愛、それは……
「――ああ、何という……」
くぐもった嘆きは地を這い、墓室全体から響いた。
生ける者は驚愕に呑まれ、視線を不死王フォルティスへと向ける。しかし、その墓室の主ですらも、弾かれたように石棺の並ぶ場所へと振り返っていた。流されるままに魔力光に照らされた室内の奥を見ると、そこには蓋のずれた石棺が四つあった。
そのうちのひとつから、白く、のっぺりとしたものが起き上がる。ユーナは思わずとなりを見た。そこには礼服に包まれた骸骨執事が、影のように佇んでいる。彼はそのしゃれこうべを鳴らすことなく、フォルティス王と同じ虚ろをより深い闇へと向けていた。
同じようで、違う。
やがて起き上がったしゃれこうべは礼服ではなく、真新しい、白を基調としたドレスをまとっていた。フォルティス王と異なり、魔力光に照らされたドレスは真珠色に煌いている。
しゃれこうべは、小さく音を鳴らした。
「誉れ高きフェニーチェの王ともあろうお方が、膝をつくなど」
骸骨が左右に揺れる。その声はやはり墓室から響いていた。徐々に大きくなっていく声音に、シリウスは顔を顰める。
頭上の名は赤く、「不死王妃」と打たれていた。
「――母上……?」
呆然と口を開くソレアードもまた、その事実に驚きを隠せないでいる。
しゃれこうべは、愛息の声に快く応えた。
「おお、ソレアード……そなたも立ちなさい。王となる者は容易に膝を屈してはなりません」
骨骨しい手が、ゆったりとした袖口からレースと共に零れ、差し出された。どう見ても骨だ。ソレアードは促されるままに、父王に手を貸し、二人してその場に立つ。満足げに、骸骨が音を立てた。頷いたようだ。
不死王妃が石棺の中から浮き上がり、床へと降りる。
そして、虚ろのまなざしが、生ける者へと向いた。
「無礼者、王の御前です。控えよ」
彼女が命じたその瞬間。
墓室そのものがまるで大砲かのように、衝撃波が発された。撃ち出されたその攻撃は、生ある者すべてを通路の反対側へと叩きつける。ただふたりの例外を除き、通路にあったすべてが床を這った。ほぼ全員のHPが、一撃で色を変えている。
新たなる敵の出現に気を取られ過ぎた。前置きがあると思っていたが、不死王妃の怒りは不死王フォルティスを傷つけたことによって沸点に達している。青の神官は法杖を握り、自身を抱く腕から離れた。
「お願い、前に……アズムさんと」
「――わかった」
触れた場所が爛れている。同じ銀糸でも不死伯爵の外套と異なり、濃紺の術衣に施された刺繍は聖属性を付加した銀糸によるものだ。アシュア自体が聖属性そのものであるにも関わらず、不死伯爵はとっさにその身をかばってくれていた。最も近いという理由だろうが、そのおかげで彼女は真っ先に動くことができた。
不死伯爵は己の主をアズムが、不死鳥幼生を地狼がその身で受け止めているのを確認し、声を掛けた。
『来い、アズム』
『――かしこまりました』
自分の身体からユーナを下ろし、地狼のほうへと肩を押す。
骸骨執事の様子に、息を詰まらせていたユーナは顔を上げた。
「我らに構うな、神官殿」
そう呟き、不死伯爵は立ち上がる。
腰に佩いた剣を鞘ごと引き抜き、彼は歩き始めた。付き従うように、骸骨執事が背後に立つ。
「――控えよと、申したはずですが」
怒りに満ち満ちた声音によって、彼女自身の骸骨が震えている。
さほど距離は取れていない。だが、それでも墓室に程近い場所で、不死伯爵は跪いた。続けて骸骨執事も膝を折る。
「お初にお目にかかります、妃殿下」
「――同類のようですね。名は」
「アークエルドだ、妃よ」
礼を尽くす姿勢を見せた不死伯爵の正体を、当然ながら彼女もまた察する。だが、その問いかけに応えたのは夫たるフォルティス王だった。
「騎士ではないのですか?」
「かつては我が騎士でしたが、今は違います」
家の名前も、敬称もないままの呼称に、王妃は首を傾げた。それに対し、次いでソレアードが答える。素直な返事は母に対する誠意なのだろうが……。
「なるほど、より強き王に仕えようという心意気はよいでしょう。何故そちら側にいたのかは存じませんが、かつての仲間の血によって贖うことを許します」
王妃は傲然と告げた。
背後にいる者、すべてを殺せと。
不死伯爵は更に頭を垂れる。それは、かつて仕えた王家に対し弓引くことへの謝意の表れだった。視線を落としたまま、彼は口を開く。
『――癒せ』
「わが祈り天に満ちよ万人へ癒しの奇跡を!」
高く掲げた白銀の法杖が、神官の祈りに応える。
天井に描かれた神術陣は光の粒と化し、一角獣の面々を癒した。効果範囲を限定したがため、何とかぎりぎり神術陣自体は、不死伯爵や骸骨執事に届かない範囲となっている。それでも、その光の粒のひとかけらが骸骨執事の背に落ち、魔力によって構成されている身体の一部――礼服を灼いた。骸骨執事は身じろぎせず、呻きすら発することはなかった。ただ、殆どのメンバーのHPバーが緑に戻ったのに対し、ひとりだけ逆に削られているのがアシュアには見えていた。
「つまらぬこと。神官ならば我らの眠りを妨げるでない」
袖口のレースがふわりと動くのを見て、アシュアは更に神術を紡いだ。
「死して償え」
「――来たれ聖域の加護!」
射線を読む。
青の神官が攻略最前線で重宝されてきた理由のひとつが、その経験だった。数多くの戦いを経験値としてだけで消化せず、攻撃の予兆を読み取る術に長けていたために、クエストボスへの参戦を多く乞われてきたのである。
不死王妃の攻撃は、先ほどの全体攻撃ではなく、神官のみを狙った冥術による衝撃波だった。
アシュアなら防ぐ。
その信頼故に、シリウスは走った。
彼女を庇うという立ち位置ではなく、不死王妃を狙った斬撃を放つ。
その動きは、不死王妃にとって予想外のものだった。かよわき神官が狙われているのであれば、仲間なら庇うように動くだろう。まとめて貫け。己の力を信じて疑わない、力なき者を嘲笑うような攻撃故に、守りではなく反撃を選んだ一角獣の動きに反応しきれなかった。
聖域はその本領を発揮し、祈りの奇跡は神官を違わず守り切る。
対して、剣士の剣が王妃の死角から振るわれた。
その刃を――一振りの剣が、受けた。
「まあ」
神官に向けて死の一撃を放っていた指先が、桃色に染まった声音と共にしゃれこうべの頬に触れる。肉はなく、空洞である。
不死王フォルティスは、剣士の一撃を受け止めていた。その骨の腕を断つという勢いであったが、彼は軽々と片手のみで払い、流す。
「待て、剣士よ。まだ話が終わっておらぬうちからの別れは耐えられぬ」
「話どころじゃなかっただろ、今の」
対話ではなく、どう見てもファーストアタックをそちらに譲る形だった。シリウスは相手の間合いより一歩離れた位置にまで下がり、剣を構え直す。
背後に王妃を庇うように立ち、不死王フォルティスは尋ねた。
「我が妃よ、何故そなたは目覚めた?」
その疑問は、多くの者を代表するかのような問いかけだった。
不死王フォルティスや双子姫が泉下へ向かうより早くに、かの王妃……ソレアードと現国王の母にあたる存在は身罷っていたはずだ。熱病はその時点から言うと未来の話である。 影響など出ようはずもない。
しかし、まるでエスタトゥーアが弦をはじくように、王妃の声音は音階を駆け登った。但し、墓室がしゃべっているような感覚は変わらない。
「これもひとえに陛下への愛故です」
しゃれこうべがカタカタと音を立てる。
その眼窩は虚ろであり、不死王フォルティスとおそらくは見つめ合っているのだろうと思われた。
愛を語り始めた不死王妃に、実の息子はそっと視線を逸らす。
その耳を、金属音が打った。
双子姫の持つ方天画戟と鎖鎌の刃が離れたのだ。生あるものでも死したものでもない双子姫に、本来冥術は効かない。今、オルトゥスからは冥術の媒介となっていた死霊が離れ、逆にルーキスは死霊にその身体を明け渡しているために、冥術である王妃の攻撃は双子姫揃って何ら影響を及ぼしていなかった。だが、心ある者と心なき者の相違が、次の一手に対する対処を変えた。
母であるエスタトゥーアのことが気になり、オルトゥスは意識を一瞬後ろへ向けた。その隙を逃すことなく、ルーキスは方天画戟を振るう。視界の端からの攻撃は、何とか横に動くことで回避できた。だが、それ以上は動けない。まったく同じ性能を持つ身体だからこそ、次手の可能性が見える。下がれば、方天画戟の射程に――一角獣の面々が入ってしまう。
「賑やかな人形ですこと。あれも片づけてしまわなければ」
「母上、あのふたりは我が妹でございます!」
ソレアードの母は、弟王子を出産した後に産褥熱で身罷った。双子姫とソレアードたちは異母兄妹にあたるのだが、彼女の死後に嫁いだ側室のことなど、王妃が知るはずもない。故にソレアードはその存在を伝えたのだが……意図はまったく通じなかった。
「ソレアード、王たるものは人形遊びなどせぬものです」
「違います……!」
弁明に走る不死王ソレアードを眺めながら、黄金の狩人は十字弓に爆矢を装填する。喜劇だと笑っている余裕はない。
『なあ、あの骸骨ってソレアードのママなんだよな?』
『そうみたいですね』
『けど、ルーキスとオルトゥスのママじゃないってことだよな?』
『そう……みたいですね』
まさか自分で産んだ子のことまでは忘れまい。まして双子である。
盾士は背後から尋ねる姫の声に、少し迷いながら頷いた。
『それってさー、やばくないか?』
「――陛下の、子ですって?」
空気が変わった。
先ほどまでの「愛故に」の流れから、それは明らかに違うものになっていた。
嫉妬の炎を燃え上がらせた骸骨王妃は、カタカタカタカタとしゃれこうべを鳴らす。
「ほほほほほ……そのような戯れを……ええ、陛下。我が愛は永遠です。他の女との愛の結晶などいなかったことにすればよろしいのです。何も問題ありません」




