寄る。だが、その小さな手が届くよりも早く、双子姫の手が伸びた。
「ユーナ、身体が冷えます!」
「早く早く!」
彼女たちの力で軽く引っ張られ……ユーナは呆気なく、湯舟の中へと落とされたのだった。




