向き合う心、寄り添う心
――父上……!
不死王妃の絶叫の中、砕け散った光の破片をソレアードも見た。
脳裏を過ぎるのは、第一王位継承者として正式に認められた日のこと。誇らしげな父の顔を眩しく見上げた。隣には母が立ち、あの日から護衛騎士としてヴァルハイトが入り――。
「許さぬ――!」
美しい顔を歪め、不死王妃はソレアードを置き去りに不死伯爵へ迫る。
幽鬼と化した不死王妃の動きを止めるべく、ソレアードは三叉槍を投げた。鋭い一撃が彼女の前を横切り、避けるために不死王妃は宙に留まる。
しかし、不死王妃が手を下すまでもなかった。
「――ふぐぅ……っ」
不死伯爵の身体を、不死王フォルティスに宿る呪いが駆け巡る。
自身を弑した者に掛かる「死に逝く呪い」は、呪いの特性故に不死伯爵へそのすべての力を発揮することはなかった。しかし、死に逝くための命を奪うという目的は果たされる。既に凍てついているはずの心臓を握りつぶされるような感触に、アークエルドは自身の服の胸元を掴んだ。
それは痛みだった。
遠くなっているはずの感覚が蘇っているのかと思うほどの激痛に、その身体が力を失う。
頽れていく身体に、ソレアードが手を伸ばした時。
その足元へと召喚陣が開いた。光の柱に包まれた全身は、瞬く間に融け、消える。
何が起こったのかをソレアードが把握するより早く、不死王妃は高らかに嗤った。
「ふふふ、ほーほっほっほ! 逃さぬ。愚か者めが……」
一転して笑い声を潜め、忌々し気に口にした彼女はそのまま通路へと飛び出した。
速い。
不死王ソレアードは己の槍を拾い上げ、駆け出す。
墓室に残されるのは虚ろなる闇。不死鳥幼生の祝福の炎は、病魔をすべて平らげていた――。
不死王妃の接近を地図により察知した少女は、中空にとどまったまま両手を正面に翳した。これより先は通さないという決意を漲らせる中、その柔らかな声が彼女を呼ぶ。
【――アデラ】
たったそれだけで。
ぽっと胸の中に、小さな光が宿るようだった。今は同じ身体の中にあるため、彼女の心は共に在る。それでも、主が呼ぶ自身の名は感情を揺さぶる。
【もう、いいよ?】
だが、少女はその声に応えられなかった。
己の主の許しは、戦いを避けることにある。もともとデス・ペナルティの影響で戦闘に加われないと覚悟していたユーナだ。それでも、この悲劇の幕引きを望んだのは……不死王ソレアードの振る舞いが、かつて刃を交えた間柄であったにも関わらず、未来へ向くものであったからかもしれない。
自身の従魔にならできる。
その確信を彼女が抱いたことは、信頼の証だった。
そのことばに、何としても応えたかった。
【ごめんね、アデラ……】
なのに今。
己の主は繰り返し、少女を諭そうとする。申し訳ないと謝る。その心は、過去在った『聖なる炎の御使い』が、その白炎が、どれだけの命の失われた遺体を荼毘に付してきたのかを知りながら、今また不死者へとその炎を向けさせることの罪深さに苛まれていた。
多くの死と向き合い、心を凍らせてことばを失った過去の自分の姿を、知っているからだ。
これほど融け合っていると、お互いの心の揺れ動くさまやちらつく記憶の端々に触れてしまう。きっと、自分が融合召喚に臨むことをどれだけ喜んだのかも筒抜けだったろうと思う。その一方で、主に死の危険を及ぼすことを、どれだけ嘆いたのかも。
自身の心が彼女に添うのではなく、彼女の心が今、自身へと寄り添っているのを感じる。抱きしめて、翼を撫でているような錯覚に陥る。
それでも、この場から去ることはできなかった。
「――不死王妃をこのまま残せば、ソレアード王との戦いは延々と続く。彼の王は母たる存在に手を掛けられぬであろう……」
闇の中で、永劫続く戦いに終止符は打たれない。狂った王妃と共に、母恋しさを募らせながら不死王ソレアードはその狂気に晒され続けるのだ。それは、不死王フォルティスが双子姫を望んだことよりもなお、苦痛な時間となる。
そのことが理解した上で、あの剣士は尋ねたのだ。「できるのか」と。
主の心が揺れる。困惑は優しい迷いの中にあった。自身の手を汚すことに躊躇いはなく、ただ、ひたすら己の従魔の心を思いやっている……。
少女は微笑んだ。死の横たわる地の底で、彼女は光そのものだった。淡い朱金の光に身を包み、徐々にその光は増している。両手に集まる自身の熱が、練られていく。
【うん……わかった】
自身の心を抱きしめていた腕が、そっと身体に沿うように重なる。一層、少女の輝きが強くなる。その翼からも光が零れる。
融合召喚。
召喚契約の先、従魔との合一。
ユーナのレベルが低いために、彼女自身がその身体を扱うことは未だにできない。それでも、その心の向きようで、従魔もまた強く在れる。
白い、光の玉が生まれる。
炎の揺らぎを持つ小さな玉は、刻一刻とその大きさを増していく。
同時に、緑に染まっていたMPバーが黄色へと変わり、徐々にその色も濃くなっていた。
視界に、不死王妃の姿が見えた。
そのすぐ後ろを、不死王ソレアードが追っている。
少女は目を細めた。不死鳥幼生の能力が、闇をも見通す。その視力は不死者ほどではないが、この距離ならば不死王ソレアードを容易に視界に収めることができた。生前、最期に彼に見えた時と同じ容貌。その姿は、かつての主とよく似ている。
朱金の双翼が、羽ばたく。
少女は手の中の力を解き放つべく、力あることばを口に――しようとした。
が。
不死王妃の姿が、不意に天井近くにまで上がった。走り続けているソレアードは母の真下を駆け抜け、少女に背を向けるように身を翻す。
――遅かった。
少女は柳眉を顰め、手の中の白炎を制御するべく、両手で包む。
「やはり」
不死王妃は口元へ手を寄せ、嘲笑うように口を開いた。
「ソレアードを守りたいのですね」
互いに向き合う形で、殆ど正面に身体を浮かせたまま、少女は大きく頷いた。
「当然じゃ。そなたも同様であろう? エフティーアよ」
名を呼ばれ、不死王妃は目を瞠る。石棺に刻まれて以来、誰に呼びかけられたこともない名だった。透けていながらも宝石のように煌く瞳が、細められる。
その瞳に、一筋の狂気も見出せなかった。
「――偉大なる不死鳥よ。何故、我が夫を……我が息子を、在りし日にお守り下さらなかったのですか?」
切ない問いかけに、少女の心が後悔に染まる。
だが、答えは求められていなかった。
そのひとことを発してすぐ、不死王妃エフティーアは甲高く笑い声を上げた。
「ほほほほほっ……! ええ、すべては遅いのです!」
叫びと共に、黒の衣装に包まれた細い腕が振るわれる。少女は白い玉をそのままに、片腕だけを掲げ、迎え撃とうとした。が、突如その双翼は畳まれ、小柄な体躯は床へと舞い降りた。衝撃波は彼女の頭上を抜けて、燭台のひとつを粉砕する。
「母上、おばばさまは王都イウリオスをお守り下さったのです!」
床に降りた少女の前に立ち、守るように不死王ソレアードは三叉槍を構える。
「エリーシェも、エリーヴァも、父上も亡くなり……多くの民も皆、皆死んでいきました。
あの時、取れる手段は本当に限られていた。私とて、ザカートを逃すことで精一杯だったのです」
ユーナにとっては、初めて知る事実だった。
二十年前の出来事は、不死伯爵さえも知らない。その時代を生きた者は家族を友を失くし、今を生きている。その傷を抉ることなどできようもない。特に王族に絡む件はあらゆる憶測が飛び交い、何が真実かなどわからなかった。
そして、そのことばによって、アデライールの記憶の欠片が浮き上がる。寝台に横たわるソレアードと、老女の姿。ふたりの、今生の別れ。
「泉下の向こうで、いつか巡り合いたいと……願いました。だから、止められなかった。それは私の罪です」
「もうよい、ソレアード王! 罪ならばすべて、この婆が背負おうぞ!」
少女が制止する。ソレアード王の影から飛び出し、少女はその手に白い玉を掲げ、今度こそ躊躇わなかった。
「白炎!」
「滅べ、命ある者よ!」
一息で、すべてを焼き尽くす炎と、死へ誘う呪いが解き放たれた。




